天塩のしじみはかって蝦夷の3絶と呼ばれたほどの名物。しかし、食べ損ねた。(コーナーで、土産用に袋詰めしたシジミを売っていたので、松江に帰ってからみそ汁で食べたが宍道湖のシジミと同じような味だった。)それで、周辺をドライブすることにした。近くには、サロベツの原野がある。車を飛ばして見物。少し後戻りすることになる。その後、また天塩に帰る。(北海道の長い川は、1位石狩川268km、2位天塩川256km、3位十勝川156km)
サロベツ原野駐車場にて とにかくだだっ広い
天塩の海岸にある公園でまた松浦武四郎の碑に出会う。武四郎と天塩との関係は深いようです。武四郎は、「天塩日誌」に天塩川遡行の詳細な記録を残している。蝦夷地は、当時は松前藩が支配していて、要所要所に出先機関があったようです。此の天塩にも松前藩の侍がいて班の支庁のようなものがあったようです。当然、アイヌも暮らしていて、武四郎は此のアイヌの人達の協力を得ながら探検を行っています。
その後、いよいよ札幌に向けて車を進める。北海道の日本海側はのどかだ。オロロン街道との呼び名が付いる。オロロンとは天売島に生息するオロロン鳥から名なずけられたのだろうか。此の島へは、羽幌町からフェリーが出ている。以前より、一度行ってみたいと思っているがなかなか実現しない。羽幌から苫前~小平~留萌~増毛と南下する。途中、いくつかの道の駅があるが、温泉施設を併設する道の駅が3つほど続くのが良い。
その内の「風Wとままえ」で汗をながした。海を見ながらゆったりと出来たのはよかった。なにせ、この時他に客は一人もいなかった。小平町は、かって鰊で栄えた町。そういえば此の街道沿いには、鰊漁で栄えたらしい町が多いようだ。「道の駅 鰊番屋」というのもある。
200名山の暑寒別岳へは、留萌から分かれる。暑寒別岳は、途中に雨竜沼湿原がある。此の湿原は尾瀬を小さくした様な湿原。登山口にキャンプ場があるが、ここから暑寒別までが長い。あのときは、朝も暗い内からスタートしたが、「熊に注意」の看板もあり怖い思いをした。
かって留萌から稚内まで、鉄道が走っていた。始めて礼文島へ渡ったときは留萌から汽車に乗った。朝一番の汽車だったので、通学の高校生達で満員だったのを覚えている。前夜は、留萌駅の前の寿司屋で酒を飲み過ぎて泊まる宿も無く、近くの空き地にテントを張った。確か、駅の資材置き場の隅だったと思う。
夕暮れが迫る頃、「道の駅石狩」に着く。
翌朝、石狩川河口に行ってみる。北海道一の長蛇でもある石狩川。三橋三智也の石狩川ばん歌など思い出す。
君と歩いた石狩の
流れの岸のいく曲がり
想い出ばかり心に浮かぶ
ああ、初恋の想かげよ
確かこんな歌詞だったと思う・・・・?
石狩灯台
石狩灯台記念碑
「喜びも悲しみも幾年月」は、佐田啓二・高峰秀子による感動の名作。歌もまた良かった。
1 おいら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖ゆく船の
無事を祈って灯をかざす 灯をかざす
4 星をかぞえて波の音きいて
ともにすごした幾歳月の
喜び悲しみ目に浮かぶ 目に浮かぶ
ハマナスは赤が一般的だが、白もある。
この日は、札幌をぬけて支笏湖を巡り渡島駒ヶ岳を仰ぎみて、「道の駅恵山」泊。翌日青函フェリーで青森に渡り早池峰へ。