駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

仲人口も仲人なら良いが

2016年12月03日 | 診療

              

 病診連携という言葉をお聞きになったことがあるだろうか。総合病院と診療所がそれぞれの得意分野を生かしお互いに患者さんを紹介しあって診療してゆく合理的効率的な診療形態のことだ。十数年ほど前から各地の医師会で意識的に取り入れられ、今では厚労省も推進している。

 当院は開院当初から、総合病院と診療所の棲み分けを意識し、積極的に病診連携を進めてきた。今では各病院の部長副部長の知遇を得て概ねスムースに連携が出来ている。しかしまあ怖いというか時の試練というか総合病院に病診連携の評価で差が生じてきている。

 総合病院に居ると個人診療所の実態は中々わかりにくく、総合病院の医師は個人診療所からは総合病院の内側はわからないだろうと思っておれられるかもしれない。ところが実は手に取るようにと言えば大げさかもしれないが、紹介状の遣り取り、患者の言動から総合病院の実態はよく分かるのだ。

 診療所の仲間内ではあそこの対応はもう一つと言われている某病院がある。勿論、中にはきちんと患者と個人病院の方を向いた先生も居られるので、全部がもう一つというわけではないのだが、そういう印象を醸し出す遣り取りがある。

 この患者さんは先生の近隣の方で、安定しているので個人診療所に戻りたい、あるいは具体的に先生のところを希望されるのでと送られてくる高血圧症や糖尿病の患者さんが時々居る。概ね、良好に転院でき順調に診療出来るのだが、その中に年に一人くらいなんだか変わった患者さんだなあ、どうも上手く診療できないという症例がある。色々話を聞いてゆくと、もうここでは診ないので他のところへ行ってくれと言われたとか、私を指名した記憶などないという事実が明らかになる。患者さんのに言うことが100%正確ということはないので、多少の脚色はあるかもしれないが、どうの紹介状の中身と違うなあと言わざるを得ない。

 難しい病気は総合病院で難しい人物は個人診療所でというバーター関係もあるので、あながち嫌というわけではないが、正確でないというか正直でないという印象を受けてしまう。結局、患者と医師の関係と同じで総合病院と診療所にも信頼関係が築けないと良い連携はできない。

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視野から外すと気にならなくなるが

2016年12月02日 | 町医者診言

     

 今朝は気持ちの良い青空を見ながら出勤してきた。晴れている割にはさほど寒くない。

 電車に最初から座れることは少ない。次降りそうな人の近く出来れば前まで移動するのだが、いつも当たるとは限らないし、混んでいると上手く移動できない。降りるくせに停車しても直ぐ腰を上げない妙な人も居て、降りないんだと横に移動したら、さっと降りて行ってしまい、しまったということもある。駅で一緒に乗りこむ人は八割方いつも同じ顔ぶれなのだが、既に乗っている客は結構変化するので、降りそうな人を見付けるのはそれほど易しくはない。

 大学に居た頃は同年配の競争意識もあったし論文も書いたから、所謂文献を一杯集めていた。集めても実際に読むのは四分の一くらいで、ファイルに収めればそれで読んだような気になって満足?していた。それこそ本箱一杯にあった文献も開院する時に捨ててしまった。40年前は図書館でインデクスメディクスを時間を掛けて引いて、コピーをして貰ったものだが、今はコンピュータの時代だから文献集めも様変わりしているだろう。

 物の整理はあまり良い方では無いが、書斎が雑然としているのは嫌いで、見た目はまずまず整理されている。時々引き出しを開けるのだが、中には雑多な取説や文房具、小冊子などが一杯入っている。薬屋の呉れる読み物は大半は捨てるのだが、面白そうだなと思ったものはいつか読もうと放り込むのだ。放り込むと読まないのに一件落着に感じてしまう。

 こうしていつか読んだ方が良いなとあるいは読まなきゃいけないと思った紙情報や、いつか使う時もあるだろうとしまわれた雑多な小道具などは、一端仕舞い込むと一段落と忘れることが出来る。

 果たして忘れてしまって良いものか疑問もあるが、気懸かりではなくなるので、仕舞い込むのは一つの智慧と言えるかもしれない。一時断捨離などと言われ、ごっそり捨てることが勧められたが、仕事に関する本を捨てては駄目と中年のみなさんには忠告したい。以外に昔の知見は生きているというか今に繋がっている。読み込むんだ本は謂わば脳の外部記憶で、捨ててはいけません。

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高齢者の繰り言か?

2016年12月01日 | 世の中

     

 果たして今の季節に小糠雨という表現が相応しいか疑問もあるが、今朝は正に小糠雨で雨が煙っていた。

  十年一昔と言うが二十年というのは二昔と言うことになり、世代のギャップを感じてしまう。

 若い医師会の理事(アラウンドフィフティ)と話す機会があったのだが、その現実的というか現状追認的な考え方に驚いてしまった。トランプアレルギーもなく、トランプは実は賢明で色々深く考えていて、来年は株が上がりますよと、囁いてくれた。そうかねと聞きながら、大して株を買う資金もない私は内心首を傾げてしまった。トランプ出現で世の中がどうなって行くのか予想しがたいが、私などには理想や人道とは無縁そうで、些か品性に問題のありそうな人物像から、万一株が上がっても長続きせず、不安定な世の中になりそうに思えてしまう。

 森さんには利権が絡んでいますから、小池さんは勝てませんよと聞かされても、それって良いことではないんじゃないのという感想しか浮かんでこない。

 現実的現状追認的なのも良いけれど、二十歳の頃からとしたら、どうも幅が狭いんではないだろうかと余計なお世話ながら気になった。

 内向き保身的な流れに、何だか理想や夢が足りないと、微かにではあるが学生運動の洗礼を受けた私は感じてしまう。どうも年寄りの繰り言のようになってしまった。勿論、人様々革新的な五十歳も居られるだろうが。

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近くて遠い国に

2016年11月30日 | 小考

 

 遠くて近い国の大統領が条件付きではあるが辞任を表明した。パククネさんのことはマスコミに流れている程度のことしか知らないが、数奇な運命の人なのは確かだろう。

 韓国語は数語しか知らず、親しい友人も居らず、訪れたこともないので、誤った認識も多いと思うが、韓国のことを少し書いてみたい。

 激昂短慮というのが、私の観測から思い浮かぶ印象で、隣国としては口幅ったいことを言いにくいが、もう少し穏やかによく考えてと申し上げたくなる。まさか、唐辛子の副作用ではないと思うが、激昂するために折角の才能が吹っ飛んでしまっている。日本には厳しく、いつまでも過去にこだわるけれども、日本のことよりも自国のことをもっと反省されたら如何でしょうと申し上げたい。大統領の末路を見ていると、これではとても一流国とは呼べない気がする。

 多少知識のあるサッカーから見ると、優れた才能を持つ選手は日本より多いくらいだが、凝り固まって力を十分に発揮できないところがある。対日本には異常とも言える闘志でぶつかってくる。確かに他の国と戦う時より手強くなるのだが力が入りすぎて空回りしてしまうし、後味も悪い。

 どうもあまり褒めていないようで申し訳ないが、大統領を引きずり下ろすエネルギーを国民が持っているのは凄いことだと思う。唯々諾々でないのは素晴らしい。

 親しいとまで言える友人は居ないが、知人は何人もおり、彼等はみんな分け隔て無く楽しい人達だ。彼等と韓国の印象は随分違う。知人のお陰か、嫌韓ではないつもりだ。 

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伴奏者が支える記録

2016年11月29日 | 医療

       

 今朝は曇って風もなくひんやりとしていた。足早に駅に向かったのだが、途中から同年配(4,5歳若い?)の紳士が横の通りから出現、どんどん先に行ってしまう。何とかして遅れまいとしたのだが、駅に着く頃には五十メートルばかり離されてしまった。癪なので、きっと昔陸上の選手だったのだろういうことにした。

 K氏は頸椎損傷で十五年寝たきりである。天井を見て十五年、昨年還暦を迎えられた。呼吸は出来るが、完全な四肢麻痺で微動だにできない。耐えがたい辛さと思うが、時々冗談を言われる。冗談と言っても、ちょっと辛辣なところもあって、「先生、美人の看護婦さんと往診で良いねえ」とからかわれるのだが、延べ十人ほどの看護師を同行したがそう言われたのは半数ほどで、残りの半数には目を閉じて無言である。判断基準は多少私と異なるが、中々厳しい審美眼をお持ちだ。

 奥様はふくよかな明るい方で、彼女なくしてこの十五年は無かっただろう。40キロ台のK氏の倍近い体重で、いつもニコニコされている。寝たきりの患者さんを一人と捉えるのは間違いで、主たる介護者と二人一組のユニットで理解しなければならない。時々往診に行く医者の貢献などたかがしれたもので、ヘルパーさんや訪問看護師の助けもあるが、何と言っても主たる介護者の存在が大きい。これは全ての意味に置いてで、正直良い場合とそうでない場合がある。主たる介護者の技術や能力も大きいのだけれども、何と言っても性格が一番物を言う。

 K氏の枕元には棚があり、介護用品、本やラジオなどが一杯置いてある。

 「これじゃあ、地震の時危ないんじゃないですか」。

 「家は免震だから」とK氏。奥様に目をやり思わず

 「あ、奥様がいらっしゃるから」。と口走ってしまった。

 「ああ、そうなんですよ、私が居るから大丈夫」と直ぐ返事が返ってきた。Kさんも笑っていた。

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電力料金が値上げされる、その心は

2016年11月28日 | 町医者診言

          

 福島原発事故廃炉賠償に20兆円と経済産業省が試算、従来予想の2倍と報道されている。きちんとフォロウしていないが本当は予想の2倍どころではなく、恐らく当初の4,5倍ではと勘ぐりたくなる。結局支払うのは国民なので、ここでうんと懲りないといけないのだが、喉元過ぎれば熱さ忘れる?日本人は、何だか電力料金が高くなったなあと支払って行くことになる。東京電力管内だけだろうというのは甘い考え、全国の電力会社が支援する形なので全国民の負担が増す。

 これだけ巨額となればそういう形もやむを得ないかも知れないが、十分な反省があり、それが生かされているかが大問題だ。「駄目じゃないか」に「申し訳ありません」と頭を下げる儀式の繰り返しでは事故は防げない。答弁の検証と不実行に対する持続する追及がないと、言葉で言い逃れる弁舌でその場をしのがれてしまう。安倍首相はいつも民主党よりは余程良いと、相手を攻撃して答弁をはぐらかすが、それは事実としても質問への答えにはなっていない。

 冷却水を送る装置を動かす発電機を搭載した車が到着したのだが、コンセントの形が合わず使えなかったのをご存じだろうか、そんなイロハのイが準備できていないために20兆円が吹っ飛んでしまった。信じられない不手際だ。実はこうした不手際は珍しいことではなく、色々な場面で起こり、数十万数百万の損害があり、その都度修正されているのだが、今回は被害があまりにも甚大で脳が麻痺してしまった。医療界でよく知られているのが麻酔の酸素と笑気のつなぎ間違いによる事故で、何名かの命が失われて漸く誤接続が起きないようにコンセントが改良された。人間の注意力は大切だが、限界がありフールプルーフが最善の方法だ。

 何、フールだと俺はフールでないと言う人が幅を利かしているが、そういう人が大事故や大惨事を起こしやすいのだ。

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例外のない法則はないのだが

2016年11月27日 | 小考

 

 自分で勝手に作った法則だから例外も何もないのだが、高所平気症の人と優れた絵の描き手は寡黙だという私の診断の例外に出会った。

 昨夜、絵の教室の忘年会でM氏と話していて、この人は例外かなとと思った。饒舌なM氏は私の規則からゆくと、優れた絵の描き手にはならないわけだが、非常にゆっくりだが素晴らしい絵を描かれる。時間が掛かるのは半分近くおしゃべりをしているからで、本当はちょっとうるさいのだ。

 ちょっと嫌みも込めて、私の法則をお話ししたら、絵のなんとかの副会長は物凄いおしゃべりですよと反論された。それにはそういう役職にはそういう方が就かれるからですよ、絵の才能が副会長というのとは違うんじゃないですかと、アルコールのせいもあって、きつくお返しした。勿論、お宅は例外ですけどと付け加えておいた。

 たかだか十数名の典型例から、法則を作り出すのは行き過ぎかもしれないが、まあ例外はあるとしても、私の法則はたぶん、当たらずとも遠からずと思っている。

 私は文章を書くのは苦にならないのだが、お喋りはあまり得意ではない。その点では良い絵描きになれる見込みがありそうだが、逆真ならずか?。

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人様々に隠された知識と才能

2016年11月26日 | 世の中

           

 十一月から忘年会がある。昨日は内科幹事会の忘年会だった。毎月顔を合わせているのに、わざわざ忘年会と思うが、かこつけて旨い物を飲み食いしようという気持ちの方が多いようだ。

 医者が集まっても病気の話と人の噂が多い、年下で亡くなられた方も居て、六十代が大半なので他人事ではないなあという気持ちもあるのだ。医者の癖にと言っては語弊があるが、サプリメントに凝っている人や健康管理に関心のない人も居て、医者も様々だなあと思った。噂話はさすがにえげつないものはなく、他人の不幸は蜜の味の話はなくてよかったのだが、患者集めやり過ぎの先生は顰蹙を買っていた。どうも医師には誇大というか越権に見えても、患者さんは吹く風に釣られるようだ。恐らくどの業界でも顧客と同業者の評価には多少ずれがあるものだろう。

 さすが試験に強い医者というか、博覧強記スポーツのことなら何でも知っている先生方が居て、阪神の誰それは何処の高校で、昭和58年の広島の監督は誰で、投手の何とかを使ったから**と私には殆ど分からない議論が沸騰した。それが野球どころか、浦和レッズの何とかがどうした清水エスパルスは何とかで駄目だとかサッカーのことも負けずに詳しく、多少知っている私もたじたじだった。おまけにと言っては抗議が来るかも知れないが、プロレスにも詳しく、驚いてしまった。昔のルーテーズやカールゴッチくらいは知っていたのだが、直ぐに評価や得意技を教えて戴けた。

 人は見かけによらずと言っては何だが、不思議な才能というか知識を秘めている人がたくさん居るんだと改めて世間の広さを再認識した。いや、刺身も旨かったが、有意義な忘年会であった。

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駆けつけて、できることは

2016年11月25日 | 政治経済

              

 先日、駆けつけ警護が閣議決定されたと報道された。結局、最後は閣議決定で進めるのが安倍内閣の手法らしい。安倍首相は権力使用に長けており物怖じしないが、それは恐らく血脈のなせる技で、一朝一夕に身に付くものではないようだ。どういうわけか戦略にも優れており、周辺に百戦錬磨の策士が集まってきている。

 駆けつけ警護というのは、とても軍隊用語には響かない。駆けつけ介護や駆けつけ落語などの類造語も可能だ。善良そうな小野寺さんや華奢な女性の稲田さんを防衛大臣に充てたのにも、深謀遠慮があるのだろう。戦闘地で危機にある邦人救助を前面に出すのは野党も反対しにくい例を突破口に、武器使用を拡大してゆこうという戦略とみられる。

 南スーダンに駆けつけ警護に出かける隊長は全く隊員の損傷を心配していないと言い、反対する人は戦争に行くように危険だと声を上げる。そこには現実を直視分析した内容を棚上げにした、感触だけで踏み込んだ議論を避けて通そうとする戦略が透けて見える。

 なぜ、危険があるのを認めそれでも出かける必要があるというまともな議論ができないのだろうか。犠牲覚悟と言えば鬼の首を取ったように騒ぐ幼稚な人達が居るからだろうか。小さくても良い実を結ぶまともな議論をして欲しい。


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治勲さんは強かった

2016年11月24日 | 趣味

      

 北国では雪模様、当地も今朝は冷たい雨に風もあり、小学校一年生なら半べそのお天気であった。もう蛇の目の母さんが居るわけもなし、前期高齢者は肩口と裾を濡らして、やれやれと出勤してきた。

 治勲さんは強かった。囲碁電王戦でAIのDeepZenGoに二勝一敗で勝利した。趙さんはと言えるほど碁が分かるわけではないが、治勲さんの解説は最高に楽しく面白い。好きな囲碁棋士は数多いが、趙さんは別格で素晴らしい人だ。AIと思わず強い碁打ちと感じながら対戦できたと感想を述べられたが、そうした感性も勝因の一つだろうと推測する。

 不思議に思ったのはDeepZenGoが布石が強いということだ。将棋のAIは序中盤はさほどでもないが終盤が非常に強く、寄せに入るとトッププロ棋士でも勝てない。それは計算が出来る範囲に入るからだと理解していたのだが、碁では布石が強いというのはどういうわけだろう。どうもディープラーニングと言う手法が効果を上げているらしい。棋譜を並べるという勉強法は人間もやり、序中盤の力を付けるのに役立つようだが、人間は並べてもせいぜい数千局なのをAIは何万何十万と瞬く間に並べて学んでしまうらしい。そうして学んだものを参考に更なる妙手をひねり出すという。とんでもない奴だ。まあ出藍の誉れと思えば良いのかも知れないが、ちょっと恐い気もする。

 聞き手の吉原由香里さんはどうも解説の井山六冠にミーハーな質問をして、肝心の碁の解説が疎かになりそうで、イエローカードを出したくなった。まあ、碁に詳しくない人に興味を持たせる意味ではよいかもしれないし、井山六冠の人柄が窺い知れたのは良かった。

 趙さんはDeepZenGoは愚かしい手も打って人間味があると感想を述べていたが、愚かしいところがあるのが人間というのは言い得て妙で、人間の一番の特徴かも知れない。 

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