年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

Sさんと

2006-02-18 00:00:00 | Weblog


2006/2/18 (Sat) Sさんと

 今日の出来事。昼は下の子供と約束していたので外食す。マックかラーメンか回転すしのどこに行こうかで選んだところくるくる寿司がいいと子供が言う。結構客が多かったけれど空いた席に座り込みさっさと子供は皿を重ねて食っている。10数枚の皿を重ねたところで急にストップした。訳を聞くとオトウの財布を考えて止めたのだという。そうかそうかそうだったのか。3時過ぎに私は山仲間のSさんと40分の散歩へ行く。足がしびれてまともに歩くことが出来なかったが歩きながらも二人の目は自然薯のつるやワラビの生えそうなところへ向いていた。夜は二つの会、ボーイスカウト役員会。公民館役員会を欠席し日本対フィンランド戦を見る。期待するほど盛り上がりなし。

ミス

2006-02-17 00:00:00 | Weblog


2006/2/17 (Fri) ミス

 このところ恥ずかしくも仕事上においてミスをすることがたびたび重なる。前例を踏襲してのミス、思い込みのミス、度忘れのミス、そそっかしさのミスなど数を上げれば枚挙に暇がないほど。偉人は年齢を重ねるごとに完璧な仕事をまっとうするんだろうけれど偉人ではない自分としては失敗も経験のうちだと割り切ってみるもののふがいなさにがっかりしてしまう。こんな日は早く布団にもぐりこむが寝つきが悪い。夕方再び温度が下がる。寒い。

喪失

2006-02-16 00:00:00 | Weblog


2006/2/16 (Thu) 喪失

 読書をする。喪失体験について、近親者を亡くす・大事なものが失せるなどの体験をすると①否定する=そんなバカな、そんなこと信じられない②怒り=ちくしょう目なんでこうなるのか③取引=もし奇跡的に良くなったら大切にしよう④抑うつ=もうがっかりした、お先真っ暗だ⑤受容=結局このような運命だったのか…このような通路を人は通る、巻き返し繰り返し人はあらゆるものを喪失する。そして受容してゆく。喪失体験があるから成長がある。成長を伴わない喪失はありえない。そのような内容の本を納得しながら読む。

降込む

2006-02-15 00:00:00 | Weblog

2006/2/15 (Wed) 降込む

 先日から温かくなった。それが証拠に寝る時に布団に入れている電気あんかもスイッチを入れないでも眠れるようになった。外は今激しく雨が降っている、春雨のやさしい表現より地球温暖化による局地的豪雨の感じがする。
 今朝3番目の子供からメールが入る。内容は,受かったよ,と記されていた。早速おめでとうと携帯に電話をした。自分の進む方向をピンポイントで進むというせっかちな方法ではなくなんとなく自分の進みたい方向にボヤ~ッと近づいて行く方法が最も自然なのではないかと思う。3番目の子供にとっての方向先にはメジャーな建築設計士があるという。

気温も上がり

2006-02-14 00:00:00 | Weblog


2006/2/14 (Tue) 気温も上がり

 曇り空であはあるがぐっと気温が上がる。なんだか得した気分の日。毎朝同じ電車に乗り合わせる知人が毎年一人ずつ減っている。ほとんどが定年による退職が多く年齢も60~65歳とまばらであるけれど通勤がつらくなったという人が多い。だから自分もついついそんな年齢に達したのかと思う。今では数少なくなった朝の電車の話し相手のお一人,ジョブカフェのセンター長と乗合わせてのおしゃべりが楽しみになった。Iさんはこれからの季節花粉が多くなることに警戒を強めていられる。今朝もこの何ヶ月かがつらい日々だと言う。なんでも鼻の中がコンクリートで詰められている感じがして息がしにくくなるのだと言った。良い薬を求めてこれまでに病院を5ヶ所も替えたけれど治らないとぼやいていられた。で,先日のテレビでは日大の教授によると花粉症に効果がある食べ物は土筆だと言われたと話されたので,じゃ私の畑の周りにもたくさん土筆が出ますので採りにいらっしゃいと言った。あの土筆の胞子が効くのかなぁと思ったりする。もうじきに土筆が出てき蕨が出てきてタラの芽が出てきて独活のシーズンに入る。
 明日は3番目の子供が受験した学校の入学試験発表がある。何度も挫折をしているけれど明日が何度目かの立ち上がるキッカケの日になれば良いなぁと思う。

サボる

2006-02-13 00:00:00 | Weblog

2006/2/13 (Mon) サボる

 朝7時前の天気予報を見ていると今日は良い天気で気温も上がり過ごしやすいとあった。身体がちょっときついし思い切って今日の仕事を休むことにした。空は雲ひとつない最高の天気。石鎚山は真っ白に輝いておる。昼中石鎚展望が利く公園へ行くことにした。しばらくボ~ッとして山を眺める。
 そのときまたまた電話が入る。母親が検診日の今日病院の階段から落ちて骨折したので来いとの看護士からの電話。あわてて大学病院へ。行くと整形外科で添え木をつけられ腕に包帯をくるくる回されていた最中であった。全治3ヶ月と医師が言った。昨日一昨日と従妹のご主人が亡くなりずっと一緒にいたので疲れていたのであろうか、階段を踏み外したのは。これで母親はこの病院内で行かねばならないところは内科・耳鼻科・整形外科がセットになった。今夜の月はまん丸。

告別式

2006-02-12 00:00:00 | Weblog

2006/2/12 (Sun) 告別式

 Hさんの告別式がある。セレモニーホール内には出席者全員が入りきれず通路まで椅子を置いてある。祭壇が見えないその場所に陣取りHさんを見送る。お人柄であったのだろう、大勢の人が出席されていた。その中のお一人I市市長も見えられていた。喪主である奥さんのSさんと学友とか。私もN市長のご子息とは一緒にECCで活動しているのでなんだか不思議な縁を感じた。斎場からなおらいまでお付き合い。昨日から身体がきつい、早く横になりたいと思う。

また

2006-02-11 00:00:00 | Weblog


2006/2/11 (Sat) また

 朝の10時半に電話が入る。Hさんが昨日亡くなったので至急I市の自宅まで連れて行って欲しいと言っている。Hさんは1年前から癌による入退院の繰り返しで、たまたま昨年末退院した母親を連れてHさん宅へ年末の挨拶に行ったさいに、つらそうにも笑顔を作りながらご自身の病状を話してくれたことがあった。まだまだ生きながらえることが出来ると思ったのが1ヶ月少し前である。ご遺体を前にし奥さんのSさんにしばらくお話をお伺いした。Hさんにとって満足できた人生であったかどうかをお尋ねすると、じゅうぶんに満足していたでしょうと答えられた。仕事上においては出世をあきらめていたものの家族を大切に考えてやってくれていたし皇居にも勲章をもらいに2回も行ってきたし退職後は百姓を楽しくやっていたなどと話してくれた。私から見ても非常に気配りをされる方であったと思う。良い家族良い亭主の見本として母親から常に聞かされていた人でもあった。77歳にして故人となった。
 午後はまたまた遅刻してECCの相談会に出席する。途中何度も子供から日本対アメリカのサッカーの試合の途中経過が入る。やっぱりダメか日本は。会の中で先日の中学校の授業について報告した。

出で立ち

2006-02-10 00:00:00 | Weblog

2006/2/10 (Fri) 出で立ち

 先日4番目の下の子供の少年式があったそうだ。あったそうだというのは今日聞いて知ったからである。14歳の中2の心は人間の中で最も大人になっているピークであるとかつて読んだ本、河合隼雄さんの「心の深みへ」の中に書いてあった記憶がある。この年齢を過ぎると男性は女性に女性は男性に興味を示し本質的に一人の人間としての精神的な生きようをごまかしていってしまうと、まただんだんと世間ずれしてしまい本質的な部分から遠ざかると書いてあったのを思い出した。だからであろうか中2の子供からの反抗的な言葉には情けなくも,親としての明瞭な返答が出来ない事が多くなった。今日も下の子供から詰問される。どうして勉強をしなければならないのか?うん、それは将来豊かに過ごすためじゃないのかな、と答えるとじゃオトウは中学生の頃勉強をあまりしてなかったのか、だから今豊かになってないのか、でもなぜ自分が出来てないことを子供に押し付けるのか、などと言い寄られるとつい、こちらも切れそうになってくる。ごちゃごちゃいわずにやれよとでも言うと、オ~シワカッタ親のためにヤッテヤルときた。こっちから見ると一生懸命に14歳の人間が自問自答してあがいておるように映る。先日の少年式は下の子供にとって何かを感じたようでもあった。


2006-02-09 00:00:00 | Weblog
2006/2/9 (Thu) 善

 well-beingを訳すると善い状態にあることとあった。善い状態っていうのも色々な条件があってのことであろうが,ふと吾にかえって考えてみた。五体満足・健康良好・気持ち安定・飯も美味い・睡眠もよく取れている・日ごとうんちも出てくれる・仕事関係順調・家族一同皆良好・親族関係円満・人間関係皆順調に止まらず紛争や争いのない社会・国と国の喧嘩や殺し合いのない状態にまで善い状態を広げてみるとwell-beingとは程遠くなってしまった。かつて宮沢賢治は世界の平和がないと自分の幸福もありえないと言ったが自分の善い状態と自分を取り巻く社会の善い状態を比較すれば社会状態が善いことが自分の善い状態に優先することになる。今まで自分が受けてきた教育,自分が感化された価値観や考え方をいつも疑問視しながら練らなければ深みには入っていけないようだ。反対語には自分勝手・自分さえ善ければなどの状態がある。