無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

九州へ 1

2016-10-26 18:38:54 | 

10月22日、庄内空港08:50発 ANA396便に乗る。集合時間は08:20で時間前に着いた筈なのに、遅いと言われる。羽田経由で大分に向かうが、どちらの便も殆ど満席だった。今回は、小さめのスーツケースを持ち込み、大分まで空輸してもらう。たった2発3日だったが、お土産のスペースを考えてスカスカのままに送り込む。これが案外楽だった。

貨物の積み込み終了。庄内は晴天だったが、東京の上空も雲の中、ましてや大分空港は予報通りの雨だった。羽田での乗り換えもスムーズに行き、機内では持ち込んだ単行本「失われた九州王朝」を読む。書いてある文章も漢字も難しく、眠るのに持って来いで、なかなか進まなかったのだ。九州へ行くのに似合いの本である。

無事に大分空港へ着く。空港の中は「おんせん県おおいた」で満ちあふれている。

足湯も準備されている。

「ここでも、温泉が出るのですか?」の質問に、ピンクの法被の女性は「毎日タンクローリーで運んでくるんです。」と答えた。お湯に触ってみると、丁度良い加減だった。

空港で食事をする時間が無く、支部長さんが買い込んだコンビニ弁当(3種類から選ぶ)をバスの中で開く。弁当箱の大きさに差はあったものの、どれも魚中心のおかずだった。勿論、弁当よりも先にビールが配られる。さすがに飛行機の中では配られなかったが、基本的に酒田支部は朝から酒漬けになる。

この酸っぱい押し寿司は、上に載っている具とぎっしりのご飯の中に忍び込んでいる具(梅干しや海苔など)も相まって、見た目よりも満腹になる。

バスは別府湾に添った大分自動車道路を走り、別府市の大分国際コンベンションセンター・ビーコンプラザに到着する。「ビーコン」って惑星探査機はやぶさを思い出す。設計者は磯崎新だ。磯崎新は、九州には強い。

複雑な形の建物だった。遠くからバンジージャンプに丁度良い塔が見えた。

まずは受付をする。緑のバックは渡された資料で、重かった。

会場の席に荷物を置き、Nさんと塔(グローバルタワー)の散策に行く。その方角は駐車場を示している。渡り廊下を通って別棟の駐車場の建物を目指す。

本当に駐車場の中を通り抜けた。階段を上り、チケット売り場に着く。別府の町全体が海から山まで緩やかに勾配が着いている為に、建物の中は階段が多い。何処まで登っても1階で地面が見えたりする。

こんな形の塔である。上の四角い部分の展望台に上がるエレベーターは、数人乗りだった。

エレベータ上りは34階。下りは階段を使って33階に移動して乗り込む。混雑を避ける為でもある。

屋根がワイヤーだけで、雨が降り込む展望台だった。

ぐるりと360度まわってみた。山からは温泉の湯気が上り、穏やかな海は別府湾である。

下を覗き込む。コンベンションセンター・ビーコンプラザである。

会場に戻る。

ロビーには協賛会社のブースが並んでいる。

地下に降りると、折り紙で建物を創るコーナーがあった。材料だけ頂いてくる。

会場。多分ここは体育館なのだと思う。それを仕切って会場にしているのだが、音が複雑にエコーして、声が聞き取れない難点があった。

オープニングは日本文理大学チアリーディング部による「BRAVES」

客席2階の中央には、特別席なのか壁があって、左右に分かれて舞台を見る。左右とも舞台の下には編まれたオブジェが飾られている。

総合司会は、大分出身のTBSアナウンサーの江藤愛。

開会宣言:大分県建築士会副会長   歓迎の挨拶:大分県建築士会会長

挨拶:連合会会長   来賓挨拶:国土交通省大臣代理(この女性の声が早口でエコーに負けずに最も聞きやすかった。)

来賓挨拶:県知事(少し話が長い)  来賓挨拶:別府市長

連合会長表彰:大分県建築士会の代表      連合会賞表彰(遠くからはとても若く見えた。)

伝統技能者表彰。その他表彰者を撮そうとしたが、2階の通路の歩行者に遮られて撮せなかった。

地域実践活動表彰

大会アピール:大分県建築士会会長と副会長

大会旗が大分から京都へ引き渡される。

来年の京都大会でのパフォーマンスは、楽しみにしていたのに無かった。残念!

着付けの残念な方もいた。それとこの場での大島紬はどうなのよと、うるさい雀は曰う。

左側の女性は、玄人ぽい着付けであった。

勿論、彼女たちは全員が現役の建築士である。女性達の「おいでやす」で締めくくられる。あらま。(私達は脚をむき出しにして、花笠音頭を踊ったんだぜ!)

雨の中をホテルに向かう。

ホテルはツインが一人づつだった。豪華である。Mさんが大部屋での宿泊が嫌だと言ったので、全員個室になる。これは有り難い。

窓からは、晴れていればオーシャンビューが見られるのに。

宴会会場(和室)に移動する。

わさびテロに見えるが、油の載った刺身が多いので足りない位だった。

豆乳鍋と言うが。

 

大分県は宮崎とも並び、鶏肉の生産が多い。何処へ行ってもご当地名のついた唐揚げや天ぷらがあった。これは天ぷらである。

大分では、iichikoと二階堂の二大巨頭の焼酎があった。

大会では、式典のプログラムはコンパクトになり、観光パンフレットも自由に並んだ中から取る仕組みで、出来るだけ無用の紙類を節約しようと言う動きが十数年前から行われていた。ところが、大分会場で受け取ったバックは異様に重かった。iichikoの瓶と厚さ1cm以上もあるiichikoの写真集が入っていた。これには驚いた。今回のかなりの部分のスポンサーだと思われる。この瓶の焼酎も、2次会で開けられる事になる。

 

 

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九州へ 2 地獄めぐり

2016-10-26 18:37:37 | 

新しい朝が来た♪ 希望の朝だ♪ 天気は昨日ほど悪くもないが、空は依然として低い。

朝食会場へ向かう。

バイキングである。このホテルの味は、昨夜の宴会料理もそうだが、茶碗蒸しも豆乳鍋もちょっと味覚がずれる。つまりは私の常識からは離れている。と言いながら、郷土料理と野菜中心のおかずを持ってくる。

中国かゆの上に、明太子とワサビ味の海苔を載せる。柚子胡椒も良い味だった。

宿泊したホテルは温泉街から北へ離れた海沿いのホテルだった。結婚式の会場でもあるのだろう、敷地内にはチャペルも準備されている。

海岸沿いに植えられている樹木も、南国さながらの風情を見せる。

横の斜面にハゼノキが、実をたわわに着けていた。ハゼノキはウルシ科の植物で、和ロウソクの原料でもある。この実を潰してロウを取るのだろうなと漠然と考えていたら、ハゼの実の種からでは無く、実の皮からロウを抽出すると知って驚く。もの凄く効率が悪いじゃないの。しかも、ウルシ科なので、人によってはかぶれが酷くて何日経っても治らないと言う人もいた。実験するには注意が必要のようだ。

ハゼノキ ハゼの実からロウを採取 和ロウソク

さて、2日目の出発の時間である。

バスは別府を後にする。所々でブルーシートが屋根瓦の上に被せられているのを見た。大分県も頑張っているけど、やはり熊本地震と余震の影響は残っている。

そうそう、熊本城天守閣の復旧工事を、1960年にも工事を手がけた大林組が、設計と建築費とで約72億円で契約する事になったようだ。えっ、そんな金額で出来るのと、価値観がずれているのは、連日の東京オリンピックの施設の何百・何千億円で、頭がパーになっているせいである。金儲けの為のオリンピックなど行わずに、震災の復興にかけたらどうなのさと、私は今でも思っている。

恨み辛みを考えている内に、地獄へ着いた。

血の池地獄なんだそうだ。

そこにたどり着く前に、関所を通過する。

赤い池から、もんもんと沸き立つ湯煙。

最近は、地獄の中にも国指定名勝があるらしい。

人々が歩いて行く方向は、向こうだ。

右に清水の池あり。

人懐こい鯉あり。

奥の小屋は、血の池の効能を持つ軟膏の売店だった。

石段を登る。

その横に咲いていたキンモクセイ。池と同じ色の花が咲いている。しかし香りが漂ってくる事はなかった。

石の階段の上は、池が見渡せるだけで、奥が深いわけでもない。

茗荷の葉に似た植物の先には黒い実が着いていた。ヤブミョウガかと思われる。

そしてゆっくりと、売店の中を見てまわる。ゆずにかぼす。かぼすは大分の名物だが、山形ではあまり馴染みがない。スダチは時折スーパーでも見かける。

そう言えば、ホテルの売店で柚子胡椒ならぬ、臭橙(かぼす)胡椒をお土産に買った。こちらのお土産の方が見た目にも面白い。

帽子やTシャツの売り場では「毎日が地獄」とプリントされた品が売られていた。笑い転げたが、なるほど、これは心理である。

飲み物も、他では見かけない物ばかりだ。

私は「つぶらなカボス」を買った。なぁんだ、果汁が10%かと言うなかれ。100%なら、とても酸っぱくて、飲めたものではない。

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九州へ 3 大分県立総合文化センター

2016-10-26 18:36:00 | 

国道10号線は、JR日豊線と平行して海沿いを走る。青い電車が綺麗だった。

大分市へ入る。別府市と大分市は、それほど離れてもいない。

街並みは少し高層の建物群が増えてくる。

このV字路で、国道10号線と分かれて197号線に入ると、すぐに目的地へ着く。

この建物が大分県立総合文化センターだ。

文化センターの建物の向かいに、今回楽しみにしてきた大分県立美術館がある。そこへすぐに入れると思いきや、開館の10時にはまだ間があった。

ならば、文化センターに入ろう。

回り階段やエレベーターを利用し、この橋を渡る。

手摺りのみガラスで、後は風が通り抜ける構造になっている。

総合文化センターと言うだけあって、複合施設になっている。左側にはNHK大分が入っていた。

気持ちの良い大きな吹き抜けである。

ファサード面と2階の床が離れている。

大階段の造りが気になって近づく。

鉄骨の桁に各々プレートを取付、段板に石を使っている。

階段の裏。

その全容。

ファサードの柱と、床を受ける柱は別のようだ。上下のエスカレータがある。

エレベータが4階まで動いている。

道路を挟んで向かいに、美術館が見える。

道路を挟んで、紅葉のつき方も違うのは、美術館面が西南を向いているからか。

ブリッジの手前で、絶好のシャッターポイントがあった。

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九州へ 4 大分県立美術館

2016-10-26 18:35:46 | 

憧れの建築家・坂茂氏の作品である。鶴岡市で行われた講演会でも、ここの画像が映し出されていた。せっかく大分県に来たのだから、この建物を見逃す手はないと、支部長に頼み込んでスケジュールに入れて貰った。開館前なのに、大勢の人が待っているのは、全国大会経由で流れた建築士が多いからだろう。

美術館の前だと、その全容が掴めない。構造はRC造と木造の混構造だと思われる。

玄関前

その上の螺旋階段。

階段の中央には、エレベータが設置してある。

入り口は1階と2階にあり、我々は2階から入る。展示室前でチケットを買う必要があるが、建物内に入るには無料だ。

玄関を入るとエレベータが待っている。

2階は中央にブリッジが着いていて、左右の吹き抜けが見おろされる。

天井は綺麗な木目の木材だった。照明などは、この黒い隙間に配置してあるので、スッキリと見える。我々が造る天井の照明と設備の喧嘩は、ここでは見かけられない。空調はどこから出ているんだろう。

2階部分に入る。坂茂氏特有の紙管の作品が並べてある。

ここはレストランかカフェのようだ。

中央の廊下には、同じく紙管を使用したベンチが置かれている。

天井点検口も、気にならないほどの物が着いている。苦労して穴を開けた感じもするのだが。

カフェ営業の準備が進められていた。

こちらは、小さな図書室になっている。テーブルも椅子もベンチも紙管である。

本棚もカウンターも、優しく出来ている。坂茂氏の風貌から、こんな優しいデザインが生まれるのが面白い。←こらこら

このベンチは、よくよく見ると、何か仕掛けがしてあるようだ。残念な事に、触っては来なかった。

大通りに向いた面である。

アトリエが並んでいた。向こうから「こっちこっち、早く!」と呼ぶ声に促されて、エスカレータで3階に上る。

中央の屋根に穴の空いた中庭があった。この庭は天庭と呼び、悪戯に物が置いてあるのでは無く、これも現代アートの作品の一つらしい。

この屋根の構造は、女川駅舎の屋根を木造に変えた物。壁に取り付けた照明も綺麗だ。

女川に比べると、格子も細かい。これはきっとドイツの万博の辺りから構想された物だと思う。

木でRをくりぬくのは難しい。切り取った破風が垂直なのか、斜めなのか、もう少し良く見ておくべきだった。

このホールから、本来の美術館コレクション展示室への入り口があった。チケットを貰って入る。内部は撮影禁止である。始めて見る作品ばかりで、日本画から洋画、現代アートまで、急いで見て歩く。展示室の照明もうるさく感じず、床は木板で造られていたが、ギシギシ音はしなかった。何にも邪魔されずに作品を見ることが出来る空間があった。

あっと言う間に、展示室を抜けた。RC造の架構に、木のラチス梁をくわかせている。

外から金物も見えない。柱部分が繋がれているが、この内部をくりぬいて金物があるのだろうか。

坂茂氏は、意匠デザインもプロだが、構造はもっとプロと言うか、天才的な頭脳の持ち主である。

この大きなエッグも現代アートらしい。

ショップ周りをうろつく。

ダンボール作品は、女川のよりもずっと高価だった。

さて、トイレに行くとて見つけたサイン。

うまいと思う。

子供用と大人用の水飲みが着いているのは普通だが、水飲み器があれば良いだろうと廊下の壁に設置するのでは無く、人の流れを妨げないように、空間を入り込ませているのが優しい。

一目で分かるロッカールーム。

これはスタッフルームなのだが、右側のドアの中央上に、本当に小さな文字でSTAFF ROOMと着いているのが心憎い。ここも廊下から入り込んでいるが、うまいなと思う。

階段室の壁の納め方が見事だ。

照明といい、文字といい、階段の納め方といい、時間が押したので走って戻ったが、出来ればもう3時間は居たかったと思う。

ドアの納まりも、きちんと見てくるべきだった。

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九州へ 5 湯布院

2016-10-26 18:34:57 | 

全国大会に参加する酒田支部は、大会会場の地域だけ特化して見学することはしない。以前に九州を訪れた佐賀大会では、福岡-佐賀-長崎-熊本と4県も走破した。一番記憶に残らなかったのが佐賀だと言う残念な結果もある。実は今回、見学する場所や食事場所を、GoogleのMapに住所を入れておいた。さすがにバスの運転手さんは道を間違えることはないが、たいだいの目安として、移動方向時間などを把握出来る。

湯布院では1時間ばかりの自由時間となり、大層の人混みと雨とに怖じ気づきながらバスを降りた。

飛び交う話し声は、明らかに日本のそれではない。

日本一のコロッケやら、金賞から揚げやらの看板を尻目に、ホンマかいなと呟きながら移動する。

辺りを見回しても、取りたてて建築的な興味を引く建物は見当たらない。

いかにも観光客が喜びそうな、紛い物風な店が並ぶ。大勢の人を呼び込むには、何が必要なのかが分かるだろう。これもまた一理ある。雰囲気さえ楽しめれば良いのである。

ガラスの森のポーチにはビー玉が埋め込まれていた。単に埋め込んだだけである。私が以前施工した時には、ビー玉3個を1グループにして、距離を置いて埋め込むと、動きが出てくる。2個でも4個でも駄目だった。

ガラスの森の2階から眺めると、筋向かいに猫の館があった。

猫グッズが所狭しと並べてある。2階には檻の中に3匹の猫がいた。昼寝中が2匹、人懐こい大きな茶色の猫が身体をすり寄せてきた。

そのまた筋向かいには、犬屋敷があった。犬グッズと犬用の洋服などが売られていた。こんな所で、故郷心を起こすと早く家に帰りたくなるのでは無いかとも思う。それとも、留守番のワンちゃんが可哀想だからお土産をとでもなるのだろうか。

ジグザグに進むとリカーショップ。

ソフトクリームなど、お土産屋が並ぶ。

適当な所で引き返し、フクロウの看板のある店に入ってみた。

檻の向こうに、やたらすばしっこいリスがいた。動きに合わせてカメラを振るも、ちゃんと姿が写ったのはこれだけだった。

この敷地の中には、小さな店が並んでいた。

こちらは、周りを取り囲むように建てられた集合店舗。

その先には

まるで、ピーターラビットの世界に入ったような小さな店が並ぶ。

小さな路地に向かい合って、1軒毎に違う賞品が飾られてあり、その内の1軒がレジ専用だった。

門を抜けると、バスの駐車場前に着く。

坂道を下る。クマモングッズなどを売る和風の店が並ぶ。

雨が降っても、商売は怠らない。

若い女性の着物を見て、おおっと思う。しかし、彼女たちが日本人だと言う証拠は何処にもない。

レトロな車の歴史館があった。

もう少し全体を広く撮した写真もあったが、どうみてもレトロな自動車ではなく、古いだけで現役の車もあったので、カットする。飛行機には触ってみたかった。

店内にも展示してある車の数々だろう。

そして、また引き返す。

出発時間ギリギリまで、山下清の原画を見る。原画も、切り絵も展示されていたが、色が抜けておらずに驚いた。

その美術館の建物の1階は、レトロな昭和館があった。

バスに乗り、昼食会場へと向かう。

湯布院で使うように渡された地図には、どうしても載っていなかった昼食会場は、山の中を延々と上って着いた「ゆふいん菓子工房五右衛門」

何はともあれ、生ビールで乾杯する。

花びらを飾った煎餅の制作様子。

若いお姉さんが作っていた。ここでもお土産を買う。行く先々で土産を買うことは、大分の観光にも寄与しているのではないだろうかと自慢する。

 

 

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九州へ 6 九重夢大吊り橋

2016-10-26 18:33:59 | 

山間を抜け、九重夢大吊り橋に着く。ここもググってGoogle Earthで見たら、どう見ても車で通行できる橋ではない。

己の足で歩いて渡る橋のようだ。するとインフラ目的ではない。観光が目的で橋を作ったようだ。

建築の現場も面白いが、土木はもっと面白い。工事の経過を見ていると、ウキウキしてくる。

そして、大枚の予算を使って吊り橋を造っても、恐い物見たさに訪れる人達の入場料で、殆どペイしている。「観光と言うのはこんな風に造るのだよ」のお手本のようなものである。当たれば大きい。

実は、今回のメンバーの中に2名の高所恐怖症がいる。1名は中途半端な高さに目がくらむ人物と、今まで建築の工事に携わってきたのに、急に恐怖症になった人物である。後者のメンバーは、決して橋を渡ろうとはしなかった。先のメンバーは他の人の応援を得て、往復した。これが切っ掛けで克服できればと思う。

橋の途中に、警備の人がいたが、やはり動けなくなったり、気持ち悪くなったりした人を救助出来る体制を作っているようだ。

私にとっては、今まで渡った吊り橋では、もっとも揺れずに安心な吊り橋だった。橋板は両側がPC版で、中央にグレーチングが敷いてある。雨水を流す目的と、隙間から恐怖が上ってくる仕組みになっていると思われる。

途中の右側に2本の滝が見えた。

ちょっと身体をねじって撮す。橋の上では、通行の邪魔になるので、立ち止まって欲しくないのだそうだ。

無事に向こう岸に渡る。

吊り橋はワイヤーで吊り下げられている。これだけだと風で横揺れするので、防止に両側から別のワイヤーで引っ張りを掛ける。

2本の滝。

右側の渓谷。

中央の最もワイヤーに近い部分。

両サイドの横揺れ防止のワイヤーの基礎付近。

吊り橋本体の基礎。

ワイヤーの留め金のボルトも太い。ナットが緩まないように、ピンが差してある。

チケット売り場横の産直には、地物の野菜が並べてあった。

そうそう、「庄内梨」と書いてある梨もあった。刈屋かなと思うのは山形人。この辺りにも庄内と呼ばれる地域があるのだ。

近くでは、九重ふるさと祭りが行われていた。地元の収穫祭りのようだが、ちょっと興味が湧く。

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九州へ 7 博多

2016-10-26 18:32:00 | 

博多へ向かうバスの中、支部長(幹事)さんが、「今日の夕食は博多の河豚です。」に、一同は「わぁ~~!」「ヒレ酒は付くんかい。」と歓声を上げる。

高速道路から、空港が見えた。明日はここから庄内へ帰る。

空港ターミナルである。福岡空港は国際空港でもあるので、飛行機の動きは多い。

博多は、もう大都会だ。ここは博多座。文化の面でも独自の路線を走っていると思う。

電線は空中を走っていないし。

今夜の宿泊先は、中州のすぐ近くになる。橋の上でバスを降りる。ホテル前の道路は狭いので、ここから荷物を引きながら向かう。

ホテルの13階がロビーだった。見晴らしは良いのだが、これには驚く。

渡されたカードが無ければ、部屋に入ることも、エレベータに乗ることもできない。

窓からは、賑やかな中州が見える。

屋形船や遊覧船が見えた。

夜になった。夕食会場まで歩く。

川の岸を歩き。

橋を渡り、対岸へ行く。あの建物がそうだ。

店に入り、2階へと進む。

テーブルに並べてあったのは、タレと酢の物

それに刺身が届く。まずは生ビールで乾杯。今回の旅行の費用が、ホテルや食事にゆっくりとしたバスで費やされたのがよく分かった。

ヒレ酒は初めてだ。器に河豚のヒレを入れ、熱燗を注ぎ、マッチで火を付ける。

河豚の唐揚げ。

and ヒレ酒

ヒレが山ほど入っていた。残念ながら、私の好物にはならなかった。大好きな蟹でさえ、甲羅酒が嫌いなのである。酒は酒。ご馳走はご馳走で味わいたいタイプの人間だったのだ。

何処の食事にも現れる茶碗蒸しだが、だんだん馴染みの味になってきて嬉しい。

ふぐちり用の材料。トラフグの身が大きい。

よそって貰う。

締めはおじや。これが美味しい。

デザートには、コーヒーゼリーがやってきた。

さて、幹事さんは会計を済ませる。ここの女性は皆さん着物で装っている。

店の前の花も南国風味

初めての博多の夜。中州にいるのだもの、長浜ラーメンを食べに向かう。長渕剛オンリーの歌を歌う男性がいた。

無理っと席を詰めて貰う。

ハイボールにて乾杯。

待望のラーメンがきた。私とNさんで半分づつにする。

隣で「撮せ~!」と言うので、「ハイよ~!」と撮したが、あまり綺麗な絵にはならんかった。

タン塩を注文して白い目で見られる。屋台のラーメン屋さんは、若い人達が仕切っている。この日は日曜日だったので、店の数は半分以下だったらしい。屋台では色んなルールがあって、基本的には生は出さない。サラダも駄目だと言うが、このレモンとキャベツは何なのさ。

鶴岡のSさんから電話が入っていた。船に乗るから来ないかと・・・。気がついたのは夜の2時だった。

ビールを呑むとトイレが近い。もっと歩きたいNさんを無理に引っ張って、ホテルへ帰る。

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九州へ 8 博多港

2016-10-26 18:30:41 | 

九州3日目は、見事な青空になった。

約束の橋の上でバスを待つ。

橋の上から遊覧船を見ると、中央で動く物があった。猫かなと思って望遠レンズで見ると、サギがいた。

ビルに取り付けられた赤い提灯。

ハロウィン仕様になっていた。

高速道路から博多港が見えた。博多湾に囲まれた天然の良港である。バスから眺められたのは凡そ半分。実際はもっと広い。

博多湾に向かって、岸壁と言うかターミナルが沢山突き出ており、用途に分けて船を停泊させることが出来る。

大型のクルーズ船も難なく停められる。しかも博多は観光地としても良いロケーションだ。

観光船も勿論のこと、壱岐対馬、韓国の釜山へのフェリーも出ている。港の用途は広い。

貨物用の港も充分に確保されている。

北に向かうほどに、工業用の港も、プレジャーボートの停留地もあった。

そして、工業港の背後には、夥しい数の工場群があり、有名処の巨大工場が並んでいる。

港は単独にあるのでは無く、背後地との持ちつ持たれつの関係が重要なのである。

高速道路と並行して走る送電線の大きさも、その需要が窺える。

酒田港とは比べようも無いが、日本全体を見渡したならば、このような港を国際ハブ港にすれば良いと思う。日本は海運国なのに、釜山港にむざむざハブ港を取られて良いのだろうか、他国との貿易は必要だが、万が一に備えてハブ港は日本が準備すべきと思う。

動いてくれる国会議員はいないものだろうか。

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九州へ 完 太宰府天満宮

2016-10-26 18:28:08 | 

 

羽田までのフライトの空き時間で、太宰府天満宮に行く。菅原道真が太宰府に流されたとして、近畿天皇から見ると、九州は余程の田舎のような扱いを受けてはいるが、それは間違いだ。奈良や京都を中心にした現在の天皇よりも、はるかに古い王朝が九州にあった。古田武彦著「失われた九州王朝」が、事細かに証明している。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国(邪馬壱国)を始め、日本の天皇が唯一の天皇であることに、統一せねばならなかった勢力が歴史を改竄する。歴史は勝者の物である。

若者達が喜びそうな、外国人の喜びそうな店が並んでいる。

手裏剣が160円なんだってと、孫の土産にと考える祖父母もいることだろう。

太宰府天満宮までの参道も、だいぶ草臥れてきた。

太宰府駅。ゆっくりと電車で来るのも、乙なものだろう。

みんなで味見をする。歩く先々で、試食品を配ってくれる。

鳥居が何重にも建っている。

時は、七五三の時期でもある。この三姉妹は、本当に器量よしだった。前からも撮したが、とても可愛い。

隈研吾は、どこに建てても、隈研吾である。

かな折りの道路の前にきた。鳥居の横には托鉢のお坊さんが熱心にお経を唱えていた。

左折し、太鼓橋を渡る。

観光客の半分以上が外国人かと思われる。あきらかに、振り袖が着られるお年頃ではないだろう女性達も歩いていた。慣れない着物での歩きは、きっと辛いだろう。綺麗だけど。

俄然、混み合ってきた。

石の上に動く物あり、亀だった。

巨大なご神木。

門が派手に着飾っていた。

青森のねぶたとのコラボで、夜は綺麗だそうだ。

天満宮に入る。

お参りを済ませて、梅を見る。

左右に置かれた雌牛と雄牛は、沢山の人間達になでられて、ピカピカ光っていた。

この池の鯉は気持ち良さそうである。先ほどの亀のいた池は、透明度が低い。その中でも大きく育っている鯉たちがいた。

宝物殿に寄ったが、この日は月曜日の休館日だった。

Nさんが買った梅の餅を半分分けて貰い、食べながらバスに戻った。

それからは、慌ただしく空港に移り、あまりの人混みに間に合わなくなると心配し、帰途に着いた。目一杯楽しんだ3日間だった。特に3日目は好天に恵まれ、歩きに歩いて筋肉痛の元を作る。福岡-羽田はジャンボ機だった。楽だなと思う。面白さは小さな飛行機だ。羽田-庄内は、飲み物が配られないほど揺れた。

お土産は美味しい。

 

 

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奈良・1日目

2016-07-25 22:21:18 | 

十数年ぶりに、全国女性建築士連絡協議会・奈良大会に参加する。日本海側のJRが不便になって以来、奈良に行くには山形空港から伊丹空港経由で奈良に向かうのが速い。寝坊してはならずと早めに山形空港へ着く。誰もいなかった。少し不安になる。

山形空港は、神町空港と呼ばれていた50年以上も昔に訪れた事がある。建物の記憶はない。「おいしい山形空港」を撮そうとカメラを取り出したら、シャッターが降りなかった。カードが入っていない。パソコンに着けたままだった。これがアクシデントの1回目。買おうと思ったが、空港の売店にもなく、伊丹でようやく手に入れる。

飛行機は4列の小さな機体だった。せっかく窓際の席をゲットするものの、雲の上を飛行するだけで何も見えない。密かに富士山が見えないかなと期待したが、ルートが新潟経由だった。綿飴のような雲を突き抜けると大阪の町が見えた。あれは大阪城ではあるまいか。

伊丹にはすんなりと降りた。羽田並みの大きさを想像していたが、さほど大きくはない。この伊丹空港と大阪国際空港の関わりを聞いていたので、複雑な気持ちになる。ただし、やはり街中の便利な足だと思う。

外は暑かった。リムジンバスで奈良へと向かう。時間にゆとりはなく、昼食はコンビニで買いバスの中で食べた。

奈良に近づくにつれ、家々の間にこんな建物が出現する。これは平城京跡だと思う。

近鉄奈良駅前でバスを降りる。会場の奈良女子大までは、徒歩で進む。素敵な小道を歩いたのだが、帰りも同じ道だと思い、撮して来なかった。帰りはタクシー移動だったのに。

奈良女子大は、108年前に創立された女性の教育者を育てる日本でも古い学校だそうだ。

その講堂が会場だった。

受付を済ませる。

前日に委員長代理で前乗りしていたHさんが、前の方の席を確保してくれていた。(この椅子は座っているのが辛かった。皆さんお尻が痛いと嘆いていた。)

 連合会会長

開会式が始まった。

来賓の挨拶が始まる。

基調講演の岐阜大学名誉教授の渡辺先生のお話は面白かった。最初に舞台に現れた時、手塚治虫氏かと思った。講演は「日本の暮らし・豊かな生活文化の再発見」で、日本の住宅の段階的成長の中で、窓を開けない日本人が増えてきていること。畳の文化は消えてしまうのか、逆に海外で家の中は靴を脱ぎ、床に座る生活が広がっている。和室に学ぶべき知恵が詰まっていることが順を追って紹介された。

これからの住宅には、季節感を取り戻す必要があること、住宅に限らず食生活にも日本の複雑な季節感が必要であること。また水道、電気、ガスで激変した住宅の次は、必ず新たな進化の時代を迎えるであろうと3つの課題を挙げられた。

パネルディスカッションは同じく「日本の暮らし 豊かな生活文化の再発見」と題し、進められた。ここでもキーワードは「床」だった。洋式の部屋は家具があることで成り立つ。和室は多目的で使い方が固定されていない。曖昧さが魅力の一つでもある。

介護の面で、畳を無くしバリアフリーを進めてきたが、あえて畳の上での布団の生活は、個人の体力の向上に繋がる。椅子やベッドの生活は楽ではあるけれど、体力は落ちていくと湯川氏はリハビリの施設運営の上からの助言だった。

久しぶりの全建女だが、内容もレベルアップしている。コーディネータの女性委員長の無理矢理の采配に、受けて立つパネラーもさすがである。

 

次に、被災地からの現状報告として、岩手県(内陸地震)、宮城県(東日本大震災の津波)、福島県(放射能)、茨城県(水害)と熊本県(地震)の発表があった。熊本県を除いては準備の時間があったので、冊子になった報告書を見ながらの発表に耳を傾けたが、熊本県はそのゆとりが無く、それでも画像を示しながらの報告となった。

4名の発表者が自分の地区と応急判定、建築士が地震の被害者と向き合う様子が語られたが、建築士自身が被災していることと、今まで地震を体験した事がなかった為に、最初に何をしたら良いのか、まったく要領が掴めなかったことが話された。

ただ、東日本大震災を経験した福島県に、被害の様子などを視察し建築士会通しで意見交換を行っていた為に、救いの手を福島に求めた。すぐに福島は動き、ネットワークの重要性に気がついた。

連携が取れて、なんとか動くことが出来た。ただ、度重なる余震で、未だに車の中の生活をしている人もいる。応急判定の赤黄青のシールに、住民への説明がうまく伝わらない様子も見えた。

いつでも、どこでも災害はやってくることを、覚悟し準備することが必要だ。

さて、時間は押し気味だったが無事に終了し、タクシーに便乗して懇親会の会場、JR奈良駅近くのホテル日航奈良に向かう。今回の私達の宿泊先のホテルも近かったので、一度チェックインし、身軽になって出かけた。懇親会はすでに始まっていた。

男性達の懇親会とは違い、女性達はまず最初に食べるものがなくなる。手分けして料理をかき集め、テーブルをゲットする。

まずは腹ごしらえである。

せんとくんが現れる。

くまモン募金箱を抱えた委員長も現れる。

今回の準備をしてくれた近畿ブロックの会員達。拍手!!

お開きの後、お腹はいっぱいだが、時間が早い。よし2次会に行こうと歩き出した。

駅前の贔屓屋と言う居酒屋に入る。

杉の香りがした。

上も下も表面張力している「もっきり」にどっきり。こうして1日目は更けていった。

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奈良・二日目・分科会

2016-07-25 22:18:26 | 

2日目の分科会会場は、奈良公園の中にある奈良春日国際フォーラム甍(いらか)だった。

玄関脇の石庭には、鬼瓦などのオブジェが並んでいる。

甍の名前の通り、屋根が素敵だった。

目の前には、奈良公園が広がっている。

山形美女達におびえる子鹿。

分科会は8つに分かれる。私のE分科会は「景観まちづくり」で、2階だった。

コメンテーターは石川県。およそ35人が集まっている。ちょっと会場が広すぎ。

石川県七尾町のまちづくりに建築士会が関わる様子が伝えられた。

住民達の結束は祭りに紹介される。

2度の大きな火災で、街並みが変わったことと、歴史が紹介される。

ここに嫁ぐのも大変なようだ。親と別れの水杯を交わす。

その結婚式の1週間だけ飾られるのれん。一生に1週間だけだそうだ。

七尾市には古い町屋が残っている。その子供達を中心に行っている。これは大人の部。

同じ北前船の湊町なのに、町屋の建て方が違う。七尾市も同様北陸では、屋根が平入りである。隣とは殆どくっついている状態で、火災よけのウダツも付いている。この平入りは雪の為らしい。

発表後、質問と意見交換会が行われた。手ぶらで聞くだけの参加も自由だが、もし発言する機会があるなら、自分たちの資料を持っていくことをお薦めする。聞いた話の記憶は消えるが、資料があると内容を思い出す。

ちなみに、私も急遽資料をこしらえて参加した。行政主導のゆるい規制の金山町100年運動。

民間が主導し協議会を作った規制の強い天童市の街並み。出発時の22日の0時頃、プリンターをビコビコしたのだが、途中でトナーが切れて焦った。仕方がないのでコピーする。持っていった数は22枚、35人には全然足りない。事前に人数を確認するべきだったのだが、忙しい女性委員会に問い合わする力がなかった。以前は個人情報法がなくて、名簿のような物が手に入った気がしたのだが。

分科会が終わり、全体会は能舞台のある会場で行われた。桧の香りが漂っていた。

各分科会の発表。

最後に、全建女の場で集められたクマモン募金(小銭が多いので、重たいようだ)が、委員長から熊本県の委員長へ手渡される。熊本の委員長さんは、挨拶の途中から涙声に変わって、女性建築士の繋がりって良いなと思った。

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奈良・二日目・斑鳩の里

2016-07-25 21:51:43 | 

分科会を終え、大人の修学旅行が始まった。これは奈良建築士会が準備してくれたエクスカーションである。10コースある中で9番目の斑鳩の里めぐりに応募した。

車窓から見えるのは、山形の高速道路ではお馴染みの(とは言っても山形のはカモシカだが)鹿に注意の交通標識が見えた。

遠くに見えたのは、奈良郡山市の公園の城。

法起寺は車窓から

駐車場に入ったので降りる準備をしたら、方向回転しただけの法輪寺。これも車窓から。

集落の家並みは綺麗だ。

昼食会場に入る。

長屋門を改造したカフェ

吉野杉のベンチ

お洒落な昼食。左の冷えた三輪そうめんが美味しかった。

宮大工の西岡常一の祖父が建てたと言う住宅。屋根のむくりが素晴らしい。格子も4種類を使っている。残念ながら見学は出来なかった。

ボランティアの案内人が到着し、見学が始まった。

土塀は、五層に分かれているが、一番下の一層目は幅が1mほどあると言う。一層毎に造られていく。五層と言うのは珍しいのだそうだ。

本物を観ると、奥州藤原の里のセットが悲しくなる。

案内を務めてくれた方は、昔建築の仕事にも就いたことのある方で、詳しかった。ボランティア以外に有償でも案内を行っているとかで、私達の為に図面を用意してくれたり、本当に有り難かった。

5人くらいの班に分かれての見学だ。

 

皇室縁の尼寺。瓦の菊のご紋が、それを物語っている。

多分、これは吉田五十八設計の中宮寺(RC造である。)弥勒菩薩が国宝になっている。良いお顔をされていたが、撮影は禁止。この弥勒菩薩は確かに有名で、つい先日まで韓国に展示用に貸し出されていた。韓国の弥勒菩薩と対面して飾られていたが、本当にちゃんと戻って来るのかと心配もした。無事に戻ってきたので、こうして我々がお顔を拝見できるのだが、写真などで見ていた物より本物は、真っ黒だったのに驚いた。

そこの回廊から見える夢殿。夢殿にも行けなかった。酒田の光丘文庫のお経のこともあったので、入りたかったのだが。ともかく、法隆寺には数時間で全部を見ようとするのは無理のようだ。なにせ、日本の木造建築の原点がある。(ただし縄文文化の建築は除く。縄文の建築もすごいぞ!)

宝林だけご覧遊ばせ。

東大門に向かう。

古くも新しくても継いでいる。

門の屋根の大きさから、塀の厚みが判るかと思う。

ともかく、屋根瓦の見本市のようである。

法隆寺には横から入る。

暑い。蝉の声が聞いた事のない鳴き方をしていた。

本来なら、こちらを通って法隆寺に入る参道だ。

残念ながら東大門は修理中である。ともかく、修理中の神社仏閣が多い。

五重塔は、大きい感じがする。

この回廊も国宝

金堂。飛鳥時代の様式で一番古い。この中には火事で焼失された、あの有名な壁画が描かれている。その修復には多くの画家が携わったが、どの部分を描くかで権力争いもあったらしい。誰でもが、有名で大きな面を描きたいと思っていた。その中に若い頃の平山郁夫もいたと言う。彼の担当した場所は何処なのか、「多分、隙間のような小さな場所だと思うよ。」とは案内人の言葉。

その壁画を見るにも、本堂の廊下から建具を挟んで眺めるしかない。本堂の内部には一般人は入れない。しかも、坊さんが廊下の隅で、我々の講堂をチェックして、不作法な動作、いかがわしい場合は飛んでくる。美術館の展示室の隅に座っている女性の坊さん版と思えば良い。ただし、こちらは実力行使が可能だと言える。だって、国宝だもの。

五重塔と金堂から大講堂を見る。

本来なら、この建物内には一般の人々は入る事が叶わなかった。その為この石の上に立ち、参拝したと言う。石は左右2箇所にあった。

建物の様式は、飛鳥天平白鳳と、年号では無い分け方で分けられているらしい。どちらが古いかを見定めるのが屋根に使われた木端の造りに現れていると言う。

金堂の飾りに見える龍などは、実は添え柱として屋根を支えている。

古い時代の垂木は一重で、年代が下る毎に二重三重と豪華になっていく。

ここが一番良い撮影ポイントだよと教えて頂いた。実は普通の観光ならすんなり全体を案内して終わるのだが、我々の疑問に答えるために、逆流(出口から逆に入る)して、金堂に再び入り、説明して貰う。

実は虎ノ門ニュースの火曜日の百田さんのコーナーで、日本の大工と木材の話が出ていて、ノコギリが歴史の上に出てくるのは室町頃だったとの話に、一枚板を作るのにも、格子を作るのにも槍鉋がメジャーだったんだと納得する。いやはや、ノコギリがないのか。

この反った梁が力学的に有効。束が無い。柱はエンタシス。新しく通路をL型に手直しした所の梁は、そりが無かった。

仏教では格子とは呼ばずに連子と呼ぶ。見えなくする為ではなく、格子部分よりも空間が広く風通しに用いられた。しかも面白い事に連子部分の材料を後で繋ぐのではなく、一枚板をくりぬいて用いられている。金堂の扉も同じ造りになっていた。昔の職人のすごさがわかる。

宝物殿に行く。案内人は、建築に携わっているなら、仏像では無く「玉虫厨子」を良く見た方が良い。建物は年代毎に作り替えたり修理して様式が変わることが多いが、この厨子は本来の建築様式そのままの状態で残っているからだと言う。

もう、我々の文化財の範囲はそこそこ何百年であるが、千年を超えないと認められない奈良の人の話である。

法隆寺を出て、参道沿いの土産物屋に寄る。

両側に土産物屋が並んでいるが、他の地域と違い、商売っ気も薄く鷹揚なのが奈良の人の気質らしい。

この中央が本来の参道である。皇室の方しか通れないかと思っていたら、一般人でも平気のようだ。

法隆寺 i センターで、西岡常一の道具を見る。

道具を見て驚くのは、綺麗なことだろう。写真は撮してきた物のほんの一部だが、大工は道具が命と大事に使ってきたのがよく判る。

私の父も大工で、子供の私はその道具が面白そうで触ると、ドカンと父の雷が落ちたものだった。

これは槍鉋(やりがんな)。

センターを出て、バスは近鉄王子駅に着き、解散となる。あら、法隆寺駅でも良かったのに。

暑い二日目だった。宮城県の女性建築士と合同で夕食会場に入る。この大人数を受け付けた有り難い居酒屋である。

居酒屋の最初の店員さんは、地酒の事は何も判らなかった。

次に入ってきた店員さんは「楯の川や十四代がゴロゴロしている山形県人」を前に、奈良の地酒はあまり褒めた物が無いと正直に言う。取り立ててすすめるなら、この酒だそうだ。

色々と教えてくれる。こうして二日目は過ぎていった。

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奈良三日目・東大寺

2016-07-25 20:40:03 | 

3日目はフライトまでの時間、午前中に出来る市内観光をした。この建物は旧JR奈良駅。保存され、観光案内所やカフェとして使用されている。

このモニュメントの赤い柱は木材だった。背割りしていないのに、割れが少ない。

駅前ロータリー

観光バスに乗る。一日がかりのツアーで、午前中で降りる事が出来る。ガイドさんは、室井滋似の優しい女性だった。ただアクセントに関西訛りがある。

最初は東大寺だった。駐車場から境内に入った頃から、獣臭い。鹿のせいだ。これは大きな南大門。

 

池に船が浮かべてあった。

中門。

門を抜け入場チケットを手に入れて回廊をあるくと、金堂(大仏殿)が見えた。

この回廊の梁は、真っ直ぐである。

参道の中央の黒い敷石はインドから、横に中国、朝鮮と続いて広い部分が日本の石だそうだ。

唐破風の下の中央に、窓がある。これは中門から大仏様のお顔が見えるようになっている。

灯籠で、これにも灯が点るそうだ。

一番美しく見える場所だそうだ。

大仏様の左横に座っておられる虚空蔵菩薩。知恵の仏様

左後方の広目天。

右後方の多聞天。

大仏様右側の如意輪観音。慈愛の仏様。虚空蔵菩薩と併せて、自分に足りない部分を拝むと良いそうだ。

右からの大仏様。正式な名前があるそうで、盧舎那仏坐像と呼ぶ。・・・・読めない。

大仏殿の中の土産屋と、大仏殿の架構。隅だけ斜材が入っている。

大仏さんの裏にも、面白い物が並んでいる。これは柱材。建立当時の模型もあったが、現在と比べて敷地も広く、建物も両側に五重塔があった。焼き討ちにあったり、落雷での火事もあったらしい。現在は五重塔は一棟もない。

大仏さんの鼻の穴と同じ大きさ(直径40cm)で、穴くぐりをすると、幸せになると言う。挑戦している強者がいた。

こちらは戻りの回廊の土産屋さん。

五重塔は九輪だけ。

東大寺ミュージアム。

ミュージアムの看板の前の鹿

鹿のいる辺りには煎餅屋がある。煎餅を買った人間は、必ず大勢の鹿に襲われるストーリーが出来ている。

それがこれだ。近寄られても、触っても臭い。ただ、だんだん鼻が慣れてくるのが不思議だ。彼らは煎餅が主食では無く、広大な奈良公園の芝生の清掃係である。人間が芝刈りを行う事はないと言う。

 

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奈良三日目・春日大社

2016-07-25 18:19:12 | 

春日大社に移動する。私達は観光バスを使ったが、地図を見ると歩いていけない距離では無い。

春日大社では、式年造替が行われていた。伊勢神宮は式年遷宮(新しい社を造って移る)だが、ここは同じ場所に造り替えることである。

その造替に必要な浄財出者達の名前が並んでいる。

春日大社では、灯籠の数が三千基以上もあると言う。現在も増え続けている。2月の節分、8月14-15日の年3回、この全ての灯籠に灯が点る神事が行われる。

神が白鹿に乗って現れたそうだ。

さぁ、もうじきだ。

石灯籠の他に、吊り下げられた灯籠の数も多い。

春日大社には、山藤が多い。巫女さんの頭にも藤の花が飾っている。

鹿がおみくじを咥えている。仲良しになった姉妹に見せてもらった。

おねえちゃんは、大吉だよ。

お社(中には第1殿から第4殿まである。)には一般人は入れない。しかも撮影不可である。

この辺りはパワースポットらしく、カメラが写らない現象が多いと言う。

左側には大きな杉のご神木が立っていた。そのご神木の前に奉納された宮家の方々のお名前が並んでいる。1つの宮家の名前がないことは、随分前から問題になっていた。この宮家は、天皇陛下の生前・・・の噂が流れると、神武天皇陵に参拝した。愛子親王は生まれて初めての参拝だと言う。この宮家は、自分の立場がなんたるか、仕事もする気が無いように見える。

写真は、何のアクシデントも無く写った。

灯籠は1基づつ個性がある。

 

御蓋山浮雲峰遙拝所

春日大社に限らず、神社のご神体は鏡である。ここは山そのものが神として崇められている。目の前の山には一般人は勿論のこと、限られた人間が禊ぎを行った後で無いと入山できない。八百万の神しかり、日本人の宗教観は、このあたりにあると思われる。

本宮は造替の真っ最中の為、神様は御仮殿に移されているので、拝んでも駄目だという。

御仮殿に向かう途中、屋根から神木が突き抜けているのを見た。

その下の部分。これは建物が出来てから木が生えたのでは無く、逆なのだと言う。木にとって嬉しいのか悲しいのか。

屋根瓦の隅に桃があった。

普段は灯籠に火は点っていない。それを再現した藤波之屋。

色々見たい所はあったのだが、通り過ぎるだけ。

日本人は、赤く塗られた柱よりも、この生地色の方がなじむ。

帰りは別のルートを通る。

鹿煎餅を貰って手に取ると、すぐに鹿が近寄ってくる。可愛いけど汚くて臭い。神のお使いの鹿に襲われる。

暑い・・・・。

次に移動する。これは奈良県庁舎。入り口にせんとくんがいるのだと言うが。

 

 

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奈良3日目・興福寺(最終)

2016-07-25 18:08:06 | 

最終目的地の興福寺に着く。ここの時間の大半は、この国宝館で終わった。あの有名な阿修羅像を始め、とにかく国宝が多いのだとか。

国宝館の後ろに見える若草色の山は、その色の通りの若草山である。春の野焼きでも有名だが、三つの峰があり三笠山とも呼ばれている。

勿論、内部は撮影禁止なので、売店で写真集を買ってくる。

これは、享保2年(1717)の大火で焼け落ちた中金堂の再建を行っている。完成は平成30年の予定。ともかく檀家のいない寺は、予算を確保するのが難しい。阿修羅像などを他の国や美術館に貸し出しする事で資金を稼いでいるのだそうだ。

私達は、ここでバスと分かれた。砂利の中をケースを曳きづり歩くのは大変だ。  暑い。

東金堂に入るのもチケットが必要なので、遠くから眺めるだけにする。

南円堂を見る。

長い下り坂を下りて、昼食の柿の葉寿司を買いに行く。 暑い。

このアーケードの先に店はあると言う。

この店の奥で、食べるつもりだったのだが、人数が多いので席が足りなく、持ち帰りになった。またバスの中だ。

近鉄奈良駅のすぐ傍だった。我々が歩いたのは一日7000歩は超えていると言う。(最終的には2日続けて、平均1万歩/日近くなった。) 暑い。

歩き回るのも疲れたので、甘い物の店に入る。店先で色々試食して、かき氷の看板に引きつけられて奥に入る。

宇治金時

抹茶ラテ。冷たい物の横に、暖かい番茶が付いた。これは有り難い。

しばし、足を休める。

バスの中で昼食を済ませ、少しの惰眠の後に、伊丹空港に着いた。

空港内で、買い忘れたお土産を詰め込む。

羽田空港同様、山形行きはゲートの最後尾だった。グダグダ動く。

JALの小さな飛行機。

帰りも雲の上だった。新潟の村上上空から内陸に入る。山形空港にすんなり降りるのかと思いきや、グルグルと上空を旋回する。風の向きが悪いのか、予定よりも時間が掛かった。

解散式を終えて、それぞれ帰途につく。

私はその後、腹ごしらえをしようと出向く先々で、本日終了の憂き目を味わう。

やっと有り付けたのは、新庄市に入ってからだった。食べ終わると夜の8時は過ぎていた。

奈良で食べた麺類は、三輪そうめんだけだったなと思い出した。

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