年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

「終わった人」

2018-06-20 00:00:00 | Weblog
  終わった人、終わってるのに終わってない顔する人、終わりつつある人、様々の人が自分の周りにいる。私も自ら思うことに、終わってる人に属する。ジツハ・・・私も10数年前に花束をもらった人、終わった人である。


 雨の中のアジサイになぜかホッとしてる。
 土曜日に母の納骨を予定している。で、奥さんが墓地の草引きをヤラネバ・・とせっつかれて1時間ほど車を走らせた。その道中の話を奥さんがやってる。ネタは「終わった人」の話。昨日もソファに寝転んでクスクスッと笑ったかと思うと、ニヤニヤしてる。と、突然声を出して笑い出した。何を読んでるのか・・と問えば「終わった人」内館牧子の文庫本だという。
 そして、車の中でその面白い話を解説してくれた。この主人公はオトーサンそっくり、言ってる話も全くおんなじヨ・・と。

「毎日が大型連休」になった男の悲哀が苦しい。仕事一筋の男だったため、友達もいないし、趣味もない。やりたいこともない。やりたいのは仕事だったのに・・来る日も来る日も何とか時間をつぶさなければならず、見たくもない映画を見に行ったり、スポーツジムに入ったり、カルチャースクールに通ったりする。それでも「自分は老人ではない」という矜持があり、老人の溜まり場と言われる図書館には行かない。歩数計をつけて散歩もしない。昼間のジムは爺さん婆さんばかりだが、一線を画して仲よくしない。それでもやがて気づく。「傍から見たら、俺も単なる爺さんなんだろな」と。激しい落ち込みの中、悶々と日々を送る。
  そのようなトーサンと同じ。よく言ってるじゃないの・・ジムは暇を持て余す爺と婆ばかりョ、話し相手ではない・・とか、病院に行っても爺さんと婆さんが電気治療や首吊り、マッサージやってる・・とよく言うじゃない・・と。でもトーサンは近所付き合いはやってるし地区の役員もしてるから、この本の主人公よりかは半歩進んでる方かナァ・・となぐさめてくれる。それも腹を抱えて笑いながら・・であるが・・。

 この文庫本の表紙と同じ光景を自分は経験したのが15年前になる。
  大阪・キタの繁華街で退職祝いをしてもらった。そして大きな花束をいただいた。持って帰るのを遠慮して、女性の事務員さんにあげようとしたが、事務員さんから、持って帰って奥さんに差し上げて下さい・・などと云われた。でも問題は飛行機で帰ることで、面倒くさく荷物になるのでどこかに置いて帰ろうとしても伊丹空港内でゴミ箱探そうにもない。ゴミ箱に花束と云うのもなんだか気まずいではないか・・などとずるずるしながら結局機内に持ち運んだ。そして、オーバーヘッドビンの共用収容棚にも入り切れないほどの大きい花束だったのでCAさんにこれ貰ってよ~と言っても、意を察したCAさんが、大事なものですから到着地までギャレーでお預かりします・・などと云われあずかってもらい、結局自宅まで持ち帰った。事務員さんに言われた通り、奥さんにあげて写真を撮った。。事を覚えている。

 「終わった人」がその後どう再生していくのかに焦点を中てたい。息子に家業を譲った人が、いつまでも監視役として登場し、譲れないような人もいるだろうし、自分の周りの多くは孫が残された余命を長らえる起爆剤となってるような「終わった人」が多い。あるいは腹の突き出た人のジム通いの痩せたマッチョマン志向癖、朝からカラオケ方向の音痴族の人。高尚なる趣味?とする俳句方向や短歌族、私の出身高OBで作る連歌派にハマる人もいる。また地域貢献として「笑いヨガ」をやる元校長先生もいたりして「終わった人」の次の終わり方を模索してる人もいる。私のように1週間の内の2~3日仕事する人は、「終わった人」の内館牧子先生は、輝くほどのうらやましい存在だと云うかもしれない・・

 自分の今歩いてる道は、15年前に大阪キタの街で宣言したこととずれてないだろうかと・・PCの倉庫を探してみた。

株式会社〇〇出版社の退社挨拶
大阪支店の人前で(飲屋の喧騒の中で)

少しお時間を頂戴してご挨拶をさせていただきます。今日で最初で最後となりますが、先ほど会議中にお出ししたお菓子は、松山名産?の一六タルトです。 ここの社長は玉置さんという方で、お菓子の会社の「一六本舗」以外にも車の「ネッツトヨタ愛媛」や「スーパーセブンスター」、「レストラン北斗」など経営しておられます。更にもう一つ会社があります。それは「伊丹プロダクション」という会社です。俳優さんは故伊丹十三さん、宮本信子さんです。その伊丹十三氏の妹さんに「ゆかり」さんって方がおられます。彼女のご主人さんが大江健三郎さんです。私の故郷の隣町の方です。ここからが今日の私の話です。

ノーベル文学賞を受賞された大江健三郎さんは難しい本をたくさん出しておられますが、最近若い人達に向けて優しくアピールしていることがあります。その一つに皆さん方の中にも読まれた方がいらっしゃるでしょうが、「『自分の木』の下で」という題名の本があります。
大江さんの実家は、両側を山に囲まれた狭い谷あいにあります。愛媛県喜多郡内子町大瀬という地区です。その地区に古くから言い伝えられている話しにこういうのがあります。おばあさんから何度となく聞かされた話、つまり、それぞれに自分の木があって、人は生まれた時に、山の高みの森にある自分の木の根元から魂が螺旋形に飛んできて赤ん坊の体内に入り、逆に死んで逝く時には魂が身体から抜け出て、再び山の高みにある自分の木の根元に螺旋状に戻っていくものだ、という言い伝えです。
 そこで少年時代の大江さんは不登校時に、山の中の森に入り何十年ヶ後の大人になっている自分に会うために,たくさんある中から自分の木を探し出してこのように尋ねたかったと、 「あなたはどうして生きてきたのですか」 と。  そして、60歳の半ばを過ぎた今、再びあの山間の森に行くと10歳の時の大江少年が待っていて、おじいさんになった大江さんに 「あなたは60数年もどうして生きてきたのですか」 と尋ねられる質問に対する答えとして 「『自分の木』の下で」という本を出版されたんだろうと私は思います。

 その本を読みながら、私は自分流にこう考えました。 少年時代の大江さんが60歳もとっくに過ぎた大江さんに 「僕はどのような大人になり、老人になるんでしょうか?」 と尋ねた時、自分の木を見つけることが出来るかどうかはわかりませんが、大江さんが再び大瀬の山間の森に入って自分の木の下で大江少年に「ぼくは あなたのそのままの人ですよ」 と答えると同時に、おじいさんが少年に, 「あなたの持っている夢や希望に沿っているおじいさんに見えますか」 更に少年に 「あなたはどんなふうにこれから生きていきたいのですか」 とお話をするのではないだろうか と思うんです。中井君や香取慎吾やキムタクの,私は個人的には慎吾が好きなんですが,スマップの 「ヨゾラノムコウニ」 という歌のなかにもありますように ♪あのころの みらいに ぼくらは たっているのかなあ♪ という、つまり、ずっと前の自分と今の自分とがどうつながっているのかなあ、ということだと思うんです。

私も皆さんも会社にいる限り、ころもへんに刀を添えての初めがあって、糸へんに冬と書いての終わりがあります。私の初め,〇〇出版社に入った動機といえば昭和47年4月の,ちょうど30年前の24歳の時でした。当時の自分は魂が定まらない青春の彷徨時代でして,デラシネ、根無し浮草状態でした。ころもはボロボロ,刀の刃もボロボロ、しかし先っぽだけは,とんがっていたように覚えています。 悩んでおりまして…・、これからどうやって生きていこうかと。それで ヨッ~シ!この根無し浮草状態から脱出して大地にしっかりと根を張って生きていこう、その為には、自分の中に住み着く保守性をどうやって追い出そうか、というものでした。 なぜならば、守るべきお金も力も何もないくせに保守的に閉じ篭りがちであったからです。 折よく朝日新聞の人事募集欄に,〇〇出版社の募集記事があり、募集条件として書かれておりました〓小乗的サラリーマン不可〓という文字に魅せられて入社した訳です。

 ところで、先ほどの大江健三郎さんの本に沿っての話しに戻ります。 
 30年前の24歳の入社した新人時代の自分と55歳の退社する今の自分とが, どのようにつながっているか・・・です。 55歳の私が24歳の私に問いかけます。「あなたの30年後の私の姿を見て想像した通りになっていますか、どのように感じますか?」「大地にしっかりと根を張って生きていますか?」「その根っこはあなたにつながっておりますか?」 と。
 仕事を30年丁度やってきました。自分の実績として おそらく会社の歴史51年間を通して10本の指の中には入るだろうと思います。 皆さん、私は決して自慢をする為に言っているのではありません。反対です。私に仕事のために支援をしていただいた21,000人の見知らぬ沢山の人達から栄養分を頂いて、私の姓でもありますが高木という木の根をのばして頂いた、しかも、妻と子供4人。家族6人が生きていくための滋養分を貰ったということです。感謝の一言です。
 このことは決してお客さんとばかりつながっているものではありません。今までに数え切れないほど辞めていかれた方,ご指導を頂いた上司や先輩,同僚ともつながっておりますし既に亡くなられた同志ともつながっております。今、こうやって私の話を聞いている皆さんともつながっております。厳しい仕事をしながらも 笑顔を見せてくれた人とも、電話などで叱咤激励してくれた人とも、いつも嫌がらず無理を聞いてくれた事務の人とも、若い人達ともつながっております。 この30年間の,不可思議とも思えるそのつながりにもう一度感謝をしたいと思います。長い間、本当にありがとうございました。心より感謝を申し上げます。
 さて、今後の私ですが,少しボヤ-ッとした時間を もちたいと思っています。が、食っていく為にあと10年を最低に15年を目標に仕事をしたいと考えております。そのために勉強をしたいと思っていることがあります。長年、自分と人とを相手にやって参りましたので、それに基つくものであればいいなあと思いますがどうなりますことやら。
九州支店に弓道を趣味にしてらっしゃる方がおられますが、何かの本の中にこのような言葉がありました。「矢は弓の力なり 男の仕業は女の力なり」の一文 です。矢は自身では飛びませんよ、弓の力によって飛ぶんですよ、同様に男の人のしわざは女の力によりますよ、ということでしょうが、所詮,男の私一人では, たかが知れたものでしょうから妻の協力を得ながら、未だに充分な根を張っているとは,到底思いませんので、24歳当時の私と同じようにこれからも 苦しくとももがきながらも、先ほど申しましたように後10年、15年と仕事をしていきたいと考えております。おんなへんに台を書いて、それが私の始まりです。

今朝、空港に向かうために家を出ながら狭い我家の庭の木を眺めておりますと今年の寒い季節で すっかり葉っぱを落とした木の枝からも,ヒガンザクラですが小さな芽がたくさん出て膨らんでおりました。まもなく開花するでしょう。自然の摂理です。 今、仕事の環境は寒く厳しい状況にありますけれども先ほどの自然の摂理でいうと、芽がたくさん出ている時だと思います。どうか皆さん自分を信じて進んで行って花を咲かせて下さい。終わりになりますが、このような送別会を開いて頂いた支店長、皆さん方ありがとうございました、皆さんのご健康とご家族の方々の幸多いことをお祈りして 私の挨拶といたします。長々とお聞き頂きありがとうございました。

3月吉日 〇〇〇〇



 漫談の綾小路きみまろのセリフではないが、あれから15年・・という話し。きみまろさんは面白おかしく夫婦のその後を展開するが。。こちらは15年前の自分と自分の約束事を守っているかどうかのこと。でも歩む方向は狂いはないが、身体的な衰退は予想してなかったワイ。