実は昨年までは酒田みちみらい女性の会には、酒田市の女性担当者Aさんも同行し、色々と面倒をみて頂いた。今年から若い男性イケメンに変わったのだが、彼は前日からの陳情組に合流し、私達3人組は放し飼いにされた。私とIさんは1便で、Hさんは2便で上京し、各々別行動になった。私は朝一でAさんから教えて頂いた安藤忠雄展に行き、IさんとHさんは奇しくも東京藝術大学大学美術館で開催されている「皇室の彩」に前後して入場したらしい。
Iさんと私は帰りが最終便だったので、その待ち時間を利用し、また別行動になった。私は急いで上野に降り、西洋美術館を目指した。開催されている展覧会の北斎とジャポニズムを観るためである。
「閉館時間まで、あと1時間です。」とチケット売り場で念を押され、西洋美術館に入った。北斎は両国のすみだ北斎美術館でも見てきたが、彼を筆頭とする日本の浮世絵が西洋画に与えた影響は大きい。今回の展示は、それをまざまざと示す物だった。
北斎の影響を受けて描いた西洋画の巨匠と呼ばれる人達のタッチの弱さは、北斎の物と作品を並べて展示すると言う意地悪な手法に、歴然と現れていた。北斎はどれだけ天才だったのを知る事となる。
北斎に関するヨーロッパでの文献の展示も珍しい。浮世絵ならずとも、北斎漫画を模倣した習作も並べるなんて酷な話である。北斎の迫力は彼らの手で可愛い物に化け、人物の骨格をも裏打ちされたデッサン力や構図も、当時の印象派の画家達は度肝を抜かれたと思う。遠い未開の東の国だった筈のジャポニスムは、起こるべきして起きたと思う。
時間がないので、走って回ったよ。
休憩時間を挟んで、「第22回日本海沿岸自動車道沿線市町村建設促進大会」が開催された。
来賓の国会議員の方々は、一日に様々な会合の掛け持ちをする。この新潟選出の齋藤議員は、先の選挙の小選挙区で僅かの票が足りなかった。バッジを着け、ここに座っていられるのは比例の票が入ったからなのだが、その僅かな票をこれからも獲得する為に、出来るだけ会合には顔を出すようにと、一度抜けて再度会場に現れた。他の議員は代理の秘書の方々の参加だったが、その代理も参加しない議員もいた。
国会議員は、地元と国会や政府を繋ぐ大事な任務を背負っている。地元からの陳情を受けるのも議員の仕事なのだ。なんぼでも忖度して欲しい。
代理での紹介もそこそこに移動する秘書の方もいた。
さて、ここで問題です。その代理の方の紹介で挨拶するも、一度もニコリともしなかった秘書は何番目でしょう。
日本海沿岸自動車道は前延長322km。その内の7割が完成し、平成29年度には(仮)あきた北空港IC-鷹巣ICが供用、残りは県境付近だけである。それが温海-朝日道路、酒田みなと-遊佐、遊佐-象潟、二ツ井白神-小繋、二ツ井-今泉、鷹巣西道路だが有り難いことに事業中である。予算が付けばどんどん進められるのだが。
主催者挨拶 新潟県村上市長
秋田地区同盟会長
山形県副知事
新潟県副知事
秋田県副知事
新潟県選出衆議院議員 斎藤氏
謎の国会議員。拉致被害者奪還のブルーリボンを付けているので、自由民主党だと思うのだが。
山形県選出参議院議員 舟山氏
国交省道路局長 石川氏
新潟-山形間には予算が2倍、山形-秋田間には4倍もの予算がついた。朝日-温海ではトンネル工事が始まった。これには全国高速道路建設協議会会長の高知県知事 尾崎正直氏による尽力があった。
意見発表は、世界一のクラゲ水族館の鶴岡市加茂水族館館長の奥泉氏だった。(始めてお会いした頃はもっと若かったのに。当たり前だけど)
1930年、鶴岡-湯野浜温泉間に電車が開通したのに併せ、集客が出来る施設をと亀やホテルの社長が水族館を造った。水族館は戦前には訓練所、戦後には加茂水産高校としても使われた。39年には鶴岡市営となったが、以後民営市営を繰り返す。オープン時には20万人、78年には12万人、国道112号線の月山道路が出来て少し盛り返すも、85年15万人、97年には10万人を割り込み経営は苦しくなっていく。道路が良くなれば客足は伸びるが、魅力のある所で無いとそれも難しい。猿山を設けたりと様々やったがじり貧に陥って行った。
或る日、サンゴの水槽で奇妙な物を見つける。それがクラゲだった。これが客の興味を引き、クラゲの水槽から人は離れない。何の設備も取り替えたり買ったり出来ない状況の中、クラゲは海に獲りに行って水槽に入れた。客は皆大喜びし、客数は増えてきた。そして水族館は鶴岡市に買い戻されることになり、世界一のクラゲの水族館として新たに建設されることになった。
新しい水族館には、当初の予想の27万人を3倍超える客が集まり、3年で210万人を超えた。空港や駅から遠い条件で、殆どの人が車でやって来て、駐車場は満杯。遠くに臨時駐車場を設け、加茂地区の方々には随分とご迷惑を掛けた。県外の客が8割と、遠くからも来て頂ける。今の水族館なら魅力も出てきたので、(月山道路の時は続かなかったが)高速道路が開通すれば、もっと多くの人達に来て頂ける。男鹿、大森山、浅虫と連携しスタンプラリーも行っている。新潟のマリンピアなどとも繋がって、地元の活性化に繋げたい。
山形県選出衆議院議員 加藤氏
大会決議発表
日沿道、全ての箇所で事業化が始まった。あとは一にも二にも予算の拡大である。道路は繋がってこそ役に立つ。国土強靱化政策で太平洋側、日本海側の軸としたい。
閉会の挨拶は、庄内地区期成同盟会 酒田市長丸山氏
丸山市長の喋りは、滑舌が良くて張りがあって、とても聞きやすい。
11月16日、東京都の麹町のホテル・ルポール麹町で、「羽越本線高速化促進大会」が開催された。日沿道の建設促進大会と同日に開催されるので、殆ど毎年参加しているのだが、今年からはちょっと様変わりしての1回目なのだそうだ。
乃木坂駅から永田町駅に移動するのに、私の携帯は午前中で電池が無くなった。古くなったのが一番の原因だと思うのだが、美術館の中で撮影したのが災いして、電車の乗り換えのアプリも動かなくなった。永田町駅でもマップが使えずに、どの出口に向かうのかウロウロと迷い、地上に出てみて赤坂見附駅と書かれているのに戸惑い、見あげると紀尾井町ビルが建っていた。あら、ここなら知ってる。
何だ、旧白川宮邸のある通りだったのね、と会場を目指す。いつもは反対側の麹町駅から向かうので感覚が狂い、隣のビルに入って大会会場が無いと、またまた迷う。エントランスを改築したのかなと思ったが、まったく関係の無いどこかの理事会が始まる所だった。
ようやく会場入り出来た。
今回からは、フル規格の羽越新幹線誘致を求めて、秋田-山形-新潟の各県の同盟会が一緒になって活動を行うのだそうだ。会場で酒田みちみらい女性の会のメンバー3名が、どっピンクのジャンバーを着て待機していると、見覚えのあるKさんが現れて、一番前の席に誘導された。来賓の国会議員席のまん前だった。
演台の向こう側は、主催者と関係者、その外の来賓の方々が座っている。残念ながら皆さんの顔が見えない。
主催者代表挨拶 鶴岡市長
新潟地区同盟会 新潟からのニュースで、羽越線の特急いなほと新幹線の乗り継ぎで、同一ホームでの乗り降りが来年(30年)のゴールデンウィークまでには、必ず完成するように工事を進めているそうだ。
秋田県副知事
山形県副知事
新潟県副知事
新潟県選出衆議院議員 石崎氏
山形県選出 参議院議員 大沼氏
特急いなほと新幹線の乗り継ぎでは、妊娠時の大変だった経験を踏まえ、高齢者や大荷物を抱えての移動が、一日も早く解消するように、新幹線の早期実現に向けて助け合って頑張りましょうとの挨拶。
新潟県選出衆議院議員 斎藤氏
山形県選出衆議院議員 加藤氏
冬期間の新幹線から特急いなほへの乗り継ぎ時に間に合わず、乳飲み子を抱えてミルクと紙おむつを買って、新潟のホテルに泊まらねばならなかった経験を話す。雪と風には弱い日本海側の新幹線の早期実現に向けて頑張りましょう。
新潟県選出参議院議員 森氏
新潟県選出衆議院議員 細田氏
意見発表は、秋田県の由利本荘市屋島出身の鉄道カメラマン 佐藤和博氏
子供の頃、祖母に手を引かれて蒸気機関車を見に行った。20歳で始めてカメラを持つ。現在は(株)ジェイアール東日本企画 オフィシャルカメラマン。鉄道の歴史として、’64に東海道新幹線が開通、全国47都道府県の内24都道府県にフル規格の新幹線が走っている。秋田ミニ新幹線は20周年となる。北海道新幹線も北陸新幹線もフル規格である。現在羽越線では特急いなほが開通して45周年経つが、大雪や強風に弱く、新幹線にするならフル規格を望む。開通にこぎ着けるにはB/Cの課題があるが、現状だけを取り上げるのでは無く、北陸新幹線営業の富山や金沢を見ると開通によっての効果が絶大になるのを見るべき。
開通にはスピードこそ命。羽越線の認知、若者達の夢へと交流人口はサポートになる。ミニ新幹線の考えは安直で、フル規格新幹線と併行在来線の各々の使い方があり、在来線は貨物輸送に絶大な力を持つ。上越新幹線開業からは30周年を迎えるが、日本海側に新たな夢を描かせる新幹線に向けてアピールを続けたい。
酒田市丸山市長の大会決議発表
昨年から、羽越新幹線の動きが変わったのは、調査にむけて予算がつき、一気に加速度がついたようである。
おまけ:司会