山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

マニフェストが図書館にない

2009年12月05日 17時11分58秒 | Weblog
 『朝日』12月4日夕刊のコラム「窓 論説委員室から」に貴重な指摘があった。
 公約ではなくマニフェストが花盛りのいまどきの選挙。新政府成立後の国会において、民主党は、政策の根拠をマニフェストに書いてあるからということが多かった。
 政治分析の基礎資料として、歴史資料として不可欠のこのマニフェストが図書館にないというのだ。選挙中は、図書館にこれをおくと、不特定多数への文書回覧にあたり、公職選挙法に触れるというのだ。すべてのマニフェスト・公約を図書館が収集して不特定多数に回覧することは民主政治にとって、有益なことではないのか。民主主義の常識と公職選挙法は感覚が違う。
 マニフェストの配布は、選挙管理委員会が候補者に一本与えた選管の旗の周りでしかできないのだ。だからあちこちの駅前でとか、地域全体で配ることはできない。住宅地に配るのも旗を立てて移動しながらということになる。まるでひと筆書きみたいだ。しかし選挙期間は短い。マニフェスト配布制限は、マニフェストが登場しない頃はなかった。とにかく日本の公職選挙法は制限することばかりに熱心だ。民主党はデモクラシーを党名にした政党だから、こんな表現の自由ばかりをしばる法律を改めて欲しい。
 あらゆる文書を収集保存し、研究に役立て、後世に伝えるのが仕事の図書館が選挙のマニフェストに手が伸びていないというのは、憂うべきことだ。ただちに是正しなければならない。
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警察・検察・裁判所一体になってビラ配り弾圧

2009年12月05日 15時09分05秒 | Weblog
 最高裁は、11月30日、葛飾でのビラ配りを犯罪だとした事件で、被告荒川庸生さんに有罪判決をくだした。この判決によって、21世紀の日本が人権後進国だということを世界に知らしめることになった。
 私はこの判決報道をよんで、怒りとともに、このような低レベルの判決しか書けない裁判官に哀れを感じた。歴史の発展方向すなわち人権と民主主義に背をむけた判決は、歴史から断罪されるだろうし、その前に国際社会からも非難されるだろう。
 立ち入り禁止を書いていたのにビラ配りでドアまで立ち入ったから住居侵入罪で有罪だということだが、そんな形式的なことでいいのか。弁護団は、憲法の表現の自由、参政権、国際人権規約の観点から論証をつくしてきたはずだ。にもかかわらず、これらを真正面から検討もせずに、住居侵入だと断じるその精神は、人権・民主主義の不理解をあらわしており、終戦直後の横浜事件での裁判官とよく似ているではないか。また、足利事件で菅野さんを獄にとじこめた裁判官の姿にもダブって見える。
 ピザや不動産のビラなど、新聞折込より安く上げるために、多くのビラが配られる。ビラを配ったことでこのように断罪された例を聞いたことがない。荒川さんを警察に通報した人も、それを受けて逮捕した警察も他のビラ配布と明らかに差別して狙い撃ちしたのだ。しかも、凶悪犯罪のように法的限度の23日間も拘留して取調べし、家宅捜索までした。100%の政治的弾圧だ。住居に立ち入ったというが、犯罪目的で入ったのではない。しかも共用区域にだ。目的は、区議会報告を配るためであって、推奨されこそすれ、23日も拘留されて取調べを受ける筋合いではない。このような異常な捜査そのものを裁判で検討することが求められるのに、裁判所はこれもおこなわず、警察・検察に迎合している。
 イラク戦争以来、政治ビラ配布につぎつぎと弾圧が加えられている。表現の自由という憲法上もっとも尊重されるべき権利をいちじるしく低いものにした。
 荒川さんが配った区議会報告は、議会制民主主義をすすめていくうえで大切なものだ。議員の歳費・政務調査費の金額がよく問題にされるが、そのお金を使って区議会報告を作成して配ることは、議会政治、民主主義の実践そのものではないか。政務調査費などは、ついこの間まで使途は問われることなく、どんな使い方でもまかり通っていた。そうした状況のもとで、議会報告をするのは最もあるべき使い方だ。だが、新聞折込で配るには莫大な費用がかかる。一度くらいならば折込もできるかもしれない?が(無理かな)、9月議会、12月議会と各議会ごとに丁寧に報告をしようとすれば、ボランティアをつのって無料で各家のドアポストや、集合ポストに配るしかない。この行為は、議会での議論の姿を市民に還流し、次の議会に市民の声を届けるための重要な行為である。もっともっとやるべきことで、共産党だけでなく、各党がかならずやるべきことだ。その民主主義の実践としての行為を犯罪だとしたこの判決の精神の狭さ、前近代性を問題にせざるをえない。
 これまで新聞折込で配っていた市政報告を、最近は、財政難からアルバイトをやとって歩いて配る方式をとりいれている自治体が現れている。先の衆議院選挙で選挙管理委員会が配った選挙公報も配布を請け負った会社?がアルバイトをやとって歩いてポストに配っている。これと、共産党のビラとどう違うのか。市政報告や公報は犯罪でなく、共産党のビラ配布を犯罪だとするその違いはどこからでてくるのか。
 日本は国際人権規約選択議定書を批准していない。日本は、国際的な人権条約のうち、数でいえば批准していない方が多い。1948年のジェノサイド(集団殺害)条約も批准していない。
 国連自由権規約委員会から、日本は勧告を受けている。国連自由権委員会は、公職選挙法での戸別訪問禁止、文書配布の制限、表現の自由・参政権への制約について、さらに政治活動家と公務員が郵便箱に政府批判のリーフレットを配布したことで逮捕されていることに懸念を表明している。
 新しい政府の下で、人権規約選択議定書の批准が求められる。批准されれば、荒川さんは、最高裁によってふみにじられた人権を回復するために、国連自由権規約委員会に申立てができる。国際人権規約B規約からすれば、今度の最高裁のような判決は成り立たない。
 政治ビラを配ることは、民主主義の実践にとって不可欠のことだ。これは推奨すべきことであって、断じて犯罪ではない。
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