ダケカンバの華
彼は、少し酔った調子で「赤いカンバの華が咲いている」と言う。何のことか、よく分からず聞き返すと、自分は長い間山に登ってきたが、「カンバの華」を見るのは今回が初めてだと言う。カンバとはダケカンバのことですかと聞くと、そうだと言う。この時期、ダケカンバに華が咲くはずはないのだが、今小さな華が咲いているそうだ。何かが私の頭の中で動き出した。「日翳の山 日向の山」に出てくる、「岳妖」の話が浮かんできた。「本当にあった話である」との書き出しがあり、作者は、上田哲農。そしてこれは、実に奇妙な冬山遭難の話だ。「見たのと・・・違うかしら」と言う言葉がこの物語のいいようもない不安感を残す。
大体「赤いみぞれ雪」など降るはずは無いと思うのだが、その日、東北の名山朝日岳の麓では「赤いみぞれ雪」が降っていたそうな。朝日鉱泉で休憩した3名の登山者は、雪の降る中、鳥原小屋を目指して出発し、以後消息を絶つ。
遺体は、数ヶ月後救助隊により発見されのだが、遭難場所やメンバー構成から見て疑問だらけ。3遺体の倒れている位置関係や装備品の散乱とザックのひものなぞ。
読者は、「なぜ」という人間の知的な欲求を満たされることなくなく、一抹の不安や疑問を心の中に残すことになる。
何故かこの時、この一連の物語が思い出された。「赤いみぞれ雪」、「季節はずれの赤いカンバの華」。私は、傾き初めた陽を浴びながら、湿原の中に延びる木道を急いだ。途中、「カンバの華を見ることができるかもしれない」と、幾ばくかの期待を持ちながら周囲の木々に目をやるのだが、「無いよりましな」眼鏡にそれらしきものを捉えることはできなかった。
日暮れは近い
12曲がりまで下り、少し安心する。曲がり角を数えながら下りる。沢の水音を聞き、もう大丈夫と思う。時計は5時前、まだ明るい、この調子で行けば何とか明るい中に帰れるだろうと思いながら歩く。しかし、間もなく薄暗くなり、道標の識別もままならなくなってきた。急いでいたせいもあってか、間違えるはずもない道を間違えてしまう。広い方の道を行けば間違いはないだろうと安易に考えていたのがいけなかった。ある地点で、内心「おかしいな」と感じた。しかし、もうゴール近いし「大丈夫だろう」と安易な判断をしたのが間違いのもとだった。
行けども行けども駐車場に到着しない。5時半はとっくに過ぎ、ますます暗くなる。時間的にはもう着いているはずなのだがその気配はない。その内、だだっ広い草原のような所に出る。記憶にない場所だ。暗がりの中で、朽ちた道標を見つける。な、なんと方向違いがこの時ハッキリする。引き返そうと思うが暗がりのためどちらからやって来たのかよく分からない。
感を頼りに引き返し、不安になりこの時初めてヘッドランプを出す。軽量、小型の最新式だが、光は遠くまで届かず、せいぜい足元を照らくらいの代物だ。テントの中で使うのなら十分だが、広い屋外での使用には向かないなとこの時初めて気づく。それでも無いよりましだ。足の痛さを忘れ、無我夢中で歩く。気がつけば空にはお月さん。ふと、「カンバの赤い華」が頭に浮かぶ。月も心なしか赤みを帯びているように思える。ビバークも考えたりしながら歩いていると、「おかしいな」と感じた地点までたどり着いた。ヘッドランプで周囲を照らして見るに、間違った方向とはやや反対方向の木陰の中に、きちんとした道があるのを見つける。
やれやれと思い気を持ち直して道を急ぐと、記憶にある木道に到着した。ここからはもう間違えることもない一本道と安堵して沢を渡り先を急ごうとしていると、何かが後ろから追いかけて来るような気がする。真っ暗闇の中、何だろうと後ろを照らして見るのだが何も見えない。しかし、何か追いかけてくるようだ。またまたイヤな気分になる。暗闇の中から、突然ボワッと光るものが現れた。光は徐々に大きくなり、人の足音が聞こえ出す。この時間にこんな所で人に会うなどとは考えもしないことなのでギョッとする。光は、硬直したように立ち止まる私を無視するかのように、さっさと行ってしまった。足音の主は、まだ若い登山者だった。暗闇の中で近づいてくるものに対する不安と緊張。この時、自分の顔はどんな形相だったのだろうか。
駐車場到着が7時。1時間以上さまよったことになるが、もの凄い体験したように感じた。荷物を整理していたら、先ほどの若者がやって来て話しかけてくる。自分は明日は「高妻山」へ登る予定だけれどご一緒できないかという。当初の予定では、高妻山も計画に入れていたのだが眼鏡や膝痛のこともありお断りすることにする。月夜の晩のだだっ広い駐車場。若者も不安らしいと分かる。あれこれ誘うのだが、しばらくお話に付き合ったが別れることとする。
「痛い膝、超見にくい眼鏡」を掛け、夜の上信越自動車道に乗る。途中のPAで車中泊した後、翌27日(金)午後6時50分無事帰宅する。