
5月21日、酒田祭の最終日、ガーデンパレスみずほにて、国交省港湾局長の浅輪宇充氏をお招きして「酒田みなとの夕べ」が開催された。
浅輪氏は東京都生まれ、東京工業大学から当時の通産省へ、本庁から赴任と言えば海外が2箇所、初めての国内の赴任先が酒田港だった。
平成17-18年に酒田港湾所長として赴任され、酒田港の長期構想などを手掛け、我々に強烈な印象を残した。
平成17-18年に酒田港湾所長として赴任され、酒田港の長期構想などを手掛け、我々に強烈な印象を残した。
本庁に戻られてからも、影になり日向になり酒田港の為にご尽力頂いた。
我々のお願いにも気軽に時間を取って頂いて、クルーズ船寄港にも力を貸して頂いた。
我々のお願いにも気軽に時間を取って頂いて、クルーズ船寄港にも力を貸して頂いた。
そんな身近な方が、港湾局長になられていたなんて・・・驚く。

主催者挨拶

来賓挨拶 衆議院議員 加藤鮎子氏

山形県知事 代理 挨拶

遊佐町長 挨拶

酒田副市長 挨拶

酒田港湾所長による酒田港の現状解説

メインの浅輪局長の講演が始まった。

酒田の思い出から、日本の港湾の現状と課題、未来の港湾について述べられた。
国内最初の赴任先であった酒田の印象が強かった。到着当日に夕食を食べに駅前に行くと、ジャスコが閉店セールをしておったそうな。
食事を摂る店は見つからず、ジャスコで自転車を買い、中心部へ戻る。

浅輪と言う苗字が珍しかったのか、市内の飲み屋に入ると、次の日には多くの人がそれを知っている。
酒田タクシーの無線で、自分の移動が他の人の耳に入る。
酒田タクシーの無線で、自分の移動が他の人の耳に入る。
浅輪さんは、昔からお話が面白かったが、頭の回転の速さも輪をかけて、とんでもない立場に上りついた。

若い酒田舞娘からも花束を
