無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

酒田の風景

2017-01-24 10:03:19 | 酒田

公益大前の道路。少しだけ青空が見えた。

その帰り、出羽大橋の上から見た鳥海山。モコモコの雲に覆われている。

烏賊釣り船。季節外れとでも言うのか、ヤリイカが大漁との噂が聞こえてきた。ヤリイカの刺身は美味い。

奥に見えるのは漁協。

酒田袖浦埠頭の漁船。何故、こんなに海が穏やかなのに、出て行かないのかと言ったら、今朝帰ってきたんだと聞いた。烏賊漁は夜だったか。

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灰色の空

2017-01-23 09:52:52 | 酒田

下り坂の向こうには、風力発電の風車が立っている。プロペラが灰色の空に溶けてしまった。

それにつけても、電線の醜さよ。

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酒田の木で家づくり無料相談会

2017-01-14 15:21:41 | 酒田

酒田市の寒ダラ祭りと同時開催の、さかた木づかい夢ネットと家づくりネットワーク酒田飽海主催の第11回酒田の木で家づくり無料相談会が、マリーン5清水屋で開催される。

いつもならスタッフとして参加するのだけど、残念ながら私は欠席となる。相談に限らず、色々な催しがあるので、是非寒ダラ祭りと一緒に出かけて欲しい。

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酒田大火の記録

2017-01-14 15:11:24 | 酒田

日経アーキティクチャのアーカイブに、酒田大火の記事があった。酒田市で刊行した酒田大火の記録に比べれば、ページ数も少なく、あっさりとした物だが、糸魚川市の火災で俄然過去の酒田大火が脚光を浴びている。強風時に起こった火災として似通った点も上げられるが、復興の力とスピードは、世界に例を見ない事例だと思う。

それは数百年に渡って、繰り返し大火を味わってきた酒田の住民のDNAが、我々の中に伝わってきた証なのであろう。

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謹賀新年

2017-01-01 16:32:47 | 酒田

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 

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追跡

2016-12-28 15:06:41 | 酒田

或る日の追跡と言うより、目の前を走っていた車達が、徐々に捌けて、気がついたらパトカーの後ろになっただけである。

この交差点で左折する私は、パトカーと別れを告げる。さて、雨の降ってきた夕暮れの交差点、ここはど~こだ!←んな、判るか!!

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ここは何処だ

2016-12-26 10:45:49 | 酒田

酒田市内から見える鳥海山。せっかくの勇姿なのに、電線が邪魔をするのは、何処でも同じだ。

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酒田の町を模型に

2016-12-20 11:05:31 | 酒田

まちづくりデザインスタジオでは、隔週の月曜日に酒田まちなかキャンバスの2階で、酒田港を中心にした町づくりの研修会を行っている。当面は酒田の町の模型づくりだ。

道具が少しづつ揃ってくる。

酒田市の市街地図を1/1000にして、模型の土台作りを行う。引き延ばした地図を貼り付けている。

地図全体を3.3㎡になるように切る。土台のスタイロフォーム毎、持ち運び出来るようにする為だ。

地図全容。そして、繋いだ物を惜しげも無く半分に切る。

青いスタイロフォームに、水で薄めた木工用ボンドを塗る。

2ミリのスチレンボードを3枚繋いで、ボンド付けしたスタイロフォームに貼る。

上に重しを載せ2-3日以上寝かせる。

建物用のスタイロフォームを熱線で切り取る。1/1000なので、10mが1cm。かなり小さい。

分担された街路に、建物を貼り付けるのは、各自正月休み中に行うことになった。平屋や2階建ての住宅が並ぶ街区は比較的簡単だが、寺町に当たると大屋根を作るのが面倒だ。街区を選ぶのは早者勝ちらしい。設計事務所は難しい所を選ぶようにと言われる。

 

 

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ホストタウン酒田

2016-12-20 10:20:07 | 酒田

The Promotion to NZ from Sakata

酒田市が、2020年のオリンピック・パラリンピックのホストタウンとして登録が決定した。交流を予定しているのはニュージーランドで、東北公益大学の「ニュージーランド研究所」の活動を通して、トライアスロンの事前合宿を誘致していることが認められた。

ホストタウン酒田の紹介をされているのは、東北公益文科大学のティモシー先生。映像で見ると、酒田も綺麗だなと思う。

 

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十文字町道の駅

2016-11-30 21:17:27 | 酒田

あまりに沢山の道の駅を渡り歩く。この十文字町道の駅では、ポリフェノールに特化した野菜や果物をゲットする。

赤い蕪や赤い大根、それと赤大根の種で作ったのだろう、茎が赤いカイワレ大根も買った。白菜の隣の緑の塊がそうである。

その中で一番目に付いたのが、黒柿だった。小さいが甘柿だそうだ。実の中の種が4粒以下は渋いが、それ以上だと甘くなるらしい。通常は8個ほど入っているそうだが、実その物も小さいので、さぞかし食べる所が少なかろうと思う。黒柿は、建築用材では茶室の炉縁によく使われる。とても固くて、柿の木1本倒すのに、ノコギリが2-3本駄目になるそうである。植えてみようかしら。

カウンターにさりげなく置いてあった水槽に。

あきらかにウーパールーパーのような生き物が。

静かにこちらを伺っていた。

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西馬音内(羽後町)

2016-11-30 20:40:17 | 酒田

盆踊りで有名な西馬音内を目指す。

目的は、昼食の蕎麦である。中身が見えないほどの大きな掻き揚げが載っていた。

かき揚げをパキパキと箸で折ると、中から蕎麦が顔を出した。掻き揚げ大き過ぎ!!

店名は、羽後町の彦三と言う蕎麦屋で、仏壇のある二間続きの和室で、入れ替わりの激しい客達と一緒に食す。有名な店らしい。

せっかく西馬音内に来たので、盆踊りの行われる町の通りまで行って見ることにした。

右側が、西馬音内盆踊り会館。自由に入って見ることが出来る。

 

戸袋の細工が綺麗だった。

このような建物が周りを囲む町のお祭り広場で、盆踊りは行われるようだ。

これは広場に隣接する図書館。

西馬音内盆踊り会館では、受付の2名の女性が色々と教えてくれる。入るのは無料だ。ここは盆踊りのステージ。実は、このスクリーンの後ろに素敵な盆踊りの絵を染めぬいた幕があった。

2階の大広間。

その広間の畳の縁に刺繍で施された盆踊りの絵

ついで、最近出来たらしい羽後町の道の駅に寄ってみる。端縫いの里とあるのがキーポイントである。

これは道の駅

ここの盆踊りは、このような衣装を着けた女性が編み笠を被って踊る。浴衣や単衣の着物に、色取り取りの端切れ布を縫い付けて衣装にする。

普通の着物では、似つかわしくない。

 

編み笠を被る女性と、目の部分をくり抜いた黒い布を顔に被せて踊る二通りがある。踊りの動きも綺麗だが、溜息が出るのは、撓った手の動きである。

蕎麦も、独特の製法らしい。

道の駅のレストランで、綺麗な東向きの田んぼを見ながらジェラードを食べた。寒いのに。しかもダブルで、お腹がパンパンになった。そっか、掻き揚げも食べ切れなかったんだ。

 

 

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鳥海山の背が高くなった

2016-11-04 08:17:46 | 酒田

土門拳写真記念館と東北公益大学の間の通りも、紅葉が進んできた。

公益大で31日に開催された「港町の再生、日本と世界」のシンポジウムは、ブラタモリなどに出演されていた岡本哲志氏の基調講演が面白かった。氏は前日の酒田港の散策にも参加された。賑わいの面で酒田港は現在大型客船の誘致を行っているが、酒田北港に停泊しバスで市内や県内に移動する方式は、あまりに動線が短くて、せっかくの酒田の街を蔑ろにしている。出来るなら大型船から小型船に乗り換えて、酒田本港から市内に乗り込む姿勢の方が良いと仰った。酒田本港が本来の酒田の玄関とするやり方である。クルーズ船が、賑わいのある本港に停泊できず、工業港の作業口の北港へ入港するのは、あまりに殺風景なのである。

日本の港の魅力のランク付けの話も興味深かった。1-2位を争う神戸港と横浜港は、まぁ妥当だと言えるが、あんなに努力している門司港がかなりの下のランクなのに驚いた。酒田港なんて、どうやったら魅力なんて出来るのさ。それと、港湾事務所長のB/Cでガックリに拍車がかかる。日本は京浜港と阪神港を重点的に発達させる。物資の荷下ろしに便利な櫛形の埠頭は、もはや時代遅れで(博多港の櫛形埠頭を否定された。)コンテナの荷下ろしに必要な広いバックヤードを持つ港に移行している。コンテナヤードは人々が入り込む空間はなく、荷揚げの為だけの施設である。賑わいを求めるなら、それ相当の設備のある波止場が必要なのだそうだ。それを造る予算はない。トイレやシャワー(大浜海岸)も、B/Cで吹っ飛んだ。夢は木っ端みじんだ。来週からのデザインスタジオは、うまく行くのだろうか。

これは水曜日の鳥海山。雪が随分と降りてきて、背が高くなった。出羽大橋を渡るとて、この勇姿を何としても撮したいと、京田川のこちら側に車を突っ込む。ちなみに、この場所は通行止めの柵が道路に刺さっている。

千畳ガ原は辛うじて紅葉のままだが、ここ数日の低気圧でますます白い化粧は進むのだろう。

 

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酒田大火40周年・町歩き

2016-10-31 13:58:10 | 酒田

酒田大火から40周年の節目を迎え、酒田大火シンポジウムの前段で町歩きを行った。時間までに酒田市役所に着くと、驚くほどの人がいた。せいぜい20人程度だと思っていたのだが、渡された資料も足りなくて仏壇の佐藤さんはコピーしに走った。参加者は勿論酒田市民もいたが、遠くから参加された人も多いのに驚いた。特に太平洋側からの方は、震災復興のヒントになるかと考えたそうである。

JC酒田青年会議所 7月例会「酒田大火」 5分50秒

40年前の酒田大火とはどんなだったかを、少しだけ紹介した動画があった。酒田JCさん達の物らしい。NHKではドキュメンタリーとして30分か1時間番組を作っていた筈だ。以前、別のシンポジウムでそれをお借りした事があった。

若干の説明の後、移動する。信号を渡るにも大勢過ぎる。

まずは、火元のグリーハウスの辺りで説明を受ける。グリーンハウスは、とても素敵な木造の映画館だった。残念なことに、そこが火元となり、折からの30km/sの強風に煽られ燃え広がるのだが、鉄筋コンクリートの大沼デパートに囲まれ延焼までは時間が掛かった。大沼デパートが突破されると、ト一屋方面へ横に火が走った。もう一団はアーケードを煙突のようにして風下に向かう。

上空を真っ赤にした炎は、大きな川の流れのように遙か彼方へ火の塊を運んだ。火の粉なんて可愛い物ではない。木材が燃えながら飛んで行く。

防火帯となり得るだろう広い道路は軽々と突破され、新井田川に陣取った山形、新潟、秋田の応援を貰った消防は、川の水を水源にして水の壁を作った。新井田川の傍の建物は、燃えない内に延焼を防ぐ為に取り壊された。さながら江戸時代の火消しである。風下から消火の放水を行っても、強風の為に水が戻ってきて火に届かない現象が起きた。風上から燃え終わった所へ消火を行っていたが、これではらちがあかないと最後の新井田川の水の砦を築いた訳である。もし新井田川が存在していなかったら、バイパスまで燃え広がったと思われる。

さて、復興も早かった。火事に慣れている市民は、歳末商戦まで仮設の店舗を柳小路に建築する。仮設住宅は火災が済んだ3日目には出来ている。復興はスピードが命だ。新たな公園や道路を造る為の敷地の減は各家に及び、敷地を売り払って郊外に引っ越しをする人もいた。大火後の都市計画では防火地域が設定され、個別に造るのでは無く共同で店舗を繋げる計画も進んだ。被災者は諸手をあげて酒田市の提示する復興に賛成した訳でもない。特に酒田商人は一国一城の主の感覚が強い。それが我慢する所は我慢し、復興に協力した。その手法は「酒田方式」と呼ばれ、その後の阪神淡路や東日本大震災でも参考にされた。ところが、被災者の気持ちを汲むこと無く、強引な手法のみが一人歩きし反感を買った地域もあった。

「飼い主を待っているのでございます。」

地下を駐車場にし、地上は公園にした。この道路は、現在は車両の通行可になっているが、復興当時は先進的な歩行者道路にした。いかに地下駐車場を造ったとて、地方都市における車社会には対応出来ず、折からの郊外大型店舗の出店と共に、空洞化現象に拍車がかかり、商店街はシャッター街へと変わって行く。

今回の町歩きの先導の先生は、町の中心部の空洞化は全国的で、逆に大火後40年を経て商店街が生き残っているのが珍しいとも仰られたが、それは商店街の人々の血の滲むような努力の賜物だとも思う。復興時は借金するにも利子が高い時代であり、木造から耐火建築への移行で固定資産税も高かくなった。随分と無理な中で、頑張ってきたのだと思う。日本が高度成長時代やバブル期を迎えても、山形県は酒田市のせいで土地の値段は下がり続け、経済も停滞する。その痛手は今でも引きずっている。まだ若者が多かったから復興が出来たのではとも考える。今、同じ事が起こったら、復興は無理だろう。数年前の今町での数件を焼く火災では、1軒のみ新築したが、空き地は残ったままだ。

助かった薬師さんの神木。

 

延焼を免れた本間家本邸は、西側に土塀、土蔵、防火林で、母屋を防いでいる。昔からの工夫だ。

ちなみに、酒田のお金持ちの家の屋根は、特殊な赤瓦である。赤松は400年もの。神社仏閣にも、この瓦が使われている。一般の町屋は黒瓦か杉皮の石置き屋根だった。現在の建築基準法では、この石置き屋根では建築できない。復元された石置き屋根は鐙屋さんで見ることが出来る。

本間家本邸。南側が酒井藩主を迎える武家の書院造りになっており、奥が町屋と2つの形式で造られている。当主の光丘さんの部屋が驚くほど小さい。光丘さんは公益の走りで、自らは質素に励んだ。本来なら藩主が行うべき公益の事業も、本間家が先頭に立って行った。日和山の造成や黒松林の植林も手がけ、庄内平野を防砂から守った。

酒田は冬の季節風が台風並みの強さである。江戸時代は5-7年毎に、何百何千軒と燃える大火を繰り返している。驚くのは復興する力と速さだ。明治の庄内地震を境に、大火は納まったが、酒田市民のDNAに火事の記憶が残っている。酒田市の消防も優秀で、「強風の時には火事は起きない。起こさない。」のジンクスがあったが、今回の大火でそれは消えた。

 

お社があるのに気がついた。

長屋門。その板戸がケヤキの一枚物である。

 

 

 門の扉の金物。

 本町通りの長屋門は、藩主の物。この中央の門が男門。もっと奥に女門があって、人によって分けられている。

本間家の横には、昔堀があった。

新井田町の歩行用の道路。中町もそうだが、車社会の地方に置いて、車の出入りを閉め出すのは、致命的である。

資料館で、丁度酒田大火40年の記念の展示があった。

 

 受付に申請すると撮影は可である。ただ、資料は公開不可だと思った。

本町で見かけた元米屋さんの建物。町屋の造りの店。和風の小物が置いてあり、今度ゆっくり行ってみようと思う。

お昼は三日月軒にした。ここは基本的に大中小のラーメンしかない。酒田のラーメンである。

 

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九州へ 9 門司港レトロ散策

2016-10-26 18:29:10 | 酒田

バスはひたすら高速道路を北上し、門司に着く。

バスが門司港に着くと、かちどき橋が跳ね上がっているのが見えた。急いで走る。

門司の港である。

まずは、門司港レトロハイマートの展望台を目指す。

高いビルディングもひとっ飛びと、エレベータは高速だった。

カウンターで見かけた地ビール。

門司港が一望出来る。

まさか、あの吊り橋が関門大橋なの!瀬戸内海の橋を見てきた者にとっては、小さい。

すると対岸は下関なのか。凄く近い。まるで海ではなく、幅が川のようである。

この中央の建物はホテルだそうだ。

かちどき橋は、歩けるようになっていた。

門司駅の脇に、北九州鉄道博物館が見える。

この2階建ての建物がそうだ。

クレーンが上がっているのが巌流島の辺りだそうだ。

こちらにも高い塔があるが、下関も負けずに建っている。本当に近い。

この中央の洋館が、今日の昼食会場で、重要文化財の三井倶楽部である。

さて、地上に降りた。

まずは一番離れた関門海峡ミュージアムを目指し、岸壁を早足で歩く。

ハロウィンにピッタリの洋館だ。コウモリが飛んで出てきそうだ。

おっちゃんがエンジン音を立てて通り過ぎて行った。

橋を渡る。

これが先の地ビールの工場なのか。

上から見かけた遊覧船。

かちどき橋と、門司港レトロハイマートを見る。ちなみにこの塔は黒川紀章の作品である。上の円柱を横に切った部分(ヘリポート)は、如何にも彼らしいデザインだ。

船のチケット売り場。対岸にも巌流島にも行く。

福岡県警の船。

海上保安庁の船。

ここが目的地。

時間が無い中、Nさんがうまく交渉してくれて、誘導員とエレベータを使い、最速で中を見学する。

展示施設は撮影禁止である。巌流島から下関条約に及ぶ関門海峡の歴史を、映像や人形で表していたが、恐くてきちんと見られなかった。私は人形恐怖症である。

さて、展望デッキからの眺め

関門大橋を含むロケーションは、こちらの方が良い。と言うのも、直接外で見られるからだ。

屋根のついた、こんなデッキである。

急いでエレベータで1階に降りる。せっかくだからと、昭和レトロ館を通過する。

門司は横浜とも違うがいち早く西洋文化を取り入れた場所でもある。

2階部分もあったのかと、いまさらに思う。

なかなか趣のある警察署。

旧大阪商船の建物。この中に「海賊と呼ばれた男」の出光美術館がある。入ってみたら、残念な事に新しく建てられた美術館への移行の最中で、しかも10月29日にオープンだと言う。1階にわたせせいぞうギャラリーがあったので、これで済ませた。

門司港では、焼きカレーが有名なのだそうだ。この帆船もカレーの店だった。

こちらが三井倶楽部である。ただし、裏側になる。この隣接する木造の和風住宅も興味深い。

こちらが表側で、2階はチケットを購入して入場出来る。

靴を脱いで階段を上がる。

大きく、アインシュタイン夫妻が宿泊した部屋は撮影可だが、林芙美子資料室は不可だった。

リビング

寝室

アインシュタイン直筆

トイレに

バスルーム。

そして食事。

魚料理である。

コーヒーカップの模様が全員違うと言う。

食事を終えて移動する。

漆喰塗り。左官職人の腕の見せどころである。

玄関ホールへ

良い物を見せて頂いた。

屋根瓦の特に棟瓦に特徴があった。

何だか、面白い細工がしてあるのだが、ここは立ち入り禁止でもあった。

同じく観光地であっても、湯布院は張りぼて感のある観光地であり、門司港は重要文化財が多く立ち並ぶ観光地だった。建築的には後者の方が嬉しいが、古い建物を維持して行くには大変な努力がいる。それに比べて新しい建物の劣化が早い。

湯布院は、観光客のリーズに併せて、どんどん変えて行けるエネルギーを持つ。果たしてどちらが観光地として生き残るのかは分からない。門司港は素敵な場所と私の目には映った。

こうして門司港を後にする。

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渡部昇一『書痴の楽園』 #13 時代小説の大家 藤沢周平②

2016-10-04 23:10:32 | 酒田

渡部昇一『書痴の楽園』 #13 時代小説の大家 藤沢周平② (30分・CMあり)

鶴岡弁はテロップが出ないと、判らないだろうなと思う。渡部先生は未だに鶴岡弁は達者だ。

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