【続:虎ノ門サイエンス】人類の起源はどこか?世界最多の石器時代の遺跡が存在!日本と日本人のルーツに迫る!

トイレ休憩に寄った由良の海。

由良には漁港もホテルも民宿もある。
のんびりと泊まるのも良さそうだ。
のんびりと泊まるのも良さそうだ。

岬の向こうに雲に隠れた鳥海山が見える。

石垣に張り付いたマメ科の黄色の花。

浜辺の砂地に育っていた植物は、あのマーガレットに似たキク科ではないだろうか。

波に打ち上げられたのは、様々な海藻が絡まった物。
磯の匂いがする。

貝殻は持ち帰り、メダカの水槽に入れようと思う。

山形市のパレスグランデールにて、(一社)山形県建築士会総会が開催された。

昨年も開催してはいたが、コロナが5類に治まって、ようやく日常が帰ってきた気もする。

来賓を迎え、総会も無事に終わった。

懇親会の始まりである。日本酒で乾杯。

このスズキの揚げ料理で、一見じゃがいもの付き合わせと三つ葉を小皿に取り、パクっと口に頬ったら、じゃがいもではなく丸々のニンニクだった。
思わず紙に戻す。三つ葉と思ったのは、コリアンダーだった。
ああ、頭がクラクラする。

手羽は紹興酒と八角の味がして美味しい。
中央に埋もれた鶏肉は、別の味付けがしてあった。
中央に埋もれた鶏肉は、別の味付けがしてあった。
同じでもいいのにな。

台湾そばだそうだ。中華料理と言うわけでもなさそうだ。

パレスグランデールの中庭は健在だった。

山形市に行くとて、市役所の前に集合していた頃、市の緊急放送がスピーカから流れてきた。
朝から市街地を闊歩していた熊が捕まったらしい。
県立酒田東高校近くで目撃されて、観光地にもなっている山居倉庫にやってきて、小牧川を利用して体育館を通り、最上川を渡って捕獲されたらしい。
朝から市街地を闊歩していた熊が捕まったらしい。
県立酒田東高校近くで目撃されて、観光地にもなっている山居倉庫にやってきて、小牧川を利用して体育館を通り、最上川を渡って捕獲されたらしい。
熊が移動していた時刻は、丁度小学生の登校時間とも重なって、事故も起こらずに済んだが、エラク危険な状態だったとも言える。
鹿や猪も過去にやってきたが、体長1.2mの雄熊は恐いな。

世の中のスーパーでの苺の単価が、最低ラインになった頃、我が家のプランターの苺が赤くなった。
実は、もう少し前に熟れて赤くなったのが1個あったのだが、気がついた時にはすっかり虫に喰われていた。
実は、もう少し前に熟れて赤くなったのが1個あったのだが、気がついた時にはすっかり虫に喰われていた。
ダンゴムシなのか、蟻なのか、ナメクジなのかは定かではない。
味は良い。
成長過程で、一度水を切らして、葉も実のついた茎もダランと垂れてしまった事があった。
そのせいなのかは分からないが、やたらと種がきつく実の小さい苺もある。
第2段はどうなるのか。さらに大きな実がつくとは考えられないのだが。
成長過程で、一度水を切らして、葉も実のついた茎もダランと垂れてしまった事があった。
そのせいなのかは分からないが、やたらと種がきつく実の小さい苺もある。
第2段はどうなるのか。さらに大きな実がつくとは考えられないのだが。
苺は植えるよりも、買ったほうが安い。
プロとアマチュアは、明らかに違う。
プロとアマチュアは、明らかに違う。

日曜日、草むしりをしようと思ったら、雨が降ってきた。
仕方がないので、買い物に出かけた。
浜田小学校のグランドのそばを通ったら、運動会の真っ最中だったのだが、あまりの雨量にPTAの皆さんは軒下やテントに避難をしていた。
子供達は・・・以下略
子供達は・・・以下略
帰り、某店舗の前で、「冷たい寒い。入れて欲しい。」と背中で訴えている三毛猫がいた。
あら、可哀想に。気づいて貰えると良いね。

山形のYさんが、彌彦神社は伊東忠太の作品だよ。妖怪もいっぱいいるかもよ。
と仰っていたので、新津美術館から越後平野を突っ切って弥彦山方面へ向かった。
一般道路をクネクネと曲がって、時間通り(ナビの赴くまま)に駐車場へ入る。

話には聞いていたが、随分と有名で大きな神社のようだ。
若者たちの参拝者が多かったが、どうやらパワースポットでもあるらしい。

門前町が出来るほど、大きな敷地を持つ神社だった。


赤い鳥居を潜ると、堀の水を利用した禊場が左手に見えた。
奥には屋根のかかった橋のような物が見える。
奥には屋根のかかった橋のような物が見える。
敷地が山の懐にあるおかげで、このような水場が使える。
伊勢神宮の禊場しかり、良い条件なのだと思う。
伊勢神宮の禊場しかり、良い条件なのだと思う。

参道は、幾つかの石段を登りながら、本殿へと導く。

御神木なるものが、石柵に囲まれている。
見た目で枯れているのかと思ったのだが、事あるごとに新芽が出て再生するのだそうだ。
見た目で枯れているのかと思ったのだが、事あるごとに新芽が出て再生するのだそうだ。

石畳も玉砂利敷も、綺麗に清掃されている。
雨が降って、一層空気が澄み渡って行く。
雨が降って、一層空気が澄み渡って行く。

本殿前の随身門に着いた。


狛犬は、通常の狛犬とは少し違うようだ。

拝殿に着いた。この奥に本殿があるが、一般の人は見られない。
背後の山々が段々に霞んでいて美しい。
背後の山々が段々に霞んでいて美しい。
建物が美しく見えるのも、奥の山々と緑の美しさがそうさせているのだと思う。

弥彦神社のご創建は2400年前。
御祭神は、伊夜日子大神いやひこのおおかみ。御名は 高倉下命(たかくらじのみこと)で、天照大神の曾孫の天香山命 とも呼ばれる。
越後の一宮と言うから、古くからの越後の守り神社なのだろう。
御祭神は、伊夜日子大神いやひこのおおかみ。御名は 高倉下命(たかくらじのみこと)で、天照大神の曾孫の天香山命 とも呼ばれる。
越後の一宮と言うから、古くからの越後の守り神社なのだろう。

どこかに妖怪はいないかと探すも、見つからず。

複雑な屋根を巧く繋いでいると思う。


雨水を処理する丸石。



欄干も曲線を使っている。

どれだけ腕の良い職人さんがいたのやら。

裏に入り口があるに違いない。

石畳も斜めに継いでいる。

回廊も綺麗だ。

拝殿の中は、よく見えない。






摂社・末社

十柱神社。なんだか意味深長な名前ですこと。


奥が参集館

参集殿入り口

参集殿より舞殿を見る。
能舞台でも使えるようだ。



石油の精製窯(明治)

重軽の石 軽く持ち上がるときもあれば、重くて動かせないこともあるのだそうだ。
残念ながら挑戦はしていない。
残念ながら挑戦はしていない。




禊場を反対から見た堀。

橋の欄干は赤色なのだが。

格子の奥に神馬がいた。
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支部総会の2次会を断って、朝早くに出発したいと考えていた。
新潟市の新津美術館で、4/15~6/18迄開催中の「平山郁夫が描く世界遺産展」を観るためだ。
ウカウカしていると、終わってしまうと少し焦っていた。
新潟市の新津美術館で、4/15~6/18迄開催中の「平山郁夫が描く世界遺産展」を観るためだ。
ウカウカしていると、終わってしまうと少し焦っていた。
村上市の朝日まほろばICから日本海東北自動車道に乗り、途中から磐越道に逸れる。
スマートICを恐る恐る降りて、カーナビの言う通りに進むのだが、画面に出てくる道順と、カーナビのおねえさんの喋っている方向が時々違う。
スマートICを恐る恐る降りて、カーナビの言う通りに進むのだが、画面に出てくる道順と、カーナビのおねえさんの喋っている方向が時々違う。
右と左と時に間違う。
到着時刻を鑑みて、そろそろかなと思ったら、美術館の看板が現れた。

森に囲まれた少しだけ小高い丘に、美術館は建っていた。
周りは広大な植物園があるのだそうだが、そちらには目を向けずに、小雨の降る中を駐車場から美術館へ走って行く。
周りは広大な植物園があるのだそうだが、そちらには目を向けずに、小雨の降る中を駐車場から美術館へ走って行く。

受付で入場料を払う。1000円也。
「会場は2階になります。」と教えられた先を見ると、あたり一面大理石で出来た階段が連なっていた。
手すりもなく、遊びココロ満載の階段が続く。
その他にも、通常の(踊り場付きの)階段も設置されている。
多分、この普通の階段は、出口用の物だろうと思う。
多分、この普通の階段は、出口用の物だろうと思う。

私は、通常の出口用の階段を上ってホールに出た。
出口用と考えたのは、降りる場合は、手すりがあった方が安全だからだ。
出口用と考えたのは、降りる場合は、手すりがあった方が安全だからだ。

階段を見る。

第1会場に向かう。
ここではアンコールワットの遺跡を中心にした絵画が並んでいた。
ここではアンコールワットの遺跡を中心にした絵画が並んでいた。


だい2会場をも観た。
日本やシルクロードや南京城壁の作品が主だった。
何故平山郁夫が、世界遺産の修復やらを手掛けるようになったのか、映像にも触れる。
爆破される前のバーミヤンの石仏もあったよ。泣けるね。
日本やシルクロードや南京城壁の作品が主だった。
何故平山郁夫が、世界遺産の修復やらを手掛けるようになったのか、映像にも触れる。
爆破される前のバーミヤンの石仏もあったよ。泣けるね。

後ろの広場は、解放されていなかった。
面白そうなんだが。
面白そうなんだが。

玄関と受付付近を見下ろす。

美術館のすぐ隣に、史跡古津八幡山 弥生の丘展示場があった。
私は縄文好きで、弥生はそれほどではない。
何故なら、縄文の時代は人々が助け合って平和に暮らしていたが、弥生は貧富の差が出て戦が頻繁に起こるようになったからだ。
何故なら、縄文の時代は人々が助け合って平和に暮らしていたが、弥生は貧富の差が出て戦が頻繁に起こるようになったからだ。
せっかく来たし、入場も無料だしと入って見ることにした。
子供達が奥の方で、なにやら作っていた。
私は展示室に廻る。
子供達が奥の方で、なにやら作っていた。
私は展示室に廻る。
古津八幡山遺跡は、かなり古い遺跡のようで、弥生時代の遺跡の下から縄文の遺物が出てきたそうだ。
集落の長であろう人の墓も、古くは丸形古墳、方形古墳、前方後円墳など、時代に併せて多岐に渡っている。
集落の長であろう人の墓も、古くは丸形古墳、方形古墳、前方後円墳など、時代に併せて多岐に渡っている。

日曜日なので、家族連れの子供達が楽しんでいた。
酒田も発掘だけでなく、きちんと成果を示す博物館が必要なのだけど、目新しいものに憧れ過去を振り向かないのが酒田人だからね。
酒田も発掘だけでなく、きちんと成果を示す博物館が必要なのだけど、目新しいものに憧れ過去を振り向かないのが酒田人だからね。

展示館を出て、雨やどりにその又隣の植物園とお土産売り場に入る。
ブルーベリーが盆栽になっている。
知らない植物も多かった。ここは販売している店舗のようだ。

藍色に近い、あじさいがあった。2500円だそうだ。

小花のヤマアジサイは手頃な550円。
ヤマアジサイは白色しかないと思っていたら、水色も青も並んでいた。
山では見たことがない。
人工的な品種改良が進んでいるんだろう。
ヤマアジサイは白色しかないと思っていたら、水色も青も並んでいた。
山では見たことがない。
人工的な品種改良が進んでいるんだろう。

今回は、小野寺先生による「本間郡兵衛長崎行日記」を教わる。
先日、原本のコピーを見せて頂き、解読した文も受け取った。
今回の講習に、コピー本は閲覧で会場を巡っていたが、解読文は資料に載っていなかった。
なるほど、そんなに簡単に苦労して解読したものを渡してはくれないのか。
その点、我々は恵まれていると思う。
今回の講習に、コピー本は閲覧で会場を巡っていたが、解読文は資料に載っていなかった。
なるほど、そんなに簡単に苦労して解読したものを渡してはくれないのか。
その点、我々は恵まれていると思う。

ただ、この日は研究会を途中で切り上げて、建築士会酒田支部総会に移動しなければならなかった。
Fさんと一緒に教室を抜け出した。
Fさんと一緒に教室を抜け出した。

総会は、コロナが悪い何年ぶりかで料亭香梅咲での開催である。
役員会と総会と、ピッチを上げて行った。
残るは懇親会のみである。
会場は椅子席にして頂いたので楽ちんなのである。
役員会と総会と、ピッチを上げて行った。
残るは懇親会のみである。
会場は椅子席にして頂いたので楽ちんなのである。

黄砂が酷いと妹は言った。
プランターに生えているセリの葉が、茶色になっていると言った。
プランターに生えているセリの葉が、茶色になっていると言った。
ああ、それは私が蕨のアク抜きをしたアク水を捨てただけ。
町全体が茶色になるほど、黄砂は降ってはいないと思う。
それが22日のことだった。
それが22日のことだった。

23日は、山形市での理事会に出かけた。
出来れば、行きに寄り道をしたかったが、思ったよりも車の流れが遅く、高速の中央道を使うも目的地にそのまま向かうことにした。
22日は室内にいたので分からなかったが、郊外を走るとあたり一面が「白内障のせいか!」と思えるほどくすんでいた。
写真は高速を降りて高度研究センターに向かう田圃道。
前方に見えるのは蔵王の山だが、見事に霞んで見える。
決して雨模様でこんな色になっているのではない。
決して雨模様でこんな色になっているのではない。
黄砂なんて、他国に迷惑かけないで自国で完結するか、北京に集中して降ってくれれば良いのにと思う。
黄砂には重金属も混じっていると言う。取り分けして使用できるほどなら良いが、ただただ迷惑なだけだ。
武田先生が仰るには、海に落ちた黄砂は、様々なミネラル分も含まれていて、魚介類などの生き物にも必要な物なのだそうだ。
鐙谷古文書研究会は、毎週開催されている。
冬季間の土曜日開催から、雪が降らないから夜の開催でもOKと、ここ最近では月曜日の夜に集まって古文書の研究を行っている。
何ぶん参加者が少ないと言うか、少数精鋭で一人でも欠けると、スムーズに進めない。
冬季間の土曜日開催から、雪が降らないから夜の開催でもOKと、ここ最近では月曜日の夜に集まって古文書の研究を行っている。
何ぶん参加者が少ないと言うか、少数精鋭で一人でも欠けると、スムーズに進めない。
なるべく全員が集まれる日を探して開催日を決めている。
勿論、先生の話だけ聞いていても面白いのだが。
この読み方はこうだとか、この意味はこう捉えた方が良いとか、皆さんの知恵を寄り集めて進んでいる気がする。
この読み方はこうだとか、この意味はこう捉えた方が良いとか、皆さんの知恵を寄り集めて進んでいる気がする。
22日は、鐙谷さんから離れて、庄内町(旧余目の廻館村)から見つかった沢山の古文書を見ることから始まった。

袋の表に日付が慶應4年とある。太政官日記とあるから、ある程度公用の物ではないかと思う。
この袋も、先に袋ありきで書類を詰め込んだものではなさそうだ。
表書きはこのように整って見えるが、裏を見たら明らかに習字の練習をしただろう文字の重ね書きで、真っ黒な紙になっていた。ちょっと笑った。
小学校の時の習字の時間を思い出したからだ。

年貢の為の米調。もしかして八色木村の小役米ではなかろうか。
余目と言うか、廻館のあたりは、庄内藩だけではなく、天領だったり松山藩の田畑だったりと複雑な所である。

手紙も出てきた。
1枚の紙で用紙と封書を兼用している。

中身がこれ。書いたものをクルクルと巻き、表に宛名を書いている。
相馬惣八郎様かな。
高さ15cm程の小さな物。手渡しした物と思われる。

箱の中からどんどん出てくる。
ただ、きちんと折りたたんで重ねてあるだけでも有り難い。
帳面状にして、紙縒り(こより)で結んであるのも、整理されていてスッキリとしている。
他の古文書の中には、単に巻いてあって箱に詰め込んだ物とか、最悪はバラバラだったり、虫食いだったりするものがある。
今回のはそれが少なくて観ていて気持ちが良い。
今回のはそれが少なくて観ていて気持ちが良い。

紙の使い方で、横帳と縦帳に分けられる。

絵図も色がそのまま残っていて綺麗だった。

廻館の絵図面があったが、皺になったり一部に大きく汚れが着いていたが、つなげていくと一枚の大きな絵図になりそうで、パズルの様に当てはめていくのが面白そうだった。

ただ、机の上では限界があり、大きな畳の部屋で広げて見たほうが効率が良さに思える。
綺麗に伸ばして、繋げて裏打ちをして一枚物にしたら、十分に見応えのある物になるだろう。

米沢日記

本間郡兵衛の日記もそうだが、個人の日記となると、小さい紙に細かい字で書かれている。
そもそも日記は、他人に見せるためには書かれていないので、何が書かれているのかわからない物も多い。
その点、上の日記は大変に美しい方で、書かれてある。
そもそも日記は、他人に見せるためには書かれていないので、何が書かれているのかわからない物も多い。
その点、上の日記は大変に美しい方で、書かれてある。

今回は「大相撲がやって来た記録」を読み解くだけにして、荘内日報の郷土の先人先覚を題材に、酒田の歴史を読み解くのに重要な先人の内8人について学んだ。
知っておいて損はないと言うか、様々な箇所で関連付けられているので、改めて彼らの功績に驚くと共に、彼らの人生も様々な方達との繋がりを知る。
知っておいて損はないと言うか、様々な箇所で関連付けられているので、改めて彼らの功績に驚くと共に、彼らの人生も様々な方達との繋がりを知る。

本日やっと古文書を読む。先の相撲の中身だが、30分にも満たなかった。
渡された本文の右側に、読んだものを鉛筆で書いていく。
渡された本文の右側に、読んだものを鉛筆で書いていく。
相撲取り一人を移動させるのに、駕籠かき8人と言うのが凄い。やっぱり重かったのか、交代要員だろうか。
その氏名と馬を出した人の名前も書かれている。
古文書を読むのには、難しく堅苦しい古文書もあるが、生活に密着して楽しい催しの古文もある。
脱線したと思われる授業内容も、後々思い返すと「ああ、重要だったのだ。」と、講師をして頂いている小野寺先生には感謝をする。
「古文書」と言う文字面だけで「もう駄目、受け付けない。」と感じる人も多いと思う。
ただ読み解いて現代文か解読文にしないと、一般の人に伝わらない。
このままでは、酒田の歴史が途中で途切れるのではと、危惧感を感じることもある。
このままでは、酒田の歴史が途中で途切れるのではと、危惧感を感じることもある。
未読の酒田の古文書が、酒田に残されてなく、どんどん全国に散らばってしまうのも、読み解く人が少ないからでもあるのだろう。
あるいは、重要ではないからと考える人が多いからなんだろう。
あるいは、重要ではないからと考える人が多いからなんだろう。
若者がバリバリ読み解いて次世代に伝えたら、酒田の歴史も生きてくるのだが。
高校にもなると古文の授業もあったように思える。
そんな時、有名な文章ではなく、「酒田の本町の誰々さんの話など」を読めると、面白いのではと思う。
高校にもなると古文の授業もあったように思える。
そんな時、有名な文章ではなく、「酒田の本町の誰々さんの話など」を読めると、面白いのではと思う。
酒田祭りを観に行けなかった分を、他の人の動画で楽しむ。
そうか、そうだったのか。
PressYamashin
「活気あふれる山車行列「酒田まつり」本祭り 酒田市」
「活気あふれる山車行列「酒田まつり」本祭り 酒田市」
庄内四郎さんの「2023 酒田まつり 山形県酒田市」
昭和10年の酒田山王祭と昭和11年の花祭り
昔の酒田祭の方が活気があったと言えると思う。
私が子供の頃さえ、市民の仮装行列もあったし、日和山公園にはお化け屋敷に限らずサーカスや見せ物小屋が沢山並んでいた。
店の前では「蛇娘でござ~い、親の因果が子に移り~ぃ♪」と呼び込みのおじさんが喉を鳴らしていたものだったが、小屋の中には首長の蛇娘なんぞはいなくて、眼鏡をかけた変なおぢさんが、ちまちまといつまでも手品をしてて、蛇娘も狼女も出てくる気配もなかった。
あの頃の賑わいが、このムービィに残っている。
私が子供の頃さえ、市民の仮装行列もあったし、日和山公園にはお化け屋敷に限らずサーカスや見せ物小屋が沢山並んでいた。
店の前では「蛇娘でござ~い、親の因果が子に移り~ぃ♪」と呼び込みのおじさんが喉を鳴らしていたものだったが、小屋の中には首長の蛇娘なんぞはいなくて、眼鏡をかけた変なおぢさんが、ちまちまといつまでも手品をしてて、蛇娘も狼女も出てくる気配もなかった。
あの頃の賑わいが、このムービィに残っている。
都合により、絵葉書コレクションは削除させて頂きます。

酒田旧市内には、2つの日枝神社がある。
本来の酒田は、最上川南岸にある宮野浦で、そこには古い日枝神社がある。
洪水が原因で、向こう酒田(川北の現在の位置)に移った。
洪水が原因で、向こう酒田(川北の現在の位置)に移った。
その時、日枝神社も移ってきた。
酒田祭りの神宿も、上下の2箇所で開宿される。
今回の下の神宿は、家坂亭で行われた。
今回の下の神宿は、家坂亭で行われた。

通常の神宿の造りは、広場に開かれた開口部の内側に、外からでも観られるようにと、各家持ち寄りの宝物を飾るのだが、今回は家坂亭の室内で行われた。

















後ろの塞道絵幕は、横に4倍の長さがあったが、4軒で分けたのでこの長さになった。
他の3枚は行方知れず。どこかの家に保存されているかも知れない。
他の3枚は行方知れず。どこかの家に保存されているかも知れない。

家坂さんの荷物の中から出てきた、酒田祭りの時に飾られた神輿。
四隅に四獣神(朱雀・白虎・玄武・青龍)が飾れており、中央に麒麟で守り固められているのがわかる。
この神輿も箱の中で5つのパーツに分けられており、組み立てるのが難しかったそうだ。
四隅に四獣神(朱雀・白虎・玄武・青龍)が飾れており、中央に麒麟で守り固められているのがわかる。
この神輿も箱の中で5つのパーツに分けられており、組み立てるのが難しかったそうだ。
凧も古い酒田凧。

古い形式の傘福。上部は布ではなく、板で飾られていた。
吊るされている物も、古い謂れの物ばかり。
良い状態で保存されていたと感じる。
吊るされている物も、古い謂れの物ばかり。
良い状態で保存されていたと感じる。



雌雄の獅子頭も、古い形式だと言う。


朝鮮出兵に、女性の武将がいた。
彼女は妊娠中であったが、出兵した豪傑だそうだ。
左側の翁の腕には、幼子が抱かれている。
左側の翁の腕には、幼子が抱かれている。






酒田の雛菓子
この他に雛人形が飾られていたが、写真はパスした。


明治に起きた庄内地震の際の家坂家の土砂崩れの様子。

家坂家の家族写真。
