無題・休題−ハバネロ風味−

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

モクズガニ

2010-10-30 13:07:36 | 動物・自然
さくらさんから、モズクガニモクズガニを戴いた。背の高いダンボールの箱に、新聞紙を敷いて籾殻を入れ、カニが16杯も入っている。



2−3日後に、みんなで呑み会をするので、その時のご馳走にしようと、ダンボールの箱を、そのまま事務所の台所に置いた。夜になって、九州旅行の書き込みをしていると、机の下でガサゴソと言う音が聞こえた。何?と見ると、1ハイが脱走していた。慌てて捕まえて箱に入れた。事務所の中は隠れる場所が多いので、今度は蓋になるように新聞紙を重ねて置いて、隠れ場所のない廊下に置いた。しばらくすると、カタンカタンと階段を降りる音が聞こえるではないか。籾殻の足跡の先に、カニがいた。

さくらさんにメールして、何バイ戴いたのか、脱走者はもういないのかを確かめてみた。その時、箱の中を引っかき回したので、新聞紙と籾殻が滅茶滅茶になってしまった。どうやら他にはいないようだ。そんなに逃げたかったのかと心が揺れ、雄雌2ハイを水槽に入れて飼うことにした。ところが、気の合わなかった同士で、喧嘩をする。仕方がないので、雌だけにした。隠れるつもりで浄水器の下に潜り込み、浄水器を甲羅に乗せて歩き回り、いつもホースが外れている。なかなかどうして賑わしい。

残りのカニは、塩湯でして、大変美味しく戴いた。このタイトルのカテゴリーを、食べ物にするのか動物にするか迷ったが、1ハイだけ残ったカニを元に、動物にする事にした。

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東京・羽田国際ターミナル

2010-10-28 00:13:50 | 
九州に向かう時には、乗り継ぎのゲートを通るだけだったので、気が付かなかったが、羽田空港はすっかり変わっていた。前回来たのはいつだったろう。第2ターミナルの出発ラウンジは、倍の広さに変わっていた。庄内空港行きの搭乗口は、一番遠い端にあるので、歩く歩道やら通路を使って、延々と移動しなければならない。今度出発ロビーが広がった事で、うんと近くなった。

ロビーの広さが倍になったから、さぞかし人は疎らに見えるだろうと思ったら大間違い。以前にも増して混んでいた。空港職員が大声で何かを言っている。悪天候のせいで、四国からの便が飛ばなかったようで、乗り継ぎがどうのキャンセル待ちがどうのと言っている。そうか、九州から無事に羽田に着いた事に感謝しなければならないのだと安堵する。

庄内空港へのフライトまで3時間弱の待ち時間があった。夕食を摂るのは自由にと言うことで、バラバラに行動を開始する。せっかくの機会だもの、新しく開港になった国際ターミナルを見に行こうと、モノレールで3つ駅を戻る。



モノレールの改札口を抜けると、すぐに国際ターミナルに入り込んだ。近いなと思う。
ここも人で混んでいた。どう見ても、海外へ行くような人だけには見えない。新しいターミナルに遊びに来た人と言う出で立ちだ。



空港の建物は新しくて綺麗だが、成田に比べると幾分狭い感覚は否めない。
このガウディのサグラダファミリアの柱に似た大柱が面白い。屋根の構造といい、じっくりと建物を見れればいいのだが。今回はそこまでの暇はなさそうだ。



人混みをかき分けて、江戸の町をアレンジした商店街はどこかと見渡すと。



中央の正面に赤い鳥居のような物が見えた。
正確には、赤い舞台になっていて、イベントが出来る仕組みになっていた。



その両側には、江戸の町を彷彿とさせる、粋な店が並んでいた。



外国人ならずとも、小物を見て歩くだけでも楽しい。



色彩も、黒い板塀と木の色合いが基調となり、落ち着きと華やかさがうまく調和している。



今度また、ゆっくりと来てみよう。



そう思って、第2ターミナルへと戻った。
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熊本・阿蘇山

2010-10-27 23:04:27 | 


バスは阿蘇山に向かう。頂上のロープウエイで火口を覗くんだと張り切っていたが、ご覧の通りの雨で、ロープウエイは動かず、昼食の焼き肉を食べて降りることにした。



一口に阿蘇山と言っても、1つの山があるわけではない。マグマを噴き出しすぎて、中央部が陥没して、外輪だけが残った。バスはその中央の窪地(カルデラ)を走っている。そこにはきちんと村や町が出来て、普通に人々は生活をしていた。



一際高く見えるのが、阿蘇五岳である高岳(1,592.3m)を最高峰に、中岳(1,506m)、根子岳(1,408m)、烏帽子岳(1,337.2m)、杵島岳(1,270m)のどれかであろうと思われる。噴火口があるのは中岳だそうだ。



早めに熊本空港に着く。ここでお世話になった鶴岡のSさんご夫婦と別れた。



搭乗口が7番まであるのかと感心する。
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熊本・水前寺公園

2010-10-27 22:54:42 | 


熊本城から帰る辺りで、雨が降ってきた。天気予報だと傘の心配はないと踏んで、荷物にもなるしと雨具の用意はして来なかった。水前寺公園では、その名の通り、すっかり水の精励を受けた。水前寺公園は正式名称が「水前寺成就園・すいぜんじじょうじゅえん」だそうだ。



客引きの声も高らかな門前町。



人の来るのが判って、まるで第7艦隊のように進んでくる水鳥達。
池には大きな鯉が泳いでいたが、熊本城の堀や太宰府天満宮の池とは大違いで、こんなに澄んだ綺麗な池は見たことがなかった。桃山式池泉回遊庭園で、東海道53次を模した作りになっている。



公園の中に、神社があった。



その名も、出水神社(いずみじんじゃ)。湧き水もあり、美味しかった。



急いで池の周りを一週する。能舞台や新しい茅に葺き替えられた「古今伝授の間」も、この程公開されるようになったのだと言う。



茶室の造りになっているのだが、取り立てて記すべき所がない。
奥にある襖が、年代を経て、ちょっと素敵だったので写真に写すが、ピントが甘くてうまく映らなかった。
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熊本・熊本城

2010-10-27 21:48:50 | 
九州にいた3日は暑かった。メンバーが最終日に半袖で現れても、何ら不思議はなかった。少し歩いただけで、汗ばんでしまう。九州と東北の差は、勿論気温の差もあるのだが、夜が明けるのが遅いことだった。冬至になりつつあるこの時期でも、明るくなるはずの時間でも薄暗いままだった。
3日目も元気に起きて、ホテルで朝食を取る。牛乳がと〜っても美味しかった。



朝一番に熊本城へ向かう。駐車場から歩いて、西大手門に出る。
昨日、カメラのデータが満杯になったと表示が出た。比較的いらない写真を消しては消して、空きを作ってケチケチと撮影している。熊本城は、どうしても撮らなければ、熊本に来た価値がない。



城は見事だった。石垣も美しい。城の壁が黒いので、烏城かと思っていたら、銀杏城と呼ばれているらしい。最初に築城したのが、あの虎退治の加藤清正だ。時は安土桃山時代、まだまだ戦いが続いている時代だ。戦を想定して、広大な敷地に二重の堀と数々の石垣、頂上に天守閣を造った。しかし、実際には明治になるまで戦が起きてはいない。西南戦争開戦3日前に、不審火で天守閣や本丸御殿は焼失する。

加藤清正が死後、嫡子の加藤忠広が、徳川家康より言われ無き理由で熊本54万石から扶持1万石にて庄内酒井藩に預けとなった。ガイドさんに「加藤清正のお墓が庄内にあるのですよ。」と説明を受け、驚いてしまった。うっすらと清正の墓の事は聞いた覚えがあったが、世界中にあるキリストの墓のように、根拠のないものだと思っていたのだ。



天守閣まで、ひたすら階段を登る。残念ながらエレベーターはなく、自らの足が頼りだ。
大天守閣は地下1階地上6階だ。小天守閣は地上4階になっている。
遙か彼方に見える山が、阿蘇山だ。



次に小天守閣に登り、大天守閣を撮す。
あんな所に唐破風も着いている。



鬼瓦、軒瓦とも美しい。



西南戦争前に焼失した本丸御殿を復元した物。一番奥の大広間が豪華だった。



座が一段高くなっているのは、殿様の座る席なのだろう。廊下を挟んで反対側に、茶室もあったが、入れなかった。



これは展示されていた板戸。一枚板の上に絵が描かれている。
玄関付近にあった板戸は一枚板だったが、奥の方の板戸は2枚接ぎだった。予算がなくなったのかなと冗談を飛ばす。妙な所をけちったものだ。



ここは本丸御殿の下の通路と思われる。ここは本来真っ暗にしておくのだそうだ。ここを通らないと本丸や天守閣には行けない。敵が攻めてきた時には、入り口と出口を塞いで、一網打尽にする。ここの何が凄いかと言うと、この列柱に使われている欅の太さだ。全部国産の物を使ったと言う。



城の脇に忍者が立っていた。「人形だよ。」「いいや、動いている。やっぱり人間だ!」そう言いながら降りてくると、今度は甲冑を着た侍がいた。侍と一緒に記念写真を写す。
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長崎・島原・雲仙普賢岳

2010-10-26 22:17:55 | 


長崎市を出て、どこまでも広がるジャガイモ畑の中を走っていく。ここは愛野町。



ドライブインでトイレ休憩をとる。化粧室の窓から素敵な海が見えたので、走って建物の裏に行ってみた。海に浮かぶ突き出た半島は、戸崎鼻ではないかと思われる。長崎市での昼食でBEERを飲んで以来、バスの中では宴会が始まり、トイレ休憩が盛んに行われることになる。この休憩したドライブインは、先の長崎市の昼食を取った店と同系列だと言う。あえて言うならば、昼食の中華料理はとても美味しかった。残すのが勿体ないと思うほどだった。(実は、太宰府でのまずい昼食とは雲泥の差だったのだ。)



なおもバスは田園の中を走る。反対側に海が見えた。その海に一直線に伸びるのが、かの悪名高き諫早湾の水門だ。現在はその上を車が行き来できる道路が出来ているという。ニュースの映像で、水門の扉が連続して閉じる所が何度も流された。私は遠く離れた地域に住んでいて、報道だけを頼りに、この水門は閉めるべきではないと、ずっと思っていた。実際にこの地を走っていると、広がる畑、沢と言うか川を挟んだ部分には棚田のような田圃が続く。工業地帯が見える訳でもない。諫早湾の計画の一歩は、農耕地を造る目的だったのだろうと言うのが見て取れた。

そもそも、栽培する作物が我々の地元とは違う。笹の葉畑と見間違うのが生姜畑だったり、普通にミカンが栽培されている。山の畑にざぼんがたわわになっているのには、羨ましいと思った。ざぼんの最大な物は、バレーボール位になると言う。



バスは島原市に入り、ガイドの指さす方向が島原城だと知り、天草四郎の話を聞きながら「雲仙普賢岳災害記念館・がまだすドーム」に到着する。



駐車場を挟んだ向こうには、左奥に雲仙普賢岳、右手前には眉山(まゆやま)がそびえている。眉山は1792年に噴火した事があり、その影響で津波が発生し、「島原大変・肥後迷惑」と言い伝えられているほどの災害が起こったそうだ。



がまだすドームの展望台からは、雲仙普賢岳の全容が見て取れる。
1990−1996年まで続いた雲仙普賢岳の噴火の様子が、この施設で資料として残されている。体験シアターでは、普賢岳を空撮し、記録に合わせてマグマの噴出や移動、火砕流や土石流の凄さを、吹き上げる熱風と共に味わうことが出来た。

 

女子トイレと男子トイレの、岩を使ったサイン。直径は600-750个曚鼻
実はこの施設の駐車場近くに、坂本龍馬がサッカーの青いユニホームを着た像があった。つまんないので入るときには無視をしたが、帰りにはシャッターを押した。情けない映像が残っている。見たい?



バスは、雲仙港のフェリー乗り場に到着する。



ここから、熊本港までの乗船になる。
一番左に見える女性が、今回の旅のバスガイドさんである。頭も切れるし、弁も立つ。滑舌も良い。脚の長い女性だった。



船は岸を離れた。フェリーに乗るのは初めてだ。自動車の入る階は2層に分かれていた。私たちは3階のデッキに移る。



どこからともなく、カモメが船を追い掛けてきた。目的は「かっぱえびせん」
上手に与えられる人は、手に持ったままの状態で、鳥がくわえていく。下手な人には、そばで船の速さに併せて飛びながら、餌が手から離れるのを待っていた。



我々も盛んにかっぱえびせんを飛ばす。



熊本港が近づくと、鳥達は現金なもので、すれ違う船に向かって飛んでいった。
バスが熊本市を走る頃には、辺りはすっかり暗くなってきた。



全日空ホテルの窓から、夜の町並みを撮す。繁華街は反対側の部屋から見えそうだ。


お幸さんのリクエストにお応えして。



動くバスの中から、身体を捻りながら撮した1枚。
龍馬がサッカーボールを踏んでいる。
ね、ね!情けない1枚でしょう!
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長崎・グラバー園

2010-10-26 22:17:25 | 


港近くの、旧香港上海銀行長崎記念館の脇の駐車場にバスを止めて、通称グラバー通りを上って行く。



長崎は坂の街だ。清里を思い出させるような、可愛い店が並んでいる坂道を歩く。



振り返ると、港が見える。
(尚、この方々は私たちのグループではありません。)



まっすぐ登った先が、大浦天主堂だった。



マリアの像が美しい。内部は撮影禁止だった。ステンドグラスが美しいと教わったが、単純な色合いの組み合わせで、造られた当時なら目を引いただろうと思われる。本場の教会やモスクの物に比べると、比較にもならない。ただ、この建物を設計したのが日本人で、苦労しただろうなと言うのが見て取れた。

他には懺悔室やら、聖ナントカ(名前判らず)の像が無数に飾られていた。写真に撮れないのは、残念でならない。実は私の隣にいた米国人と思われる男性が、そぉっとカメラを使ってるのを目撃する。私も、説明のテープのアナウンスが繰り返し流されていた隙をねらって、施設内は撮影禁止なら、施設内から外部への撮影は良いだろうと、隣にある墓地を撮した。長崎の墓石は、名が金色に塗られている。おいおい、興味本位で墓地を撮すのは、罰当たりだろうと、私も思う。この墓地には見られなかったが、長崎市に入って高台に墓地のあるのを見て、普通の日本の墓の上に十字の飾りの着いている様な墓石が多く見られたのを、まさに長崎らしいと思ったのだ。(この墓地の映像は残っていない。データがフルになって、消したからだ。)

  玄関先の階段に陣を取っていた、人なつこい猫。




天主堂の脇を通り抜けて、グラバー園に向かう。
列柱から見える白い建物は、天主堂の奥の部分だ。



グラバー園の動く歩道(かなりのスロープになって登っていく)で、頂上に出る。
長崎の町並みが美しい。



ここは、スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが南山の手の丘に1863年に住宅を建築した場所だ。外国人の居留地と言ったら良いのだろうか。長崎に残る洋館の数々を移築したとも言われている。

遠く、ガスタンクのもっと先に、長崎原爆資料館と爆心地がある。ここに被害が及ばなかったのだろうか。木々で覆われていたのが幸いしたのだろうか。



旧三菱第2ドックハウス。港の中央に造船所があった。船の修理の為、乗組員が宿泊する施設として造られた。



旧オルト邸(国指定重要文化財)のテラス。ここに座って港を眺めながら、紅茶を飲んでみたい。夜になったらもっと綺麗なのだろうと思う。





旧グラバー邸(国指定重要文化財)
内部を撮影しようとしたときに、ちょいとカメラの調子が悪くなる。



少し復活したようなので、グラバー邸の厨房を撮す。
洋館の公開はあっても、キッチンやバスルームを見せてくれる所は少ない。明治の時代を感じさせる厨房だった。

   こんな所にべっぴんさんが!

長崎伝統芸能館で、長崎くんちの傘鉾や白龍と青龍、山車の展示と映像で楽しんだ。



グラバー通りを下って来ると、大きなざぼんを並べている果物屋さんがあった。
生ジュースも販売している。それを買って飲むと・・・100%生ジュースって言ってたのに・・・。以下略
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長崎・歴史資料館

2010-10-26 00:51:18 | 


棟続きの歴史資料館に駆け足で入り込んだ。



せっかく焼き物の故郷の九州に来たのに、1つの窯場も見ていない。そんな気持ちが、器へと引きつけられるのかも知れない。



焼き物産業がこんなにも発展したのは、良い土に恵まれたからだろう。



そして長崎は、鎖国の時代にあっても、唯一世界に開かれた街だったのだ。



こんな所で、懐かしいラムネの壜に出会えた。
見たことのない形もあるぞ。



通りすがりに見た「出島」。運河の右側で、電柱が丁度邪魔をしているのが残念。
中がチラッとだけ見えたが、江戸時代の町並みで、ぜひとも寄って見たかった。
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長崎・原爆資料館

2010-10-26 00:50:09 | 


異国情緒の溢れる長崎。華やかさのある奥に、原爆投下された悲しい歴史を持つ。
九州2日目は、長崎の原爆資料館から始まった。



バスの窓から浦上天主堂を撮す。



原爆爆心地。現在は公園になっている。




長崎原爆資料館



それに続くドーム



ドームの中は螺旋状の階段になっている。



受付で撮影の許可を得る。(腕章を渡された。)
被災前の町並み。普通の人達が普通に生活をしていた。



原爆搭載機「ボックスカー」に積まれた原爆「ファットマン」の実物大模型。
想像していた物よりも大きかった。中心部にプルトニウム、廻りに火薬が詰めてある。
火薬を爆発させ、プルトニウムを内側に爆縮して核分裂を起こさせるのだそうだ。



展示場内。これでファットマンの大きさが判るかと思う。



写真と遺物が展示してある。正視出来ないものもあった。



溶けたガラス瓶



永遠の11時2分
1945年8月9日、長崎が一瞬の内に破壊された。



日中戦争と太平洋戦争、原爆開発の歴史をたどる。



原爆投下への道から、平和へ向けて、世界中の子供達が寄せ書きをしている。
ノーベル平和賞を貰ったオバマ大統領も、一度くらいは広島と長崎の原爆資料館を訪れるべきだと思う。原爆の被害は、現在もなお続いているのだ。
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佐賀・嬉野温泉

2010-10-26 00:49:49 | 
今宵の宿は嬉野温泉だった。
佐賀は焼き物の里、そして美味しいお茶でも有名だ。日本のお茶どころと言うと、静岡や京都をあげる人が多いが、品質のよい美味しいお茶は、やっぱり九州なのだろう。中でも八女茶が飛び切り美味しい。嬉野のお茶の歴史も古く、五百年ほど前に、明の紅令民が南京釜を持参し、不動山に住み着き、釜炒り茶の製法を伝えたのが始まりと言われている。



嬉野温泉の街路樹の下に、白い花を咲かせたお茶が植えられていた。茶畑は見えないかとホテルの窓から町を見下ろす。私の泊まった部屋は街中を向いてはおらず、郊外と田園と遠くの山並みが見えた。その中に茶畑があった。



嬉野温泉のお湯は美人の湯とも呼ばれ、お肌はつるっつるのぴかっぴかになった。
これはホール脇の足湯。焼き物の里に相応しいテーブルセットが置いてある。



夕食までの時間を利用して、温泉街へと向かう。ホテルの人に聞いても、町の人に聞いても、この道路だと言うのだが、まったく温泉街と言った風情はなく、普通の商店街で、賑やかさも・・・(内緒)だった。

 井手酒造・酒銘「虎の児」

商店街に酒屋さんがあった。造り酒屋なのだそうだ。九州は日本酒じゃなくて焼酎なのだろうと考えていたが、ここでは日本酒を出していると言う。山形の美味しい地酒で育っているので、やはり手が出なかった。その代わり、通路にフリーマーケットのコーナーがあって、ここで信じられない価格の焼き物が並んでいるのを見つけた。うふふ←買ったらしい。

九州の焼酎は、地域によって材料が違うのだそうだ。薩摩芋はやはり鹿児島で。他は麦、米、ジャガイモ、蕎麦、珍しい所で菱の実焼酎があった。宴会でご馳走になったが、値段が高い割に、温和しくてフルーティで、私には物足りなかった。



ホテルには素敵な焼き物が並んでいた。ん十万円の作品も、ずら〜〜っとあって、目の保養になった。

宴会の料理も美味しかったが、締めに出てきたお茶が美味しかった。普通の旅館では到底味わえないお茶と感じた。その反面、朝食の牛乳は脱脂粉乳の味がして、コーヒーはインスタントだった。お茶を飲め、お茶を買えと薦めているのだな。←お茶は買ったらしい。
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佐賀・建築士会全国大会

2010-10-26 00:49:34 | 
バスは、本来の目的である第53回建築士会全国大会のメイン会場である佐賀文化会館へと向かう。



佐賀の歓迎の看板の文字が、日本語以外にも並んでいる。やはり九州らしいと思う。酒田では中国語が消えてロシア語が入る。これも地域ならではのことなのだろう。



受付を終えて会場へと入る。



オープニングアトラクションは、碗琴演奏と、有田皿踊りだそうだ。2枚の皿をカスタネットのように鳴らしながら踊る。



会場もそろそろ人で埋まってきた。中央の赤い服の軍団が、多分来年全国大会開催の大阪の会員の方々だろうと思う。



司会の男性会員と女性のフリーアナウンサー

 

主催者挨拶と来賓の佐賀市長のご挨拶



表彰式が始まった。

 

賞状と記念品。実は、私も頂いた。記念品の中身は、ミケランジェロの楯だった。
良かった!灰皿じゃなくって。
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佐賀・吉野ヶ里遺跡

2010-10-25 12:57:45 | 
九州自動車道路から、吉野ヶ里(よしのがり)遺跡へと向かう。



そこは時空間を越えた幻の里
春もうららに桜が咲き(エドヒガンザクラ系のジュウガツサクラと言う種類らしい。)



弥生人の出迎えを受ける。



柵の向こうに広がる集落に向かって。



説明文を読む。



北内郭と南内郭とがあり、北にはかなり大きな建物があった。
我々は、時間の関係上、南へと入る。



この櫓の柱の配列は、青森の縄文の「三内丸山遺跡」の栗の柱の遺物を思い出す。
弥生と言えども、あまり変わっていないのか。



大人の家。
左前方に、女性の弥生人発見!



家の内部。階段を下りて入る。つまりは竪穴式住居なのだ。
真ん中に炉がある。



王の館、王の妻の館などがあり、裏には穀物を入れる校倉作りの倉庫があった。



集落は高台にあり、堀が切られていたり、基礎を土で固めて上げていたりと、水の侵入を防いでいるようだ。



集会場など



博物館に寄る。
弥生時代の流れを見る。



土器の破片を撮す。実は反対側に、甕棺(かめかん)が並んでいたのだが・・・。見たい?



こちらが北内郭の建物群。
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福岡・太宰府天満宮

2010-10-25 12:33:22 | 
10月22日朝6時半、庄内空港集合でANA894便に乗り込む。初めての九州への出発だ。



羽田空港で乗り継ぎ。



福岡空港へと降り立った。



福岡空港は、地方空港とはいえ国際空港で、飛行機の発着の本数が随分と多い。



バスで太宰府天満宮へ移動。
さすがに学問の神様の神社なので、修学旅行生の多いのに驚く。
可愛い、めのこ達。



可愛い、おのこ達。(顔が見えないけど)



可愛・・・。コホン



楼門をくぐって。



本殿へと向かう。
右の樹が、菅原道真を慕って、京都から飛んできたと言う謂われの「飛梅」。



早速お参りをする。



お守りやお札を眺めている内に。



丁度昼頃になり、人も疎らになる。



割に小さな牛



建物と仲良しの樹



望遠レンズで狙って外れた韋駄天?それとも麒麟?
角と尻尾が全部映っていないし・・。



門前町は、小物の可愛い店が並んでいる。



福岡が国際都市だと判る店。
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うそっこ繋がり

2010-10-21 19:32:40 | 映画・TV
遠いと思っていた山形と佐賀だが、実はある時に大いに繋がった。1983年4月から放映されたNHKのTVドラマ「おしん」でである。おしんは山形生まれ、おしんの夫の竜三は佐賀生まれで、おしんは佐賀で「これでもか!」と言う程の嫁いびりに遭う。視聴率52%の怪物番組で、日本国中はおろか、海外数十カ国でも放映され、「佐賀はひどい所らしい。」と大迷惑を食らったいきさつがある。勿論、この「おしん」は脚本ありきの「うそっこ」なのである。

それに引き替え、山形の特に酒田では、おしんは加賀屋で女将に可愛がられ、娘同様に教育された。酒田で女性を教育するのは普通の事で、女学校がやたらと多いのは、その為である。おしんが一番良い時期を酒田で過ごしたことにもなり、特に加賀屋の女将さんを演じた長岡輝子さんは、自然な酒田弁と共に、「佳き時代の酒田」を見事に表現してくれた。

昨日、その長岡輝子さんの訃報が入った。生涯現役で、ふるさとの岩手訛りで「宮沢賢治」の朗読を続けておられた。享年102歳。沢山のありがとうを言いたい。
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佐賀のイケメン

2010-10-20 16:34:34 | 社会
ラジオを聴きながら、車を運転している。いつも感心して聴いているのが、ラジオショッピングのお姉さんの早口だ。滑舌も良いし、とにかく喋るのが速い。普通の3倍ものスピードで、まくし立てられても、何を売っているのかは判る。これって録音して早回しに再生しているんじゃないよねと、本当に話しているのか、実際に会ってみたくなる。

話は変わって、今日はショッピングの他に、こんなお知らせがあった。佐賀のイケメン集合「岳の新太郎」コンテストが12月に行われるのだそうだ。佐賀は山形から遠い。何故、耳に残ったかと言うと、今週の末に、建築士会全国大会の佐賀大会があり、皆で行く事になっているからだ。昔、佐賀には「岳の新太郎」と言う超イケメンの修行僧がいて、女性達は顔を見たくても女人禁制の山寺に近づくことが出来ず、彼が里に降りてきた時、帰れないように山道に水をまいたのだそうだ。その新太郎にあやかって、高校生を除く18−35歳までの自薦他薦を問わずのイケメンを募集している。優勝は20万円の賞金がでる。ただし、地元に住んでいないと、駄目らしい。

佐賀県のイケメンって、どんな顔立ちだろうと想像していたら、お笑いの「はなわ」が脳裏に浮かんだ・・・。イカンイカン、そうじゃないはずだ。←それって失礼じゃないの!

詳しくは→平成の岳に新太郎さんを探せ!よかメンコンテスト

↑このポスター、突っ込みどころが満載なので、楽しい。
社会福祉協議会が主催と言うのも不思議だ。
町のPR活動に(手当あり)の表現も面白い。
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