令和4年12月30日、夕刻我が家を出立する。この日は、中国縦貫道のSAで車中泊し翌早暁に九州に入る。九州に入り一休みして鹿児島入り。ちょっとくたびれた。
何せ前日30日は、団地の「そば会」でそば打ちがあり、その後午後4時30分ごろスタートしている。
開聞岳には100名山登山の折、宮之浦岳登山の後に登っているのでこれが2度目。その時は、夜中に駐車場に入ったが、今回はまだ十分明るいうちの到着だ。
まだ1月なのに、菜の花は満開。島根県とは季節が違う。
10数年ぶりの開聞岳。あの時は海側の道から入った。今回は池田池のほとりを回って入る。菜の花にはびっくり。
時間的に余裕もあり下見がてらぶらぶらする。いつの間にかキャンプ場もできて、家族連れのテントが目立つ。近年日本は不景気だからあまり金のかからないところで過ごすのだろうか? 地元の方に山の様子を聞く。日の出は7時15分くらいだそうで大隅半島のほうから太陽が現れるとのこと。上りが2時間半~3時間。 登山者も多いとのこと。
明日も早立ちだから早めの夕食を摂る。夜、素晴らしい星空で感激した。星座の位置がいつもとは違うのも面白い。夜更けに、次々と車が到着してくるのは、元日のご来光をみるためだろう。
3時前、早々と登山開始をする人がいる。ヘッドランプの明かりが徐々に山のなかに入っていく。4時過ぎにスタートすれば十分だとこの時思っていた。それで、4時少し前にスタート。キャンプ場のテントはほとんどがまだ眠っていた。2合目あたりで、後ろから何か音がするので振り返ってみるとヘッドランプの一群が素晴らしい速さでやってくる。あっという間に追い越された。
2合5尺から本格的な山道となる。速足の一団はここで一休みらしい。リーダーは男性で、他は女性と子供計6名。家族の一団なのだろうか。ヘッドランプを頼りに登山道に入る。このあたりから、断然後続者が増えて来る。どうぞどうぞと先を譲り3合、4合、5合と登る。5合目で一休みするが前も、後もヘッドランプの明かりが続く。若い人がほとんどのようだった。誰も先を急いでいる。
休み休み登り、やっと頂上付近に到着。2時間40分ほどかかった。到着は6時40分頃でした。この時初めて急いで登る意味が分かる。頂上が狭いから、早く登って場所をとらないと日の出は拝めないということだ。頂上は岩場となっていて、この岩の上に立たないと下界は見えない。定員10名ぐらい(?)のスペースしかない。
木の間越しに朝焼けの始まりがちらりちらりと見えるが写真にはなりそうにない。寒いし面白くないので頂上のすぐ下にある御嶽神社にお参りして下山する。途中からでも日の出は見えるかもしれないと思ったが考えが甘かった。結局、開聞岳の日の出には縁がなかった。
日の出は見れなかった。しかし、こちらのほうが写真写りはいい。
開聞岳はこれで終わり、この後指宿「砂むし」温泉に行く。ここもごった返していた。自分は温泉だけにした。「砂むし」とは砂蒸しの意。最初変な名前の温泉だと思っていました。「むし」の意味が分からなかったから。地熱で暖められた砂浜の砂の中に埋められ、体を温めるのだが人気の温泉らしい。
汗を流してさっぱりしたところで、次どうしようかと迷う。それで、以前から少し気になっていた「若山牧水」の生家を訪ねることにする。宮崎県椎葉村に入口あたりにある。以前、時間の関係でここを通り過ぎてしまい後で後悔している。
ふるさとのお鈴の山のかなしさよ 秋もかすみのたなびきており
牧水の生家は、尾鈴山の裏手に当たる。尾鈴山は日本300名山に入っています。
つづく