無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

ゴジラと過密都市

2016-09-26 09:57:00 | 建築・都市・港

私が読んでいる建築雑誌に日経アーキテクチュアがある。建築の専門雑誌で、購読の契約をすると月二回のペースで雑誌が送られてくる。市販はしていないと思う。まぁ専門誌と言う偏った分野なので、一般の人の目につくのは難しい。ネットで見られる日経アーキテクチュアでも、会員になっているので細部まで自分は読めるのだが、ここにシン・ゴジラと建築好きには、見て貰いたいページがあった。

所謂、編集後記で、「建築日和」と言う箇所なのだが、そこに「ゴジラと過密都市」と題した手描きの文章と絵があった。それをそのまま載せるのは著作権違反も甚だしいが、是非見て貰いたいと思う。そして、興味があったら買って欲しい。(月や年契約なので高いけど)

映画を見た人は判ると思う。ネタバレになるので言えないが、あの映画のゴジラが出てくる場面の多くがCGに依る物だ。

この二枚目の東京駅近くの絵だが、現在では見られない建物があるのだそうだ。2027年に完成予定の常磐橘街区再開発プロジェクトの、高さ日本一390mの建物がすでに画面に出現しているのだそうだ。

東京へなかなか行けない田舎者で、知りたい建物だけ追いかけている自分としては、こんな風な情報も有り難いと思う。

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増田町

2016-09-16 09:54:21 | 建築・都市・港

十文字から増田は近い。以前、ネットで見た増田町の街並みが綺麗だったのと、2年ほど前の女性建築士の東北ブロック大会の見学コースにもなっていたのに、参加出来ずに気になっていた町だった。時間が無いけど、行ってみた。

入れない。丁度お祭りがあるようで、通行止めになっていた。

町営の駐車場を探すのも時間がかかり、やっとメインストリートに出る。ここで店の人にパンフレットを貰い、何のお祭りかを聞いてみた。

月山神社のお祭りだそうだ。これには驚く。

外から眺めるだけ。

ここは、くらしっくロード。

今まで各地で見てきた町屋は平入りだったが、ここは酒田と同じく妻入りでホッとする。かなりの豪雪地帯だ。

 

公開中の山吉商店に入ってみる。

昔は、この土間は叩きだった。

夏らしい葦戸が立ててある。

店主に案内して頂く。「仏間の上に神棚がある地域。」なのだそうだ。酒田も同じで、出羽三山信仰がある場所は、こんな造りになっている。

中央の掛け軸は、秋田の佐竹藩のお殿様の絵だそうだ。

台所

人造石研ぎ出しの流し台が懐かしい。昔はこの流し台の上で調理も洗いも行っていた。

ここの柱が1本、特別に太かったが、豪雪で雪の力で横に押され、今までの柱が折れたので取り替えたとか。

内井戸がある。左の戸は湯殿に続く。湯殿は可愛いタイル貼りだったのが、柱が折れて壁も崩れ、現在はユニットバスが入っているとか。

天井が極めて高い。ここは豪雪地なので、冬に雪が降り積もり、高窓からしか日が差し込まないからだそうだ。降った雪と屋根から落ちた雪が積み上げ算に増え、家の横は10m弱にもなると言う。

立派な内蔵があった。装飾が素晴らしい。正面の黒の漆喰は研ぎ出しと言うか、手で擦って艶を出したものらしい。扉の中央には白い漆喰で桔梗が細工されており、それも表面が艶々した研ぎ出しだった。漆喰にばかり目が行くが、この扉押さえの木の組子(上部は麻の葉模様)も、勿体ない使われ方だ。

この踏み台の石も、これだけ長尺なものを割りもせずによく運べたと思う。冬に馬そりで運んだのではないかと言われている。

これは蔵の入り口脇の土間下にあった味噌瓶。これは食べる為の味噌ではなく、火災時に閉じた扉の隙間に塗って延焼を防ぐ大事な味噌だ。酒田大火の時にも味噌で蔵を守った話は聞いている。先人の知恵である。

この蔵は、物を納めるのではなく、蔵座敷として用いられたそうだ。家族の冠婚葬祭にも用いられた。贅を尽くした蔵である。

内蔵は、外側に一重、別の建物で覆われている。その建物の柱の長さは10mで、途中に梁が渡され、人間一人が歩けるキャットウォークが掛けられている。そこにはハシゴを使って登るそうだが、火事が近づいてきたら、その床から蔵の戸を閉めて味噌を塗るのだそうだ。

銀杏装飾。この蔵を造った棟梁は、その後体調を崩されたようで、最後の作品になったと言われている。残念なことに、この蔵の補修をする腕を持った職人がいない。

照明器具の傘も時代を映している。ただ、これは昭和の時代に出来た最後の蔵だそうだ。

下の白い部分は、刀の刃を表しているとか。

踏み台の石も細工されている。

裏庭に出た。敷地は間口6間奥行き55間と、酒田では大店扱いだが、店主はそんなに大きいとは感じていないらしい。

脇に流れる堰で、昔は洗い物をしたらしい。

肥料噌蔵に入れて頂く。ここはかつて専売塩の倉庫にも使われていたそうだ。大梁の掛け方が豪快だ。これは重量が重くなるだけだろうと思うのだが。

店主の祖父の代では、商売もうまくいったようで、あのような内蔵座敷も建て、庭の奥には迎賓館とも言うべき2階建ての建物があった。なかなか良い造りになっている。それに繋げて洋風の建物もあり、昔は蓄音機をならしたりピアノを弾いたりと、ハイカラなことが行われていたそうだ。

御店主曰く、とにかく冬は寒いそうだ。それに屋根の雪も限界が来ると、年に何回かの雪下ろしをしなければならない。柱の長さが10mと言えば、普通の住宅の3階分である。大変だろうなと思う。ここは、雪の横手市だった。

妻側から飛び出た、大梁の大きさが半端ではない。木口は銅板で巻かれている。

妻側の軒の出と、桁雪側の軒の出が随分と違っている。これも雪国だからだろう。

駆け足で見学を終え、帰途に着いた。増田町にいた滞在時間は40分程度だったろう。今度はもっとゆっくりと訪れてみたい。

この日はお祭りに続いて花火大会も行われるそうで、「泊まって行けば良いのに」と言われても・・・・。(秋田県でも、9月の増田の花火大会は有名らしい。それにせっかく当日だったのに、月山神社の神宿の中を見てくるべきだったと、とても後悔している。数歩歩けば良いのに、気が回らなかった。)

「よくきでけだんし」どんな風に喋るのだろう。

帰りの国道7号線、飛島がくっきりと見えた。

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某現場の原寸図

2016-09-15 11:46:31 | 建築・都市・港

「こう言うのはね、原寸図を描かないと判らないんだよ。」と、A1の図面を貼り合わせて鉛筆で描きだした。

鉄骨の柱のベースプレートは32mm、ベースパックのアンカーや鉄骨の溶接の厚みなども記入していく。

私は傍でにんまり。

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杭打ち

2016-09-09 10:11:00 | 建築・都市・港

某工事の杭打ちが始まった。試験杭とデータ集めから行われる。

台風の接近を心配したが、台風は温帯性低気圧に変わり、事なきを得る。

庄内平野は、季節風の西風と砂から、この黒松林によって守られている。松の美しさを施設に取り入れたいと思ったが、この斜めに傾いだ姿は美しいとも言えない。H先生は「この松をまっすぐにしろ!」と言ったけど・・・。(笑)

敷地内の松の木を3本残す。それをガードするのと、工事現場と駐車場を分けるのに工事用保護柵が使われたが、一部内部が見えるようになっている。これで毎日監視されていると言うか、未来の工事現場はライブカメラで撮影しながらの時代が来るかも知れない。

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盛岡へ行く・最終回・鉈町界隈

2016-09-08 21:29:05 | 建築・都市・港

大慈寺町から鉈町へ移動する。これは以前薬屋さんだった店。

町屋が並ぶ。凝った戸袋の家がある。

犬に散歩してもらうお婆ちゃん。奥に見える建物の煙突は何だろう。(拡大して見たら、上に滑車がついていた。)

円光寺さんの向かいの町屋の屋根に、明かり取りのような物が載っている。町屋は平入りで、隣同士がくっついている。

朝顔が似合う。

お店が見える。ここは総菜がとても充実していて美味しいそうだ。

これも補助金を使った建物。外壁の色を変えるだけでは、降りないそうだ。

点が線になると、綺麗だ。せまい道路なのに、頻繁に車が行き来する。

町屋サロン・ピッピ。珈琲などが飲めるようだ。

住人がお掃除をしていた。朝顔も手入れが大変だ。古くなった花は取らないといけないし。

実は、この素敵な通りにも、某ハウスメーカーがごっそりと町屋を解体して、ミニ開発のような今風の住宅を数軒建てた。それでも一番道路に近い家に木格子などを取り付けて貰って、街並みに配慮して貰ったそうだ。Google Earthで見ると、すぐに判る。

八百倉町屋に入る。

大きな吹き抜けのある常間。

ここで明かり取りを確認する。繋ぎあった町屋は道路と裏から灯りを入れる。隣り合った所に窓のある家は、2階建てか大きな町屋の証だそうだ。

あの皿の上の葉っぱは何に使うのだろう。

裏庭が見える。箪笥の上の紫陽花のドライフラワーも、纏まっていて綺麗だ。

基本、町屋の土間は玄関から裏庭に続く。天秤棒を担いで通り抜けできないといけない。ここは店としてではなく集会所的な意味合いで使用している為に、土間は途中でふさがっている。店の前の道路がアスファルト舗装でなかった時代、裏庭に水を掛けると、蒸発した水蒸気が上昇気流を起こし、道路から風が吹いてきて涼しかったらしい。現在は暑いままである。

これは元の店舗の部分の床下。物入れなどに使用しているようだ。床下は涼しい。

古い箪笥

どんな風に話すのだろう。見た目は京都弁のようだ。

懐かしいポンプ

ここが大慈清水お休み処。町の人達皆で管理している綺麗な水場である。盛岡のこんな都会の中なのに、ちゃんと残す物は残している。素晴らしい。

ここでも水をグビグビ飲んだ。先ほどの水場とは水の味が違う。

櫓が見えてきた。

ここは、もりおか町屋物語。

明かり取り

箱階段を登って2階に

この部屋には、秘密の入り口が・・・・。特別に見せて頂いた。

襖を開けると、3階に続く階段が(もの凄く急な)現れる。

せっかくなので、色々撮す。天井はかなり低い。

誰か、宿泊できるって言ってなかった?

外に出て、建物を見る。

こちらは物産館のような創りになっている。

内部は、時空の商店街。

櫓のあるのは、消防コミセンだそうだ。

隣の建物にも「め組」の文字があった。

出発点のステラモンテに戻る。ここで昼食になる。イタリアンでパスタ料理だったが、育ち盛りの学生が喜びそうな量だった。

ここでお土産を買う。量り売りの生酒である。試飲をして買った。

町巡りの案内をして下さった方は、ワインのソムリエの資格も持っているそうで、日本酒よりもワインが詳しいとか。それでも岩手のお酒は名前に「の」の字が入っている日本酒は美味しいのだそうだ。

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盛岡へ行く・7・寺町

2016-09-08 21:03:33 | 建築・都市・港

盛岡に移動し、テラスモンテに集合する。ここは酒蔵を主としたレストラン。この建物は酒蔵(株)あさ開。

各班に分かれて、町屋を見学する。青森県建築士会さんと一緒で、案内役は役所の建築のエライさんだった。

まずは、大慈寺小学校の横を通り、その名も大慈寺に向かう。

大慈寺の山門

ちょっとその前に、この道路は下に水路が通っているのだそうだ。まるでブラタモリの様相である。

この土塀の横の電柱や支柱の狭い隙間や、土塀の細い石台の上を、全速力で一番に走り抜けた者勝ちの勝負を、子供の頃にやっていたと言う案内人。

さて、話は前に戻すと、山門の説明。

その足下

その上。面白い繋ぎをしている。

境内。この通路の石の敷き方が特徴的だ。右の六角のお堂は、辰野金吾の設計らしい。

原敬氏の墓所。

この青いシートで保護された建物は、原敬の生前住んでいた家か別荘を移築したものらしい。

大慈寺界隈

元料亭

大慈寺から流れてきた清水・青龍水。

清水を紙コップに汲んで、グビグビ飲んだ。

大津屋さんの蔵・Before

同じく、After。僅かな補助金はあるが、積極的に盛岡の街並みに参加している。この面だけの工事でも1000万円以上はかかったそうだ。

南部藩だったのか。

 

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盛岡へ行く・6・つなぎ温泉の朝

2016-09-08 20:50:38 | 建築・都市・港

温泉の朝は早い。(←お前だけだろ)5時でお風呂が開放されると聞いて、4時45分にはお風呂の前にいた。3つの露天風呂に入り、寝癖のついた髪を洗い。そうして部屋に戻って窓の向こうを撮す。奥にダム湖とピンク色の橋が見える。

朝食後、会議に出たSさんをおいて、Hさんと外に出た。これは宿泊した愛真館の前の足湯。学生達が大騒ぎをした後である。

岩手は国体が始まった。最初は水泳から行われるという。

足湯ならぬ、手湯もあった。ここの温泉の湯はヌメッと身体にまとわりつく。そのくせサラッと仕上がる。

橋の上から。遠くにダムの水門が見える。

盛岡のおでんは美味いよ!ではない。良く来てくれましたね。らしい。イントネーションは判らない。

ここの足湯の柱に、「ぬぐだまるぅ~」と書いてある。足湯に浸かっていた人に発音を聞いたが、特別の語尾はなかった。方言は良いね。

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盛岡へ行く・5・大会と懇親会

2016-09-08 17:25:29 | 建築・都市・港

公会堂2階の講堂に入る。この席は全て埋まる。我々は比較的前の方に座ったのだが、なかなか前が見えない。

来賓のご挨拶が続く。人の隙間から前を覗く動作を繰り返す。

いわて大会のテーマは「建物再生、温故知新。古きを訪ねて、新しきを創る。」と題して始まった。

基調講演は、東京大学生産技術研究所教授の腰原幹雄氏。単に木構造と言う建築に囚われず、土木や木質、森林や環境に至る幅広い講義だった。実に面白い。

現在、木造建築は別の意味で注目を集めている。建築基準法が出来た1950年より以前に、木造建築は造られてきた。所謂、真壁貫の在来工法である。それが基準法の洋風筋違い工法に取って代わる。まぁ、学閥の争いで旧工法が負けた訳だが、日々進化するRCやS構造の工法とは違い、古い木造はそれだけで学ぶ事が多い。耐震を問われれば、破壊された方が次回からの勉強にもなる。台風、雨水、雪にも敏感に反応する。体験してこそ、工法は進化する。

さて、木造の歴史を見てみよう。古い物が文化かと言われれば、そうでもない。竪穴式住居や高床式建物は文化ではない。東大寺の建築が世界最大でも無い。法隆寺五重塔は、見かけよりも部材が小さい。民家が造られる頃から、文化の香りがしてくる。日本の木造建築の7-8割を占める在来工法は、何かと悪者扱いや手抜きだと言われている。昔は山を見て木を見て年月を掛けて住宅を造ったが、現在は無理に乾燥させた木材で、補強金物を用いて建築する。S造の金物は接合金物だが、木造の場合は補強に過ぎない。昔のような継ぎ手仕口の技術ではない。それが欧米では2x4+合板になり、パネルプレハブになった。ログハウスとなると、実に効率の悪い建築となる。

板倉準三や前川国男などの近代建築になると、木材を使ったモダンな建物へと変わって来る。木材は組積、フレーム、HPシェルとなった。

社会システムが変わると、山の森林資源が見直されてきた。基準法が変わり木造大断面が登場する。従来は平屋建ての学校建築が多かったが、楼閣、物見櫓、2階建て以上と進歩を告げる。燃え代設計をした部材で、オーストラリアでは10階建てまで建築されるようになった。ただし、日本と違い、木を使って木を仕上げとして見せることは、欧米では少ない。アジアでは、躯体としても仕上げとしても見せている。

日本の窯業系のサイディングで覆い、室内に石膏ボードクロスの建物は、出来上がった時から劣化が始まる。木を仕上げに用いると、時間の経過と共に美しさが積み上がっていく。都市型の木造は、水平と垂直を際立たせている。

柱や梁が、垂直や水平で施工しなければならないと、誰が決めただろうか。講師の腰原氏は、国際なかなか遺産(ちょっと笑って貰える建物文化財)の取り組みに、現在邁進中だそうである。そこまで達しない建物は、国際まだまだ遺産と、これも面白い。

講演はもう少し続くのだが、メモした紙の文字が(自分で書いたのに)汚くて読めないので、この辺で。

さて、次の講師は京都造形芸術大学の通信大学院教授を2014年まで務められた三澤文子氏である。岐阜県立森林文化アカデミー教授を兼任されているが、スクラップビルドの時代は終わり、中古住宅をいかにリノベーションするか、ヘリテージマネージャーの養成が叫ばれている中で、一歩先を行く住宅医の育成を手がけている。

その先駆けは、ロンドンにあった。この建築病理学を学ぶことにより、特に木造の弱点を克服し、病気になりにくい木造建築が出来上がるのである。

それと、持続可能な社会、循環する住宅を造る為に、3つのポイントがある。

①求められる地域型住宅・地元の木材を使う。

②省エネ、住宅の断熱性能の向上、高齢者への健康配慮

③長寿型住宅、簡単に壊れない住宅。こまめにメンテナンスを行う。

等が上げられる。中古住宅改造の折には、建物の現状調査として20人程度を1日がかりで1件の家に集中させると言う。これは、随分な人数だなと思う。我々の地元の人間は気が短いのか、中古住宅を直して住むより手っ取り早く解体して新たに建てる事を好む。中古住宅は、屋根や壁、天井床を壊して下地を見ないと新築以上に工事費がかさむ場合が往々にしてある。それでも彼女は直す方を薦める、多分、工事費単価が東北と関西では違うからなのだと思う。

それでも、今回の講演の「目玉」があった。石建て基礎などの民家の柱脚の補修と、新たな基礎の作成に於いて、揚げ屋をせずに工事を行う方法だそうだ。柱をかき込み土台を大入れにする。柱の足下は切るか、鋼製束で浮かせておいて、布基礎を施工するのだそうだ。この束は基礎に埋めたままでも大丈夫かと思う。

話は変わるが、建物を新築する場合は、地鎮祭や上棟式を行う。改築や補修の場合は行わないが、けじめとして「清祓式」を地鎮祭と同様に行う事を薦められた。なるほどと思う。

この後、東北各県の会員から事例を紹介される。皆さん、良い仕事を行っていらっしゃる。

大会も無事に済んで、宿泊のホテルへと移動する。場所はつなぎ温泉と盛岡からは少し離れている。公会堂を出て、盛岡城のお堀に白い蓮華の花を見つける。

辺り一面、白い蓮だった。

しかも、花の大きさがとても大きい。白い蓮を見るのは、初めてである。

駐車場へ行くまでに見つけた神社でお参りをする。

車はひた走り。

ホテルに着いて、懇親会が始まった。

東北ブロック会長のご挨拶

久しぶりの友人にも出逢えた。今度古き会員達(女性委員会を創ったメンバー)で同窓会を行うことにした。

各県からの持ち寄りは、年ごとに豪華になっていく。全部を並べて撮そうとしたのだが、もう各々のテーブルに一升瓶が出張しているのだ。

ワインもあった。さんさ踊りも踊ったし、もうお腹がいっぱいだ。

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盛岡へ行く・4・昼食まで

2016-09-07 23:40:48 | 建築・都市・港

公園を通って、公会堂へ戻る。

橋の欄干に止まっていた蜻蛉

城跡の石垣が綺麗なのだが、写真ではよく見えない。

鶴のベンチ

鶴ならぬ鳩。一気に寄ってきた。

木陰は涼しい。

姉妹都市から贈られた物

芝生の前の盛岡文化歴史館に入る。

車で盛岡市に入った時に、幟旗が沢山並んでいた神社が八幡神社で、近々お祭りがあるようだ。その折り、こんな山車が町中を練り歩く。山車を引く時に聞こえる軋む音が、祭り独特のもので、それを聞く度に気持ちが高揚してくる。盛岡っ子でないと、判らない心情のようだ。

高さが高いので、多分電線とは喧嘩すると思う。

子供達の可愛い法被

各町内から独自の山車が出る。

チャグチャグ馬こ

「ここは綺麗な場所だから、撮した方が良いよ」と教えられ。

しかし、私にはこちらの方に興味があり。

戦後、バラックなどが建ち並び、このような街になったそうだ。

もしかして、神社仏閣の境内だったのか。

公会堂の地下での食事。盛岡は美味しい物が沢山あって、体重は完璧に増えた。それなのに、料理の写真をこれしか撮っていないことに気がつく。

そのレストランに飾ってあった新渡戸稲造氏の書。ゲーテの詩集からの引用らしいが、「急がず、休まず」

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盛岡へ行く・3・もりおか啄木賢治青春館

2016-09-07 13:14:42 | 建築・都市・港

次にもりおか啄木賢治青春館へ行く。

この建物は、第九十銀行本店本館として、明治43年に、盛岡出身の横濱勉氏設計により建築された。外壁のタイルも痛んできたので、張り替えをするつもりで剥がしたら、それはタイルではなく、タイルレンガっだったことが判明し、張り替えを中止した。一部を剥がしたまま、下地のレンガが見える状態で保存されている。雨が酷い場合は、上からロールカーテンでカバーするのだそうだ。

入り口脇

こちらは別棟で新たに建てられた部分。2階が繋がれている。1階にはトイレがあった。

入ってみる。個室のFixの縦長のガラスには、赤いカッティングシートが貼られて目隠しになっており、室内が赤い。

本館の1階内部である。漆喰仕上げの壁天井が綺麗である。

銀行のホールで建てられたが、やたらと柱が立っている。

その柱の説明。2階が講堂になっているため、荷重を支える柱である。

カフェやお土産コーナーがあった。

宮沢賢治

暖炉

暖炉の上の花が、いかにも秋らしい。啄木の写真と共に。

金庫室脇の応接室。現在は映像が流れるAVルームになっていた。

階段に敷かれた赤のカーペット。一枚一枚、金具とバーで固定されている。昔は張るだけでなく、こんな仕掛けをしていたんだ。これなら取り替えが楽だと思った。

階段室

案内をして下さった方が、この建物の向かいに、内装工事で入った時に、窓から見た青春館の屋根がとても綺麗だったと教えてくれた。なるほど、シュッとしてる。

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盛岡に行く・2・岩手銀行

2016-09-07 08:57:01 | 建築・都市・港

岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館である。平成6年、国指定重要文化財に指定されている。

この建物を見て、どこかと似ていると思わないだろうか。

何度か盛岡を訪れたが、入るのは初めてである。さぁ入ってみよう。

ほら、似ているよね。

設計者は東京駅を設計した辰野金吾氏である。

造りは、東京駅よりも立派だ。

 

ここが窓口である。まるで、西部劇に出てくるようだ。

装飾も凝っている。

近寄って見る。

う~ん、これはどうしたものか。このような塗装なのか、ひび割れた上に再度塗ったものか。

 

和洋折衷。

 

 

 

 

 

 

余程、財力のあった銀行だったのだろう。

 

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盛岡へ行く・1

2016-09-06 10:20:32 | 建築・都市・港

建築士会の女性委員会が隔年で開催している東北ブロック会女性委員会岩手大会に参加する為、岩手県の盛岡市へ向かう。

酒田市からは3名、初めての日本海沿岸東北自動車道路の象潟ICから載る。このICは国道から随分と離れた高台にある。その為、景色だけは抜群である。

お喋りしていて、一般道路に降りるのを忘れ、そのまま高速道路で盛岡に向かう。秋田県はSAが充実していると思う。途中で何回かのトイレ休憩をする。

トイレ内の手洗い。綺麗なんだか、使いにくいんだか。

極めて的確な運転手のお陰で、時間前に盛岡に着く。城の地下駐車場に入れて外へ出た。暑い!

大会の会場は岩手県公会堂。一見、東大の安田講堂を彷彿とさせる。平成18年より登録有形文化財として認定される。昭和2年竣工、設計者は佐藤功一博士である。

樹木の陰でよく見えないので、大会プログラムを写してみる。

玄関前で集合し、各班に分かれて盛岡市の町中ウォークに参加した。

まずは中津川の橋に向かう。この川は海岸から200kmも内陸に入っているのに、鮭が上がる。以前、秋に盛岡に来たことがあったが、川からバシャバシャと水音がして、鮭の姿が見えた。その頃は、白く変色した鮭の死骸も漂っていた。誰も獲らないの?獲っても美味しくないだろうけど。

奥に見えるのは新渡戸稲造の銅像である。髪型が変である。

鮎らしい。

懐かしい火の見櫓が見えた。丁度消防車がやってきた。まるで出演を頼んだみたいだ。

盛岡市は、旧町名で通すらしい。歴史を大事にした盛岡らしい。

古い町屋が残っているのが嬉しい。

森九商店へ向かう。町屋は基本平入りで、火事の延焼を防ぐ卯建で仕切られている。

「ごめんください!」

たわし

奥の蔵が綺麗だった。普段は開放していないらしい。

表にも大きな束子(たわし)がぶら下がっていた。

綺麗だ。

筋向かいの釜定商店。

涎が出そうな南部鉄器が並ぶ。

盛岡信用金庫

遅れてきた山形組と合流する為に、岩手銀行に向かう。

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米沢市図書館

2016-08-15 14:31:39 | 建築・都市・港

自分だけ行くのか、裏切り者と呼ばれそうだが、14日米沢に車を走らせた。完成したばかりの建物ゆえ、カーナビでは場所が判らなかった。スマホで場所を確かめて市民文化会館の横だと確かめ、そこを目指した。

建物は見えたが、駐車場が見つからないと探し、立て札に書いてあった米沢まちなか駐車場に入った。駐車券を受付に持っていくと、3時間まで無料になるのだそうだ。これは有り難い。

建物はRCの打ち放しと、木仕上げの綺麗な建物だった。

愛称が「ナセBA」だった。これは上杉鷹山の言葉から成る。

都会的な設計だった。1階にはカフェなども入っている。受付で館内の撮影の許可を得る。展示品以外は撮影可だそうだ。

「皆さん、この中央の階段を撮していきますよ。」と教えて貰ったので、すかさず撮す。

中央のホールは展示室でもあった。ここに伊東忠太の展示品が飾られている。本物を観ることが出来るのは嬉しい。

その中で、阿修羅帖と呼ばれる絵日記のような物があった。酒田の光丘文庫の資料を見た経験から、もしかするとこの図書館でも読むことが出来るのではと考えた。

階段を使って2階に上がる。

2階の貸し出しのカウンターで、阿修羅帖の事を聞いてみた。「ええ、ありますよ。」と簡単に答えが返ってきた。

このコーナーに、設計した建物の写真集や、化け物の本、阿修羅帖もあった。阿修羅帖は古いものではなく、新たに復刻版が出ていた。1冊が25000円だもの。

貸し出しは出来ないが、館内で読むのは幾らでもOKだった。

この図書館は書籍が主人公である。吹き抜けから見上げる本の数々は圧倒される。さて、酒田の図書館はこれを超えられるか。(超えられないだろうな。)

本棚も勿論、カウンターも集成材を使用した、木部が綺麗に見える図書館だった。

正面は木部の仕上げが綺麗だ。

その他は、雪の多い米沢を考慮して、雁木のような造りになっていた。

その屋根のかかった雁木の造りの中は、学生達の為の駐輪場が広く準備されていた。

車椅子用の駐車場は、この建物の中に配置されていた。

羨ましい建物だと思う。

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地縄

2016-08-10 10:43:57 | 建築・都市・港

本格的に現場が始まった。土曜日の気温36度越えは、作業員がふらふらになるほどだったらしい。

これは現場事務所。本格稼働では無いが、内部はエアコンが効いている。

現場の位置決めとレベル確認。敷地が広くて一度で撮せない。

午前中の確認は終わり。午後の打合せ会議まで、昼食を食べに向かう。

 

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地鎮祭

2016-08-01 10:29:40 | 建築・都市・港

酒田市斎場の地鎮祭が行われた。汗が止めどなく溢れ出る暑い日だった。テントから出た方が風が有って涼しい。

工事は仮設や木の伐採など、先に行われているものもあり、工程会議も何度か済ませているが、この日を境に本格的な工事が行われるのである。

地鎮祭の写真が届いたので、載せてみる。

 

SHAA設計共同体の代表 針生氏。

酒田市長

建築JV代表の(株)大井建設社長

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