無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

酒田祭り(長文ご注意)

2011-05-29 15:25:33 | 社会

酒田祭りも鶴岡の天神祭も終わったのに、今頃になってノソノソと写真をアップしようと思う。
実は酒田祭の20日は、酒田港女みなと会議があって、酒田祭りを内陸の会員の皆さんに見て貰おうと企画した。始めは数名で町を歩くことになっていたのだが、仕事や用事で一人減り二人減りして行く内に、寒河江のMさんと私だけになってしまった。二人でゆっくり歩こうと、待ち合わせの酒田市役所へ向かったのである。



蒸し暑いほどの天候になって、通りは人で溢れていた。



市役所の駐車場は、お祭り広場と化していた。Mさんを探していると、ドーンと花火を揚げているような大きな音がした。



松山藩の砲術隊だった。



火縄銃の連発が終わり、中央の大きな砲身の出番だ。



ドッカーン!一際大きな音が鳴り渡り、祭の開始になった。



市内を回っていたお囃子隊が、中心街に集まりだした。



獅子の会と八波会の御輿



市長と市議会議員の行列



木遣りの会



お祭り広場から獅子が登場



酒田に8体の獅子頭があるそうだ。祭のアナウンスをしているのは、酒田港女みなと会議の事務局長のKさんだ。



御輿や山車のコンクール参加者達が、続々と出発した。



幼稚園や小学校の手作り御輿だ。



酒田の傘福の山車も多かった。



酒田祭の歴史は400年を超える。



子供達がお囃子を鳴らしている。こうして文化が受け継がれていくのは嬉しい。



こんな可愛い獅子舞も出た。



子供達に混じって、こんな可愛いお母さん達の仮装もあった。



酒田大火の時でも、復興のためと酒田祭を休む事はなかった。



酒田祭は神事で、日枝神社の酒田山王祭と呼ばれていた。



酒田大火以降、その名前を「酒田祭」に変え、受け継いできた。



今年は東日本大震災の為、自粛の話もあったが、過度の自粛は経済にも影響するとして、華美にならないように開催する事になった。



これが華美でないとでも言うのだろうか。



様々な催しが自粛させられてしまったからの反動か、人出も多く、大いに楽しんでいた。



お~い、出発する前に疲れてどうする。
私も子供の頃に参加した祭では、こんな風に鼻に白いおしろいを塗った貰った。



お囃子の車も10台もあったろうか、それぞれお囃子のスピードが違っていた。
私の記憶に残っている酒田祭のお囃子は、速く威勢があった。



エコロジーを掲げて、作った御輿も多かった。



子供も大人も、力を合わせて引っ張った。



この大きな獅子頭の口の中に、幼児を入れてカプカプして貰うと身体が丈夫に育つ。
泣き叫ぶ子と見守る親たちの対比が面白いのだが。



大きな山鉾は、電線があった為に広場から出られなかった。
ここからは春・夏・秋の3体の山鉾が出た。



夏鉾



秋鉾



山車の集合場所がどうも2箇所あるようで、合流して大変な数になった。

















ますます賑やかになってきたのだが、そろそろ会議への移動でこの場所から離れることにする。
と言うか、カメラの電池が無くなってしまったのだ。
人混みを抜けて、福幸市へ行き、約束の福島の日本酒を手に入れた。
今までまともに酒田祭を見たことがなかったが、こんなに大勢の人が集まるなんて、知らなかったのだ。

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ロイヤルウェディング

2011-05-21 13:03:31 | 社会
Andiさんから、ロイヤルウェディングの冊子を送って頂いた。日本が地震の暗いニュースで明け暮れしていた頃、英国から届いた晴れやかなご結婚の話題は、久々の明るいものだった。



お二人の幸せそうな様子は、見る者を和ませてくれる。結婚式はリアルタイムで日本でも放送されたが、TVにかぶりついて見続ける事が出来なかった。この冊子にはお二人の子供の頃の写真も載っている。ダイアナ妃とご一緒の写真には、ホロッとしてしまった。
あとで、じっくりと読んでみよう。でも全編英語なんだよね。当たり前だけど・・・。
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酒田宵祭

2011-05-21 12:47:00 | 社会
酒田祭は5月19・20・21日と三が日続く。19日は宵祭り(よいまつり)と呼ばれている。福幸市が19日から始まる。早く行かないと品物が無くなると言われて、はらはらしていた。19日は休みにはならず、某所で仕事だったのだ。思いの外時間が掛かり、腹ぺこのまま事務所へ帰って、別の仕事を続けていた。「福幸市へ行かないのか?」の呼び水に、「よし!」とカメラを抱えて、足早に会場へ向かう事にした。



人混みの中を歩くと面倒なので、横道から会場へ入る。歩いていけるのも、近場に住んでいる者の特権だ。



今回、福島から参加したのは、会津を中心にした業者さん達だ。酒田の業者さん達と共同で参加していて、知り合いの方々もお手伝いされていた。



本命の福島のお酒は、20日にならないと店を開かないのだと言う。カレーや喜多方ラーメン、お菓子を買い、明日再度訪れることにした。



このお兄さんは、会津で果樹園をしているのだそうだ。その果物を使ったお菓子を販売していて、美味しい桃の食べ方を教えてくれた。果樹園の名前は「がぶりガーデン」だそうだ。
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酒田祭が始まるよ

2011-05-18 18:39:30 | 社会
外からお囃子が聞こえた。窓を開けて身体を乗り出してみると、本神宿の行列だった。今年の下の日枝神社の神宿は、映画「おくりびと」のNKエージェントの元小幡で行われる為、町内の人達が行列して練り歩いているのだ。神宿にはまだ出かけていない。お隣のTさんも、建築家のSさんも神宿の担当者で活躍しておられる。我が家は身内に不幸があったので、晴れやかな所には参加しないことにしている。





今年は東日本大震災もあったので、酒田祭の開催も危ぶまれたが、酒田大火の時にも休まなかった神事のお祭りなので、派手にならない程度に頑張るのだそうだ。



新聞に、福島を応援する福幸市のチラシが入っていた。行きたい、行きたい!品物はすぐに無くなるだろうと言われているが、明日の私は・・・なのだ。行けるかな。
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JIAフォーラム

2011-05-14 11:03:21 | 建築・都市・港
5月13日、JIAの東北支部総会とフォーラムに参加するために、山形へ向かった。
通常は仙台で開催されるのだが、今回の震災で仙台に近く、交通の便利な地として山形での開催になる。フォーラムも予定した内容を変更して、震災を中心にした発表とディスカッションになった。



残雪の月山道路を走る。



根元は雪で覆われていても、季節がくれば芽吹きが始まっている。新緑の今が一番美しい。



お昼を済ませる。今回はゲソ天ではなくタコ天の盛りそばにした。量が多いので、フォーラム中に眠くならないかと心配した。



会場は山形の文翔館。元県庁と議事堂だった場所で、議事堂の方で総会は開催される。



文翔館の花壇に咲いていたチューリップがでかかった。中に親指姫が入っていないか確かめたが、親指どころか手がそのまますっぽり入るほどの大きさだった。



文翔館は100年ほど前の大正初期に建てられ、修復工事も行われた。元議事堂内は、このように造りになっている。今回の総会には、沖縄も含めた全国各地の支部長さんも出席された。



阪神淡路大震災の後の芦屋の復興街づくりに関わった小島氏の講演と、玄界島復興計画に関わった加藤氏の講演を聴く。

パネルディスカッションでは、東北各地の被災の状況と今後が話された。安否が気遣われた宮城の針生先生はお元気で、復興の中心になって活躍されていた。お住まいの名取市も被災され、住民の9割が住みたくない。安全が確保されれば戻りたいとも言っているそうだ。
今回の震災から見えてきた事は、専門家と言われる人間が信用おけない事実。原発にしても津波にしても、誰かの責任にするのではなく、自分で判断し逃げる必要がある。
津波対策では、居住地を高台に造るのが良いのか、長大な防波堤(コンクリートに頼らない)を造る方法、松島や珊瑚礁のような自然を生かした防潮にする。人口の島には風力発電など、多々の意見が出された。
福島からは、引き渡しが終わったばかりの建物が津波で流されたこと、原発からの脱出とこれからの住まい方。地場産を使った仮設住宅の話も実行に移されていると言う。



既成の仮設住宅ではない、地場産の杉を使った仮設住宅

被災された各地で、復興計画が出され始めているが、地元に住む人間が動くのではなく、国が中央のコンサルタントに巨額の予算をつけて、金太郎飴的な計画を初めていると危惧もされている。地元の意見を取り入れるために、建築家や建築士が協力する形になっているが、どうして国は地方に任せないのだろう。同じ県でありながら、同じリアス式の海岸に住んでいながら、少し離れただけで文化も歴史も違うことに気付いていないとの意見も出された。

最近の日本は、助け合いが出来ない世の中になってきている。狭い日本列島においても、日本全部が一度に被災することはない。今回は東日本の太平洋側だが、次回は今安全に暮らしている別の地域になる。お互いが助け合わねばならないと再確認するべきである。

今回の原発では、世界にFukushimaの名が轟いてしまったが、決して絶望はしない。なんとかなるさ、やれば出来ると気持ちを入れ替えて、前向きに進まなければならないとの話も出た。



漬け物の寿司



漬け物三昧

シンポジウムが終わって、近くの丸八に会場を移して、懇親会になった。そこで酒を呑みながら、実際に家を流された会員からの話、放射能に逃れたい逃れられない会員の話を聞くことが出来た。どちらも一筋縄ではいかなかった。



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植物と動物

2011-05-14 10:44:30 | 動物・自然
今はすっかり散ってしまった山王森の桜をお見せしようと思う。結局今年は花見の宴会は出来なかった。



遊歩道の左の桜が白色の大島桜。中央右よりの濃いピンクが山桜で、その廻りは枝垂れ桜が咲いていた。



何という名前の蝶々だろう。外側の羽根の色は茶色で、体長(羽根の両端)が8-9cmほどだった。



キバナイカリソウ



普通のイカリソウ



大勢で賑やかなヒトリシズカ



中央の右寄りにみえるだろうか、黄色の胸が綺麗な鳥、ムギマキ。大きさは雀よりもずっと小さい。



ピントがぶれているシオデ



頂き物のウド

以上、半月をまとめてみた。



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奥州平泉

2011-05-10 12:55:33 | 建築・都市・港
連休中、様々なニュースが入ってきた。
菅首相の浜岡原発への発言は、歓迎されるものであった。パフォーマンスと言われながらも、中部電力は廃止の方向で動き始めたようだし、このまま進められればと願っている。ビンラディン殺害については、感ずることが多数あり、うまくまとめられない。そんな中、諸手を挙げて歓迎したいニュースが「平泉の世界遺産」だった。



NHKニュース

まだ決定ではないので、正式の通知が来るまで祈っている。平泉を世界遺産にしたいと動き出したのは、丁度、山形県でも出羽三山や最上川を世界遺産に運動と重なっている。山形県は難しすぎると2年後に中止になったが、平泉は落選を続けながらも頑張っていた。2007年の女性建築士の東北ブロック会議で、平泉の世界遺産への取り組みの発表があった。講師の先生は「ゼロではないが、かなり難しい」と講演した。あれからでも4年は経っている。



平泉の町を歩いていると、中尊寺だけでなく、その廻りに沢山の遺跡が残されている。まだその全容をも捉まえていない。鎌倉幕府に滅ぼされていなかったら、もっと東北地方は豊かな地域になっただろう。そのお陰で、酒田湊が発展した歴史があるのだが。



日常の慌ただしさが消えたら、もう一度ゆっくりと平泉を訪れてみたい。町並みも、景観に併せて造り直しているようだし、行ってみたい所が沢山あるのは、幸せだなと思う。
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粋なやっちゃ

2011-05-03 18:08:31 | 音楽・芸術・文学


渋谷駅にある岡本太郎の「明日の神話」に、福島第一原発の様子を描いたと思われる絵が足してあった。指摘を受けて即刻外したようだが、私にはこの悪戯をした人物は、なかなかの絵達者だと思う。オリジナルは、山形美術館で行われた岡本太郎展で観ることが出来た。それも良いのだが、この悪戯も良いなと思う。外されるのが惜しいとさえ思う。邪道なのだろうけど。
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片岡鶴太郎展

2011-05-03 17:49:05 | 音楽・芸術・文学
月曜日、S氏が「昨日、片岡鶴太郎が酒田に来たんだ。」と言った。「ふ~ん、サインでも欲しかった?」と聞いたら「ただ見たかっただけ」と答えた。実は私は鶴太郎を見ている。サインは貰っていないけど。w



妹の家に行った帰りに、美術館でそろそろ片岡鶴太郎展が始まるな。ちょっと寄っていこうかと美術館に寄った。駐車場が満杯なのを初めて見たが、まぁ公益大学の駐車場に置いてもそんなに遠くないと、歩くことにした。



雨上がりだったのか、緑が鮮やかで松林の中に咲く桜が綺麗だった。車で走ると、こんなものを見ることは出来ない。



美術館の入り口の桜も、ソメイヨシノの白さとは違い、満開のピンク色に染まっていた。

美術館の中は人でごった返ししていた。画集を買って整理券を受け取ると、サインをして貰えるそうだが、サイン入りの本があったとて、どうなるものでもない。絵だけ観ることにして、人混みをかき分けながらロビーを歩いた。絵を見終わった後、人が少しだけ少なくなった辺りで、サインを書いている片岡鶴太郎が見えた。パンフレットと同じ赤いシャツを着ていた。



ついでに、こんな物も



こんな物も買ってきた。
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