日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その102)

2007-05-30 07:40:55 | Weblog
  医学部での大学生活の過ごし方(続・為になるかも知れない本より)

 「大学とは、何を学ぶかを学ぶところである」とは、ベルリン大学のフンボルト教授の有名な言葉である。ハ一バ一ド大学のロバ一ト・アンダ一ソン教授も、次の様に言われる、「いかにすぐれた大学といえども、そこで学ぶことは、その後の人生において学ぶことの一割にも満たない」と。長い人生の過程に於いて、大学で学んだことを、今後の人生に於いてどの様に位置づけるかは、その人自身が大学でどの様に過ごしたかにかかっていると思う。
 実際、各大学では、どんな学生に入学してもらいたいのだろうか。医学部の場合は、各大学が共通して医者の卵として望ましいとする第一は、「心身共に健康であること」であり、第二は、「バランス感覚のある人間であること」であり、第三には、「旺盛な科学的探求心と自主的学習意欲並びに創造力に富むこと」、第四には、「奉仕性精神を持っていること」となっている。
 逆に来て欲しくない学生像は、「受験戦争の中で長年疲れ果て、自らの人生に新しい展開を求めようとしない人」(愛媛大学)、「単に偏差値が高いだけの理由で医学部を選択する人」(金沢大学)となっている。
 「自分の一生を医学に捧げるんだという強い意志からでなく、成績がいいから医学部へ行こうとする学生がいる。入試に合格すれば、大学が尻を叩いてなんとか卒業させてくれるだろう、と漫然と考えて入学してくる学生は困る」(久留米大学)、「従来ややもすると医師になれば生活の安定を得ることができるというような安易な気持ちで入学してきたような学生にとっては、脱落の道しかないであろう」(新潟大学)、「頭がいくら良くても、あんまり変わった人は来てほしくない」「京都大学)などと、手厳しい。
 医学部の場合、人の命を扱い、しかも身も心も病んだ人間を相手にするのであるからして、臨床医たるものは、一般常識はもちろん、幅広い知識と高い教養の上に高度の医学的知識と判断力を持ち、人の痛みがよくわかる感性の高い人間味あふれる人柄であるべきである。事実、患者さんの中には、医師以上に教養があり、人生経験豊富な人は、たくさんいるのである。多くの医学生は、理数に強い人が多いが、臨床医学では、人間を相手とした全人的科学というものに対する考え方が大切である。




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為になるかも知れない本(その101)

2007-05-30 07:26:01 | Weblog
○昭和51年4月30日(金)晴。
 お袋さんのケガ、不幸中の幸いって感じで、自転車で横断する時に、自転車の後ろを車でやられていた(こう言った場合は、車が全面的に負けになるらしい)。メガネが何処かに行き、靴も片方が何処かに行って、行方不明になっていた。後遺症が心配だ(母は、退院後、しばらくして肝炎になり、再び入院することになってしまった)。人間って、この先、どうなるのか分からないなあ。
○昭和51年5月1日(土)晴。
 父の忠告に反して、河内の公民館で高血圧の話をした。自分でもまあまあ上手に話せたと思った。30人ちょっと集まった(始まる時は、オラの村に、初めて医者が誕生したって感じで、マイクで言われていた。事実、私の知る限りでは、今でも、河内から医師になったのは、自分だけ)。(忙しい時期でもあったのか、その後、どんどん減って、5月5日の「ガン」の話の時には、10人もいなかった)
○昭和51年5月6日(木)晴。
 熱が38度3分もあった。カゼできつい上に、父から、「やはり、集まらなかっただろ」と言われ、そう言われたことで更に落ち込んだ。しかし、これも貴重な人生経験だと思った。講演とは、自分から進んでするべきものではないということを。
○昭和51年5月11日(火)晴。
 宮崎に帰った。この家で今から住んで行くのだなあ。4畳半一つに、後は、台所と風呂とトイレが一緒になった感じの居間があるだけ。20日の国家試験の発表、気になるなあ。マ一クシ一ト方式なので、解答する時に段を一つ間違えていない様に祈るばかりだ。
○昭和51年5月19日(水)雨。
 夜8時頃、大分合同新聞社に電話したら、自分の名前がないとのこと。直ぐに南日本新聞社に電話したら、間違いなく合格しているとのこと。この間、とても長く感じられ、新妻の顔をまともに見られなかった。万歳!万歳!
○昭和51年5月20日(木)雨。
 鹿児島のあちこちから南日本新聞に載っているということで電話があった。自己採点では、クラスの半分近くの人が6割取っていなかったが、実際は、鹿大は、80.8%になっていた。C問題で6割取っていれば、大丈夫だったみたいだ。(同じ旅館で受験した同級生は、全員合格)県病で一緒に研修する先成(せんなり)君も、合格していた。

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