年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

自由の刑に処す

2018-01-21 00:00:00 | Weblog
 金曜日から運動をしていないので今夜は温泉での水中ウォークをしよう、そして筋肉が衰えている足のことで、右足のかかとを上げて歩いてみようと考えた。つまり右足のかかとを浮かした状態で立つことができないほど力がない。今ここに焦点を中てて筋トレをしたいと目ろんでいるし実行しておる。行先は久しぶりの鷹ノ子

 ここの小さな歩行コースで胸までお湯に浸かりながら右足のかかとを浮かすようにして歩く。この湯壺はプールのようでもある。家族連れでやって来た小学生が数人遊んでいた。他の客がいる中での迷惑行為をするもボンヤリとジェット水流に背をあてているお父さんは黙っている・・・見ていると少し腹が立ってきた。子供らに、ここは遊ぶ場所ではないから迷惑になるような泳ぎは止めなさいと注意するも父親はしらんかお・・子はハイと素直に聞く。

 あぁ・・このご家庭は家庭教育のビッグチャンスを逃しているゾ、このような機会に社会の中での関わり方を親が教える良い機会であるだろうに・・残念。子の楽しさは他人に迷惑をかけることに優先する・・と云う親の不文律があるのだろう。
ルカ23:32~49より抜粋
「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


 湯上りの脱衣場で壁を見ると、このような一文が書かれていた。ウォルター・D・ウォルトンの

「思い」

もし、自分でだめだと思えば、だめになってしまう。
しかし、自分は違うんだと思えば、頑張ることもできる。
勝ちたいのだが、勝てそうもないと思えば、十中八九勝てない。
初めから負けると思っていれば、絶対に勝つことはできない。
この世のことに限らず、成功、不成功はすべて人の思いから始まる。
すべては思い次第である。
この世には、その第一歩を踏み出す前から敗れているレース、
仕事に掛かる前から失敗している臆病者が、何と多いことか。
大きな思いは行いを向上させ、小さな思いは人を萎縮させる。
自分には何ができ、何をしたいのか、すべては思い次第である。
自分を優れた者と思えば、その様になる。
自分を高めるには、そのような思いを抱かなければならなくなる。
賞を得たいと思えば、自分に先ずその確信がなければならない。
人生の戦いは、必ずしも強い者、早い者が勝つのではない。
最後に勝利者となるのは・・・
いつも自分は出来ると考えている人である。



 想像をする。このような一文を温泉風呂場の脱衣場にまで掲げようとした支配人?さんはどのような思いがあったのだろうかと想像をしてみた。幾多の失敗を経験された人なのかもしれない、会社の中にいて負け組にいた人なのかもしれない、そのような境遇に自分の身を置いている人なのかもしれない・・・多くの湯客を励まそうと癒やしのことを告げているのかもしれない、誰かを応援するために鼓舞する言葉なのか、あるいは、自分が勝利者へとなるための自分自身への励ましなのかもしれない。
・・・しかし嘆くことが許されないようで・・ここでも I can・・なのか・・おまじないか・・と自分は深いため息。

 想像が世界を変える。

 今日の久万高原は沿道に雪が残っているものの先週の雪も少なくなった。

 今日の茶話会での話題に、平野部の大きな農家に山奥から嫁いできた女性の苦悩する話が話題に上がった。舅のいない嫁ぎ先で姑と新嫁と小姑が入り混じり同居し苦悩する日常生活のこと。生まれて以来土地の習慣の中でそれぞれが刷り込まれ持ちあわせた価値観であり考え方の行き違いによる軋轢、どこにでも誰にでもあるようなことにて。良き嫁であろうとして、良き妻であろうとして、良き母であろうとして、そしていつまでも期待に応えたい実家に対する良き娘であろうとして・・・そのような中からうまれ出る苦悩のこと

この頃思うことに

2018-01-20 17:54:36 | Weblog

 窓の外にモチノキの赤い実がなっている。それを啄む野鳥がいつもやって来る。この木の向こうに百舌鳥がやって来て電線に止まる。すくっと立っておる。モズは西に向かって何を思うのだろう。

 朝の7時はサムい。プラゴミをゴミステーションに持っていく途中の柿の木に吊り下げた寒暖計は2℃、それでも昼間は12℃まで上昇。10℃の上下降ある1日あり。
 久し振りに行った総合公園ではポカポカ陽気につられて小さな子供を持つ家族が遊んでおった。暖かな空気が見える。

 グランド外周を5周する奥さんを待つ間、車の中にいると暑いくらい。

 ローバイも咲いた。

 この頃思うこと、人と人との間の関係のことがある、例えば・コミュニケーションのこと。対人関係では媚びを売ることなく謙虚でいることの大切なこと、そしてもっと素直であることの大切なこと。屹然としたたたずまいを身に付けること。。。しかし、だんだんと年とともに謙虚な姿勢や素直な気持ちが薄くなっている・・と感じることがある・そのようなこと。

人権教育研究大会

2018-01-19 00:00:00 | Weblog


 とりあえずの2018年1月の山は今日。
 市の人権教育推進協議会における私が所属するのは第4分科会・高齢者・障がい者人権委員会。で、今日の会場では最も大きいホールで参加者を迎えての研究会である。今日は200人くらいいただろうか、単純に私が壇上から数えたのは。私に与えられた役目は運営委員のことで、まず今日の基調提案を5~6分喋ること、そして終わりにまとめをすることが与えられた仕事である。
 ぼんやりと壇上から客席を眺める。みんなすごいなぁ、みんなひとりひとり強い意思を持ってここに集まっていられることになんだか大変感動を覚えた。たしかなことは「人権を守る」ことから目を伏せないこと逃げないでいることなどを確認し合うことの時間であった。

 今日の講演会には落語の桂才賀師匠のお話である。38年前の三波伸介さんが司会をしていた当時の「笑点・大喜利」では古今亭朝次の芸名で出演されていた。近頃自分は毎晩大喜利を見てから眠りにつく習慣がある。これはぜひとも師匠とお話をしたい・・・

《Wikipedia》より

桂才賀:全国の刑務所、拘置所、少年院への慰問活動を積極的に行っていることで有名であり、慰問の回数は1000回を軽く超える。もともとは、笑点メンバー時代の1983年に妻の実家のある沖縄県の沖縄少年院に慰問に行ったのが最初で、その後北海少年院、久里浜少年院と慰問に訪れるが、この3つの少年院の院長が偶然にも同一人物(人事異動で沖縄→北海道→久里浜と転勤していた)だったという縁もあり、久里浜少年院の慰問の際に篤志面接委員の委嘱を受けて承諾。以後、少年院はもちろん、少年院で関係を持った職員達が刑務所や拘置所に異動したこともありそちらへの慰問も行うようになっていく。

 明日は松山刑務所での講演があると言う。いわゆる釈放前教育の一巻である。刑務所差し回しの公用車が会場まで迎えに来た。運転手はいつものNさん。そして主任が付添いとして会場までやって来た。私は師匠のカバン持ち役として公用車までお見送り。


 お~・・・札幌線が再開した。これで直通で北の大地の孫に会えるょ・・これまでは関空乗り換えであったのが便利になるぞ・・。


夜中に

2018-01-18 00:00:00 | Weblog
 寝入っているはずなのに、眠りが浅くなるレム睡眠時間帯だったんだろうか。突然スマホのLineメールの着信音に覚醒された。通常、レム睡眠は入眠後2時間以内に現れるが、入眠から30分以内にレム睡眠が現れた場合はうつ病を疑う・・などと誰かから教えてもらったことがある・・自分は調子が悪いのだろうか・・、確か昨夜見ていたユーチューブを消したのが10時半過ぎだったから、何時間寝てたんだろうと睡眠時間の計算のために時刻を見れば2時半である・・4時間か・・どこからのメール?と見れば妹が大量の写真を送ってきていた。ドイツと日本の時差が-8時間、とすると・・現地は夕方の18時半頃か・・とぼんやり頭で計算してみた。そして送られてきた写真を朝起きて見ることに・・。







 K君からCメールが入った。15年前になるんだろうか・・K君は私の現職時代に採用した新入社員である、広島では私のチームにいて、私が退職する前に東京に転勤、その後名古屋に長として異動、それから大阪に異動したことは風の便りで知っていた。その間若くして奥さんを亡くした。しかもお子さん3人を残して。いつだったか新婚間もなく拙宅にも二人で来てもらったことがある。奥さんとのなれ初めはYMCAの学校であったとか。その日我が家の居間でK君は奥様の料理で特にカレーが絶品である、そこらあたりのカレー屋さんよりウマいんだと話している時の隣りに座る奥さんの恥ずかしそうな表情を覚えている。当然カレーの作り方について話が盛り上がった。

 奥さんを亡くし、子供も3人いるなかで相当家庭生活に周囲が想像できないほどの苦労があったに違いない。だから二人の子を持つ女性と再婚した、と一昨年の会社OB会で大阪の仕事場から忘年会場の広島までやって来て私に話してくれた。


 K君からのCメールは。次週出張に行くから私に会いたい・・と云う内容である。たぶん・・想像するのに・・会社を辞めたい・・の話だろうと思う。前職時代の私のチームにいた人たちは、その後退職相談の連絡が次々とよく入ってたが。。K君が退職相談の最後になるんだろうと思う。
 いずれの人にも私が接する方法は傾聴らしからぬ傾聴のようなことにて・・しがみつく大木に回す自分の腕が痺れてきた・・手を離すかどうか・・しがみつく腕力が衰えてきたことを同じ体験するものとしてニコニコマークで接することくらいか。
 大木にしがみつく自分の両腕をスパッと緩めると落下する・・着地した台地での大怪我・・が心配とでもいうんだろうか? 欲望との葛藤が壁紙となってスクリーンに映し出される。



寒の内に春を見つける

2018-01-17 00:00:00 | Weblog
 天気が悪い。昨日までの寒さはないが豪雨の時間もあったりして、何もしない一日を作ることにする。な~んもしない、コタツに入り丸くなること。ラジオだけは低い音で何やらわからないような音楽が伝わって来るだけ。本を手に取るもたったの1行縦に読んで終わり。晴耕雨読とはゆかぬ。

 午後いつものスポーツジムに行き衰えている足と腰の筋肉を少しだけ鍛えようかと午前に考えていたものの昼過ぎの豪雨で出かけるのを止めた。今日は履物を履くようなことをしない。

 ・・・と決めていたものの豪雨が止み寸時の雨上がりの時間に初めて履物を履く。そして、

 もうすぐ芳香が漂うであろう沈丁花の花芽を見つける。

 お~っとリュウキンカも一輪見つけたぞ!

 なぜだか・・急に・・あのカヌーイストの野田知佑さん、今何してるのかなぁ・・などと思いだした。
 野田さんは今の子供が置かれている社会環境に警告を出している。
最近の子供、若い人は、社会の犠牲者だね。
親や学校が「危ない」と言って、川に行かせない。生き物を捕ったら「汚い」とか「かわいそう」だから捨てろという。服がぬれると叱られる。禁止だらけだ。まず、大人に泳げない人が多い。だから、「危ない」と蓋をする。そうすると川の存在がどんどんと遠くなる。危険に直面した時・・・なすすべを知らないとどうしようもない。危ないと思うなら・・・泳ぎ方を教えるのが正しいと思うんだ。川で遊びづらくなっている。
 日本の川をカヌーで下っていると、警察や役所が「危ない」と飛んで来る。アウトドアで危険だからやめろと言われたら、何もできない。一番の問題はそこだ。私が「自己責任だから、何があっても公共へ文句は言わない。」と答えても・・・警察や役所は「他のみんなが困っている。」という。何でもかんでも、すぐに・・・「みんな」というキーワードが出てくるのは日本だけじゃないか?それを社会正義みたいに振りかざしてくる。玄人の意見ではなく・・・人の物差しで判断しようとする。
 川に潜って魚を捕るようになると、自分の町の川が好きになる。吉野川で、小中学生に川遊びを教える「川の学校」を始めて、16年目になる。毎年30人の参加者を全国から募集して、二泊三日のキャンプを年5回やる。カヌーや川遊びをしていると・・・漁協が威張って文句を言ってくることがあるが・・・川の学校のスタッフが漁協と話を重ね今では漁師が子供にアユを差し入れてくれることもある。子供たちは、潜ったり、魚を捕ったり、飛び込んだり学校で禁止されている遊びが全て出来る。半分以上の子供が初めての体験だね。泳げない子にはライフジャケットを着せる。「危ない」「やめろ」とは言わず、常に安全を確保しながら自由に遊ばせている。捕った魚は自分たちで調理して食べる。そうすると、子供たちはナマズやウナギをみると・・・「食べよう」と目の色を変えて捕ってくる。
近頃は、アオダイショウなどの蛇を捕って、カリッカリに揚げて食べる。結構、うまいんだよ。(笑)参加した子供たちが、二泊三日で別人のようになる。ある親は「一体何をやったんですか?」と聞いてきた。子供が寝てる間もニコニコ笑っていると言うんだ。その子は人づきあいが苦手で、不登校になりかけていたそう。遊びで発散していくうちに、夢中になれることを見つけたんだね。夢の中でも川で遊んでるんだ。彼は・・・生涯でこんなに楽しいことはありませんでした。」と言った。胸を打たれるよ。本来は何をやっても面白い時なのに・・・今は家でも学校でも勉強以外は何もやらせてもらえない。それでは、つまらないよ。人間は、小さい時の体験が大事だろうね。子供のころに何でもやってみると、抵抗がなくなる。川の学校の卒業生の子供たちは・・・親に川遊びのやり方を教える。面白いね。ある親は「ただで楽しい遊びができるんですね。」と言い、しきりに感動していた。一家全員で遊べて、父権復活のチャンスだよ。子供より絶対的に体力があるから、何もできない父でもすぐに子供を追い越せる。陸の上は、人が多くて、規則が多すぎる。 水の中や水の上は自由だからね。川の中で足ヒレつけて・・・「しゅーっ」と魚を追いかけている時の自由さは・・・他には、無いよ。 


 パドルを漕いで川面から眺める人と車はすべて上側に見る。人は川面を見下ろす。そのような当たり前のことから多くのものを学ぶことができると教えてくれたのはカヌーイストの野田さんから。

 いつの日であっただろうか・・・まだ4人目が生まれていない時、上3人の子供を連れて四万十にカヌー乗りに行ってたのは・・。 
 この本おすすめ。 

じゃ行ってくるよ

2018-01-16 20:50:37 | Weblog
 昨日の午後羽田からLineで入ったメール。

 2階建のルフトハンザで行ってくる・・と妹から。ナニやっとんじゃい 毎月パスポート持ってどこかに遊びに行っておるエエ加減にせ~と云いたいところである。義弟もとっくにあきらめておる様子。兄さん・あいつには好きなようにさせておく方がこっちも安心ヨ・・などと悟りを開いているように自分に話しかけてくれるが

 今日の相談室では4人と会い、内1人が初めての人A40才。そのAが事件を起こす前までの仕事は高校を卒業後大手企業工場1社での就労。受刑者には珍しく転職歴がない。Aが静かに話してくれることに、Aが3才の時に母親が病気で亡くなった。5つ年の離れた兄と父親の3人で以後暮らしている。日常生活のことでは、掃除洗濯ご飯作りのことなど父親から厳しく教えられたそうだ。それも幼稚園の時からだそうだ。自分には友達がしているような甘えられる母親がいなかったこともあり、父親に甘えていたそうだ。運動会の弁当は父親が作ってくれたが本人が小学生高学年ともなると高校生の兄と一緒に弁当を作っていたんだとか、兄が忙しくなるとほとんど自分がご飯のことなどやっていた、と話しかけてくる。収監されたのはその兄を陥れた金融事件である。兄は関西にある上場企業勤務。父親も鬼籍に入っている。血を分けた兄弟は事件があったこともあり親和的ではないんだろう・・、兄さんから手紙が来るか?と聞くと、以外にも毎月1回は会いに来てくれてるんだとか、さらに仕事の心配もしてくれている・・と。被害者にもなった兄がそのように自分に接してくれていると。出所者には仕事がないやろ・・と考える受刑中の人や娑婆の人は多い。案外再犯に至る源はそこらにあるのかもしれない・・。

 それでは仕事のことはこちらに任せてくれ、Aの考えられる範囲内で仕事に就けるように支援するから支援スタッフの私にその不安を預けてくれないか・・と持ちかける。Aが釈放されるのは菜の花が河原一面に咲くころになる。Aに対してさっそく動くことにする。3社の候補を挙げた。いずれも採用となるに違いない。どこを選択するのかこれはAに任せる。

 Bが入ってきた。近々釈放されて帰住する行先は、深夜バスに乗り朝着いて、そこから電車に乗りついで降りるところは雪の中だろう。Bに言う。ここを出て真っ先に何をしたいか?、すると、まずコンビニに行って缶コーヒーを買いたいと、それから道後温泉に入るのが楽しみ、お昼にはうどんを食べ、夜にバスに乗る・・と口元をゆるませて穏やかな顔で話してくる。

 Cは若い。20台前半のCは背中一面に文身が入っている。両親がいないCは祖母に育てられた。妻とは逮捕後離婚した。子供は引き取り祖母が育てている。近々出所するCは自分の子供を育てるために一生懸命仕事をしたいと云う。
 Cは先月事業主さんに来ていただいて所内面接をし採用されているので、出所後すぐに働くことになる。Cが眼をウルウルさせながら、こんなに早く仕事が見つかるとは思いもしなかった・・感謝いたします、ありがとうございました・・などと神妙なくそまじめな顔で云う。私も笑いながら、10年早いよ、お礼を言う時は10年後、まっとうな仕事をして子供が大きくなってから、ここにお礼に来なさい!などとカツを入れる。

 Dが最後にやって来た。Dの帰住する地方は遠い。官券をもらいJRの半額切符を買って引受人のいる場所で満期を迎えることとなる。仕事は決まっていないが、面接に行ける事業所はハローワークから情報提供をしている。。。、が本人が行くかどうかはわからない。今までにこのようなケースでこちらがおぜん立てをした所へ面接に行く出所者は少ない。われわれの送り出す言葉に忠実に実行することが難しい裏には何か本心が別にあるのだろうと思う。そこを相談により突破できなかった自分の薄っぺらさを恥じ入る。

 塀から出て次に向かう部屋は母親のところ。5分で着く。部屋に入るとベッドですやすやと寝ておった。起こすのも悪かろうと・・そっと寝顔を見てから退散する。部屋には誰かが持ってきてくれたデンドロビウムの花芽が数本付いていた。もうすぐ咲くのだろう。
 O施設長さんに挨拶。「オカァさんは少しずつご飯を食べる量が増えたので体力が戻ってきたようですよ・・しばらく様子を見て次週の外でのランチに連れて行こうと思います。次週はくるくる回るお寿司屋さんですから、そこで茶碗蒸しなら食べることができるでしょう・・」と。みんな面倒を見てくれておる・・ありがたいこと。

何を引っ張るのか

2018-01-15 21:36:39 | Weblog
 A85才、健康状態は良好。厚労省がはじき出す平均余命はH28年時点で6.27年とある。Aの逮捕されたワケは無免許運転の反復のこと。捕まったのは、〇年前の夜中0時40分。1㌔ほど離れている実家に自分の妹と二人で住んでいる母親105才が急に悪くなり街の救急病院に連れて行って欲しいと妹から電話連絡があった。農作業のために無免許で数年間自動車に乗っていたがそれまで街に行くことはなかった。夜中でもあり警察に見つかることはないだろう・・と病院まで軽トラに母親を乗せて連れて行く途中で・・まさか・・取り締まりがあるとは・・と言った。このような介護のことが20年間続いた。Aは精神的にも肉体的にもボロボロ・・、

 自分はそのようなことを聞きたいわけではない。ここを出てどうするんだと・・聞き置きたいだけ。nextのことだけ。仕事は雑草地となっている広大な土地の整理だけがある。収入にはならない。土地の税金を払うのに年金をあてているんだとか。売りたいが今山が売れないので。。と話してくれた。このままだといずれ国に没収されるんだろうと思う。それでもいい・・と。

 平均余命からすればあとAがこの世、此岸に位置する時間は5~6年間。どうしたいの?の問いに対してAが答えてくれたこと。中国山地に所有する山は45年ほど前に山の景気が良かった頃、製材業を営んで儲けた金で次々と買い増しをしたんだとか。それが今になってお荷物になっている・・らしい。

 B62才。幼い頃弟と妹と父母の5人家族であった。父と母は仲が悪かった。晩ごはんの時には決まって父が母に目の前で暴力を振るっていた。土木作業員の父は酒が好きでよく飲んでいた。結果、小さな丸いちゃぶ台をひっくり返すと、それで兄妹の晩ごはんを食べるのが終わった。お腹いっぱいになることがなかった・・・そんな思い出しかない・・。で、出所後は仕事をしたいという。

 C35才。所内の懲役生活では規則違反を繰り返す。懲罰にかけられることが多く閉居房〇〇日などのこともある。Cはいったい何に対して反抗をしているんだろうか・・と考える。他人による自分への身体拘束か、それとも自分の心による自分への反抗が他人に及ぼす影響なのか・・などと。

 今日は教育部門から依頼された教育支援講演の日。しかし、いったい何を自分は教えられようか・・と立ち止まってみた。教えることはないが何かしら今まで考えたこともなかったような、思いつくことがなかったような・・そのような引き出しを見つけてもらえばエエかナァ。。

 そこで困ったときは、長田 弘さんの詩をみんなで朗読することにする。そして考えることにする。いずれも遠くを見るようなことで・・。

 ついでに大江健三郎「『自分の木』の下」の中から、私の好きな個所《どうして生きてきたのですか》から、自分の木が森の中の木としてもともとあって,生まれてきたときにその木から自分の魂が飛んできて宿り、死ぬとその魂が山の中の自分の木の根っこに帰る・・そのような話をみんなで考える・・。
  今日の90分はこのような作業をすることにした。アホなことを知ったかぶりにして教えないことに注意をしながら、オープンクエスチョンだけで終えることにする。自分は壇上に居ながらして受刑者を見上げるような授業になるだろうか・・。80分経過後には3人が自分をさらけ出して私にしゃべっていたが・・この90分お喋り会が終わった後、A・B・Cの3人が何をしゃべっていたのか、と思い出すことができないようで・・自分の老化現象が激しく進んでおるみたい、イヤハヤ。
 

朝に昼に夕に

2018-01-14 00:00:00 | Weblog
 年に一度は温暖な地方にも雪が積もる。雪道の運転はノーマルタイヤにつき不可能。であるが・・・ゴルフ場クラブハウスまでは大丈夫ですよ・・とメールが入る。それじゃ・・お出かけとしようか。

 でも坂道には少し雪が残ってるが・・腐った雪のようだから・・行けるやろ・・と。

 お~・・・っと。ゴルフ場の駐車場も一部だけ雪かきをしているものの、大半はこのような有様。

 トコトコとあるく。滑らないように・・大股で歩くことなく小股で歩く。

 ゴルフコースはクローズ。

 今日の説教 マタイ14:22-33
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
14:23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。


 自分にはわからない、箇所。そのことについて牧師を含めて出席者5人でお茶菓子をいただきながらの茶話会。この時間を共有することが最も楽しい時間となる。皆の意見を聞きながら・・・そうかそうか頭の中で理論的に考えることではなく感じる事なのか・・と信ずることは理屈ではないことなのか・・などと合点。理屈で言えば湖の上を歩くことはできない・・ことに違いないけど。
 昼前の石鎚
 


 夕刻の石鎚







どうしようか・・と

2018-01-13 00:00:00 | Weblog
 センター試験が始まったニュースが流れる。我が家の子供たちも20年ほど前から5年ほど前まで受験しておりそれぞれ苦労していたことを思い出す。長男は推薦入学で東京に行ったので経験はないが下3人はそれぞれ複数回のセンター試験の経験を持つ。親のさほど優秀ではないDNAを受け継いでいたので可哀そうにも苦労していた。

 センター試験の前の世代に共通一次試験なるものがあった。今の年齢で言えば53~4才から60才過ぎたくらいの年齢の人が受験していると思う。でも私立大学でも利用しているオールマイティのセンター試験ではなく当時は国公立大受験生に課せられていた試験であったように思う。

 で・・この共通一次試験の世代が自分にとっては難敵である。現職時代にも今の世にもこれらの世代が自分には難しいと思ったことがしばしばあった。この世代の彼ら彼女たちは頭脳明晰しかも行動力、決断力を身に付けている人たちが多く、自分たちの団塊の世代とは異なる体験を通しての価値観を身に付けているだけに、なぁなぁ・まぁまぁ・よきにはからえ・・などのエエ加減なことを許してもらえなかった。それに比べてセンター試験の世代ともなれば、成績の優劣が、例えばスーパーに陳列される同じ群の商品の中で値段の高い低いだけで品物の良し悪しを判断できるようなデジタル化されているような錯覚を受ける。さらに50を境にして40台より若い世代ともなると、その商品が、単に高いだけ、人手がかかっているだけ、流通コストが高いだけ・・のそれだけのような感覚がする。無機質的に機能性だけを磨いて勉強し生きてきたようで、こちらとしてはアナログ的に「読む」ことなく「見る」だけの世代のように映ってしまうのは自分だけだろうか。でも優秀だと感じさせる世代でもあるが、臭さ、苦み、うま味を包み込んでいるようなことはない。自分の偏見だろうか・・。今私の周りの50才台の人たちは団塊の世代が持っていない屹立さを感じる人たちが多い。

 わが子らのセンター試験では思うようにうまく行かなかった年は早く帰ってきた。うまく行ったときは午前様のように帰っていたと思う。まぁ親が先に寝ていたから翌朝の報告で分かるくらいか。

 大雪の中、みんな受験生が存分力を発揮できればいいなぁと・・・。でも失敗してもそれが後の大きな財産となっている人も知っているだけに。。まぁボチボチやりゃええが・・と無責任に思ったりする。

  それより・・どうする月曜日の90分のお喋り会のこと。70才や80才を過ぎた受刑者に若輩者の私が何をしゃべって何を教えようというのか・・。

冬の山

2018-01-12 00:00:00 | Weblog
 やっと私の好きな景色を眺めることができた。



 凍てつくような風にあたりながらもぼんやりと東の方に顔を向ける寸時が至福の時間。身体はカナダグースを覆って体温を確保しておるような按配ではあるが・・・。

 あれほど登った皿ヶ嶺も・・きっと中央ルンゼの急峻な谷にもごつい石の上に大量の雪が溜まっているのだろうか・・と思いを寄せる。行きたいと思う。でも右足の筋肉がない分バランスが取れないのでゴロゴロすべり落ちるんだろう・・と。


 困っていること。月曜日に頼まれている受刑者向けの矯正教育の一つ、教育支援講話では80才、65才の人が含まれていることで何をしゃべろうかと・・・今までの前回をなぞらえるコピーであるような就労意欲をかきたてるお喋りではちょっと方向が違う。

 じゃ何をしゃべろうかと教育部門の偉い人に訊ねると・・・娑婆に出て高齢での再犯を重ねるまえに浄土に送る、天国に送る葬送曲の序曲のような話でエエよ・・と茶化されながら云われたが・・・コマッタ・コマッタ。