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日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

私のアドバイス

2007-05-10 12:06:07 | Weblog
 事務の人で、仕事が終わらなくて、いつも遅くまで仕事をしている人がいる。疲れた顔をしている。本人に、「そんなに頑張ると体壊すよ。何でそんなに仕事量が多いの?」と聞くと、「いや、そんなに多くないけど、途中で、注文が来て、それで多くなって・・・」と言う。
 で、私が、「朝、何をするかを決めて、それをして、その中に、頼まれ事の場合は、この時間にと決めておいて、1日に終わらないと思えば、何日までにと先方の了解を得て、夕方遅くとも7時までには帰ると決めていて、6時までに帰れたらラッキーと自分を誉める感じにしたら・・・」とアドバイスしたら、「ああ、それいい、そうしてみよう、何をするか、取り敢えず、紙に書いて、そうしてみます・・・」と言った。
 さて、どうなることかな?
 私の場合は、全て、プランに基づいてしている。朝、今日のプランを考える。1週間単位、月単位、年単位と、計画を立てている。もちろん、計画はあくまでも計画であるからして、変更もしばしば。考え直すのをいつするのか、最終的に決めるのをいつするのか、それを計画に入れることもある。
 行き当たりばったりだと、失敗が多いし、無駄も多い。外国に行くにしても、それなりに最低限の言葉を覚え、滞在中は、時間を無駄にしない様にして、生活してきた。しかし、そこに住んでから、スケジュ一ルを変更して、遠くに行くことをプランしたり、全く別のことをプランしたりもしていた。
 頼む時は、忙しい人に頼めとのことばがある。忙しい人は、時間がないので、能率的に仕上げる能力を持っている。だらだらと時間を過ごしている人は、いつまで経っても、しないことが多い。それでは、人からの信用も失ってしまうだろうし、何よりも、自分に自信が持てなくなってしまうだろう。
 自分の計画以上に行った時には、自分を誉めて上げることも必要だろう。
 自分ですか、いつも、自分を褒めち切っていますが。(スミマセン)
 今日の計画ですか、・・・決まったパターンは(近頃、こんな感じですること、多いです)、朝、6時40分に病院に行って、救急ノートに昨日の深夜の小児時間外を記載して(今日は、深夜に一人蕁麻疹で来院していて、当直医が診察していたが)、小児科外来に行って、自分の体重を測定して(いつも測定している、時々、血圧も)、6階に行って、海を見ながら、ゆっくりと食事を摂り、その後回診したり、指示したり、カルテに記さしたり、入院のまとめを書いたりして、医局で病院のホームページにちょっと記載して、自分のグロブにも記載して、ゆっくりとカフェオレ(砂糖を決して入れない)飲んで、新聞見て、病院前の家に又帰って、今日の場合は、録画した今日のNHKテレビのロシア語会話を見て、ちょっとゆっくりして、又、病院に行って、明日の講義(小児科学で、免疫の講義の3回目)の試験問題20問を作成し(講義のまとめの試験は、しない主義)、午後は、1時20分から、院外の乳児健診と予防接種に行き、17時からと19時半からの小児科診療をし、19時前に6階で食事をして、21時まで医局にいて、帰るって具合に(昨日は、21時までいる予定が、20時過ぎには、もう患者さんは来ないだろうと思って帰って、NHKの試してガッテンを見た)。
 来週は、月曜の8時半~金曜の17時まで、休み(1ヶ月に1回、まとめて休みをもらっている。その代わりに、毎日仕事をし、小児科の暇な時を見計らって、年に1~2回、2週間続けて休みをもらえることになっている。今年は、旅行会社の都合で、エジプトとトルコ行きが中断された。)。
 今月のその休みの4泊は、自分で既にホテルの予約をインターネットで済ましている(便利な時代で、パソコンと形態さえられば、何でも予約が出来る感じ)。どこを見るかは、(だいたい決めてはいるが、はっきりしたことは)初め行った日に、そこに住んでいる人に会ってから、決めることにしている。
 まあ、最後は、どんな感じで死んだらいいのかなんてのも、近頃、時々、考えていますが・・「千の風になって」の歌、いいですね。今、篠笛で上手に吹ける様に、毎日、挑戦していますが。

「千の風になって」

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています


こんな感じで皆が思ってくれたら、いつでも、安心して死ねるかなあ。

私の父は、私の頭の中では、いつも生きている。夢でよく出てくる。
  そこでは、父が私に、「お父さんの言いたいことは、これに書いてあるから・・・」と言って、父の遺言としての「イロハ歌を」読む様に言う。


いろはうた(人生考)    
            
い・・・言うべきか言わざるべきか人により
     事によりけり時によりけり
ろ・・・ろこつ者いかにどんなに良いことも
     ろこつ過ぎればうらまるるのみ
は・・・恥を知れ些細な罪も罪は罪
     悪が通れば先は暗闇
に・・・人間も動物園の仲間かな
     倫理説くよりえさにとびつく
ほ・・・放任も過保護ものぞむ子にならぬ
     たずなひきしめきたえあげねば
へ・・・へたまわりへたにまわれば身が立たぬ
     関の西より東の日の出
と・・・とぶ鳥も明るい声や暗い声
     さえずる声や泣き沈む声
ち・・・散り朽ちて枯葉堆肥によみがえり
     年からにじむ声は肥かけ
り・・・りこう者ばかになりきるりこう者
     偉大なばかのりこう者かな
ぬ・・・ぬかるみに足ふみはずしのめりこみ
     ぬくにもぬけず上にあがれず
る・・・るす中に予想もしない難事あり
     いざに備えよ常日頃から
を・・・男かな女かなはてわからない
     そんな者には魅力はわかぬ
わ・・・わかるまいわかりゃすまいと思いきや
     手抜き工事の命とりかな
か・・・がっちゃんと金の重みで声通じ
     金の切れめが通話の切れめ
よ・・・よく見よやおもてもあればうらもあり
     すかして見よやへその奥まで
た・・・短期者短気は亀裂のやいばかな
     お家断絶おのれ切腹
れ・・・連勝は綱の結びに近けれど行き
     引退もすぐ横綱の道
そ・・・その気持ちそれはそれはとひと声を
     かけて通ずるおもいやりかな
つ・・・つきたての餅は思いの型になる
     冷えたあとではもう変えられぬ
ね・・・ねらわれる勇む猪撃たれるし
     豚も太れば場 
な・・・何につけ人が何事言おうとも
     神が見ている泣くな嘆くな
ら・・・来年も又来るものと思いきや
     来る人もあり来ぬ人もあり
む・・・むかしとてよきものもあり悪もあり
     悪のやからは無茶にはばたき
う・・・浮き沈み悲喜交々の世なるかな
     善もすすめば悪もはびこる
い・・・威勢よく相撲に勝った勇み足
     勝ったつもりがつい負け勝負
の・・・のぼらねばとまっちゃいない人の道
     山に車を押すが如くに
お・・・親思うその子も孫も親思い
     親にそむけば子にそむかれる
く・・・苦労せよ苦労するのも世の試練
     苦門過ぎれば幸せの門
や・・・夜間にはやたらに他家を訪うなかれ
     迎えもすればいやがりもする
ま・・・まにうけずまさかとむげに見逃すな
     子を知るも親知らざるも親
け・・・けんかすないたみつければ傷あとに
     いついつまでも残る憎しみ
ふ・・・不届きとひどくせむるなあざけるな
     彼も人間われも人間
こ・・・子どもとは自分をうつす鏡かな
     息子とは心をうつすよい息子
     娘とは母親の姿をうつす良い娘
え・・・偉くなれ人間として偉くなれ
     どえらい奴に偉い人なし
て・・・手を使え良心のままに手を使え
     あの手この手と先手を使え
あ・・・アル中の予防に禁酒週二日
     休肝二日薬よりきく
さ・・・さわるなよ蜂の巣箱に手を出せば
     手首も顔も針にさされる
き・・・金魚にも出目の金魚と駄目とあり
     出目は救われ駄目は流さる
ゆ・・・油断すなきのうの友はあすの敵
     きょうの味方があすの敵かも
め・・・めんどりにうたえというはこくなこと
     うたい出したらめんどうになる
み・・・めえっ張り張れば張るほど見苦しい
     ありのままこそ美しきかな
し・・・信ずべし疑うべきを疑って
     身のほど知るが知者の行く道
え・・・絵もうたも書も芸ごとも碁将棋も
     趣味にいかせば余生いきいき
ひ・・・批評すないつでもどこでも人前で
     人をけなしてよきことぞなし
も・・・物よりもこころにこころ向けよかし
     どん欲もののこころ貧しき
せ・・・せくでない世帯を持って嘆くより
     とくと相手の見きわめが先
す・・・住居の美トイレも奥も玄関も
     みだれなければこころやすまる
ん・・・んん-んと隠徳つめばすばらしく
     財はなくとも無財の七施
(父は、満84歳、52年振りの大雪の日に、笑顔で、死去しました)

 自治会長さんが、父の為に、次の詩を捧げてくれました。

「 素晴らしい  笑顔残して   雪の夜 」
 
  (中村東区・自治会長 宇高流高)

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為になるかも知れない本(その82)

2007-05-10 07:12:06 | Weblog
○専門4年、8月19日(火)晴。
 ○○先生のする気管支ファイバ一スコ一プを見学した。患者さんにとっては、とてもきつい検査だ。肺ガンの疑いがあればしないといけないが、タバコを吸っていない人の方がスム一ズに検査が出来るとのこと。胃透視も見学した。その後、院長の講義があり、結核に付いて詳しく知った。初回にINH(アイナ一)、RFP(リファンピシン)、SM(ストマイ)などの3~4剤で強化療法をして、菌陰性化にすることが大切であることを知った(初回であれば、これで90~95%も陰性化する)。SM・PS・INHの三者併用をまだ金科玉条にしている医師が多いとのこと。
○専門4年、8月20日(水)晴。
 助手になって、生まれて初めて人間のオペをした。したと言っても、鉤を引っ張るだけであったが、最後のハウトの縫合はバッチリさせてもらった。「初めての人でこんなに上手な人は初めてだ。それに、オペ中も術者の邪魔を殆どしないし」と、○部長から誉められた。
 (自分は、普段から、暇を見ては、打診と眼底と糸結びの練習をしていた。昨晩、糸結びの練習をしていた。左手で引っ張っていて、右手だけで結ぶのと、右手で引っ張っていて、左手だけで結ぶのを、それも、上からでも下からでも、それに、正面で両手を使って結ぶ二通りの方法を、何度も練習していた。)
 手術は、4時間も掛かり、右上葉の肺化膿症で、41歳の女性であったが、無事に終わった。実によく外科医のしていることが分かる。午後は、針金で気管支の走行を作る宿題が、一番先に終わってしまった。
○専門4年、8月21日(木)晴。
 又、オペに付いた。残りの3人が付きたがらなかったので(自分にとっては、ラッキ一って感じで手術に臨んだ)。60歳過ぎの肺ガンの男性であった。Bullaが予想以上に多くて、除去手術をしても術後に亡くなる可能性が非常に大きいということを家族にその場で説明して納得してもらい、そのまま閉じてしまった。外科医の冷静なる決断、苦悩が分かる様な気がした。


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