山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

表現の不自由展」再開を喜ぶ。ひきょうな萩生田・ぶざまな河村

2019年10月09日 08時12分20秒 | Weblog
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が10月8日再開されたのを喜ぶ。安倍首相官邸・右翼連係プレーによる表現への抑圧を広範な世論、芸術家の結束によって押し返し、再開にこぎつけたことは、日本の民主主義にとって重要なことだ。
 再開にあたって、会場周辺に右翼活動家が集まったようだ。その中で主催者でもある名古屋市長・河村氏が再開に抗議の座り込みをした。座り込みの映像も流れた。再開は「表現の自由という名の暴力だ」とハンドマイクでしゃべった。暴力?この人の言葉はいったいどうなっているのだ。だがテレビを引き込んでの座り込みはたった7分だった。大村知事の人権と民主主義を擁護する冷静な発言に比べ、河村氏の幼稚で個人の右翼信条むき出しの発言はあまりにも落差が激しい。民主主義擁護を放棄する河村氏は首長としての資格を欠く。
 今朝(10月9日)のMBSのワイドショーで、落語家の志らくが自分は河村市長の横に座りたいと立場を表明して、芸術監督の津田大介氏とやり合った。津田氏は作品内容と表現の自由を保障する民主主義とを区別しつつ擁護する立場を丁寧に語った。河村氏風にいつも横柄な物言いをする志らく氏が河村と同じ考えだったとは。
 名古屋・河村、大阪・松井氏らに後押しされた右翼活動家の妨害・脅迫によって中止に追い込まれたものを再開するのは大変な苦労があっただろう。実際、再開展示は、2時間ごとに30人を抽選で入場許可する、手荷物をあずかる、金属探知機で検査する、展示の撮影・SNS拡散禁止など厳しいものだった。暴力分子の妨害を食い止めるためには正しい措置だ。人数はもっと増やしていいと思うが、手荷物・探知機は今後の参考になる。撮影禁止は当たり前だ。どこの展覧会でも寺院の仏像でも撮影禁止はもとよりだ。作品と作者の権利擁護の観点から。おもしろいことに中国では自由だが。開けないように妨害するという脅迫は警察の管轄で、厳格に取り締まるだけだ。そうすれば表現に自由は保障できる。今回、きっちり再開できたことにより、萩生田がもくろんだ、お友達右翼が騒げば補助金を停止するという路線の定着を阻止できそうだ。
 平穏に展示が再開できたのだから、萩生田・文化庁は補助金再交付を審査すべきだ。議事録をつくって。
 再開にかかわるコメントでやっぱりと思ったのが萩生田光一文科相だ。「わたしから文化庁になにかを指示したりということはありません。」萩生田といえば90数億円の補助金支出にかかわる加計学園疑惑の中心人物だ。あのときと同じフレーズで逃げるつもりだ。文化庁内部から勇気ある人、出でよ。
 もともと議事録をつくること前提で審議委員会を開いたのに、すべての文化庁補助金案件すべてで議事録がありませんでしたという怪事件。それも7800万円を「あいちトリエンナーレ」に見せしめ的に交付しないために上からおしつけたためだ。文化庁としては議事録をつくりようがない決定内容だから議事録なし。トリエンナーレだけなしでは理屈が通らないから、すべての補助金案件も議事録なし。もう民主的手続きも、コンプライアンスもへったくれもない世界だ。テレビの志らくも、萩生田さんは手続きとかいわずに内容が気に入らんからだとはっきり言った方がいいといったくらいだから、気に入らんから全部私が命令したと率直に言え。一番の黒幕・萩生田を逃がしてはいけない。萩生田のふんどしを後ろで握っているのは安倍晋三だ。国会答弁で安倍氏は政府文科大臣の責任に触れず、文化庁が勝手にやったことと逃げを打っている。
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