日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

還暦での挑戦(その8、家内が大変!)

2009-06-15 14:24:00 | Weblog
5月16日(土)
 朝、家内に熱が少しあるみたいで、頭痛が強く、吐き気もある。やや頻脈で、実脈かな。朝食も全く摂らずに、横になっているだけで、トイレ以外に起きる元気もない。ひどく疲れたのかなあ?咳や鼻水や喉の痛みは、全くない。新型インフルエンザでないのは、確かみたいだが。
 仕方なく独りで朝10時に食事を摂っていたら、インドの人とフィリピンの人がいた。出稼ぎ労働者の感じだ。フィリピンの人は、ここに6か月滞在と言っていた。ラジカセのピアノの曲に合わせて「月の砂漠」を自分が吹いたら、直ぐに、フィリピンの人はそれを録音して、再生して聞かせてくれた。で、階段を降りる時、それを口ずさんでいた。
 昼過ぎに友好協会の会長さんであるウェンディーさんが来て、困ったことがあったら連絡して下さいと言われたが、家内の状態の悪いことは言わなかった。家内は何も食べようとはしない。すごくきつがっている。
 取り敢えず、自分がショッピングセンターに行って、必要なものを買ってくることにした。無料のマウンティンバイクの自転車を借りて、ヘルメットをして、石鹸や洗剤などを買ってきた。心配だなあ。南十字星に祈った。

5月17日(日)
 家内の状態、昨日よりは明らかにいい。午前中、自分が洗濯をした(実際は、器械がしているのだが)。1ドルを3枚入れて、スイッチを押すと、25分間回った。スゴク強烈に回っている感じだ。その後、1ドル1枚と20セント3枚入れて、乾燥機を利用した。
 夕方、家内今までが嘘の様に元気になっている。いつもの片頭痛だったのだ。こんなひどいの、久し振りだなあ。元気になってホント良かった。
(バックパッカーズには、無料の自転車があり、しばしば、利用していた。又、犬のパンディーには、しばしば、慰めてもらった。躾が実によく出来たワンちゃんだった。)


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母のこと

2009-06-15 11:59:16 | Weblog
 母は今88歳。昨日長いこと話した。
 「機能が低下している」「ボケてどうもこうもならん」そして、「皆に迷惑かけたらいけんから、そうならん様にせんといけん、それが苦になって・・・」と言う。そして、涙ぐんでいた。
 自分が行くと、心底から喜んでくれる感じだ。「いくつになったんかなあ?」「お母さん、もう60になった。還暦じゃ。」と言うと、「エエェ、そんなになったんか!」と言って驚く。その会話を度々繰り返す。そんな時、いつも初めて聞いている感じで受け答えしている。
 日本の老人の最後の10年間、どう過ごしたら一番いいのだろうか?料理の好きな母だったが、今は、危ないのでしてないと言うよりも周りがさせていない。まだ、これでも、とてもいい方だと思っている(ちゃんと風呂もトイレも、全く普通に出来るから)。
 晩年は、東南アジアやアフリカの様に、大家族で、孫やひ孫などに囲まれて晩年を過ごすのが一番幸せな気がするが。どんなにいい設備の所に入所しても、老人の孤独感は癒せないと思う。それも、孫やひ孫の力が大きいと思っている。
 ところで、母に天理の宗教のことを聞き出すと、不思議なことに、とたんに、目が輝きだして、別人の様に元気になって、私への説教が始まる(私は、天理教の信者ではないが)。
 昨日の母の講話の内容、「一口(ひとくち)話が日(ひ)の寄進(きしん)、これが助けの元立(もとだ)てや、・・・人が傷つくその一言を慎むことが大切。人が喜ぶ一口の言葉が、その日の神様への供えになる。・・・」と。


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還暦での挑戦(その7、ベナラビー校とサウス校)

2009-06-15 09:59:54 | Weblog

5月15日(金)
 朝8:45に、○ロ○さんが迎えにに来てくれた(その後も、月曜と金曜は、常に、○ロ○さんが、バックパッカーズと学校との搬送をしてくれた)。
 日本人で日本語を教えている○ロ○さん、彼女が教えている公立学校3つの内の、この日は、ベナラビー校とサウス校に行った。
 行っていきなりプレゼンテーションかなと思いきや、そうでなく、ゆっくりしいて、家内はホットしていた。
 ベナラビー校では、日本語を取っている(女)生徒は、日本文化を取っていなく、日本文化を取っている(男)生徒は、日本語を取っていないみたいだった。日系の会社があって、親がその会社に勤めていると、子どもも日本人大歓迎みたいだ。
 ○ロ○さんの英語、現地の英語そのもの。スゴイなあ。日本でどんなに英語ができると言われていても、オーストラリア側が認めないと、そこでの日本語の先生にはなれないらしい。生徒の日本語熱も、その学校の校長や先生方で、生徒の関心もかなり左右される感じだ。
 初めにベナラビー校の校長先生と会い、校内を生徒から案内された後、○ロ○さんの日本語の授業を見た。生徒が気になっているのか、こちらの方をしきりに見ていた。
 ここでは、この日、学年を違えて2回プレゼンテーションをした。音楽の先生が、和太鼓大好きって感じで、その先生も打って、生徒大歓声だった。楽しかった。
 午後は、移動して、サウス校に行った。1時間のプレゼンテーションだったので、少しゆっくりって感じでしていたら、時間が足りなくなって慌ててしまった。完全に消化不良の内容だった。生徒からオーストラリアの曲が沢山入ったCDをもらった。
 両校とも、生徒が次々と手を上げて質問してくる。生徒の表情は明るい。15時過ぎになると、生徒全員がサッと帰ってしまう感じだ。
 夕方、バックパッカーズの周辺をちょっと散歩して、夜空を見上げた(急に辺りが暗くなる感じだ)。「南十字星」がはっきりと見えて、感動した。この時期、南十字星が実によく見えていい時みたいだ。
 南十字星と「ニセ十字」、はっきりと区別が出来た。南十字星の隣の星座、ケンタウルス座の(4.3光年の距離になる地球に最も近い恒星)αとβを右に2倍に延長したところに、南十字星があるのだ。南十字星は、下から左回りにα、β、γ、δとあり、γとαを4.5倍した所に、南極点があり、この周りを1時間に15度ずつ、天空の星が右回りに回転していることになる。(グラッドストーンでは、自分の場合、寝る前に南十字星を欠かさず見るのが習慣になっていた。何故か判らないが、これを見ていると、祈る気持ちになってくるのだ。手を合わせて祈っていたかな・・・?!)


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