山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

山スキー、その他の山行もあります。

  200名山・300名山  仕上げの予定

2014年09月05日 | 日本百名山

 

 三百名山(一座~三百座)もそろそろ終わりを迎えることになってきた。本来なら、もう2年は早く終えるはずであったがこの2年間は本当につまらないことばかりあってづるづると今年まで延びた。

 体のこともあったし、近所つきあいのこともあった。近所つきあいも程ほどにしたいと思うけど、性分なのかつい深入りしてしまうのがいけない。 週3回のグラウンドゴルフ、これは週1回だが囲碁の会。極めつきは、有志で作っている「老人会」。この会の副会長とやらを引き受ける羽目になり長期の休みが取れなくなってしまった。副会長といってもお年よりの会だから何かにつけバタバタすることが多い。それに、月1回の「便り」の発行。これは、自分から提案して始めたものだからしょうがないといえばしょうがない。

 まあ誰も、世間様とのしがらみの中で生きていくしかないと、あきらめるしかないか。 

 そんなこんなで、山に関しては不作の2年間だったが、それでも七十になるまでには終えることが出来そうだ。当初、三百名山を終えるのは「70までに」はと考えていたからまずまずの進行だと思えばいいのかもしれない。

 明日9月7日(日) 山へ向かう。 八海山、中ノ岳、鳥甲山、佐武流山、白砂山を登る予定。天気加減もあるが、一週間から10日間の予定です。

 帰ったら最新情報をブログに載せます。


百名山の記録 妙高山(その2)

2014年09月05日 | 日本百名山

  ダケカンバの華

 彼は、少し酔った調子で「赤いカンバの華が咲いている」と言う。何のことか、よく分からず聞き返すと、自分は長い間山に登ってきたが、「カンバの華」を見るのは今回が初めてだと言う。カンバとはダケカンバのことですかと聞くと、そうだと言う。この時期、ダケカンバに華が咲くはずはないのだが、今小さな華が咲いているそうだ。何かが私の頭の中で動き出した。「日翳の山 日向の山」に出てくる、「岳妖」の話が浮かんできた。「本当にあった話である」との書き出しがあり、作者は、上田哲農。そしてこれは、実に奇妙な冬山遭難の話だ。「見たのと・・・違うかしら」と言う言葉がこの物語のいいようもない不安感を残す。
 

 大体「赤いみぞれ雪」など降るはずは無いと思うのだが、その日、東北の名山朝日岳の麓では「赤いみぞれ雪」が降っていたそうな。朝日鉱泉で休憩した3名の登山者は、雪の降る中、鳥原小屋を目指して出発し、以後消息を絶つ。
 遺体は、数ヶ月後救助隊により発見されのだが、遭難場所やメンバー構成から見て疑問だらけ。3遺体の倒れている位置関係や装備品の散乱とザックのひものなぞ。
 読者は、「なぜ」という人間の知的な欲求を満たされることなくなく、一抹の不安や疑問を心の中に残すことになる。
  何故かこの時、この一連の物語が思い出された。「赤いみぞれ雪」、「季節はずれの赤いカンバの華」。私は、傾き初めた陽を浴びながら、湿原の中に延びる木道を急いだ。途中、「カンバの華を見ることができるかもしれない」と、幾ばくかの期待を持ちながら周囲の木々に目をやるのだが、「無いよりましな」眼鏡にそれらしきものを捉えることはできなかった。
               

                              日暮れは近い

                      

 

 12曲がりまで下り、少し安心する。曲がり角を数えながら下りる。沢の水音を聞き、もう大丈夫と思う。時計は5時前、まだ明るい、この調子で行けば何とか明るい中に帰れるだろうと思いながら歩く。しかし、間もなく薄暗くなり、道標の識別もままならなくなってきた。急いでいたせいもあってか、間違えるはずもない道を間違えてしまう。広い方の道を行けば間違いはないだろうと安易に考えていたのがいけなかった。ある地点で、内心「おかしいな」と感じた。しかし、もうゴール近いし「大丈夫だろう」と安易な判断をしたのが間違いのもとだった。
 行けども行けども駐車場に到着しない。5時半はとっくに過ぎ、ますます暗くなる。時間的にはもう着いているはずなのだがその気配はない。その内、だだっ広い草原のような所に出る。記憶にない場所だ。暗がりの中で、朽ちた道標を見つける。な、なんと方向違いがこの時ハッキリする。引き返そうと思うが暗がりのためどちらからやって来たのかよく分からない。
 感を頼りに引き返し、不安になりこの時初めてヘッドランプを出す。軽量、小型の最新式だが、光は遠くまで届かず、せいぜい足元を照らくらいの代物だ。テントの中で使うのなら十分だが、広い屋外での使用には向かないなとこの時初めて気づく。それでも無いよりましだ。足の痛さを忘れ、無我夢中で歩く。気がつけば空にはお月さん。ふと、「カンバの赤い華」が頭に浮かぶ。月も心なしか赤みを帯びているように思える。ビバークも考えたりしながら歩いていると、「おかしいな」と感じた地点までたどり着いた。ヘッドランプで周囲を照らして見るに、間違った方向とはやや反対方向の木陰の中に、きちんとした道があるのを見つける。

 やれやれと思い気を持ち直して道を急ぐと、記憶にある木道に到着した。ここからはもう間違えることもない一本道と安堵して沢を渡り先を急ごうとしていると、何かが後ろから追いかけて来るような気がする。真っ暗闇の中、何だろうと後ろを照らして見るのだが何も見えない。しかし、何か追いかけてくるようだ。またまたイヤな気分になる。暗闇の中から、突然ボワッと光るものが現れた。光は徐々に大きくなり、人の足音が聞こえ出す。この時間にこんな所で人に会うなどとは考えもしないことなのでギョッとする。光は、硬直したように立ち止まる私を無視するかのように、さっさと行ってしまった。足音の主は、まだ若い登山者だった。暗闇の中で近づいてくるものに対する不安と緊張。この時、自分の顔はどんな形相だったのだろうか。

  駐車場到着が7時。1時間以上さまよったことになるが、もの凄い体験したように感じた。荷物を整理していたら、先ほどの若者がやって来て話しかけてくる。自分は明日は「高妻山」へ登る予定だけれどご一緒できないかという。当初の予定では、高妻山も計画に入れていたのだが眼鏡や膝痛のこともありお断りすることにする。月夜の晩のだだっ広い駐車場。若者も不安らしいと分かる。あれこれ誘うのだが、しばらくお話に付き合ったが別れることとする。
 「痛い膝、超見にくい眼鏡」を掛け、夜の上信越自動車道に乗る。途中のPAで車中泊した後、翌27日(金)午後6時50分無事帰宅する。


 


百名山の記録 火打山~妙高山

2014年09月05日 | 日本百名山

 9月25日(火) 

                              
   朝から雨。激しくないのだが、一面のガスの中で登山しようかどうかとまごつく。時折カミナリの音。それでも、登山者の姿を見る。雨具を着ては、登山口へと消えて行く。
 できれば雨の日の山登りはしたくないなと思う。今日は山小屋泊まりだから夕方までに小屋に着けばいい。ガイドブックによれば、高谷池ヒュッテまで約3時間だ。天気の回復を待つこととして「下界」に下りてみることにする。妙高高原駅まで下り、観光案内所で町の説明を聞き、温泉に向かう。
 

  土産物店の中にあるお風呂に入る。こ

こで大変なことをしてしまった。めがねを掛けたままサウナに入ったのがいけなかった。眼鏡の表面の膜がサウナの熱で変化してしまい眼鏡を掛けても前がよく見えなくなって、一瞬頭の中が真っ白になった。
 初めは、自分の目がおかしくなったのかとも思った。強度の近眼なので、視力が出なければどうすることもできない。眼鏡を冷やしたり、拭いたりあれこれしてみるのだがどうしようもない。薄い雲の掛かったような状態の「ないよりましな眼鏡」を掛け、笹ヶ峰キャンプ場まで戻ることにする。
 

   午後2時20分、よく見えない眼鏡を掛け、登山開始。天気は嘘のように回復し、青空が広がる。登山道入り口からしばらくは木道が続く。緩やかな登りの後、道は水量のある沢とぶつかる。橋を渡ると間もなく、12曲がりの急登が始まった。急登ではあるが、直登でないからその分だけいくらかは楽だ。穴の中から抜け出したような地点が、12曲がりの終点。さらに登りは続くが、全体として緩やかな登りとなり、富士見平に着く。ここは、高谷池ヒュッテと黒沢池ヒュッテとの分かれでもある。どちらに行っても時間的な差はないが、真っ直ぐ高谷池ヒュッテに向かう。
 

天気はすっかり回復し、夏を思わせれような青空が広がる。視力は低下しているが、心持ち気分も晴れる。5時10分、高谷池ヒュッテ着。 
 若い管理人から小屋のルールを聞き、久しぶりの山小屋泊まりに幾分安堵する。何パーティーかの先着者は既にご機嫌のようで、聞くとは無しに聞いていると、やはり午前中の登山は雨の中大変だったようだ。

                                              (駐車場2:20~高谷池ヒュッテ5:10)

                            高谷池ヒュッテ

              

  9月26日(水)
 

  昨夜、右ヒザに違和感を覚え、心配していたことが今朝になって現実のものとなってしまった。年甲斐もなく無理をしたためだろうか、ヒザ関節が痛み出し小屋の階段の上がり下りすらままならなくなっていた。眼鏡の件といい、またヒザの故障といい、良いこと無しだ。天気は素晴らしく、昨夜の放射冷却のせいだろうか外は薄氷が張っている。小屋のすぐ前にテントが2張り、湿原の池の脇に寒そうに張ってあった。
                                

                              天狗の庭 から見る火打山  

                  

 

 

   6時20分、ストックを頼りに歩き始める。高層湿原と池塘は、全国各地にあるのだが、ここのそれは火打山を背景にこじんまりとまとまっている。花の季節は既に過ぎて、紅葉の時期には幾分早すぎるという中途半端な季節の火打山ではあるが、高原の牧歌的な雰囲気が何とも言えない。まだ早いからなのだろうか、こんなに良い天気なのに誰一人見えない。緩やかな登りの後、天狗の庭に出る。もう目の前に火打山が早く来いと待ちかまえているように見える。雷鳥広場から最後の登りに掛かる。足は痛いのだがとにかく頑張って歩く。7時50分 火打山登頂 2462m。
 

 周囲の山々の写真を撮り、記念撮影をする。焼山の方に向かうパーティーもあり心ひかれたが、妙高山への時間配分もあり下山することとする。痛む足を引きずりながらやっと天狗の庭まで下りる。改めて見上げる火打は、夏の終わりのけだるい青空の下に、孤高を保つかのように静かに横たわっていた。「百花繚乱、花の火打」の季節にもう一度やって来たいものだと思いながら次の目的地妙高山へと向かう。
                                

                                  妙高山

                       

 

 茶臼岳への緩やかな登りを終えると、眼下に黒沢池ヒュッテが見えてくる。妙高山を後ろに控えさせ、湿原を前にしたこの山小屋の佇みが美しい。高谷池ヒュッテもそうなのだ自然との絶妙なバランスが何とも言えない。今はシーズンオフなので人影もまばら。この素晴らしい景観に静かに浸れる幸せをかみしめながら山小屋に向かう。  
 

  11時、黒沢池ヒュッテ前に荷物を置き妙高山に向かう。火打とは違い、登り道はゴッゴツした岩や石コロで歩きずらい。途中、燕温泉の方から登ってきたと思われる登山者の群れと出会う。大倉乗越にさしかかると、長助池の近くに青い小さな建物のようなものが見る。初めはよく分からなかったが、後でテントらしいと分かる。ガイドブックにはないテント場なのだろう。長助池分岐より急登となる。荷物は置いてきたあるのでいくぶん楽だ。あえぎながらも順調に頂上に着く。誰もいない頂上に、大岩がどっかりと座している。何万年、何十万年の時を経た「妙高の骨」だ。
 

  今日は眺望抜群。遙かに北アルプスの山々が見えているようだ。一人だけの眺望を満喫して下山にかかる。明るい中に笹ヶ峰まで下りなければいけないのだが、膝の調子が悪くどれくらい時間が掛かるのか見当も付かず気が急く。しかし、こんな体調でよくここまで来たものだと我がことながら感心したりもする。
                        

                                妙高頂上

                     

  黒沢池ヒュッテまで下りると、ベランダの前で景色を見ながら悠々と酒を飲んでいる年配の男性に声を掛けられる。話すと、かってはある県の山岳会の会長を務めたりもした経験のある山の大ベテランとわかった。70も後半なのだが、テントを担いでの単独行とのことだ。おもしろいお話を聞きながらも帰りの時間が気になりだした。そわそわし出したのが分かったのか、「5時半を過ぎると暗くなるからそれまでに下山せよ」とのご指示を頂いた。別れ際に、妙なお話を聞いた。一瞬耳を疑った。