無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

スタジオ・ジブリ

2008-07-31 10:37:53 | 社会
ジブリ・レイアウト展
崖の上のポニョはまだ見ていない。楽しみは後に取っておくタイプなので、焦ってもいない。そんな中、東京都現代美術館で「ジブリ・レイアウト展」が開催される事になった。宮崎駿監督の下積み時代の絵も展示されるのだと言う。現代美術館はいつも見応えのある展覧会を開く。難を言うなら、駅からちょっと遠い。広い館内を歩き回ってヘトヘトになってからの帰路はしんどいのだ。7月26日から9月28日までの開催だと言う。ジブリ・レイアウト展

イチローのこと
イチローが3000本安打を達成した。彼にとって3000本なんて通過点にしか過ぎない。直に張本さんを抜くだろう。出来るなら歴代のトップになって欲しいものだ。華麗な野球、楽しい野球を見せて欲しい。

WTO
決まりかけていたのに、見事に決裂した。中国とインドがキーを握っている。世界の力関係が、徐々に移動を始めた。いつまでもアメリカにベッタリの日本では、この先危ういと思うのだが。気がついたら手遅れだったなんて事にはならないのだろうか。
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機内食2

2008-07-30 17:25:58 | 
最初に機内食を食べた航空会社は、何処だとは言えないが、機内食・ドットコムで見てみると、あまり評判は良くないみたいだ。ビジネスクラスやファーストクラスの食事が、あんまり貧弱なのに驚いた。本当にこれでビジネスクラスですかと、二度聞きしたい気持ちに駆られる。コップがプラスチックからガラスへ、ナイフとフォークもステンレスに変わっているのが唯一違う所のようだ。

その旅行に一緒に行った友人が、機内の一番後ろから手で「おいでおいで!」と呼んでいる。行ってみると前方を指さして「見てみ!」と言った。電車に乗ってカーブに差し掛かると、前の車両がうねって見えなくなる。丁度そんな風に、飛行機も機体が曲がるのが分かり、「おわー」と声が出た。そうなんだ、ジャンボの機体って曲がるんだと驚いた。まぁ、ガチガチに固いより、しなる位の方が丈夫なのだろう。だいたい鉄の固まりみたいなのが、空に浮いている方が不思議だ。落ちたら落ちた迄の事と、あっさりと腹をくくった。近くに座っていた中年の女性が、ちょっと揺れる度に念仏を唱えていた。恐い恐いとしきりに言っていた。まぁ可哀相に、
せっかくの旅行なのにね、帰りも乗るんだよ。

さて、私の僅かな経験と比べて、批評できる程に機内食を食べている方のブログを見つけた。イシコさんの「セカイサンポの機内食」イザがそれだ。読み始めたばかりなのだが、なかなか面白い。
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機内食

2008-07-29 10:31:23 | 
今年の海外旅行は、昨年と比較してガクンと予約が減ったという。そうだろうな。原油の値上げで、航空料金と別に燃料代も掛かるんだから、普通の人は考え直すのだろう。国内の観光地でも、郊外のアウトレットも、ガソリン代の値上げで一般客の数が減って困っているのだという。

そんな訳で、どうせ行けない旅行だもの、せめて目で旅行気分を味わおうと、飛行機の機内食を載せてみようと思う。私の最初の機内食は、「チキン オア ビーフ」と言いながらスチュワーデスさんがワゴンを引いて席に回ってきたのが最初である。ビーフを頼んだら、すこぶる固かった。帰りにチキンを頼んだら、パサパサだった記憶だけが残っている。あまり美味しくないなと思ったこの飛行機の行き先はハワイだった。

ヨーロッパからの帰りの機内食には、日本の蕎麦が出た。蕎麦の国で育った山形県民には、茹でてから時間が経ったこの代物は、決して美味しいとは言えなかったが、10日弱の間日本食を絶っていた私たちには涙が出るほど嬉しかった。巻き寿司も付いてたような記憶がある。みんなで笑い転げながら楽しんで食べた。



トルコ航空では、往復4回の食事が出た。その頃はブログを書こうなどと言う気はなかったし、建物や風景を写す事だけで頭がいっぱいだった為、残念ながら珍しい食事を写しては来なかった。帰りの2回の機内食だけ、真面目に撮っている。



一番最初にトルコを感じたのは、実は機内食に着いていたおしぼりの香りだった。とてもこの香りでは食事は出来ないと思われるほど、馴染みのないきつい香りだった。チーズやヨーグルト、パンや野菜はとても美味しかった。デザートは、トコトン甘かった。そんな事を覚えている。

機内食・ドットコム~機上の晩餐~では、各航空会社の機内食が載っている。同じ航空会社でも、季節に寄ってメニューは変わるし、エコノミーとビジネスクラス、ファーストクラスでは、ピンキリの食事の差があるが、ちょっと食べてみたいなと思える物が多い。さて、どんな味がするのだろう。

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一人のアメリカ人

2008-07-26 19:31:25 | 社会
アメリカ大統領候補のオバマ氏がベルリンで演説をした。何て素敵な内容なのだろう。アメリカの将来だけでなく、地球の将来も変えるかも知れない。さすがに上手い演説だと思う。

安藤忠雄氏の講演は面白かった。東大名誉教授の肩書きを持ち、もう話慣れしているので、聞くのは楽しかった。突っ込みどころは満載だったのだが。会場の入り口で整理券の引き替えと共に、黄色の紙が手渡された。クジで20名に安藤氏の本が送られると言う。もちろん当たりはしなかった。そのせいか、帰りに本を一冊買い求めた。安藤氏にサインと私の名を書いて貰った。立派なミーハーだと、自分を思った。それでも安藤氏よりも、谷口氏の方が建築としては上だと、本人の前では到底言えるものではない。
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ちりとてちん

2008-07-26 09:59:05 | 社会
前回のNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の番外編が、明日27日の午前11時から放映されるそうだ。妹達はウキウキしている。ちなみに、現在放映されている方は、あまり面白くないのだそうだ。

現場で床を突き抜けた脚は、2週間経ったのにまだ痛む。色は紫から黄色に変わってはきているものの、腫れは引かない。治りが遅いのは歳のせいだと思う。食事の度に正座が出来なくて、横に脚を崩している。それでも夜になると、脚がパンパンになる。あ、これはむくみか。

土曜日の午後、建築家の安藤忠雄氏が東北公益大ホールで講演会を行う。整理券が手に入ったので、行ってみようと思う。最近完成した渋谷駅の話も出てくるだろう。
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酒田大火

2008-07-24 21:36:01 | 建築・都市・港
若者の中には、もう酒田大火を知らない年代が増えてきた。大火以後、酒田駅前にあったジャスコは、日本で一番売り上げがあったと言う伝説も、ジャスコの撤退と廃墟と化した建物が取り壊されると共に忘れられていった。酒田の景気が良かった時期なんてあったのかしら。日本全体が好景気に向かう中にいても、じり貧に酒田は落ちていった。

以前、酒田は風の町と書いたことがあった。酒田大火は昭和51年(1976)10月29日に起こっている。この日は台風並みの低気圧が吹き荒れ、高波警報で海沿いの道路が通行止めになっていた。昔から酒田は風の強い日には火事は出ないと言うジンクスがあった。それは先人達が気をつけて火事を出さないようにした為である。歴史を辿ると、酒田は驚くほど多くの大火を経験している。その事は現代の若者だけでなく、年配者も知っていない。火事と喧嘩は江戸の花と言ったが、酒田は小さな町ながら、それ以上の大火を経験しているのだ。記録に残っている大きな物だけでも載せてみようと思う。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの年、最上義光軍による市街戦
明暦2年(1656)5月、清十郎火事、704戸
宝永4年(1707)3月、220戸。12月、718戸
正徳元年(1711)9月、100戸余り
享保3年(1718)5月、277戸
享保11年(1726)5月、2077戸
享保12年(1727)4月、700戸余り。8月、200戸
享保14年(1729)2月、700戸余り(女の放火、犯人は火刑)
享保16年(1731)9月、806戸
享保19年(1734)12月、133戸
延享元年(1744)9月、100戸余り
宝暦元年(1751)3月、2405戸
宝暦4年(1754)2月、204戸。9月、389戸
宝暦8年(1758)7月、1479戸
宝暦12年(1762)4月、400戸
明和4年(1767)5月、280戸
明和6年(1769)1月、360戸
明和9年(1772)4月、2355戸
安永2年(1773)3月、220戸
天明3年(1783)4月、206戸
天明6年(1786)4月、126戸
天明8年(1789)9月、186戸
寛政5年(1793)1月、113戸
寛政10年(1798)2月、622戸。3月、180戸。4月、593戸。10月671戸「おいおい、あんまりじゃないか!」

文化元年(1804)4月、450戸。270戸。
文化3年(1806)8月、338戸
文化10年(1813)4月、363戸
文政5年(1817)2月、671戸。10月と12月も大火あり、この年で2144戸
文政13年(1829)7月、183戸
天保5年(1834)5月、180戸
弘化2年(1845)4月、920戸。7月、204戸
明治6年(1873)5月、123戸
明治27年(1894)10月22日、庄内大地震。焼失1747戸。倒壊1558戸、死者162名

--資料:酒田大火の記録と復興への道(酒田市発行)--

火事で焼失した100戸以上の火事だけをあげてみた。この他数十戸単位の火事は無数にあった。明治27年に起きた庄内大地震は、丁度昼食の支度中に揺れ、火を出した家屋が多かった。時間がずれていれば、このような多くの死者も出なかったと思われる。この庄内大地震後、100年あまり、酒田では大火は起きなかった。
酒田の家がいくら半ざき家であったとしても、数年に1度の大火からの回復力はどこから来ているのだろう。財力があったのだと言えばそれまでだが、凄い力だなと思う。

最後に、1976年の大火で、奇跡的(?)に焼け残った旧本間邸の事を載せてみようと思う。酒田の大火の歴史で、強風に伴う物が多い。フェーン現象のような東風でも大火は起きているが、季節風である西風は、火事ならずとも、避ける傾向にあった。本間邸の北と西側は、土塀で巡らされ、その内に土蔵を並べ、さらに風よけの樹木を植えて、二重三重に母屋を守っている。見事な先人の知恵である。本間家を訪れる際には、そんな所も見逃さずに見学して欲しい。
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地震

2008-07-24 17:39:51 | 建築・都市・港
昨夜と言うか、日付は今日に変わってからなのだが、岩手にまたしても地震があった。震源地の真上が震度5なのに、そこから遠く離れた場所が震度6強だったりする。周りをすっかり震度3に囲まれていても、酒田は震度4の揺れだ。これも地盤の強さに関係する。震源地が京都なのに、北海道だけが揺れたなんて、面白い地震もあるので、私の寒い頭脳では、まったく地震は分からない。

実を言うと、あの地震の最中、私は夢の中にいた。鉄筋コンクリートの建物の耐震診断をしていた。「この梁の亀裂は致命傷だね。」などどほざいていた。パッと目が覚めたら地震の速報が流れていた。と言うことは、私は夢の中で地震を感じていたのだと思う。夢で感じる時間と、実際寝ている時間には時差があるから、もしかすると地震の最中、長い夢を見たのかも知れない。

今回の大きな揺れに対して、壁が剥がれ落ちたり、窓ガラスが割れたりしたが、住宅の全壊は1件もなかったようだ。地震の揺れが住宅を破壊するキラーパルスなるものが少なかったからだそうだ。ほほう、キラーパルスって初耳だわ。ともかく、北国の建物は梁や柱が太いので、地震には強いのだ。屋根が瓦でなければもっと良いのだが。

そんな慌ただしい日に、酒田市の木造耐震診断士協会が設立された。村山支部のばか~~、アンタラのお陰で県内統一のボランティアみたいな料金になったんだぞ!
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ポーニョポーニョポニョ♪

2008-07-23 12:54:05 | 動物・自然
頭の中で、ポーニョの歌の部分がグルグルと回っている。
久しぶりの宮崎駿作品で、私はまだ見ていないが、楽しみにしている。
我が家のポーニョはと言うと、ジワリジワリと赤くなってきた。メタボの白い金魚が黒から赤へ、赤から白へ変化した時に比べれば、スピードはまったく遅い。それでも着実に変わってきている。メタボな白い金魚と違って、こちらは臆病で、特にカメラを向けられるのが恐いようだ。1枚目を撮し逃すと、もう水草の陰に隠れて当分は出てこない。



あんまりメタボがひどいので、少し餌の量を減らした。すると、水草をバリバリと平らげる。バイカモは比較的安価に仕入れられるが、アトリウムにしたいと考えて買った水草は、もう広い葉がボロボロになってしまった。
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酒南X羽黒

2008-07-23 11:12:42 | 社会
夏の甲子園地区大会、決勝は庄内勢同士の戦い、酒田南対羽黒工業に決まった。下馬評では山形勢が強いと聞いていたが、試合はやってみなければ分からない。庄内勢だけが決勝に残ったのは久しぶりだ。どちらも私立の高校で、特に野球には力を入れている。特待生問題も記憶に新しいが、野球だけが特別扱いされるのはおかしいと思う。この両校にも、地元の子ではない選手が混じっている。羽黒工業には、明らかに日本人には見えない選手もいた。国技の相撲にさえ、外国人が多いのだから、高校野球にいたってかまわないと思う。とにかく頑張って欲しい。

地区大会だと、自分の母校合戦が入り乱れる。私の母校は鶴岡工業だが、良いところ迄行って、惜しい所で敗退して欲しいなと、財布の紐を締めながら考える。とんでもない卒業生がいたものだ。こんな愛校心のない人間と違って、我が家には酒南の卒業生がいる。お隣には羽黒工業の卒業生がいて、数年前の決勝戦では窓を開け放った部屋から聞こえる野球中継で、わーーっと歓声を上げる部分と、あぁぁ・・と残念がる部分が見事に逆比例した。

酒田市では、人口の減少と相まって、公立高校が4校合併する予定である。自分の母校が消える。スポーツの地区大会も、対戦相手が少なくなるのだ。これは本当に良いことなのだろうか。野球の弱小チームが5回コールドで、バスケットの試合かと思うような点数差で負けても、試合の出来るチームが多い方が良いと思うのだが。
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田村寛三さんの話

2008-07-22 13:04:21 | 建築・都市・港
酒田の商家は、はんざきやが多いと言われている。はんざきとは、間口が普通の間口の半分、つまり一軒の家を半分に裂いた(割った)家と言うことだ。昔は間口の広さで税金を課せた。その為、酒田の町中の民家や商家は、間口が狭く、奥行きが20間以上もあり、ウナギの寝床のような敷地が殆どである。一般の商家は梁間方向を表に向けた。ちょっと大店になると、桁行きを道路に向けて商いをした。店は土間になっており、その土間が廊下代わりに、裏まで通っていた。各部屋には縁側や土間伝いに出入りする形式になっていた。住宅の中央には座敷があり、東か南向きに仏壇があった。

田村さんは山王くらぶの仏壇の襖に書いてある漢詩をすらすらと読んだ。私は同じ日本人でありながら、活字になった文字は読めるが、達筆で書かれた漢文は読めない。田村さんは書道家でもあり、読む書くは最も得意とする所である。仏壇の上には神棚があって、これは庄内の特徴だと話を続けた。山形からの先生達の家も、神棚と仏壇は同じ場所にはおかないと言う。田村さんは仏壇と神棚が上下にある祀り方を、羽黒信仰から来ていると仰った。

人間が仏に変わって50年もすると、生まれ変わるか、神になるのだと言う。満月の夜、仏壇から抜けた魂は神棚を通り、月山の池に映った満月の中に飛び込む。そこから湯殿山に沸きだし、梵字川を下って赤川、最上川と流れ、日本海に出る。生まれ変わる者は、梵字川から赤川辺りで、人間界に戻る。日本海まで流れていった者は神の域へ行くのだそうだ。庄内は羽黒三山に寄って守られている。羽黒山は現在を、月山は死後を、湯殿山は新たに生まれ変わる山として、古くから信仰されてきた。また過去には神仏混合の時代もあったが、仏壇の祀り方がそこに直接関係しているとは知らなかった。それどころか、蘇りがこんなに身近にあったと驚いた。出羽三山に行かなければ蘇れないのではなく、仏壇に祀られる事によって、月山に繋がっているのは良いなと思う。仏壇は魂の出先機関、ATMみたいな物なんだなと言ったら、罰当たりと言われるかも知れない。
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やけくそ!

2008-07-19 23:42:57 | 社会
S先生、それいただきます!!

え~~、JIAに活躍している先生達は、ちょっとだけ普通じゃないけど、建物に関してはごっつう普通じゃないけど、人間的には面白く、造る建物もどえらい面白い物が多いのが普通だ。そんな中でS先生がこんな話をして下さった。

地震災害から、江戸の庶民の話になった。江戸の花と言われる喧嘩はおいといて、火事の時に、初期消火は水をかけるのだが、それでも足りないと人糞をかけたのだそうだ。人糞はその頃、肥料として金になった。大家は店子の家賃を貰えなくても、この人糞を肥料として農家へ売ることによって、家賃同等の利益を受けていたのである。

火事にかける水が足りないと知ると、勿体ないけど糞をかけるんで「焼け糞」と言われたのだそうだ。火事は消えないかも知れない。でもかける水が何としても足りない。そんな時にはとっておきの糞をかける。ああ、勿体ないな。しょうがないな、ええい焼け糞だい!..。」そんな気持ち分かるんですけど。ホントですか。
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田村寛三さんの話

2008-07-19 22:08:59 | 建築・都市・港
7月18日の夜、JIA山形のサロンが、酒田の山王くらぶで開催された。山王くらぶとは、ご存じ料亭だった所を今年の4月からミュージアムにした建物である。そこで、酒田の歴史家の田村寛三さんを招いて、酒田の歴史、文化、建築モロモロを語って頂いた。田村寛三さんとは、現在酒田を最もよく知る歴史家である。

JIAのメンバーは、山王くらぶは初めて訪れる方々が多い、観光課の課長さんに案内を頂いて、内部の見学をすることになった。彼らがまず驚いたのは、職人の腕の確かさである。最初に目に付いたのは建具で、組子の技術と二間として同じ建具がなく、その緻密さに舌を巻いていた。内部に使われている材料にも驚いていた。奥の蔵座敷の作りには、コルビジェのようだと言い、壁に張られているのが鹿の皮だと知ると、みんなで撫で回して感触を確かめた。2階に登って傘福を眺め、大広間では広さに驚き、格天井の材料は何かで議論し、この建物は大した物だと言う事になった。

さて、次は田村さんの話に移る。近代の酒田湊の歴史からになるが、酒田は昔は宮野浦に湊があった。ここから最上川を上る舟運で栄えた町で、酒田の鎮守様は山王さん(日枝神社)であった。ある年、洪水などの自然災害で、宮野浦の湊が使えなくなった。最上川の対岸、向こう酒田(現在の位置)に湊と町を移すことにした。勿論鎮守である日枝神社も移されたが、酒田の町並みを造る時、日枝神社の祭りの日の、太陽の軌跡に合わせて本町道路を造った。造った当時は3つの町しかなく、北に寺町を配置した。これで仏様は南を向くようになるのだそうだ。そして徐々に拡大していった。

酒田三十六人集以後、酒田に残る大きな土木や建築では、本間光丘の手による物が大きい。本間家3代目当主の光丘は、幼い頃に父に死に別れた。その為叔父である本間宗久に後継人を頼んだ。宗久は預けられた本間家の財産を元手に大きな相場を行った。今で言う先物取引なのだが、そのおかげで本間家の財産は50倍100倍にも膨れあがった。ところが、光丘が家督を継ぐ段になり、宗久と諍いが起こり、光丘は宗久を絶縁する事になる。宗久は大阪、ついで江戸に出向き、相場の神様と言われるようになるのだが、一度無一文になった時、酒田に帰ってきている。禅を行うなどいつも通っていた寺に出向き、和尚の講話を受ける。散りゆく桜の木を前にして、風と花と人間の眼がキーワードだそうだ。その意味を悟り、宗久は今日にも通用する相場の手法を作り上げる事になる。

酒田は風の町、砂の町である。最上川から流れてきた砂が、冬の西風によって庄内平野に降り注ぐ。町はあっという間に砂に埋まってしまう。その風と砂を防ぐため、本間光丘は財力を元手に土木工事に着手する。冬期間の農家や荷受け人の仕事の無い時期に、彼らの持ってきた砂の入った俵を買い上げる。それを庄内砂丘や酒田の西側に積み上げ、能登の黒松を移植し広大な防風林を造り上げることになる。庄内の黒松林を造ったのは、光丘だけではないのだが、その先駆者となったのには間違いない。彼は相場にも手を出した。運良く大もうけをしたのだが、子孫への家訓として「相場に手を出してはならぬ。7割2分の倹約。おごることなく。嫁は鶴岡の武士の中堅から貰え。」など、質素倹約を旨とした。(それに反した子孫がどえらい目に遭うのは歴史が下がっての事なのだが。)山形の最上義昭との交流も深く、彼が酒田に逗留する時に、上方の文化や職人を連れてきた事が、今日の酒田の職人文化を作る原動力にもなっていたようだ。

本間家は家訓通り、株には手を出さないが、寄付は行うことによって着実に足を地に着けることになる。明治以後本間家は極端に大きくはならなかったが、実力は持っていた。こんな話がある。山形の県令(県知事)が新しく赴任してくると、真っ先に本間家へ挨拶にきたものだそうだ。ある時、県令ご一行が鉄道の1等車に貸し切り状態に乗っていた。そこに身なりが百姓風で一見薄汚い小男が座っていた。場違いな所に乗っていると思った県令は、男を2等に移るように言った。男はハイハイと二つ返事でその場から退いた。県令が本間家へ着き、面会すると、なんとあの男が当主だった。県令は即刻飛ばされた。身なりで人を決めるような奴は、県令としての資格がないと言う訳だ。

田村さんの話を聞くのに、山王くらぶほど似合う場所はない。墓場で怪談を語るようなものだ。建築や料亭、湊の文化の話に移った。半玉が一人前の芸妓になるための艶話が始まると、料亭の廊下の暗がりの奥から、「私たちの話が始まった」と衣擦れの音をさせながら、目に見えない女達がワラワラと集まってくるような気配がして、ゾワッと鳥肌がたった。先生、普通に怖いんですけど。(涙目)
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地震です!

2008-07-19 12:17:55 | 動物・自然
7月19日午前11時39分頃、宮城福島県沖の太平洋を震源地として、やや大きな地震が発生した。酒田で感じたのは震度3の長~~い横揺れだった。うねうねと何時までも続いた。津波注意報も出たが、宮城県沖では30年ごとに地震は起きるものとして、珍しい事ではない。住民は慣れてはいないが、覚悟はしている。先日起こった岩手県の地震とは、まったく異なった揺れだった。最近地震が多いなぁ~。
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おへげ

2008-07-16 17:46:45 | 社会
ずっと「おへげ」と言っていた。鶴岡では「おへぎ」と言うのかな。それとも「げ」と「ぎ」の中間の発音なのかな。

私の家では、丸いお盆は、「ぼん」と呼び、四角いお盆は「おへげ」と使い分けて呼んでいた。食の都庄内のあれこれでは、湯田川温泉の新しいメニューの「おかみ乃おへぎ」 が売り出し中でだと載せている。湯田川温泉は、鶴岡市にあり、孟宗竹で有名な所である。ここの孟宗は美味しい。新しいとサシミにしても食べる。筍の季節になると、全て筍料理でお膳が埋め尽くされる。温泉の湯もなかなかだと思うのだが、どうせ私は酔っぱらって入るので、その良さも分からない。お客さんは女性のリピーターが多い。と言うことは、食事も持て成しもお湯も良いに違いない。今年の夏休みは、遠くに行かないで、こんな所で遊ぶのも良いと思う。
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証明写真

2008-07-16 17:15:54 | 社会
朝から、右目の瞼の中がゴロゴロした。何かゴミでも入っているのだろうか。その内、目が真っ赤に充血してきた。本人も気分が悪いけど、赤い目の人と話をするのは嫌なものだよね。と、他人の迷惑省みず、現場で色んな人と打ち合わせをしてきた。昼飯をとった後、ますます赤くなる目を気にしながら、証明写真を撮りに行った。昨日だったら、普通の目だったのに、いつも締め切りぎりぎりで騒ぐから、こんな事になる。出来た写真は、化粧の落ちた、泣いた後のおばさん顔になっていた。ま、これも実物だから、仕方がないよね。と、言うわけで、明日は山形に行くついでに書類を置いてこようと思う。

話は変わって、ニュースで国交省の車両の取引がどーたらこーたらで、談合だ無駄使いだとマスコミが取り上げている。沢山の人が天下り、その受け口として談合が蔓延っているのだ。国の機関も時々は清掃作業も必要だから、取り上げられるのも良いことかも知れない。しかし、中央と違って地方は、もっと先に予算の締め付けが厳しい。まず最初に宣伝費が削られたが、それは数年前から始まっていた。酒田港女みなと会議で行っている、発見!酒田みなとの探検隊も、子供達を連れてくるバスの運賃が今後は出せないだろうと港湾では見ている。事務局として仕事をしてきて、それは実感している。私たちが試行錯誤してやってきた事を、山新が2年ほど前から同じように始めた。私はここが引き際だと思った。予算の掛け方も規模も違うから、もうこの辺で私は降りたいなと思ったのに、総会でがっちり怒られた。私たちがきっちりとやるからと言われたけど、やはり酒田にいる私が下働きで動かなければならない。精神的にも作業的にもボランティアだけど、これに金銭も自分たちで払ったり集めたりするのなら、ちょっと辛いなとも思う。長年、ボランティアを続けている人なら、きっとこんな時期を幾たびも迎えたのだろうなと、愚痴ってみる。
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