無題・休題−ハバネロ風味−

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

東京行

2015-10-22 10:34:12 | 

始発で東京へ向かう。とても楽しみにしていた企画だった。朝5時に家を出れば歩いて丁度良いなと思っていたが、目が覚めたのが5時に5分前だった。ぎゃぁぁと声を上げ身支度を調えたが、とても歩いては間に合わない。車を走らせ、あせる気持ちを抑えた。駅に着くも、まだ特急いなほの車両も入っていないほど早かった。まったく悪夢のようだ。

無事に新幹線に乗れ、高崎ですれ違った北陸新幹線を撮す。私のアクシデントは朝で終わったが、同行者にはさらに乗車券を無くすと言う事態に見舞われる。結果、東京フリー切符を買っていったのが良かった。新潟駅の精算所の若い駅員さんは親切で、ここで精算をすると新幹線の乗り継ぎに支障が出るのでと、貰ったのが右の切符。左が東京駅で改札を出る時に貰った証明書で、現金を出すことなく改札を出ることができた。私も良い勉強になったと思う。他にもっと凄い状態の同行者もいた。

 

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トルコ航空のCM

2015-01-10 12:59:35 | 

 

Türk Hava Yolları | Hayal Edince (Dream) 

トルコ航空のCMが素晴らしい。何だか涙がこぼれて来る。

自分が子供の頃、こんなに大きな夢を持っていただろうか。そして行動しただろうかと考えさせられた。

あの大きな山が、ノアの箱舟が流れ着いたと言われているアララト山ならば、この空港はIğdırなのだろう。 トルコの極東に位置し、アルメニアとの国境も近い。シリア、イラン、イラクとも陸続きで繋がっている。

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会津若松・飯盛山

2014-10-28 15:06:42 | 

30分遅れで会津若松の飯盛山に着く。土産屋とらぞうのお姉さんが案内をしてくれた。「階段と有料エレベータとどっちを選ぶ?」か聞かれたが、皆がエレベータを選ぶ。

白虎隊の墓の前で説明を受ける。西軍から自刃した少年隊の遺骸を墓に入れてはならぬと言われ、野に捨て置かれたそうだ。3ヶ月後密かに近くの寺に仮埋葬され、現在の形になったのは明治23年だった。右の墓は会津の戦争で亡くなった白虎隊の墓で、左奥にあるのが、自害した少年達の物である。名前と年齢の書いてある墓は並んであるが、骨は中央の供養塔に合同で入っているそうだ。

日本の武士道と、白虎隊の精神に心を打たれたローマ市長ムッソリーニ(聞いたことがあるぞ)氏によって、運ばれたローマの碑。中央の石の柱は、ポンペイの遺跡から発掘された柱である。この他、ドイツからの物もあった。これらは、太平洋戦争後、進駐軍に削られたり、ドイツの碑は捨てろと言われたらしいが、床下に隠して時が過ぎるのを待った。なるほど日独伊だものね。

会津藩殉難烈婦の碑。会津の戦争で戦死したり、足手まといにはならずと自刃した、二百余名の女性達を祀った碑である。女も子供も自らの故郷を守る為に戦った。

会津の街。左奥の林の上に鶴ケ城が見える。白虎隊の少年達は、ここから城が燃えていると見誤ったのである。

猪苗代湖から続く灌漑用に造られた「戸ノ口堰洞穴」である。工事は400年前から始められた。この洞穴を通って、白虎隊の少年達は猪苗代から逃げてきたのだったが。

白虎隊を祀ったお堂。

中には、たった1人生き残った飯沼貞吉氏の写真も飾られている。彼は彫りが深く、日本人離れした顔立ちをしていた。

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塔のへつり

2014-10-28 14:58:52 | 

 

 鉄道番組で見た「塔のへつり駅」の、すぐ傍の踏切で電車を待つ。(あれれ電線がないからディーゼル車かな。)

まさか、こんなに簡単に駅を見る事が出来るとは思わなかった。せっかく来たのだもの、探しに行こうかと思っていたのだったが。秘境駅と言う訳ではないが、会津鉄道の面白い駅としてテレビで見ていた。この列車には様々な客車が着いていて全部違う車両だった。2両目はトロッコ列車のようにも見える。

 帰りに、バスの駐車場が目的地よりも駅よりだったので、集合時間に間に合うように走って駅にやってきた。写真を撮る為である。

丁度その時、会津若松方面から、赤い列車が入ってきた。線路はまったくの単線である。客がゾロゾロ降りてきた。

さて、目的地の塔のへつりだが、この揺れに揺れる吊り橋を渡る。なんでも過去に橋が落ちたことがあるらしく、30名以上載らないで下さいと立て札があった。若者達はおもしろがって揺らしたので、特に向こう側は船酔いを起こすほど揺れる。歩くにも支障がでて、女性と子供は叫んでいた。

水の浸食で造られたのだろう、岩の中程が大きくえぐれており、奥の行き止まりには賽の河原のように小石が積み上げられていた。この大岩の上に寺があり、勾配のきつい小さな石段が着いていた。

昔は、このえぐられた所をハイキング出来たそうだが、最近は崩れることが多くて吊り橋付近だけが観光できる場所だそうだ。

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南会津の前沢曲がり屋

2014-10-28 00:34:19 | 

 南会津町の前沢集落を見学する。

伝建地区に指定され、1棟は博物館として開放されていたが、他は現に住まわれている為、敷地内に入ることも許されていない。

水車小屋や蕎麦畑の横を通り、集落に向かった。

茅葺きの家が多い中、金属板葺きに変えた家もある。

ここがその博物館である。岩手県にある南部曲がり屋とも、少し内部も違っていた。

右側の土間に入ると、山作業の道具が飾られてあった。

昔の馬小屋の辺りにも、農作業用の道具があった。

 

土間の先には台所があり、竈は取り払われキッチンが置かれてあった。近年まで住んでおられたのだろう。

板の間の先には、座敷と仏間があり、縁側にも畳が敷かれてあった。仏間だけが縁つきの畳である。仏間の隣には寝室があり、小屋裏に続く箱階段があった。

馬小屋と言うか土間の上にも、物置に使うのだろう小屋裏があった。

中心部に移動してみる。

湧き水があり、手ですくって飲んでみる。軟水で美味しかった。

無人販売所があったが、この集落は殆どが農家だろうと思われる。観光客相手なのかな。

茅葺きもそうだが、保存しながら住み続けるのも楽ではないだろう。

土蔵には火事よけの「水」が描かれてあった。

集落に入る前の橋のたもとの蕎麦屋。ちょうど茅葺きの吹き替え真っ最中だった。

集落の名物「手作り豆腐」も大きければ、野菜天ぷらの量も蕎麦の量も多かった。

 

 

 

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郡山の夜

2014-10-27 23:49:00 | 

酒田からのバス移動。ここでも国の規制がかかっているようで、10時間を超えると1人の運転手ではいけないらしい。寒河江で運転手の交換があった。

都会の中で見かけた建物。

興味しんしんなのだが。

ホテルの窓の外

んでもって、朝の霧。

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建築士会全国大会・郡山

2014-10-27 09:00:33 | 

絶好の行楽日和、8時に酒田を出発し福島県郡山市に向かう。月山自動車道路は紅葉だった。ちょっと赤みが足りないかな。

アサヒビール園の本宮店でジンギスカン&生ビールを頂く。

郡山ビックパレットが大会の会場である。

受付を済ませて、開会までの間にお土産の屋台に向かう。

屋内での屋台だが、沢山のお土産屋の外に食事を摂るスペースも準備されている。

ちょっと面白いかなと思った郷土料理。おやつと言ったらいいのだろうか。10年味噌を使っているそうだ。

会場は多目的ホール。舞台も見づらいが、音も反響して聞こえにくい。

オープニングアトラクションは、常磐ハワイアンセンターのフラダンスで始まった。

大会宣言、主催者の挨拶の後、表彰式が始まった。

伝統技能者表彰は、山形県が代表して表彰を受ける。

佐藤雄平福島県知事の挨拶。

日曜日に、任期満了に伴う福島県知事選挙が行われ、投票率は低かったようだが、与野党支援の前副知事が大差で初当選した。佐藤知事の路線を引き継ぐ県政になるのだろう。原発事故前後の佐藤知事を、私は評価しなかった。何故、子供達だけでも疎開させなかったのか、まだまだ放射線量の高い地区に、住民を帰宅させようとするのかと思っていた。東日本大震災の後の首長さん達の苦労は並大抵ではなかったと思う。取り分け福島県は事情が違う。県民は飛散し、農水産物は売れず、観光客も来ない。交通の便の良い福島県に於いて、軒並み全国大会系の大規模な催しはすっかりと消えてしまった。

あと数日の任期の終わりに、建築士会のような全国大会を催されるまでになったと、半ば安堵のような言葉は、胸を打つものがあった。激動の知事時代だったと思う。お疲れ様でした。

それにしても、当選した内堀氏は、TVニュースで見ただけだったが、他の選挙の当選の場と違い、ニコリともしなかったのが印象的である。大変な任務なのだろうと思う。

夕日の映えるビッグパレットを後にした。

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旅行記を書き終える

2014-09-09 01:15:21 | 

撮影した写真は800枚を超えた。ダメダメなのもあり、ミッション中や記念写真は除いて、今回一緒に行けなかった方にも雰囲気が伝わるように選んでみた。観光旅行だったら、もっと多くの見栄えのする被写体もあったのだろう。このブログの写真をアップするのに、一日100枚の限定があると始めて知る。忘れない内に書かないとと急いだが、3日に渡ってしまった。

私にとっても予期せぬ渡航であり、再度の訪問は考えられない国でもある。強行スケジュールで、毎日新しい書類が届く。ホテルや移動中のバスの中で目を通したり、相手方とどんな話をしようかと頭がパンクしそうでもあった。書類を庁舎に忘れるなど失敗もあったが、領事館の皆さんにも随分と助けて頂いた。団体で動いたので差別的な事は受けず、想像していたのと違って、恐い国ではなかったのが大きな印象である。

さて、スーツケースに詰め込んだお土産を見てみよう。雑誌は読めないのに1冊、新聞も買ってきた。新聞紙はお土産の包装紙代わりに使う。

駄菓子の袋は一気に無くなった。

チョコレートはどれもしっかりと美味しかった。某Lメーカーのようにカカオをケチってはいない。せっかくの箱に入った高めのチョコは、無残にも箱がつぶれて、自家消費になる。駄菓子の中には外れもあった。一番左下の黄色の袋から、パサパサで苦手だった黒パンの千切りが出てきて笑った。これはコンビニで買った物だった。 

ウォッカ(ベルーガ)は抜群にうまい。

スーツケースにギュウギュウに詰め込んだので、丸いのを半分に切ったチーズはペッタンコに、青カビチーズは原型を留めず、汁も滲んでいる。ビニール袋に入れて持ち帰ったのは正解だった。開けると猛烈な臭いがして、香りに敏感な姪が死にそうになった。w 大きなチーズは細かく分けてお裾分けする。崩れかかった青カビチーズは信じられないほど美味い。買うんだと意気込んでかかったキャビアは、乱獲がたたって高価になったそうで、一缶が現地で12000-15000円もすると言う。んな物は買わない。

 

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渡航1/22

2014-09-07 11:09:27 | 

観光目的以外の査証を取るのは始めてだった。色々と書類が多い。しかも、もしかすると入国を拒否される人もいるそうで、「それは誰なの、あたし?」と聞いても答える事は出来ないそうだ。ちょっとドキドキ。申請後、時間がかかって無事ビザが届く。

リムジンバスで羽田から成田へ移動する。(写真が小さい時は、ピントが甘いか、バスの中からの撮影の為写りが悪い時です。)

腹ごしらえの讃岐うどんのランチセットを食べる。

搭乗手続きの列に並んだ。

乗る飛行機のあまりの小ささに驚く。庄内空港への航空機の方が大きい位だ。

英語なら1行で足りる文でも、2行も使う国。

「君は何しに来たの?」いやいや、それは「いらっしゃい!」だろうが。

と、言う訳で、ロシアのウラジオストクに向かう。

2時間ちょっとのフライトなのに、昼食が出る。食事に期待はするなよと言われていたが、その通りだった。特にパンがまずい。が、チーズとマヨネーズが意外な程美味しい。ちなみに、右上のカップには、コーヒーか紅茶が入る。その注ぎ方が凄い。

そんなこんなで、日本海を渡り大陸に着いた。

海からずっと、集落のような物は見えず、ひたすら森林だった。ダム湖が見えてくるとまもなくウラジオストクのようである。こんなに森林が多いのだもの、日本の森林や製材が勝つわけがないなと思っていたら、ブナやナラの原生林らしい。

無事に飛行機は到着した。

 

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渡航2/22

2014-09-07 10:15:35 | 

酒田港と極東アジア、特にロシアのウラジオストクとの貿易の為の定期航路を結びたいとの目的で、今回視察に加わった。

ウラジオストクの空港の滑走路側は英語で、正面玄関はロシア語で名前が書かれている。

タクシーも止まっているが、我々はバスにて市内に向かう。このバスが韓国製で窓は黒いシールで覆われ、外からはまったく中が見えない。中から写真を撮るにも色が変わってしまうのではと思った程だ。

スケジュールが強行軍で、観光地は一箇所だけと、町並みや建物をどんな風に写真に納められるだろうかと悩むほどだった。

空港から湾に架かる長い橋を渡る。2012年にAPEC会議がウラジオストクで開催されるのを切っ掛けに、ロシア政府はドンと予算(3兆円)をつぎ込んで街を改良した。その時に出来たのがこの橋である。

湾の名前が金角湾。イスタンブールの金角湾に由来する。入江は深く不凍港で、天然の良港とは羨ましい限りである。

ウラジオストクは、ロシア沿海地方の第2の街で、緯度は札幌と同じく、人口は62万人ほど、ロシア人の他ウクライナ人、朝鮮人、タタール人、ベラルーク人などが居住している。

レストランでの夕食後に出た街の風景。坂道が多く、道路はせまく感じるほど自動車で溢れかえっている。

レストランではサラダ、ボルシチ、チキンソテー、アップルパイを頂く。日本の企業の代表や要人、領事館の方々とのミーティング付き食事の為、料理を撮すことは叶わなかった。私の席の後ろでは、ロシアの女性がピアノを弾いてBGMにしてくれていた。

ホテルの風除室。この街で一番古いホテルである。

カウンターは、ほぼ私の目線の高さである。背伸びしないと天板は見えない。右はエレベーターホール。絵は多分売り物と思われる。

右のケースの食器もお土産品である。

ホテルのロビー。

日本とウラジオストクとは2時間の時差がある。日本の方が日付変更線に近いのに、このウラジオストクの方が2時間早い。広いロシアの国土をモスクワを中心に区切っていった為にこのようになった。日の出日没も、感が狂ってしまうほどだ。

私のようなペーペーが泊まる所ではないのだが、同行者のレベルに合わされている。同室の予定だったロシア女性は実家に泊まったのかと思いきや、別のホテルを予約したらしい。このホテルの格式が高い→値段が高い→客が少ない→食事も悪くなる。とスパイラルに陥るのだと後で教えてくれた。

でかいベッドを独り占めである。でも2人で寝たくはない。

バスルーム。トイレのフラッシュボタンは、トイレットペーパーの下にある。紙巻き機はなく、いちいち身体をひねって紙を掴む。

ロシアは基本各建物にパイプを引き、温水暖房で室内を暖めている。このタオル掛けは触れないほど熱かった。

コンセントの形はこんな風になっている。

熱いので洗濯物を乾かすのに持って来いである。ただパイプに接している所だけが乾くので、靴下もこんな風にして干すとばっちりである。

男性達は夜の街に出かけて行ったようだが、私は部屋でテレビ三昧をしていた。あまり眠れていない。

朝食は切っただけのきゅうりとパプリカ。ハムとチーズとソーセージに目玉焼き。ヨーグルトにミルクにコーヒーである。料理の種類の少なさに驚く。私は早めに席に着いたが、料理は無くなると補充しないようだ。

ホテル内は至る所にステンドグラスがあり、綺麗である。

ホテルの外観。

その前の道路は一方通行で、3縦列駐車されている。自動車の殆どが日本車だった。

左のイルミネーションが着いている店は、24時間営業のコンビニ(小さなマーケット)だった。早速入って、色々な駄菓子袋を買う。中はゲートがあって、一度入ると精算をしないと出られない仕組みだった。食料品が主で、総菜や一部の生活用品が置いてあった。

 

 

 

 

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渡航3/22

2014-09-07 09:15:45 | 

天気予報どおりに雨である。

朝一番に、ウラジオストク港の税関を見学する。これは隣接する鉄道にコンテナを移すクレーンである。

税関の中に入って、始めて犬を見る。シェパードだった。単なる番犬なのか、麻薬犬なのかは判らない。この後色々な場所で犬と鳥は見かけたが、猫を見つけることは出来なかった。我々が町歩きをしていないからなのだろうと思う。

税関内では、ロシーニン副税関長と係員数名が案内してくれた。副税関長は若い。

ともかく広い。

不凍港である為に、沿海州の貿易を一手に引き受けているようだ。

コンテナの中の検査。

屋根がかけてあるのは、精密機械(PCなど)だからだ。

タイヤも新品と中古があった。ほとんど日本製。

国内の流通物はこのブースには並べない。あくまでも輸入輸出品のコンテナである。

税関の検査は書類さえ整ってあればスムーズである。この後に検疫も待っている。検査時間は1日8-10時間程度、年中無休だ。港湾での荷物の発着は24時間稼働らしい。

人間の目視による検査の他、X線車での検査も行う。これは、コンテナはその場で、X線車が動いて調査する。

基本的にコンテナは電磁石で持ち上げる。

港湾労働者達の休憩風景。

ともかく、埠頭にはクレーンがびっしり。

商業港の他、軍港もある。

 

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渡航4/22

2014-09-07 08:30:33 | 

日本総領事館で、レズチコフ農監督局植物検疫・穀物品質部次長との意見交換会を行う。

日本での震災以来、放射能を心配して、日本からの農作物の輸入に支障が出ていると外務省は言っているが、それは現地ではどうなのかとの質問に、検疫ではそんな事はない。その問題は税関が担当であるとのこと、ここも縦割りが大きいようだ。ロシア側としては、一部の県を除いて農作物の輸入は問題ないそうだ。植物検疫はかかっても3日以内に終わるとのこと、基本的にサンプル検査では無く、全品検査らしい。腐りやすい農産物、いちごのような物は輸入には不向きである。

冷蔵コンテナもあり、農作物を運ぶまでは良いが、税関や検疫で検査する場所は冷蔵設備が整っているのかとの質問には、輸入する業者で対応して欲しいと、行政はさらっと逃げた。逆に日本からの検疫が厳しくて、ロシアもそれに併せて差が無いようにしたいとも言っていた。

領事館の隣は中国銀行。

街にはバスストップの近くに、こんなショップがある。商品に番号がふってあり、番号で買い物をする。

ウラジオストク市役所。とても庁舎には見えない。

ロシア正教の教会は独特である。

デパートでの食事と市場調査を行う。

レストランは地階にある。

レストランの室内。時間が押せ押せなので、急いで頂く。

ロシア女性は脚が長いのに、若い女性は厚底やハイヒールが流行らしい。

若い女性の服は、日本とは違う傾向だ。

ロシアの若い女性は美人だらけである。歳を取るに従って・・・・BANG、BONG。 私もなんだかホッとする。←自称でぶ談。

 

 

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渡航5/22

2014-09-07 07:47:36 | 

今回の視察で訪れた、唯一の観光場所の鷲の巣展望台から眺めた市内の光景である。

しかも雨だし・・・・。

軍港

風もあるし・・・。

おや?

こんな所に、こんな鳥が。

ちょっと目の鋭いカササギである。羽根に青い色が入って綺麗な大きめの鳥である。

日本ではお目にかかれない植栽も見られた。

錠前を結びつけるのは、何処でも同じだった。

後はお土産屋に入った。

 

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渡航6/22

2014-09-07 07:43:11 | 

沿海州で一番大きな貿易会社FESCO社を訪問する。

会議室に通される。

壁には船の絵と写真が、天井には絵が描かれていた。

FESCO社の定期航路担当者イワシフ氏のお話を伺う。社は貿易だけでなく、幅広い事業を行っている。船は自動車の運搬を始め、GTSL定期航路の船の総合社として23隻の船を持ち、港湾ターミナルエミション、商業港、鉄道港湾施設、船員のホテルなどを手がけている。

韓国の釜山には週1、日本には週2のペースで運行している。日本では各港を回る為、日数を要している。積み荷さえあれば酒田港も視野に入る。最近の日本からの普通車の輸入は減ってきているが、ロシアそのものの景気は悪くないので、大型トラック、建設機、電気(?)を輸入している。冷凍貨物も扱っており、ウラジオストクからは国内に鉄道を使い運搬するルートと、黒海の港を使うルートがある。税関のアドバイス(書類書きはは非常に大切で、不備だったり荷物が違っていたりすると、そのままコンテナが戻されるらしい)などのカスタムブローカーでもあるそうだ。

  

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渡航7/22

2014-09-07 07:40:01 | 

沿海地方州政府との懇談会に向かう。相手のトップは、ウソリツェフ第一副知事。それに国際協力観光促進部長、経済戦略発展局長、外務省代表部次長、地方投資エージェンシー、通訳と並ぶ。こちら側は酒田、鶴岡、山形、仙台、東京から出かけた面々で我々はオブザーバーのように後列に座る。

ロシア政府は極東に力を入れていること。「トル」と呼ぶ経済特区に指定され、土地収用などに税制緩和処置を置き、産業を作る体制になっている。対外貿易では中国、韓国が多いが、日本には特別な信頼と期待があること。日本とは飛行機で2時間、船で1日の距離である。貿易の他に、資本と技術協力が欲しいと言う。それで作った物を買ってくれと実に虫の良い話がされていた。「ロシアは宇宙開発など特別に優れている面があるのに、何故自動車産業などの開発は遅れているのか。」との質問に、「熱意と集中が足りないから。」との副知事の答弁である。会議の内容は録音されているかも知れない。

震災前は酒田市からも視察団が訪れて、貿易の話もあったのだが、震災後はさっぱり無くなったそうだ。

庁舎の回りの町並みである。これは着いた時のもので、左の灰色のバスが我々を運ぶ護送車である。ちなみに道路は右側通行、左ハンドルなのだが、日本車は右ハンドルのまま通行している。

帰りは雨の中を走って写真を撮る。バスは銅像の近くに停めてある。

ナントカ革命の人達の銅像らしい。名前は忘れてしまった。

港のすぐ脇で、帆船も泊まっていた。

 

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