無題・休題−ハバネロ風味−

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

オレンジ色

2014-10-31 12:06:35 | 社会

オランダ国王夫妻が来日された。雅子妃殿下は出られるだろうなと思った。やっぱりオレンジ色の服だった。

世の中、色々な考えの人がいるだろうが、こんな見方もある。BBからの覚醒記録。無知からくる親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

このブログのYahoo!オークションに出品された、皇室のお宝ボンボニエールに写った撮影者の姿に驚いた。

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紅葉

2014-10-31 11:38:16 | 動物・自然

山の紅葉を見に行けずとも(荒沢ダム)

米の粉ドライブインの滝

近場の山居倉庫でも見る事が出来る。ケヤキって、赤くなるんだね。

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ちんさむロード

2014-10-31 11:33:53 | 酒田

ある日のちんさむロード

昨日のちんさむロード。この辺りも地盤が悪く、きちんと施工された暗渠は下がらず、道路が沈下した。お陰で楽しいちんさむロードを味わえる。ただし、スピードが出てると吹っ飛ぶので注意が必要。

鳥海山は雪が降って綺麗になった。冬は目前である。

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森とみどりのフェスティバル2014

2014-10-29 21:57:19 | 酒田

日曜日は、朝から中町で開催された「森とみどりのフェスティバル2014」の手伝いに向かう。

10時から開催予定で、現場に着いたのが9時だったのに、もう他の店の販売は始まっていた。

私はさかた木づかい夢ネット(森林や木材のネットワーク)で、風船配りやクイズの手伝いを行っていた。

風船のひもの先に、プラスチックのおもりを着けると、風に乗って飛んではいかない。ただし、ヘリウムガスをこれでもかと詰め込むと、走って逃げて行く。家族連れが多くて、作っても作っても風船は無くなり、クイズの景品も無くなり、ポップコーンも消えた。

3時まで開催の予定だったが、もうどの店も(特に食べ物屋や野生線食料品)は、午前中に売り切れてしまったのではないかと思う位に、足が速かった。私は他の店の探索にも行かず、昼食抜きで立ち通しだったので、十分に疲れる。それでも体重は減らない。(^^;

体育館で催すよりも、街中の方が楽しい。随分と沢山の人が来てくれたようだ。

これは酒田の店の品物ではない。郡山から会津若松に抜ける途中の栃木県でのドライブイン。まむしとスッポンのふりかけが売られていた。罰ゲームにでも買ってくればよかったかな。

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さざえ堂

2014-10-28 16:05:49 | 建築・都市・港

この建物が見たい為に、全国大会に参加したようなものである。今回は時間が無く、夕暮れも進み、内部を見るにも懐中電灯で照らしながら進まねばならなかった。もう一度ゆっくりと見てみたいと思う。

さざえ堂は正式には、円通三匝堂(えんつうさんそうどう)と言うそうだ。

桟の着いたスロープを、時計回りに登っていき、逆回りに降りてくる。すれ違いなしで進む。

ここが頂上。これから下る。

暗くて判らなかったが、中央部分には金網で塞がれた、多分仏像が置かれているのだと思う。フラッシュを焚いてこの程度で、夜は登るものではない。スロープの桟のピッチも一定では無く、ゆっくりと歩かねばならない。

丁度真ん中頃、中央に登りへの抜け道もあったが、基本的には一筆書きのように上り下りする。

歪んでいるとか、いないとか。不思議な構造になっている。出口は後ろからだった。

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会津若松・飯盛山

2014-10-28 15:06:42 | 

30分遅れで会津若松の飯盛山に着く。土産屋とらぞうのお姉さんが案内をしてくれた。「階段と有料エレベータとどっちを選ぶ?」か聞かれたが、皆がエレベータを選ぶ。

白虎隊の墓の前で説明を受ける。西軍から自刃した少年隊の遺骸を墓に入れてはならぬと言われ、野に捨て置かれたそうだ。3ヶ月後密かに近くの寺に仮埋葬され、現在の形になったのは明治23年だった。右の墓は会津の戦争で亡くなった白虎隊の墓で、左奥にあるのが、自害した少年達の物である。名前と年齢の書いてある墓は並んであるが、骨は中央の供養塔に合同で入っているそうだ。

日本の武士道と、白虎隊の精神に心を打たれたローマ市長ムッソリーニ(聞いたことがあるぞ)氏によって、運ばれたローマの碑。中央の石の柱は、ポンペイの遺跡から発掘された柱である。この他、ドイツからの物もあった。これらは、太平洋戦争後、進駐軍に削られたり、ドイツの碑は捨てろと言われたらしいが、床下に隠して時が過ぎるのを待った。なるほど日独伊だものね。

会津藩殉難烈婦の碑。会津の戦争で戦死したり、足手まといにはならずと自刃した、二百余名の女性達を祀った碑である。女も子供も自らの故郷を守る為に戦った。

会津の街。左奥の林の上に鶴ケ城が見える。白虎隊の少年達は、ここから城が燃えていると見誤ったのである。

猪苗代湖から続く灌漑用に造られた「戸ノ口堰洞穴」である。工事は400年前から始められた。この洞穴を通って、白虎隊の少年達は猪苗代から逃げてきたのだったが。

白虎隊を祀ったお堂。

中には、たった1人生き残った飯沼貞吉氏の写真も飾られている。彼は彫りが深く、日本人離れした顔立ちをしていた。

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塔のへつり

2014-10-28 14:58:52 | 

 

 鉄道番組で見た「塔のへつり駅」の、すぐ傍の踏切で電車を待つ。(あれれ電線がないからディーゼル車かな。)

まさか、こんなに簡単に駅を見る事が出来るとは思わなかった。せっかく来たのだもの、探しに行こうかと思っていたのだったが。秘境駅と言う訳ではないが、会津鉄道の面白い駅としてテレビで見ていた。この列車には様々な客車が着いていて全部違う車両だった。2両目はトロッコ列車のようにも見える。

 帰りに、バスの駐車場が目的地よりも駅よりだったので、集合時間に間に合うように走って駅にやってきた。写真を撮る為である。

丁度その時、会津若松方面から、赤い列車が入ってきた。線路はまったくの単線である。客がゾロゾロ降りてきた。

さて、目的地の塔のへつりだが、この揺れに揺れる吊り橋を渡る。なんでも過去に橋が落ちたことがあるらしく、30名以上載らないで下さいと立て札があった。若者達はおもしろがって揺らしたので、特に向こう側は船酔いを起こすほど揺れる。歩くにも支障がでて、女性と子供は叫んでいた。

水の浸食で造られたのだろう、岩の中程が大きくえぐれており、奥の行き止まりには賽の河原のように小石が積み上げられていた。この大岩の上に寺があり、勾配のきつい小さな石段が着いていた。

昔は、このえぐられた所をハイキング出来たそうだが、最近は崩れることが多くて吊り橋付近だけが観光できる場所だそうだ。

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南会津の前沢曲がり屋

2014-10-28 00:34:19 | 

 南会津町の前沢集落を見学する。

伝建地区に指定され、1棟は博物館として開放されていたが、他は現に住まわれている為、敷地内に入ることも許されていない。

水車小屋や蕎麦畑の横を通り、集落に向かった。

茅葺きの家が多い中、金属板葺きに変えた家もある。

ここがその博物館である。岩手県にある南部曲がり屋とも、少し内部も違っていた。

右側の土間に入ると、山作業の道具が飾られてあった。

昔の馬小屋の辺りにも、農作業用の道具があった。

 

土間の先には台所があり、竈は取り払われキッチンが置かれてあった。近年まで住んでおられたのだろう。

板の間の先には、座敷と仏間があり、縁側にも畳が敷かれてあった。仏間だけが縁つきの畳である。仏間の隣には寝室があり、小屋裏に続く箱階段があった。

馬小屋と言うか土間の上にも、物置に使うのだろう小屋裏があった。

中心部に移動してみる。

湧き水があり、手ですくって飲んでみる。軟水で美味しかった。

無人販売所があったが、この集落は殆どが農家だろうと思われる。観光客相手なのかな。

茅葺きもそうだが、保存しながら住み続けるのも楽ではないだろう。

土蔵には火事よけの「水」が描かれてあった。

集落に入る前の橋のたもとの蕎麦屋。ちょうど茅葺きの吹き替え真っ最中だった。

集落の名物「手作り豆腐」も大きければ、野菜天ぷらの量も蕎麦の量も多かった。

 

 

 

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郡山の夜

2014-10-27 23:49:00 | 

酒田からのバス移動。ここでも国の規制がかかっているようで、10時間を超えると1人の運転手ではいけないらしい。寒河江で運転手の交換があった。

都会の中で見かけた建物。

興味しんしんなのだが。

ホテルの窓の外

んでもって、朝の霧。

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建築士会全国大会・郡山

2014-10-27 09:00:33 | 

絶好の行楽日和、8時に酒田を出発し福島県郡山市に向かう。月山自動車道路は紅葉だった。ちょっと赤みが足りないかな。

アサヒビール園の本宮店でジンギスカン&生ビールを頂く。

郡山ビックパレットが大会の会場である。

受付を済ませて、開会までの間にお土産の屋台に向かう。

屋内での屋台だが、沢山のお土産屋の外に食事を摂るスペースも準備されている。

ちょっと面白いかなと思った郷土料理。おやつと言ったらいいのだろうか。10年味噌を使っているそうだ。

会場は多目的ホール。舞台も見づらいが、音も反響して聞こえにくい。

オープニングアトラクションは、常磐ハワイアンセンターのフラダンスで始まった。

大会宣言、主催者の挨拶の後、表彰式が始まった。

伝統技能者表彰は、山形県が代表して表彰を受ける。

佐藤雄平福島県知事の挨拶。

日曜日に、任期満了に伴う福島県知事選挙が行われ、投票率は低かったようだが、与野党支援の前副知事が大差で初当選した。佐藤知事の路線を引き継ぐ県政になるのだろう。原発事故前後の佐藤知事を、私は評価しなかった。何故、子供達だけでも疎開させなかったのか、まだまだ放射線量の高い地区に、住民を帰宅させようとするのかと思っていた。東日本大震災の後の首長さん達の苦労は並大抵ではなかったと思う。取り分け福島県は事情が違う。県民は飛散し、農水産物は売れず、観光客も来ない。交通の便の良い福島県に於いて、軒並み全国大会系の大規模な催しはすっかりと消えてしまった。

あと数日の任期の終わりに、建築士会のような全国大会を催されるまでになったと、半ば安堵のような言葉は、胸を打つものがあった。激動の知事時代だったと思う。お疲れ様でした。

それにしても、当選した内堀氏は、TVニュースで見ただけだったが、他の選挙の当選の場と違い、ニコリともしなかったのが印象的である。大変な任務なのだろうと思う。

夕日の映えるビッグパレットを後にした。

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万願寺唐辛子と子供ピーマン

2014-10-21 10:09:27 | 食べ物

産直で、万願寺唐辛子と、子供ピーマンを買った。

細長いのが万願寺唐辛子である。甘唐辛子との触れ込みだった。過去にも買ったことがあり、味と食べやすかった記憶がある。濃い色で厚みのあるピーマンは、癖が無く子供でも食べられるので、子供ピーマンと言うらしい。

どちらも網で焼いてみた。子供ピーマンを焼いた時、辛い臭いがした。焦げた皮を剥がして、別々の器に盛って食べた。辛い臭いだった子供ピーマンは、甘くて歯触りもあり美味しかった。万願寺唐辛子の方も刻んで盛りつけたが、1本か2本、特別に辛い物があった。ししとうの辛さとは違い、我慢できない辛さではないが、いつまでも口の中から辛みが消えなかった。袋に書いてあった「甘とうがらし」を、そのまま信じてはいけなかったのだ。

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防災セミナー

2014-10-21 09:51:03 | 建築・都市・港

向かった先は、どんしゃん祭りと併せて開催された防災セミナーだった。日本災害復興学会・前会長の室崎益輝氏(むろざき・よしてる)の基調講演を聴く。

酒田大火の日は、台風並みの低気圧で、平均風速10m/sec、最大25m/secの暴風雨の中で発生した。消防のホースの水が、風下からかけても、風で戻ってきて火に当たらない。風上から燃えてしまった所に掛けなければならなかったと、聞いていたのだが、皆が知っていた訳ではなかったらしい。

復興は早かった。それは酒田が商人の町だったこと、大火に慣れていた(?)ことが大きい。時間は金だ。復興は時間との勝負だと、3年後には区画整理も終わり、建物が建ち始めた。今回の東日本大震災とは大きく違う。その酒田の復興を「酒田方式」として、神戸の震災でも使われた。(一部の行政は悪用したようだったが)当時の酒田市長の大沼さんが「神戸へ仮設トイレを送ったよ。何が必要なのかが、酒田は知っているからね。」と仰った言葉が思い出された。

火の回りにはスピードが伴う。酒田は逃げられるスピードだった。と言うか、大沼デパートがある程度延焼を止めて置いた時間がある。このRC造の建物が燃えた時、かまど現象と言うのだそうだが、一気に火はあらゆる方向に燃え広がる。防火建築物が壁となって連立していれば良いのだが、木造建物と混合していると、このかまど現象によって手のつけられない状態になる。

続いてパネルディスカッションを聴く。

それぞれの立場からの酒田大火の話を聴くことが出来た。

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どんしゃん祭

2014-10-21 09:48:40 | 酒田

土曜の午後、中町に向かった。今日はどんしゃん祭りだったのだ。清水屋の前では学生達が舞台の上で活躍していた。

露店を回る暇も無く、目的地に向かった。

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余目・田村食堂

2014-10-15 10:46:25 | 食べ物

某月某日、昼食に余目の田村食堂へ寄る。荒沢ダムへの薪運びに、余目経由のルートを選んだのは、この町はどの店も味に外れはないと聞いたからだ。田村食堂は余目の入り口にある。

注文して2-3分も経たないうちに運ばれてきて驚く。速い!麺が細麺の縮れ麺で、茹で上がるのが速いのだろう。ついでに客の回転も速い。

チャーシューが3枚も載っている。麺の量が多くて食べきれなかった。スープは美味しいが、ちょっと脂濃かったのは店に入る時間のせいか。

 

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秘境駅・女鹿

2014-10-13 00:41:48 | 建築・都市・港

TVの旅番組で、「秘境駅・女鹿」が目についた。旅チャンネルや鉄道チャンネルのように、そのものだけ24時間放送しているCSのテレビ局がある。かなりマニア向けなのだろうなと思っていたら、最近は普通の地上波でも、その撮り鉄や鉄子、鉄道に詳しい人が出演し、鉄道番組を放送するようになってきた。それにしても、女鹿が秘境駅だなんて、どうなんだろう。それも1つ2つの番組ではない。山形県を紹介する番組にも載っていた。試しに番組を見てみると、なるほど秘境度は高い。それなら本物を見て見ねばと出かけてみた。

ところが、Google Mapで見ても、女鹿駅はあるのだが、駅への道が判らない。この辺だろうと何度か往復して、やっと見つけたのがこの看板だ。何のことはない7号線の吹浦バイパスで、女鹿の集落に入る信号の吹浦寄りの右側にあった。気をつけないと見逃してしまうほどの、林道のような小さな道路である。

道を100mも入らぬ内に、行き止まりになり駅は見つかった。出た言葉が「TVと同じだ!」

戸を開けて、駅舎に入る。もちろん無人駅である。

女鹿駅は、吹浦と小砂川の間、山形県遊佐町女鹿にある。それも集落の中ではなく、何もない林の中にある。元々は駅ではなかったらしい。

この時刻表が凄い。TVで見た時には、午前中に2本、午後に3本しか無かったが、午後は4本に増えていた。(^^) これでは、酒田方面にしか、用事を足すことが出来ないダイヤである。さすが山形県の駅だわ。TVの放送でも、吹浦駅から電車で女鹿には行けなかったので、タクシーを飛ばしたとある。そうだろう。

駅舎の中には、自由ノートがあり、中には遠くから来た客が「やっと来ました秘境駅女鹿」の書き込みがされていた。

1番線ホームに降りてみる。こちらは秋田方面を見た所。

こちらは吹浦方面だが、線路のすぐ上に陸橋が架かり、7号線が走っていた。線路は複線になってはいるが、2番線の方は電車のすれ違いの待機の線路で、あまり使われないのか表面が錆びていた。手前の線路はピカピカ光っている。

ホームの床も、1番線はコンクリートで出来ており、2番線の方は単管足場を組んで木板を張った物だった。残念ながら2番線ホームは歩いていない。

あらら、女鹿駅は秋田支社管轄なのね。

ホームを歩きながら撮していると、ふいにカンカンカン・・と信号機(?)が鳴り出した。

秋田側から、酒田行きの電車がやってきて、スピードも落とさずに通過していった。

電車が行ってしまえば、ホームは元の静けさに戻る。

消された文字が気になる。

水は鍵がないので出てこない。この水栓を見たのは何十年ぶりだろう。

サルナシや栗やアケビが道ばたにあり、この駅に続く道も素敵だった。

後から、もう少し写真を載せてみようと思う。なんだか心がほっこりと温かくなる秘境駅だった。

駅の帰りに、女鹿の集落に寄った。ここは水汲みに来て、タンクが黴びていたので水汲みを断念したあの町だ。今日は無事に汲むことが出来た。

その女鹿の町の上を電車が駆け抜けて行った。

秘境駅に行こうが面白い。秘境駅でも上には上があるもので、駅に行く道が見つからないなんて言うのはまだ可愛い方で、本格的に道がないだの、周りが断崖絶壁もあるようだ。女鹿駅の駅舎で塗りつぶされていた文字は、「女鹿信号場」だった。

 

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