日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

独り言・・・

2009-06-23 16:08:24 | Weblog
 オーストラリアのグラッドストーン市を5月11日に去り、ブリスベーンで1泊して、12日に日本に着いた。グラッドストーンでは、まだ、新型インフルエンザの感染者はいなくて、170万人のブリスベーン市でも、(帰る時の早朝のタクシーの運転手さんに尋ねた時に)20名程とのことだった。しかし、その時、既に、ヴィクトリア州などの寒い所では、1000人を突破し、今では、オーストラリア全土で2000人を越えている。が、実際は、その数倍以上と思われる?!もう、こなると、まず、(WHOが示した様に、フェーズ6の通り)止められないと思う。
 日本に帰る前の日に、ブリスベーン市内の一番の繁華街を通ってみたが、咳をする人なんていなく、マスクをしている人もいなかった。オーストラリアは、今から冬に向かい、どんどん増加して行くだろう。
 私の場合、病院と相談して、6月15日(月)から勤務の予定を1週間ずらして、22日(月)から勤務している(もちろん、風邪症状は全くない)。マスコミや行政が、外国から帰ってきた高校生を、(検査で陽性が出たと言うことで)よってたかって変な風に取り上げているのを見ると、気の毒でならない。
 先に結論を言ってしまうと、私なりの推測では、今から3~4年間だけでなく、大流行と小流行を繰り返しながらも10年近くの長きに渡って続きそうな気がしている(代わりに、それまでのソ連型や香港型やトリ型は、消滅してしまうと思われる)。新型では、子どもが沢山罹患して(全く抗体を持っていないので)、どの小児科も忙しくなるに違いない。
 昔(医学生の時に)、風邪博士加地(かじ)先生の講義を受けたことがある。その時、既に、いつ新型が出ても不思議でないし、可能性は高いと言われ、約10年周期の傾向があるとも言われていたのを思い出す。どんなに寒くても、ウイルスがいなければヒトは罹患しないと言われた話が、今でも印象に残っている。
 10~11年周期の黒点の動きと関係あると言う人もいるが、その話は別にして、今までの経過を見ると、オヤッと思うことがある。
 1890年に、H2N2の旧アジア風邪が流行している。
 1900年に、H3N8の旧香港風邪が流行している。
 1918年に、H1N1のスペイン風邪が流行している。
 1947年に、H1N1のイタリア風邪が流行している。
 1957年に、H2N2のアジア風邪が流行している。
 1968年に、H3N2の香港風邪が流行kしている。
 1977年に、H1N1のソ連風邪が流行している。
 2001年に、H1N2が小流行し、そして、2009年に、2009インフルエンザが流行している。
 Hには、1~16まである。今まで、H5N1やH9N2やH7N7やH7N3が検出されているが、この長い年月の中で、H1~H3以外は、大流行してない。と言うことは、H1~H3以外がそうなる可能性は、極めて少ないと言うことではないだろうか。又、検査してないだけで、それ以外の型があったととしても不思議ではない。そんな希な型があっても、それが人同志で感染し合ったり、強い毒性を持つことは、又、別の問題だと思う。かってスペイン風邪で大量の人が亡くなったと言われるが、戦争中で過剰なストレスにさいなまれ、又、栄養状態も良くなかったせいもあると思われる(低たんぱく血症などで)。
 天然痘の様に、地球上からいなくなってしまったウイルスもいるが、ヘルペスウイルスなどは、もう、体の一部って感じで、ヒトの体の中に住み着いている。
 当たり前だが、ワクチンよりも、実際に罹患した方が、遙かに免疫力は高くなる。そんな感じで、多くの人が新型に罹患して、その内、やっと終息に向かうのではないだろうか。
 インフルエンザのワクチンを早く打ち過ぎて、6カ月後の4月や5月に流行って感じになっているのか、皆がワクチンを打つ為に、ウイルスが変異しやすくなってワクチンがあまり効かない状態になっているのか、そこいらはとても難しいところだが、個人的な感想を言うと、11月の初めがいいよと言うことで打ってきていたが、5月の初めになってもインフルエンザが多くてワクチン接種者も殆ど掛かっていたことから、ワクチンは、時期をずらしているに過ぎないのか?って感じにもなっている。
 現実は、多くのヒトが予防接種を受けても、インフルエンザが毎年はやっている。
 基礎疾患を持っている人や体の弱い人だけに打てば、変異も少なくていいのではと思ったりもしている。
 インフルエンザは、飛沫感染が主体なので、手を洗ってもあまり効果がない様な気がしている。マスクは、咳をする人は、エチケットとして(ウイルスを飛ばさない為に)、するべきだが、それよりも、マスクをしないとけない様な人は、家でしばらくじっとしているべきだろう。疲れを溜めない、バランスの取れた食事を摂る、手足を冷やさない、タンパク質を普段からしっかりと摂っておく(低たんぱく血症の人は、免疫力が低い傾向にあり)、適度の運動、良質の睡眠、口腔内の清掃、規則正しい生活、ストレスを長く抱え込まないなどが必要ではないだろうか。


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還暦での挑戦(その20、ピクニック→食事会)

2009-06-23 09:25:37 | Weblog
5月31日(日)
 よく遊んだって感じの1日だった。オーストラリアの人は、土・日は、ゆっくりと息抜きしている。買い物の多くは、大きなスーパでしている。小さなお店が少ない。そんなスーパーも、日曜は、開いていない。ここグラッドストーンでは、コンビニ何てないし、自動販売機も殆どない。
 それに反して、(従業員1500名近くを有する)アルミニウム工場(ボーキサイト→アルミナ→アルミニウム)は、深夜も、明かりを派手に灯して、24時間365日、休むことなく稼働している。グラッドストーン市は、きれいな海洋都市として有名だが、アルミニウム精製工場と石炭輸送に関しても、オーストラリアでは、最も名が知れている市なのだ。
 ドナさんが10時に迎えに来てくれて、前回(南西)と違った方向(南東)のタヌンサンドビーチの方に行った。海水浴場は、2カ所あり、両方共行った。海辺では、風が強かった。その風を利用しての凧を付けてのサーフィンを(生まれた初めて間近に)見た。時々、宙に浮いていた。これって、かなり練習しないと上手になれないと思った。医学生の時に、奄美大島診療団に参加して徳之島に行って、その時に水上スキーをしたが、バランス感覚を上手に保つのが難しくて、ちょっとしか続けられなかったのを思い出した。している人、誰一人として、途中で凧が風で海の上に落ちてしまうことはなかった。サメがいる可能性があるとのことで、サーファー達も、遠くの沖合に行かない。よく見ると、これ以上沖に出てはいけないとの目印の旗が海の上に立っている。グラッドストーンの川には、ワニもいるとのことで、オーストラリアでは、日本の感覚で、川や海で自由に泳いでいると、大変なことになる。
 その後、道からちょっとはずれた箇所にある森の中の美術館に行き、そこで食事を楽しく摂った。そこで、ドナさんに、(私の書いた)色紙と(家内が折った)折り紙を上げたら、とても喜んでくれた。楽しかった。来週は、主として、スライドを使って「日本の文化(スライドは、和太鼓だけでなく、茶道や書道や相撲や空手や剣道などの写真の内容で、又、柄杓や扇子や帛紗も持参していた)」について話すことにした(オーストラリア内では、インターネットは、図書館でしていて、持ってきたVAIOのパソコンを使うことはなかったが、それに入れていたスライドを○ロ○子さんから借りたフラッシュメモリーに取り込んで、パワーポンとを使って話すことにした)。
 15:00に帰り、17:00過ぎに、○ロ○さんが迎えに来てくれて、○ロ○さんの自宅で食事会をした。キンコーラでもらったワインと(行く前に買った)ビールと(自分が書いた)色紙を持って行った。○ロ○さんの旦那さん、○ー○から飛行機で通っているとのこと。それも、1週間向こうにいて働いていて、又、1週間こちらに来てゆっくりと休んでいるとか。そんなこと、日本では、考えられないことだなあ。
 昨年アトランタに行った時に、長女の配偶者(アトランタ市で、カイロプラクターとして開業している)が言っていたなあ。アトランタで働いている日本人で、1カ月に2~3回、仕事上、日本に帰る人がいて、仕事がきついのと時差で体の調子がおかしくなって自分の所に受診に来るが、ホント、体ボロボロって感じになっていると。
 ○ロ○子さんの旦那さん、優しそうで、マメな人で、今夜のデザートのお菓子を作っていた。又、○キさん夫妻も来て、家内も、とても楽しそうだった。○キさん、まだ1年しかいないのに、ここでの英語での会話にちゃんと付いてける。スゴイなあ(旦那さんがオーストラリア人と言うことが、一番いいのかな・・・私の場合、家内としばらく英語で会話をしようかと言うことになったが、正しい英語かどうか分からないので、しないことにした・・・?!)
 料理が美味しく、ワインも美味しく、デザートも美味しく、22時まで、時間を忘れた感じで、会話がはずんだ。日本人の二人の女性、異国の地で、夢を持って逞しく生きているなあと思った。
 夜見た(赤々と照らし出された)アルミニウム工場、実に壮観な眺めだったかな。
 

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