日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

別れる時・・・

2009-06-16 12:47:58 | Weblog
 別れる時、どう振る舞うか、これって、生きる上でとても大切なことだと思う。いつもケンカ別れって感じだと、相手はもちろん、本人自身も、寂しくなってくるのでは。
 アメリカでは、夫婦が別れても、子どもはその親に会いに時々行っている。離婚して再婚した親から生まれた子ども達と、それなりに楽しく過ごせるケースが多いみたいで、何か、別れが力強い再出発って感じにも思えてならない。
 日本では、離婚するエネルギーがあれば、今の結婚生活を維持できるとも言われているのかな?!
 会社を辞職する時、会社側も従業員側も、お互いに納得して円満にされることが理想だが、やむなくリストラになっても、出来るだけお互いの立場が理解できる状態になっておくべきだと思う。自分の場合も、経営的なことでやむなく職員をリストラしたことがあるし(結局は、閉院してしまったが)、リストラする側の気持ちも、少しは、理解できる気がするけど。
 医局を出る時も、最低限の礼儀はしておくべきだと思う。例えば、今、ドクターが少ないので、来年の入局の時期までは頑張りますからとか、あと1年間は、ここで頑張らせて頂きますとか、いろんな仕方があると思う。
 私の尊敬する西田茂先生は、職員が都合で病院を退職する時、常に、「また、機会があったら、就職して下さい」と言われていた。その時、(病院に対して今まで不満に思っていた)職員は、その理事長の優しい言葉で、別れ際に多くの人が涙したと言う。ケンカ別れは、長く生きる上で、どう考えても、良くないと思う。それが上手に出来る様になれば、社会人としてまず合格ではないだろうか。
 ドイツ語だと、さようならを、アウフヴィーダーゼーエンと言う。フランス語だと、アラヴワールと言う。英語だって、スィーユーレイターとなる。中国語だと、ツァイチェン、韓国語だって、トマンナヨって言い方がある。全て、また会いましょうの意味だ。別れ際の「さようなら」には、再開が含まれるべきだ。
 入院している患者さんが、寂しく、不満タラタラで亡くなるのは、誠に、残念なことだと思います。
 (いつかは必ず来る)人生の最後も、今から準備をして、上手に締めくくりたいものです。




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自分で決めるしかない・・・?!

2009-06-16 11:28:48 | Weblog
 医局を出た先生が、悩んで、医師の掲示板に掲載して回答を求めていた。私は、それに対して次の様にコメントしたが。

 県病→新設大学と就職し、まる4年経った所で、研究中心の生活に入るところでした。が、せっかく覚えた小児救急医療の技術を、自分の生まれ故郷で使うべきだと思って、(その新設大学にとっては、医局を出るのは、自分が第1号でしたが)、医局を出ました。そして、思いっきり、地方の救急病院で10年半、小児救急を中心に働きました。悔いはないです。その大学の人と逢うことがあっても、とても上手くいっています(もう、当時一緒に大学で頑張った人は、皆、その大学にいませんが)。
 自分が何をしたいのか、研究か 、臨床か、教育か、それは自分にしか分からないと思います。つまり、決めるのは自分でしかありません。
 今年還暦で、(年間半分近くしか仕事をしない)バイト医になっていま す。これも、自分の選択です。
 短い人生なので、人のことをねたんだり、感情的に怒ったり、愚痴を言ったりしない様にしています。それをすると、自分の体にも悪いので。

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還暦での挑戦(その10、異星人)

2009-06-16 10:54:15 | Weblog
5月19日(火)
 8:15過ぎに、聖ジョン校の(副校長、女性)ドナさんが迎えに来た。ドナさんは、日本に来たことがあり、独学で日本語を勉強して日本語を教えている。日本に行った時、話した日本語が全く通じなくて、言っていることも分からなかったと言われた。とても親日的で、日本食を絶賛してくれた。又、彼女の日本語のチェックをしてもらいたい様子であった。
 初めに、予定をしっかりと教えてもらって助かった。それには、1hr4 1hr4/5  Lunch  1hr5 1hr5  20mins  1hr6 (時間の後の数字は、学年)と書かれていた。つまり、今日は5回演出することになる。エネルギーを上手に配分しないといけない。(実際は、小さな子どもが更に加わって、複雑な組み合わせになっていた)
 こちらも、ゆとりが少しできていた。ドナさんも、こちらと生徒への対応が、とても上手な人だった。その中で、一番印象的だったのは、小さなクラスの子ども達の目で、その目の輝きを私は死ぬまで忘れないだろう。正に、交感神経がフルに働いて瞳孔が散大した状態で、子どもの数の倍の数の大きな目がこちらをもの不思議そうに見ていた。正に、異星人ETを見る目と思った。
 篠笛で、ピアノに合わせて「荒城の月」の曲を引いた後に感想を尋ねると、子ども達からいろんな感想が返ってくる。「とてもいい」「天国にいるみたい」「眠たくなってくる」「リラックスできる」「悲しくなる」と様々な感想。(前の学校では、小さな女の子から、「料理を作れる様になったら、料理を作ってあげたい」って言う感想もあったが?!)
 ドナさんも、ビデオを真剣に撮っている。熱の入れ方が尋常でない。どのクラスの子ども達も、真剣に聞いてくれた。
 帰りは、ドナさんが、(海辺の)マリーナの方にドライブしてくれた。そして、次の日曜日にピクニックに誘われて、もちろんOK(ここでは、オーカイと言う)した。
 夕方18時過ぎに、中心街にあるタイ料理店で(安くて)、夕食を美味しく腹一杯食べた。あまり食べてこなかった家内も、久し振りに栄養をちゃんと確保した感じになった。
 この日の夜の南十字星、今まで以上に、輝いて見えた。安堵の気持ちで、眠りに就けた。

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還暦での挑戦(その9、3つの公立学校で)

2009-06-16 09:51:25 | Weblog
5月18日(月)
 8:45に○ロ○さんが迎えに来て、まず、ベナラビー校に行った。前と違ったクラスだった。そこで1回プレゼンテーションをした。次に、少し遠い所にあるブローレン校に行った。そこでは、大きな学年のクラスと小さな学年のクラスに、それぞれ1かいずつした。最後に、サウス校に行って、前と違ったクラスに1回した。今日は、4回、少し疲れただけだった。
 学年が正確に分からないまま、少し不安を覚えながらも。生徒の顔が似ている感じに思える。中には、同じ生徒が又聞きたいとのことで再び見に来ている場合もあって、どうなっているのか混乱したままで終わった感じになった。
 教える時に、生徒の体に触れてはいけないとのことで、その時には、前もって許可を得る必要があるとのこと。中指で指すと、殺害する意味を持っているので、絶対にしてはいけないらしい。生徒の顔写真をインターネットなどで公にすることはタブーとのこと。日本ではさほど問題にならないことが、ここでは大きな問題になるのだ。
 太鼓の曲で、西洋の楽譜で書いて欲しいと音楽の先生から言わた。自分なりに編曲した曲は直ぐに出来たが、自分の創った練習曲が出来ない。その中で最も基本的な打ち方、ドンドコ、ドコンコ、ドコドの、ドコンコ(ストンコ)の楽譜が書けない。特に、ドコンコが。それまで、自分が教えようとしているその曲の打ち方、西洋の楽譜で書いてなかったので、慌ててしまった。時間が少しあったのと、(元気を取り戻した)家内の助けで、その場で、教える直前まで考え抜いて、やっと間に合って出来た。嬉しかった。
 今日の教訓、現地の先生が熱心だと、その生徒達も熱心になってくれる。このことを切実に感じだ1日だった。


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