知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

自転車の信号無視の厳罰化。

2013年01月22日 | 国家論
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130122-OYT1T00198.htm?from=ylist
YOMIURI ONLINEより
東京地検が自転車の信号無視の常習犯に対して、略式起訴する方向。

自転車は、今までは、
 どちらかというと、被害者になる
という前提だったわけですが、
 歩行者との関係で加害者となったり、
 交通ルールの維持という社会秩序の維持
の観点から、厳罰化が進んでいるのだと思います。

当たり前のモラルがなくなってきているということ。

赤信号でも、車が全く来ていなければ、
 安全を確認して自己責任で渡る。

それで事故に遭った場合は、過失相殺で損害賠償額が減らされる。

外国人からすると、車が全く来ていないのに、
 律儀に赤信号で待っている歩行者は奇妙に見える
そうです。


自転車の信号無視も、そんな感じだったわけですが、
 人に迷惑をかける自転車運転者が増えてきている
ので、
 ルールを厳格化
し、
 ルールを厳格にしても、強制力がないと意味がないので、罰則規定も設ける
というようになっていくわけです。

このままの調子でいくと、
 歩行者ですら、赤信号無視で切符を切られる
時代になるのかもしれません。


なんとなく、ルールでがちがちに固められた社会は、
 窮屈な感じ
がします。

自転車の傘差し運転の禁止等も同じ。

危ないのは確かですが、
 運転者が歩行者に気を配ったり、迷惑がかからない
のであれば、
 法で規定する
必要はないわけです。

それが、最近、法で禁止するようになった。

このままでは、何でもかんでも、法で決められる。
生レバーはだめだとかも同じ。

こういう手厚い国家は、
 逆に、国民の自律性を奪ってしまう
のではないかと思います。

レベルの高い高校は、私服でよかったりします。
うちの学生は節度を守ると分かっているからです。

信頼とルールは、比例します。
信頼がない場合、ルールで縛らないといけない。

国民も国家を信頼していない。
国家も国民を信頼していない。

ルールで縛るようになっていく。
消費者契約法など、法がどんどんできて複雑化しています。

法よりも「道徳・マナーの教育」の方が効果的なこともあります。

かつては、儒教の精神の下、親のしつけが機能していたわけですが、
 これからは、ますます難しくなっていく
と思います。

そうなると、一部のひどい人のおかげで、
 ルールはますます厳格化されていく。

法が複雑になればなるほど、行政機能は肥大化するので、
 大きな官僚国家がずっと維持されていく
というわけです。

儒教の精神やマナーを学ぶ必要があるのは、
 小さな国家へ移行するために重要
だからです。

自立した人々が多いことが、
 小さな国家の前提条件となる。

自立した人々と言うのは、
 自分で学ぶ。
 自分で働き、自分の老後資金を貯める。
 自分で生活し、子や親の面倒をみる。
 他人に迷惑をかけるようなことはしない。

当たり前のことだと思われる人もいるかもしれないですが、
 ほとんどの人が、これが可能になる
と、
 国家の仕事が大幅に減る
ことになります。

小さな国家は、税金も安くてすみます。
不慮の事故や病気等、生まれながらの障害、
 そういったやむにやまれぬ事情
に対しては、
 自分や自分の家族もそうなるおそれがある
ということで、
 助け合いの精神から協力する。

これだったら、
 納得できるので、税金を支払おう
という意欲が高まる。

ところが、
 徴収したものの、本当に国民の役に立っているかどうかわからないところ
にお金が流れている。

その流れも把握できないようになっていたり、
無駄なものも多い。

 公務員の仕事を増やすため
に、ルールを作る。

これでは、国家はどんどん大きくなっていくことになります。
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