無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

家の周りの花々

2023-04-30 17:20:46 | 動物・自然

いちごの花


雨に濡れたら、サンカヨウの花のように透明になった。
白以外の花なら、そうはいかなかったのかも。


最後に咲いたチューリップは黄色だった。





去年、S氏の裏庭から持ってきた蕗。花は咲かなかった。


蕗とワサビ。


沢山の蕾をつけたブルーベリー






冬を越した忘れな草とカンシロキク
















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見られていた

2023-04-30 17:18:42 | 動物・自然


国道7号線を走っていた時、完全に見られていた。



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一霞(ひとかすみ)の蕪

2023-04-28 13:03:32 | 動物・自然

月山が綺麗に見えた日。


一霞の集落を抜ける。



黄色の菜の花は、温海かぶ(赤かぶ)の花である。
温海かぶは、山の斜面を焼き畑し、種を植え付ける農法で古くから育てられてきた作物だ。


赤カブは甘酢漬けにして大変に美味しい。
市販もされているが、家庭で漬けた物を頂くのも美味しい。
決まったレシピはないのか、それぞれ家庭ごとに違う味がする。






温海かぶの花は、菜種油の菜の花よりも若干小さめな気がする。








この花が1本1本、蕪から出ているのだ。





今の季節が芽吹きで、一番山が柔らかく綺麗に見える。


こんな所にも蕪の花。




道路際には、伸びたコゴメの群生があった。


数匹の猿の群れがいた。カメラのシャッターを押したが、しっぽしか写っていなかった。





しだれ桜


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ワタシが日本に住む理由

2023-04-27 11:41:18 | 酒田

仏壇屋の幸美さんから紹介されたTV番組。BSテレ東。放映は終わったが、Tverで観ることが出来る。

日本在住11年のフランス人と日本人のご夫婦が、山形県酒田市にボードゲームカフェを開いて5年。
なかなかユニークなお二人だった。



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手長足長の話

2023-04-26 16:51:23 | 歴史
鳥海山の手長足長の民話は、少しだけ聞きかじっていた。
ただウロ覚えだったらしく、鳥海山の噴火の火砕流の話だとばかり思っていた。


講師の阿部さんの話は面白かった。手長足長の伝説は、日本中に散らばっている。
手長は海に住み、長い手で漁をする。足長は山に住み、山をひとまたぎするのが本来だったのが。
鬼怪物悪さをする奴、特に手長はひょいと物を盗む奴として伝わっている。
唯一長野の諏訪地方では、手長は手摩乳命(てなづちのみこと)足長は足摩乳命(あしなづちのみこと)の夫婦神として祀られており、
その子供の櫛名田姫(くしなだひめ)はヤマタノオロチ退治に出てくる姫となっている。

手長足長の伝説 ←はこちらから


秋田と山形の県境には三崎山があり、手長足長に怯えて隠れて暮らす住民に、三本足の烏がヤツが出たときには「うや~」
いないときには「むや~」と鳴いて知らせたと言う。(有耶無耶の関)

結論から先に言うと、鳥海山の手長足長は、慈覚大師の百日のご祈祷により、鳥海山の一番高い所からドォォーン!と言う音と共に爆発し、
天辺の山は海に飛んで飛島になり、手長足長は木っ端微塵になったと言う。


(葛飾北斎の漫画に、左端に手長。右端に足長が描かれている。)
手長足長の話は、古くは枕草子にも描かれている。





出どころは、中国の戦国時代から秦、漢(前4世紀 - 3世紀頃 )まで、加筆されて出来上がった地理書「山海経」に描かれている



まぁ、地理書と言っても想像に依る処も多く、有象無象の妖怪なども描かれており、それぞれにすんでいる国名が着いている。
ガリバー旅行記を昔話にしたような、巨人国も小人国もなんでもある。
中国と現在のヨーロッパの間には、黒人国があったとされている。
インド系か中東アラブ系か。なるほどと納得する。



今回の話は民俗学に部類されるようだ。


あまりに面白く、深く広い話だったので、講演が終わっても聴講者からの質問攻めに遭い、先生は帰れない。
大方の人が帰ってスタッフが片付けをしていた時、阿部先生が手に入れたと言う鶴岡から江戸まで旅をした時の絵図を見せてもらった。
幕末の頃の物だそうだが、古くからの地名や川にかかる橋などもリアルで、その話を伺うだけでも講演一席になりそうだ。

先生に「妖怪の大好きな人の話をご存知ですか?」と伊東忠太の名を上げた。
伊東忠太は米沢の出身の有名な建築家で、建築と言う概念を作った人でもある。彼の作品には妖怪が現れる。
「知っていますよ。僕の先祖は伊東忠太の弟です。」えっ、えっ!
ぎゃぁぁお~!


おまけ:『山海経 霊獣図鑑』予告編

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山菜

2023-04-21 13:18:16 | 食べ物


きちんとした装備もせず、レジ袋と軍手のみで、ちょいと山道に入って採った山菜。



伸び過ぎたフキノトウは、蕗よりも柔らかで美味しい。
皮を剥いて調理する。


形の良いタラの芽


ウコギ少々


天ぷら用のヨモギ


上がトリアシショウマ
下がアカコゴメ


ヨブスマソウ(ドホイナ)

昨日のニュースで、大蔵村肘折温泉の朝市の様子が流れていた。
周りの地面にはまだ雪が残っているのに、朝市に並んでいた山菜がどれもちゃんと成長した立派な物ばかりだったので驚いた。ドホイナもそうだった。
雪の少ない酒田で、この程度の成長なのに、あんなに奥まってようやく桜がと言われる肘折で、何故あんなに立派な山菜が採れるのか、不思議だ。

と、僅かの時間を利用して、偵察に山に入った。


個人の山。見るだけに留める。そうか、蕨も良いんだな。



キバナアキギリ(ムコナカセ:あまり美味しいので婿に食わせるなと言う意味だそうだ。そんなに美味しいとは思えない。単なる野菜みたいだ。)


ミヤマイラクサ(アイダケ)
春だね~。


意外に大量だったモミジガサ(シドケ)


黄色のすみれはクサトロロ。
味噌汁の具にすると、葉がトロトロになる。



コップに一晩飾って。


翌朝は味噌汁に。花の味噌汁って素敵だと思う。


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種まき爺さんが出たから

2023-04-21 13:09:50 | 動物・自然


鳥海山の種まき爺さんがはっきりと見えるようになり、鶴岡の湯田川温泉からは種籾のお湯付(発芽を促す)のニュースも流れるようになった。
天候が狂っていると言われながらも、着実に春の農業の仕事が始まった。



ソメイヨシノはすっかり散ってしまったが、山の桜は様々な種類があり、新緑に混じってほんわりとした装いを魅せている。


この背の高い木も桜のようなのだが。


モミジイチゴ


山吹



キバナアキギリ(ムコナカセと呼ばれる山菜)


スミレサイシン


ミズバショウ


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酒田市の縄文時代

2023-04-17 12:30:18 | 歴史


4月15日、酒田市総合文化センターで、飽海地域史研究会の「酒田市の縄文時代」が、山形県埋蔵文化財センターの植松暁彦氏を講師にお招きし、開催された。
植松先生は、小山崎遺跡で講演して頂いたことがあった。その第二弾である。
縄文好きの私はドキドキしている。



研究会代表の小野寺先生の酒田史についての話。



植松先生は鶴岡市生まれ、酒田南高出身。山形市に移ってしばらく経つのに、庄内訛りが心地よい。
今回は、八幡地区の荒瀬川上流、そこから支流に辿った地域に蕨台遺跡があった。
鳥海山麓開発で、森林を伐採し農地にしようと土を掘っていた所、縄文の遺跡が発見されたと言う訳だ。


縄文時代は、旧石器時代が終わった紀元前11000年頃から草創期が始まる。草創期も含めて、縄文時代は6つの時代に分けられる。
草創期、早期、前期、中期、後期、晩期である。
(ちなみに石器時代は紀元前30000年頃から始まっており、県内では遊佐町に旧石器時代の遺跡がある。)
縄文時代は暖かな気候で、海面が今より2-3m高かった。(埼玉でも貝塚があり、海があったらしい)
庄内平野はドロドロの沼地で、砂丘の一部と山際にしか、縄文の遺跡は発見されていない。ましてや酒田旧市内は、殆ど海の底だったのでは。
最上川も現在とは違い、もっと北の方に流れていた時代もあったそうだ。


この三十稲場式土器というのは、新潟方面から伝わった様式らしい。
その為、新潟に注ぐ荒川の上流の小国町や米沢市に、この様式の土器が多く発見されている。


先生のコンテナから、続々と宝物が出てくる。
ちゃんとした大きな土器もあったんだ。


植松先生から、石器の説明を受けている。


丸石に切り込みが入っている。これは漁具の重りに用いられた物。
漁網に取り付けられたと見られている。


石の鏃(矢じり)


石を鋭く割って、細かに(ノコギリの刃のように)ギザギザをつけたもの。
物を切る時に用いられた。



凹石は、表と裏では凹みの数が違っていた。
このくぼみにドングリや栗を載せ、石で皮を割った。
私は、もっと石臼(若しくはインドの香辛料を細かく砕く臼)のように一度に沢山の穀類を粉にした物はなかったのかと尋ねると、見つからなかったそうだ。


石錐も石斧も両刃で、物を切ったり割ったりした。


石ベラは片刃である。石錐などで動物の皮を剥いだ後、この石ベラで皮の油分を削ぎ落とし、鞣し革にした。


拡大写真である。


祭事に用いられたであろう土偶も発見される。
いずれも頭がない。最初から着いていないのではなく、後になって割られたと考えられている。
日本各地から見つかる土偶も、女性の形をしており、頭のないものが多い。
しかも発見された時、一箇所ではなく割られた物が、散らばって見つかると言う。
舟形町から発見された縄文のビーナスも、何メートルも離れた所から各部分が発見された。





この土器の特徴は、文様の筋が盛り上がっている所。
その口の周りの反りと、突起した部分。


縄目は全体的に着いているのではなく、四角に区切られた所に着いている。
その縄目模様の付け方を最後に教わる。


土器の模様は、場所と時代によって異なっていく。
渦巻き模様が横に広がったり、縦長になったりと変化していく。



この発見された土器は、太いストローと言うか、丸い筒のような物で、差し込んでつけられている。


丸い模様から、四角の型を押したような文様に、引っ搔いて跡をつけている。
そして平べったい文様から、鋭い彫り込まれた文様にと変わっていく。


最後に縄目模様の作り方を教わる。
縄も右利きと左利きで、土器に付けられた斜めの方向が違うと言う。
縄文の人たちも右利きが多かったようだ。


縄の代わりに、紙でこよりを作る。


こよりをねじって、2重から4重に曲げて、小さな縄を作り、それを土器に押し当てて文様を作っていく。
縄文中期には、稲作はなかったので藁を用いた縄ではないだろう。
ただ細長いイネ科の植物は多々あっただろうから、縄を作るのは容易かったろう。
ちなみに私は母の影響で、縄を綯うことは出来る。若い人や初めての人は無理なのかな。
今回、紙縒りで縄をイメージしたのは、子供たちにも良くわかる方法だと思う。

楽しかった。次は外に出て、本物の遺跡を見学しようと先生は仰った。
それは実に楽しみだ。


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やっと生まれた。

2023-04-14 15:16:06 | 動物・自然

メダカの孵化には、トータル水温250度が必要なのだそうだ。
25度なら×10日間。なので、がっちり温度が上がるようにと、日除けなしに窓辺に置いた。
ようやく孵化したようだ。



5匹ほどが見えたような気がする。
あっ、6匹だ。ただし、隅っこの水面に浮いているのだけ。
詳しく調べれば、もっと数が増えるのだろうが、今はそっとしておこう。
メダカの餌をもっと粉にして、浮かべてやった。


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庄内の桜

2023-04-12 10:06:26 | 動物・自然


酒田市内の小牧川の川岸には、桜並木が続いている。


鶴岡公園の桜は満開を通り越し、散り始めていた。



鶴ヶ岡城のお堀の外側の道路を走って、国道7号線を目指す。



高速道路から、三瀬のスキー場を眺める。
私が通っていた高校では、「スキーで滑らないと点数は上げない。」方針だった。
学校の倉庫から各々スキーを担いで汽車(その頃は電車じゃなかった)を乗り継いで、庄内の3箇所のスキー場に向かった。
ここはその一つである。


温海川の桜 黄砂なのか空気が濁っているのか、綺麗な色にならない。


酒田市浜中の桜。個人のお宅の物。


酒田市入船町界隈で、火事との連絡。
パトカーの赤いライトの点滅が見えたので近づいてみる。



緑色の屋根の建物の壁が焦げて、穴が空いていた。
警察と消防の規制線が張られていて、近づけない。
事務所兼作業所の1階の薪ストーブが火元らしい。
車の窓を開けたら、焦げ臭い匂いがした。



外壁にこんな穴が開くぐらい、加熱温度が高かったのだろう。
穴以外は、大丈夫に見えるが、内部は機材諸共すっかり燃えてしまって、全勝扱いなのだとか。
翌日も酒田市内で火事があった。最近多いなと思う。気をつけよう。


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米粒写経 談話室 2023.4.10

2023-04-10 21:43:26 | 音楽・芸術・文学
 

米粒写経 談話室 2023.4.10

米粒写経の折島一平氏の相方サンキュウタツオ氏が、この4月から山形市にある東北芸術工科大学に教授?講師?でやってくる事になった。
彼は他の大学でも教えているとは聞いていたが、まさか芸工大に来るとは思わなかった。
と、言う事で、今回はちょいと身近な話を聞くことができた。
そうなんだよ、山形県内でも合併された各藩によって、文化が違う。
東北一円でも同じことが言える。新発田の酒は飲まねえが面白かった。
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日曜日

2023-04-10 16:17:30 | 酒田

地方選挙闌である。山形県は県議会選で、我が地域の投票所は日和山公園にある。
いつもはノコノコ歩いていくのだが、今日は引き続き行きたい所があったので、車を使った。
広場の自転車の数は見ものである。3年ぶりに開催された公園での桜まつりにやってきた若者たちだろう。

天気が良かったら階段花壇の植え替えでもしようかと思ったが、投票所に向かう人達に、わざわざ作業を見せつけるのも何だと思い、来週に回すことにした。その花を買いに行くつもりだった。


ところが、曇り空が明るくなったのを見定めて、最上川の桜回廊を撮影しに行くことにした。これは来週では遅い。

高速を走って最上川の橋を渡っている時に桜は確認したが、着いてから驚いたのが菜の花の群生だった。






桜並木が何処まで続くのか、観ることにした。
(最上川の桜回廊は、酒田市だけにとどまらず、内陸の上流部も皆さんが植えてくれている。)


ここは最上川の土手の上である。






JRの鉄橋に道を塞がれる。一度田んぼの方か河川敷に降りなければならない。


赤い電車がやってきた。






反対側から白い電車もやってきた。




残念ながら車体を見ても、何の電車かわからない。




風がザワザワと音を立てる。


高速道路の高架に、桜が切り取られていた。

















鳥海山の種まき爺さんも見えてきたので、そろそろ田植えの準備も始まるのだろう。
つかの間の春である。


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2023-04-10 14:14:01 | 動物・自然

桜が咲く頃になると、椿の枝に刺して置いたりんごを、鳥たちが食べに来なくなってしまう。
何故なら桜の蜜の方が美味しいからだ。
大きな体で、小まめに蜜を吸うのがヒヨドリ。



乱暴なのは雀。蜜の入っている辺りを嘴で千切って、蜜を奪う。


桜の枝に止まり、花を千切っては投げに夢中である。


この木はグミの木。白い蕾はまだ開いてはいないが、桜の花がなくなる頃には、雀だけでなくムクドリ達も花を狙う。


アオゲラもやってきた。撮そうとレンズを取り替えている内に逃げられる。
雀に混じってシジュウカラもいたのだが、簡単には撮せない。
目では容易に見つけられるのに。


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山の春

2023-04-07 15:33:45 | 動物・自然





























山の春の美しさは、花だけに限らない。


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酒田市美術館

2023-04-07 15:32:38 | 音楽・芸術・文学
NHKBSの朝ドラで「あまちゃん」が戻ってきた。
ああ、やっぱりこのドラマは面白いわ。
続けて「らんまん」を観た。今週から始まったと言うのに、始めて観るのである。
植物学者・牧野富太郎の物語。
この方の植物を描いた絵は、きっと何処かで見ているに違いない。


さて、話は変わって酒田市美術館で現在開催されている「天童市美術館収蔵品・熊谷守一いのちを描く」なのだが、ご厚意で観せて頂いた。
岐阜県で生まれた熊谷守一は、東京美術学校を首席で卒業した後、画家として歩む。
初期の頃は油絵を中心に、なかなか絵が売れなくて貧困を極めていたが、ある時愛知の資産家木村氏の助言によって日本画に進む。
それまでの(印象派にも似た)油絵から、輪郭を重視し面を単純化させた熊谷様式にたどり着く。

熊谷守一は、動物や植物を多く描いた。
自宅の庭はまるで自然のジャングルさながらに植物が蔓延り、守一は牧野富太郎の植物辞典を手に、植物の名や姿を絵に表した。


さて、酒田市美術館でパンフを手に取る。
熊谷守一の絵にも、マチスの赤があった。丁度油絵から日本画に移る途中なのではと感じざせられる絵だった。



マチスも輪郭を描くのね。
東京には暫く行けていない。




それよりもうんと遠い南米のナスカ。ここで頑張っている山形大学の学生達がいる。



そうか、平山郁夫展が新潟市で開催されるのか。行きたいな。
久しぶりにJRという手もあるな。
あれ? 新津美術館って、何処だ?!



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