無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

酒田大火40周年・町歩き

2016-10-31 13:58:10 | 酒田

酒田大火から40周年の節目を迎え、酒田大火シンポジウムの前段で町歩きを行った。時間までに酒田市役所に着くと、驚くほどの人がいた。せいぜい20人程度だと思っていたのだが、渡された資料も足りなくて仏壇の佐藤さんはコピーしに走った。参加者は勿論酒田市民もいたが、遠くから参加された人も多いのに驚いた。特に太平洋側からの方は、震災復興のヒントになるかと考えたそうである。

JC酒田青年会議所 7月例会「酒田大火」 5分50秒

40年前の酒田大火とはどんなだったかを、少しだけ紹介した動画があった。酒田JCさん達の物らしい。NHKではドキュメンタリーとして30分か1時間番組を作っていた筈だ。以前、別のシンポジウムでそれをお借りした事があった。

若干の説明の後、移動する。信号を渡るにも大勢過ぎる。

まずは、火元のグリーハウスの辺りで説明を受ける。グリーンハウスは、とても素敵な木造の映画館だった。残念なことに、そこが火元となり、折からの30km/sの強風に煽られ燃え広がるのだが、鉄筋コンクリートの大沼デパートに囲まれ延焼までは時間が掛かった。大沼デパートが突破されると、ト一屋方面へ横に火が走った。もう一団はアーケードを煙突のようにして風下に向かう。

上空を真っ赤にした炎は、大きな川の流れのように遙か彼方へ火の塊を運んだ。火の粉なんて可愛い物ではない。木材が燃えながら飛んで行く。

防火帯となり得るだろう広い道路は軽々と突破され、新井田川に陣取った山形、新潟、秋田の応援を貰った消防は、川の水を水源にして水の壁を作った。新井田川の傍の建物は、燃えない内に延焼を防ぐ為に取り壊された。さながら江戸時代の火消しである。風下から消火の放水を行っても、強風の為に水が戻ってきて火に届かない現象が起きた。風上から燃え終わった所へ消火を行っていたが、これではらちがあかないと最後の新井田川の水の砦を築いた訳である。もし新井田川が存在していなかったら、バイパスまで燃え広がったと思われる。

さて、復興も早かった。火事に慣れている市民は、歳末商戦まで仮設の店舗を柳小路に建築する。仮設住宅は火災が済んだ3日目には出来ている。復興はスピードが命だ。新たな公園や道路を造る為の敷地の減は各家に及び、敷地を売り払って郊外に引っ越しをする人もいた。大火後の都市計画では防火地域が設定され、個別に造るのでは無く共同で店舗を繋げる計画も進んだ。被災者は諸手をあげて酒田市の提示する復興に賛成した訳でもない。特に酒田商人は一国一城の主の感覚が強い。それが我慢する所は我慢し、復興に協力した。その手法は「酒田方式」と呼ばれ、その後の阪神淡路や東日本大震災でも参考にされた。ところが、被災者の気持ちを汲むこと無く、強引な手法のみが一人歩きし反感を買った地域もあった。

「飼い主を待っているのでございます。」

地下を駐車場にし、地上は公園にした。この道路は、現在は車両の通行可になっているが、復興当時は先進的な歩行者道路にした。いかに地下駐車場を造ったとて、地方都市における車社会には対応出来ず、折からの郊外大型店舗の出店と共に、空洞化現象に拍車がかかり、商店街はシャッター街へと変わって行く。

今回の町歩きの先導の先生は、町の中心部の空洞化は全国的で、逆に大火後40年を経て商店街が生き残っているのが珍しいとも仰られたが、それは商店街の人々の血の滲むような努力の賜物だとも思う。復興時は借金するにも利子が高い時代であり、木造から耐火建築への移行で固定資産税も高かくなった。随分と無理な中で、頑張ってきたのだと思う。日本が高度成長時代やバブル期を迎えても、山形県は酒田市のせいで土地の値段は下がり続け、経済も停滞する。その痛手は今でも引きずっている。まだ若者が多かったから復興が出来たのではとも考える。今、同じ事が起こったら、復興は無理だろう。数年前の今町での数件を焼く火災では、1軒のみ新築したが、空き地は残ったままだ。

助かった薬師さんの神木。

 

延焼を免れた本間家本邸は、西側に土塀、土蔵、防火林で、母屋を防いでいる。昔からの工夫だ。

ちなみに、酒田のお金持ちの家の屋根は、特殊な赤瓦である。赤松は400年もの。神社仏閣にも、この瓦が使われている。一般の町屋は黒瓦か杉皮の石置き屋根だった。現在の建築基準法では、この石置き屋根では建築できない。復元された石置き屋根は鐙屋さんで見ることが出来る。

本間家本邸。南側が酒井藩主を迎える武家の書院造りになっており、奥が町屋と2つの形式で造られている。当主の光丘さんの部屋が驚くほど小さい。光丘さんは公益の走りで、自らは質素に励んだ。本来なら藩主が行うべき公益の事業も、本間家が先頭に立って行った。日和山の造成や黒松林の植林も手がけ、庄内平野を防砂から守った。

酒田は冬の季節風が台風並みの強さである。江戸時代は5-7年毎に、何百何千軒と燃える大火を繰り返している。驚くのは復興する力と速さだ。明治の庄内地震を境に、大火は納まったが、酒田市民のDNAに火事の記憶が残っている。酒田市の消防も優秀で、「強風の時には火事は起きない。起こさない。」のジンクスがあったが、今回の大火でそれは消えた。

 

お社があるのに気がついた。

長屋門。その板戸がケヤキの一枚物である。

 

 

 門の扉の金物。

 本町通りの長屋門は、藩主の物。この中央の門が男門。もっと奥に女門があって、人によって分けられている。

本間家の横には、昔堀があった。

新井田町の歩行用の道路。中町もそうだが、車社会の地方に置いて、車の出入りを閉め出すのは、致命的である。

資料館で、丁度酒田大火40年の記念の展示があった。

 

 受付に申請すると撮影は可である。ただ、資料は公開不可だと思った。

本町で見かけた元米屋さんの建物。町屋の造りの店。和風の小物が置いてあり、今度ゆっくり行ってみようと思う。

お昼は三日月軒にした。ここは基本的に大中小のラーメンしかない。酒田のラーメンである。

 

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九州へ 1

2016-10-26 18:38:54 | 

10月22日、庄内空港08:50発 ANA396便に乗る。集合時間は08:20で時間前に着いた筈なのに、遅いと言われる。羽田経由で大分に向かうが、どちらの便も殆ど満席だった。今回は、小さめのスーツケースを持ち込み、大分まで空輸してもらう。たった2発3日だったが、お土産のスペースを考えてスカスカのままに送り込む。これが案外楽だった。

貨物の積み込み終了。庄内は晴天だったが、東京の上空も雲の中、ましてや大分空港は予報通りの雨だった。羽田での乗り換えもスムーズに行き、機内では持ち込んだ単行本「失われた九州王朝」を読む。書いてある文章も漢字も難しく、眠るのに持って来いで、なかなか進まなかったのだ。九州へ行くのに似合いの本である。

無事に大分空港へ着く。空港の中は「おんせん県おおいた」で満ちあふれている。

足湯も準備されている。

「ここでも、温泉が出るのですか?」の質問に、ピンクの法被の女性は「毎日タンクローリーで運んでくるんです。」と答えた。お湯に触ってみると、丁度良い加減だった。

空港で食事をする時間が無く、支部長さんが買い込んだコンビニ弁当(3種類から選ぶ)をバスの中で開く。弁当箱の大きさに差はあったものの、どれも魚中心のおかずだった。勿論、弁当よりも先にビールが配られる。さすがに飛行機の中では配られなかったが、基本的に酒田支部は朝から酒漬けになる。

この酸っぱい押し寿司は、上に載っている具とぎっしりのご飯の中に忍び込んでいる具(梅干しや海苔など)も相まって、見た目よりも満腹になる。

バスは別府湾に添った大分自動車道路を走り、別府市の大分国際コンベンションセンター・ビーコンプラザに到着する。「ビーコン」って惑星探査機はやぶさを思い出す。設計者は磯崎新だ。磯崎新は、九州には強い。

複雑な形の建物だった。遠くからバンジージャンプに丁度良い塔が見えた。

まずは受付をする。緑のバックは渡された資料で、重かった。

会場の席に荷物を置き、Nさんと塔(グローバルタワー)の散策に行く。その方角は駐車場を示している。渡り廊下を通って別棟の駐車場の建物を目指す。

本当に駐車場の中を通り抜けた。階段を上り、チケット売り場に着く。別府の町全体が海から山まで緩やかに勾配が着いている為に、建物の中は階段が多い。何処まで登っても1階で地面が見えたりする。

こんな形の塔である。上の四角い部分の展望台に上がるエレベーターは、数人乗りだった。

エレベータ上りは34階。下りは階段を使って33階に移動して乗り込む。混雑を避ける為でもある。

屋根がワイヤーだけで、雨が降り込む展望台だった。

ぐるりと360度まわってみた。山からは温泉の湯気が上り、穏やかな海は別府湾である。

下を覗き込む。コンベンションセンター・ビーコンプラザである。

会場に戻る。

ロビーには協賛会社のブースが並んでいる。

地下に降りると、折り紙で建物を創るコーナーがあった。材料だけ頂いてくる。

会場。多分ここは体育館なのだと思う。それを仕切って会場にしているのだが、音が複雑にエコーして、声が聞き取れない難点があった。

オープニングは日本文理大学チアリーディング部による「BRAVES」

客席2階の中央には、特別席なのか壁があって、左右に分かれて舞台を見る。左右とも舞台の下には編まれたオブジェが飾られている。

総合司会は、大分出身のTBSアナウンサーの江藤愛。

開会宣言:大分県建築士会副会長   歓迎の挨拶:大分県建築士会会長

挨拶:連合会会長   来賓挨拶:国土交通省大臣代理(この女性の声が早口でエコーに負けずに最も聞きやすかった。)

来賓挨拶:県知事(少し話が長い)  来賓挨拶:別府市長

連合会長表彰:大分県建築士会の代表      連合会賞表彰(遠くからはとても若く見えた。)

伝統技能者表彰。その他表彰者を撮そうとしたが、2階の通路の歩行者に遮られて撮せなかった。

地域実践活動表彰

大会アピール:大分県建築士会会長と副会長

大会旗が大分から京都へ引き渡される。

来年の京都大会でのパフォーマンスは、楽しみにしていたのに無かった。残念!

着付けの残念な方もいた。それとこの場での大島紬はどうなのよと、うるさい雀は曰う。

左側の女性は、玄人ぽい着付けであった。

勿論、彼女たちは全員が現役の建築士である。女性達の「おいでやす」で締めくくられる。あらま。(私達は脚をむき出しにして、花笠音頭を踊ったんだぜ!)

雨の中をホテルに向かう。

ホテルはツインが一人づつだった。豪華である。Mさんが大部屋での宿泊が嫌だと言ったので、全員個室になる。これは有り難い。

窓からは、晴れていればオーシャンビューが見られるのに。

宴会会場(和室)に移動する。

わさびテロに見えるが、油の載った刺身が多いので足りない位だった。

豆乳鍋と言うが。

 

大分県は宮崎とも並び、鶏肉の生産が多い。何処へ行ってもご当地名のついた唐揚げや天ぷらがあった。これは天ぷらである。

大分では、iichikoと二階堂の二大巨頭の焼酎があった。

大会では、式典のプログラムはコンパクトになり、観光パンフレットも自由に並んだ中から取る仕組みで、出来るだけ無用の紙類を節約しようと言う動きが十数年前から行われていた。ところが、大分会場で受け取ったバックは異様に重かった。iichikoの瓶と厚さ1cm以上もあるiichikoの写真集が入っていた。これには驚いた。今回のかなりの部分のスポンサーだと思われる。この瓶の焼酎も、2次会で開けられる事になる。

 

 

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九州へ 2 地獄めぐり

2016-10-26 18:37:37 | 

新しい朝が来た♪ 希望の朝だ♪ 天気は昨日ほど悪くもないが、空は依然として低い。

朝食会場へ向かう。

バイキングである。このホテルの味は、昨夜の宴会料理もそうだが、茶碗蒸しも豆乳鍋もちょっと味覚がずれる。つまりは私の常識からは離れている。と言いながら、郷土料理と野菜中心のおかずを持ってくる。

中国かゆの上に、明太子とワサビ味の海苔を載せる。柚子胡椒も良い味だった。

宿泊したホテルは温泉街から北へ離れた海沿いのホテルだった。結婚式の会場でもあるのだろう、敷地内にはチャペルも準備されている。

海岸沿いに植えられている樹木も、南国さながらの風情を見せる。

横の斜面にハゼノキが、実をたわわに着けていた。ハゼノキはウルシ科の植物で、和ロウソクの原料でもある。この実を潰してロウを取るのだろうなと漠然と考えていたら、ハゼの実の種からでは無く、実の皮からロウを抽出すると知って驚く。もの凄く効率が悪いじゃないの。しかも、ウルシ科なので、人によってはかぶれが酷くて何日経っても治らないと言う人もいた。実験するには注意が必要のようだ。

ハゼノキ ハゼの実からロウを採取 和ロウソク

さて、2日目の出発の時間である。

バスは別府を後にする。所々でブルーシートが屋根瓦の上に被せられているのを見た。大分県も頑張っているけど、やはり熊本地震と余震の影響は残っている。

そうそう、熊本城天守閣の復旧工事を、1960年にも工事を手がけた大林組が、設計と建築費とで約72億円で契約する事になったようだ。えっ、そんな金額で出来るのと、価値観がずれているのは、連日の東京オリンピックの施設の何百・何千億円で、頭がパーになっているせいである。金儲けの為のオリンピックなど行わずに、震災の復興にかけたらどうなのさと、私は今でも思っている。

恨み辛みを考えている内に、地獄へ着いた。

血の池地獄なんだそうだ。

そこにたどり着く前に、関所を通過する。

赤い池から、もんもんと沸き立つ湯煙。

最近は、地獄の中にも国指定名勝があるらしい。

人々が歩いて行く方向は、向こうだ。

右に清水の池あり。

人懐こい鯉あり。

奥の小屋は、血の池の効能を持つ軟膏の売店だった。

石段を登る。

その横に咲いていたキンモクセイ。池と同じ色の花が咲いている。しかし香りが漂ってくる事はなかった。

石の階段の上は、池が見渡せるだけで、奥が深いわけでもない。

茗荷の葉に似た植物の先には黒い実が着いていた。ヤブミョウガかと思われる。

そしてゆっくりと、売店の中を見てまわる。ゆずにかぼす。かぼすは大分の名物だが、山形ではあまり馴染みがない。スダチは時折スーパーでも見かける。

そう言えば、ホテルの売店で柚子胡椒ならぬ、臭橙(かぼす)胡椒をお土産に買った。こちらのお土産の方が見た目にも面白い。

帽子やTシャツの売り場では「毎日が地獄」とプリントされた品が売られていた。笑い転げたが、なるほど、これは心理である。

飲み物も、他では見かけない物ばかりだ。

私は「つぶらなカボス」を買った。なぁんだ、果汁が10%かと言うなかれ。100%なら、とても酸っぱくて、飲めたものではない。

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九州へ 3 大分県立総合文化センター

2016-10-26 18:36:00 | 

国道10号線は、JR日豊線と平行して海沿いを走る。青い電車が綺麗だった。

大分市へ入る。別府市と大分市は、それほど離れてもいない。

街並みは少し高層の建物群が増えてくる。

このV字路で、国道10号線と分かれて197号線に入ると、すぐに目的地へ着く。

この建物が大分県立総合文化センターだ。

文化センターの建物の向かいに、今回楽しみにしてきた大分県立美術館がある。そこへすぐに入れると思いきや、開館の10時にはまだ間があった。

ならば、文化センターに入ろう。

回り階段やエレベーターを利用し、この橋を渡る。

手摺りのみガラスで、後は風が通り抜ける構造になっている。

総合文化センターと言うだけあって、複合施設になっている。左側にはNHK大分が入っていた。

気持ちの良い大きな吹き抜けである。

ファサード面と2階の床が離れている。

大階段の造りが気になって近づく。

鉄骨の桁に各々プレートを取付、段板に石を使っている。

階段の裏。

その全容。

ファサードの柱と、床を受ける柱は別のようだ。上下のエスカレータがある。

エレベータが4階まで動いている。

道路を挟んで向かいに、美術館が見える。

道路を挟んで、紅葉のつき方も違うのは、美術館面が西南を向いているからか。

ブリッジの手前で、絶好のシャッターポイントがあった。

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九州へ 4 大分県立美術館

2016-10-26 18:35:46 | 

憧れの建築家・坂茂氏の作品である。鶴岡市で行われた講演会でも、ここの画像が映し出されていた。せっかく大分県に来たのだから、この建物を見逃す手はないと、支部長に頼み込んでスケジュールに入れて貰った。開館前なのに、大勢の人が待っているのは、全国大会経由で流れた建築士が多いからだろう。

美術館の前だと、その全容が掴めない。構造はRC造と木造の混構造だと思われる。

玄関前

その上の螺旋階段。

階段の中央には、エレベータが設置してある。

入り口は1階と2階にあり、我々は2階から入る。展示室前でチケットを買う必要があるが、建物内に入るには無料だ。

玄関を入るとエレベータが待っている。

2階は中央にブリッジが着いていて、左右の吹き抜けが見おろされる。

天井は綺麗な木目の木材だった。照明などは、この黒い隙間に配置してあるので、スッキリと見える。我々が造る天井の照明と設備の喧嘩は、ここでは見かけられない。空調はどこから出ているんだろう。

2階部分に入る。坂茂氏特有の紙管の作品が並べてある。

ここはレストランかカフェのようだ。

中央の廊下には、同じく紙管を使用したベンチが置かれている。

天井点検口も、気にならないほどの物が着いている。苦労して穴を開けた感じもするのだが。

カフェ営業の準備が進められていた。

こちらは、小さな図書室になっている。テーブルも椅子もベンチも紙管である。

本棚もカウンターも、優しく出来ている。坂茂氏の風貌から、こんな優しいデザインが生まれるのが面白い。←こらこら

このベンチは、よくよく見ると、何か仕掛けがしてあるようだ。残念な事に、触っては来なかった。

大通りに向いた面である。

アトリエが並んでいた。向こうから「こっちこっち、早く!」と呼ぶ声に促されて、エスカレータで3階に上る。

中央の屋根に穴の空いた中庭があった。この庭は天庭と呼び、悪戯に物が置いてあるのでは無く、これも現代アートの作品の一つらしい。

この屋根の構造は、女川駅舎の屋根を木造に変えた物。壁に取り付けた照明も綺麗だ。

女川に比べると、格子も細かい。これはきっとドイツの万博の辺りから構想された物だと思う。

木でRをくりぬくのは難しい。切り取った破風が垂直なのか、斜めなのか、もう少し良く見ておくべきだった。

このホールから、本来の美術館コレクション展示室への入り口があった。チケットを貰って入る。内部は撮影禁止である。始めて見る作品ばかりで、日本画から洋画、現代アートまで、急いで見て歩く。展示室の照明もうるさく感じず、床は木板で造られていたが、ギシギシ音はしなかった。何にも邪魔されずに作品を見ることが出来る空間があった。

あっと言う間に、展示室を抜けた。RC造の架構に、木のラチス梁をくわかせている。

外から金物も見えない。柱部分が繋がれているが、この内部をくりぬいて金物があるのだろうか。

坂茂氏は、意匠デザインもプロだが、構造はもっとプロと言うか、天才的な頭脳の持ち主である。

この大きなエッグも現代アートらしい。

ショップ周りをうろつく。

ダンボール作品は、女川のよりもずっと高価だった。

さて、トイレに行くとて見つけたサイン。

うまいと思う。

子供用と大人用の水飲みが着いているのは普通だが、水飲み器があれば良いだろうと廊下の壁に設置するのでは無く、人の流れを妨げないように、空間を入り込ませているのが優しい。

一目で分かるロッカールーム。

これはスタッフルームなのだが、右側のドアの中央上に、本当に小さな文字でSTAFF ROOMと着いているのが心憎い。ここも廊下から入り込んでいるが、うまいなと思う。

階段室の壁の納め方が見事だ。

照明といい、文字といい、階段の納め方といい、時間が押したので走って戻ったが、出来ればもう3時間は居たかったと思う。

ドアの納まりも、きちんと見てくるべきだった。

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九州へ 5 湯布院

2016-10-26 18:34:57 | 

全国大会に参加する酒田支部は、大会会場の地域だけ特化して見学することはしない。以前に九州を訪れた佐賀大会では、福岡-佐賀-長崎-熊本と4県も走破した。一番記憶に残らなかったのが佐賀だと言う残念な結果もある。実は今回、見学する場所や食事場所を、GoogleのMapに住所を入れておいた。さすがにバスの運転手さんは道を間違えることはないが、たいだいの目安として、移動方向時間などを把握出来る。

湯布院では1時間ばかりの自由時間となり、大層の人混みと雨とに怖じ気づきながらバスを降りた。

飛び交う話し声は、明らかに日本のそれではない。

日本一のコロッケやら、金賞から揚げやらの看板を尻目に、ホンマかいなと呟きながら移動する。

辺りを見回しても、取りたてて建築的な興味を引く建物は見当たらない。

いかにも観光客が喜びそうな、紛い物風な店が並ぶ。大勢の人を呼び込むには、何が必要なのかが分かるだろう。これもまた一理ある。雰囲気さえ楽しめれば良いのである。

ガラスの森のポーチにはビー玉が埋め込まれていた。単に埋め込んだだけである。私が以前施工した時には、ビー玉3個を1グループにして、距離を置いて埋め込むと、動きが出てくる。2個でも4個でも駄目だった。

ガラスの森の2階から眺めると、筋向かいに猫の館があった。

猫グッズが所狭しと並べてある。2階には檻の中に3匹の猫がいた。昼寝中が2匹、人懐こい大きな茶色の猫が身体をすり寄せてきた。

そのまた筋向かいには、犬屋敷があった。犬グッズと犬用の洋服などが売られていた。こんな所で、故郷心を起こすと早く家に帰りたくなるのでは無いかとも思う。それとも、留守番のワンちゃんが可哀想だからお土産をとでもなるのだろうか。

ジグザグに進むとリカーショップ。

ソフトクリームなど、お土産屋が並ぶ。

適当な所で引き返し、フクロウの看板のある店に入ってみた。

檻の向こうに、やたらすばしっこいリスがいた。動きに合わせてカメラを振るも、ちゃんと姿が写ったのはこれだけだった。

この敷地の中には、小さな店が並んでいた。

こちらは、周りを取り囲むように建てられた集合店舗。

その先には

まるで、ピーターラビットの世界に入ったような小さな店が並ぶ。

小さな路地に向かい合って、1軒毎に違う賞品が飾られてあり、その内の1軒がレジ専用だった。

門を抜けると、バスの駐車場前に着く。

坂道を下る。クマモングッズなどを売る和風の店が並ぶ。

雨が降っても、商売は怠らない。

若い女性の着物を見て、おおっと思う。しかし、彼女たちが日本人だと言う証拠は何処にもない。

レトロな車の歴史館があった。

もう少し全体を広く撮した写真もあったが、どうみてもレトロな自動車ではなく、古いだけで現役の車もあったので、カットする。飛行機には触ってみたかった。

店内にも展示してある車の数々だろう。

そして、また引き返す。

出発時間ギリギリまで、山下清の原画を見る。原画も、切り絵も展示されていたが、色が抜けておらずに驚いた。

その美術館の建物の1階は、レトロな昭和館があった。

バスに乗り、昼食会場へと向かう。

湯布院で使うように渡された地図には、どうしても載っていなかった昼食会場は、山の中を延々と上って着いた「ゆふいん菓子工房五右衛門」

何はともあれ、生ビールで乾杯する。

花びらを飾った煎餅の制作様子。

若いお姉さんが作っていた。ここでもお土産を買う。行く先々で土産を買うことは、大分の観光にも寄与しているのではないだろうかと自慢する。

 

 

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九州へ 6 九重夢大吊り橋

2016-10-26 18:33:59 | 

山間を抜け、九重夢大吊り橋に着く。ここもググってGoogle Earthで見たら、どう見ても車で通行できる橋ではない。

己の足で歩いて渡る橋のようだ。するとインフラ目的ではない。観光が目的で橋を作ったようだ。

建築の現場も面白いが、土木はもっと面白い。工事の経過を見ていると、ウキウキしてくる。

そして、大枚の予算を使って吊り橋を造っても、恐い物見たさに訪れる人達の入場料で、殆どペイしている。「観光と言うのはこんな風に造るのだよ」のお手本のようなものである。当たれば大きい。

実は、今回のメンバーの中に2名の高所恐怖症がいる。1名は中途半端な高さに目がくらむ人物と、今まで建築の工事に携わってきたのに、急に恐怖症になった人物である。後者のメンバーは、決して橋を渡ろうとはしなかった。先のメンバーは他の人の応援を得て、往復した。これが切っ掛けで克服できればと思う。

橋の途中に、警備の人がいたが、やはり動けなくなったり、気持ち悪くなったりした人を救助出来る体制を作っているようだ。

私にとっては、今まで渡った吊り橋では、もっとも揺れずに安心な吊り橋だった。橋板は両側がPC版で、中央にグレーチングが敷いてある。雨水を流す目的と、隙間から恐怖が上ってくる仕組みになっていると思われる。

途中の右側に2本の滝が見えた。

ちょっと身体をねじって撮す。橋の上では、通行の邪魔になるので、立ち止まって欲しくないのだそうだ。

無事に向こう岸に渡る。

吊り橋はワイヤーで吊り下げられている。これだけだと風で横揺れするので、防止に両側から別のワイヤーで引っ張りを掛ける。

2本の滝。

右側の渓谷。

中央の最もワイヤーに近い部分。

両サイドの横揺れ防止のワイヤーの基礎付近。

吊り橋本体の基礎。

ワイヤーの留め金のボルトも太い。ナットが緩まないように、ピンが差してある。

チケット売り場横の産直には、地物の野菜が並べてあった。

そうそう、「庄内梨」と書いてある梨もあった。刈屋かなと思うのは山形人。この辺りにも庄内と呼ばれる地域があるのだ。

近くでは、九重ふるさと祭りが行われていた。地元の収穫祭りのようだが、ちょっと興味が湧く。

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九州へ 7 博多

2016-10-26 18:32:00 | 

博多へ向かうバスの中、支部長(幹事)さんが、「今日の夕食は博多の河豚です。」に、一同は「わぁ~~!」「ヒレ酒は付くんかい。」と歓声を上げる。

高速道路から、空港が見えた。明日はここから庄内へ帰る。

空港ターミナルである。福岡空港は国際空港でもあるので、飛行機の動きは多い。

博多は、もう大都会だ。ここは博多座。文化の面でも独自の路線を走っていると思う。

電線は空中を走っていないし。

今夜の宿泊先は、中州のすぐ近くになる。橋の上でバスを降りる。ホテル前の道路は狭いので、ここから荷物を引きながら向かう。

ホテルの13階がロビーだった。見晴らしは良いのだが、これには驚く。

渡されたカードが無ければ、部屋に入ることも、エレベータに乗ることもできない。

窓からは、賑やかな中州が見える。

屋形船や遊覧船が見えた。

夜になった。夕食会場まで歩く。

川の岸を歩き。

橋を渡り、対岸へ行く。あの建物がそうだ。

店に入り、2階へと進む。

テーブルに並べてあったのは、タレと酢の物

それに刺身が届く。まずは生ビールで乾杯。今回の旅行の費用が、ホテルや食事にゆっくりとしたバスで費やされたのがよく分かった。

ヒレ酒は初めてだ。器に河豚のヒレを入れ、熱燗を注ぎ、マッチで火を付ける。

河豚の唐揚げ。

and ヒレ酒

ヒレが山ほど入っていた。残念ながら、私の好物にはならなかった。大好きな蟹でさえ、甲羅酒が嫌いなのである。酒は酒。ご馳走はご馳走で味わいたいタイプの人間だったのだ。

何処の食事にも現れる茶碗蒸しだが、だんだん馴染みの味になってきて嬉しい。

ふぐちり用の材料。トラフグの身が大きい。

よそって貰う。

締めはおじや。これが美味しい。

デザートには、コーヒーゼリーがやってきた。

さて、幹事さんは会計を済ませる。ここの女性は皆さん着物で装っている。

店の前の花も南国風味

初めての博多の夜。中州にいるのだもの、長浜ラーメンを食べに向かう。長渕剛オンリーの歌を歌う男性がいた。

無理っと席を詰めて貰う。

ハイボールにて乾杯。

待望のラーメンがきた。私とNさんで半分づつにする。

隣で「撮せ~!」と言うので、「ハイよ~!」と撮したが、あまり綺麗な絵にはならんかった。

タン塩を注文して白い目で見られる。屋台のラーメン屋さんは、若い人達が仕切っている。この日は日曜日だったので、店の数は半分以下だったらしい。屋台では色んなルールがあって、基本的には生は出さない。サラダも駄目だと言うが、このレモンとキャベツは何なのさ。

鶴岡のSさんから電話が入っていた。船に乗るから来ないかと・・・。気がついたのは夜の2時だった。

ビールを呑むとトイレが近い。もっと歩きたいNさんを無理に引っ張って、ホテルへ帰る。

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九州へ 8 博多港

2016-10-26 18:30:41 | 

九州3日目は、見事な青空になった。

約束の橋の上でバスを待つ。

橋の上から遊覧船を見ると、中央で動く物があった。猫かなと思って望遠レンズで見ると、サギがいた。

ビルに取り付けられた赤い提灯。

ハロウィン仕様になっていた。

高速道路から博多港が見えた。博多湾に囲まれた天然の良港である。バスから眺められたのは凡そ半分。実際はもっと広い。

博多湾に向かって、岸壁と言うかターミナルが沢山突き出ており、用途に分けて船を停泊させることが出来る。

大型のクルーズ船も難なく停められる。しかも博多は観光地としても良いロケーションだ。

観光船も勿論のこと、壱岐対馬、韓国の釜山へのフェリーも出ている。港の用途は広い。

貨物用の港も充分に確保されている。

北に向かうほどに、工業用の港も、プレジャーボートの停留地もあった。

そして、工業港の背後には、夥しい数の工場群があり、有名処の巨大工場が並んでいる。

港は単独にあるのでは無く、背後地との持ちつ持たれつの関係が重要なのである。

高速道路と並行して走る送電線の大きさも、その需要が窺える。

酒田港とは比べようも無いが、日本全体を見渡したならば、このような港を国際ハブ港にすれば良いと思う。日本は海運国なのに、釜山港にむざむざハブ港を取られて良いのだろうか、他国との貿易は必要だが、万が一に備えてハブ港は日本が準備すべきと思う。

動いてくれる国会議員はいないものだろうか。

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九州へ 9 門司港レトロ散策

2016-10-26 18:29:10 | 酒田

バスはひたすら高速道路を北上し、門司に着く。

バスが門司港に着くと、かちどき橋が跳ね上がっているのが見えた。急いで走る。

門司の港である。

まずは、門司港レトロハイマートの展望台を目指す。

高いビルディングもひとっ飛びと、エレベータは高速だった。

カウンターで見かけた地ビール。

門司港が一望出来る。

まさか、あの吊り橋が関門大橋なの!瀬戸内海の橋を見てきた者にとっては、小さい。

すると対岸は下関なのか。凄く近い。まるで海ではなく、幅が川のようである。

この中央の建物はホテルだそうだ。

かちどき橋は、歩けるようになっていた。

門司駅の脇に、北九州鉄道博物館が見える。

この2階建ての建物がそうだ。

クレーンが上がっているのが巌流島の辺りだそうだ。

こちらにも高い塔があるが、下関も負けずに建っている。本当に近い。

この中央の洋館が、今日の昼食会場で、重要文化財の三井倶楽部である。

さて、地上に降りた。

まずは一番離れた関門海峡ミュージアムを目指し、岸壁を早足で歩く。

ハロウィンにピッタリの洋館だ。コウモリが飛んで出てきそうだ。

おっちゃんがエンジン音を立てて通り過ぎて行った。

橋を渡る。

これが先の地ビールの工場なのか。

上から見かけた遊覧船。

かちどき橋と、門司港レトロハイマートを見る。ちなみにこの塔は黒川紀章の作品である。上の円柱を横に切った部分(ヘリポート)は、如何にも彼らしいデザインだ。

船のチケット売り場。対岸にも巌流島にも行く。

福岡県警の船。

海上保安庁の船。

ここが目的地。

時間が無い中、Nさんがうまく交渉してくれて、誘導員とエレベータを使い、最速で中を見学する。

展示施設は撮影禁止である。巌流島から下関条約に及ぶ関門海峡の歴史を、映像や人形で表していたが、恐くてきちんと見られなかった。私は人形恐怖症である。

さて、展望デッキからの眺め

関門大橋を含むロケーションは、こちらの方が良い。と言うのも、直接外で見られるからだ。

屋根のついた、こんなデッキである。

急いでエレベータで1階に降りる。せっかくだからと、昭和レトロ館を通過する。

門司は横浜とも違うがいち早く西洋文化を取り入れた場所でもある。

2階部分もあったのかと、いまさらに思う。

なかなか趣のある警察署。

旧大阪商船の建物。この中に「海賊と呼ばれた男」の出光美術館がある。入ってみたら、残念な事に新しく建てられた美術館への移行の最中で、しかも10月29日にオープンだと言う。1階にわたせせいぞうギャラリーがあったので、これで済ませた。

門司港では、焼きカレーが有名なのだそうだ。この帆船もカレーの店だった。

こちらが三井倶楽部である。ただし、裏側になる。この隣接する木造の和風住宅も興味深い。

こちらが表側で、2階はチケットを購入して入場出来る。

靴を脱いで階段を上がる。

大きく、アインシュタイン夫妻が宿泊した部屋は撮影可だが、林芙美子資料室は不可だった。

リビング

寝室

アインシュタイン直筆

トイレに

バスルーム。

そして食事。

魚料理である。

コーヒーカップの模様が全員違うと言う。

食事を終えて移動する。

漆喰塗り。左官職人の腕の見せどころである。

玄関ホールへ

良い物を見せて頂いた。

屋根瓦の特に棟瓦に特徴があった。

何だか、面白い細工がしてあるのだが、ここは立ち入り禁止でもあった。

同じく観光地であっても、湯布院は張りぼて感のある観光地であり、門司港は重要文化財が多く立ち並ぶ観光地だった。建築的には後者の方が嬉しいが、古い建物を維持して行くには大変な努力がいる。それに比べて新しい建物の劣化が早い。

湯布院は、観光客のリーズに併せて、どんどん変えて行けるエネルギーを持つ。果たしてどちらが観光地として生き残るのかは分からない。門司港は素敵な場所と私の目には映った。

こうして門司港を後にする。

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九州へ 完 太宰府天満宮

2016-10-26 18:28:08 | 

 

羽田までのフライトの空き時間で、太宰府天満宮に行く。菅原道真が太宰府に流されたとして、近畿天皇から見ると、九州は余程の田舎のような扱いを受けてはいるが、それは間違いだ。奈良や京都を中心にした現在の天皇よりも、はるかに古い王朝が九州にあった。古田武彦著「失われた九州王朝」が、事細かに証明している。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国(邪馬壱国)を始め、日本の天皇が唯一の天皇であることに、統一せねばならなかった勢力が歴史を改竄する。歴史は勝者の物である。

若者達が喜びそうな、外国人の喜びそうな店が並んでいる。

手裏剣が160円なんだってと、孫の土産にと考える祖父母もいることだろう。

太宰府天満宮までの参道も、だいぶ草臥れてきた。

太宰府駅。ゆっくりと電車で来るのも、乙なものだろう。

みんなで味見をする。歩く先々で、試食品を配ってくれる。

鳥居が何重にも建っている。

時は、七五三の時期でもある。この三姉妹は、本当に器量よしだった。前からも撮したが、とても可愛い。

隈研吾は、どこに建てても、隈研吾である。

かな折りの道路の前にきた。鳥居の横には托鉢のお坊さんが熱心にお経を唱えていた。

左折し、太鼓橋を渡る。

観光客の半分以上が外国人かと思われる。あきらかに、振り袖が着られるお年頃ではないだろう女性達も歩いていた。慣れない着物での歩きは、きっと辛いだろう。綺麗だけど。

俄然、混み合ってきた。

石の上に動く物あり、亀だった。

巨大なご神木。

門が派手に着飾っていた。

青森のねぶたとのコラボで、夜は綺麗だそうだ。

天満宮に入る。

お参りを済ませて、梅を見る。

左右に置かれた雌牛と雄牛は、沢山の人間達になでられて、ピカピカ光っていた。

この池の鯉は気持ち良さそうである。先ほどの亀のいた池は、透明度が低い。その中でも大きく育っている鯉たちがいた。

宝物殿に寄ったが、この日は月曜日の休館日だった。

Nさんが買った梅の餅を半分分けて貰い、食べながらバスに戻った。

それからは、慌ただしく空港に移り、あまりの人混みに間に合わなくなると心配し、帰途に着いた。目一杯楽しんだ3日間だった。特に3日目は好天に恵まれ、歩きに歩いて筋肉痛の元を作る。福岡-羽田はジャンボ機だった。楽だなと思う。面白さは小さな飛行機だ。羽田-庄内は、飲み物が配られないほど揺れた。

お土産は美味しい。

 

 

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まゆはけ

2016-10-21 23:47:45 | 動物・自然

結婚式で着物を着た。お刺身の醤油の上を袖がすべり、醤油色に染まった。

翌日、着物を抱えてクリーニング屋さんに行くと、丁寧に断られる。着物は染み抜き店でないと駄目なんだそうだ。

古いシミもチェックされて、時間が掛かると諭されて、今日染み抜きが終わったと電話を貰う。

その染み抜き店の玄関にあったマユハケ。ピンク色のもあったが、白が綺麗だと思う。

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紅葉

2016-10-21 23:38:26 | 動物・自然

山形へは往きは47号線から13号線を走る。街路樹は、所々赤味を帯びてはいるが、まだまだ秋は深まってはいない。紅葉狩りの話から、月山はどうだろうと言うことになった。

まだ早いだろうと思っていたが、案外良いかもしれない。でもこの空の色は何だ。天気が崩れ、霧が掛かってきたようだ。

相変わらず、工事中は多い。

112号線から一度羽黒に向かう。羽黒工業高校と羽黒の庁舎が木造で、見学会が行われたのに、丁度その日は予定が重なった。それで、外からでもチラッと見てみたいと思ったからだ。

途中、横道にそれて、「凄い坂」があると言うので見に行った。

これが反対側。なるほど自転車で登るには大変な「凄い坂」だと思う。

櫛引の産直に寄るとて走った道。かどにかどやがあった。実に分かりやすい。

庄内は晴れているんだ。

 

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美味しい物

2016-10-21 23:25:10 | 食べ物

午前中で山形での用事は終わり、お昼は何処にしようかと考えて、寒河江の幅家そばや(正しくは福家そばや)に行くことになった。

福屋そばや 〒991-0031 山形県寒河江市本町3丁目5−22 電話: 0237-84-2770

水曜日 11時00分~15時00分, 17時00分~19時30分
木曜日 11時00分~15時00分, 17時00分~19時30分
金曜日 11時00分~15時00分, 17時00分~19時30分
土曜日 11時00分~15時00分, 17時00分~19時30分
日曜日 11時00分~19時30分
月曜日 11時00分~15時00分, 17時00分~19時30分
火曜日 定休日

ここで私は悲しい思い出がある。始めて入ったこの店で、海老入りワンタン麺を注文した。テーブルに運ばれてきたワンタン麺の写真を撮ったのだが、家に帰ってその画像を見て、何か腑に落ちない気がした。私のだけ、チャーシューが載っていなかった。こんな食べ物の恨みは忘れないもので、今回もそうだろうかと、普通の肉入りのワンタン麺にした。見事にチャーシューは載っていた。v(^^)v

このワンタン麺に入っているラーメンの縮れ麺は美味い。ワンタンも皮が薄くてとても美味しい。水餃子やシューマイみたいに皮の厚いワンタンを出す店もあるが、これは私は不得意だ。久しぶりに美味しいワンタン麺を食べたと満足した。

帰りは、寒河江の産直から西川の産直、櫛引の産直とハシゴした。これは寒河江の産直で見つけた生のピーナツ。粒が特別に大きいものだ。店での説明には30分ほど茹でて下さいと書いてあったが、15分でOKだった。煎ってある普通のピーナツとは比べようもないほど美味しい。酒田でも売っていれば良いのになと思う。

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道の駅・風車市場

2016-10-20 02:09:21 | 建築・都市・港

10月にオーピンした道の駅に寄る。

レストランと産直と

道の駅しょうないが繋がっている。

近くには風車も回っているが、もう庄内町の風車は町の景観の一つになっている。

初老が40歳だと聞いた時には、もう驚くと同時にがっかりしたものだったが、古老とは何歳からだろう。

産直では、川ガニの桶が4つも並んでいた。それぞれ値段が違うのだが、大きさによって振り分けられている筈なのに、あまりその違いが判らない。

道の駅の方には、凧が飾られていた。

天井には、連凧。庄内町は風の町なのだ。最上川を走る清川東風は、昔から有名だ。

道路情報を知る。

庄内町が風力発電に乗り出したのは、先駆者と言えるほど早い時期だった。

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