2007/7/19 (Thu) なんでだろう
ハローワークやジョブカフェ、若者サポートステーションまた職業訓練校や大学内でのキャリアセンターで就職支援する人など私の周りでそれぞれ関わっている人が大勢いる。で、彼ら彼女達に共通しているのは極論すれば社会的弱者と否応なく関わっていることであると思う。強者の人々、何が強者かは意見の分かれるところであろうが就業先にとって優秀である人はさっさと就職を決めていく力があるので先に書いた施設には来ない、来るのは方向転換で道に迷った人、職業能力が不足している人等々。その社会的弱者を我々が加工し成型して社会に合わせて就職させていくというより、社会が弱者に合わせてくれないだろうか、社会側が弱者を受け入れることができるスペースがもっと拡がらないだろうかと思う。つまり社会的弱者を中心にして優秀な(何が優秀なのかは意見の別れるところであろうが)人々があたりまえのようにサポートする・・・そんな社会。私たちは作れないだろうか。
大学で学生の就職支援をしているMさんと電話で話していると、近頃の学生の悩みは就職におけるカウンセリングというより就職を題材にした親子の確執のようなものが増えたと聞かされた。それらは太古の昔からある親子の悩みかも知れぬ。夕方夕立あり。
ハローワークやジョブカフェ、若者サポートステーションまた職業訓練校や大学内でのキャリアセンターで就職支援する人など私の周りでそれぞれ関わっている人が大勢いる。で、彼ら彼女達に共通しているのは極論すれば社会的弱者と否応なく関わっていることであると思う。強者の人々、何が強者かは意見の分かれるところであろうが就業先にとって優秀である人はさっさと就職を決めていく力があるので先に書いた施設には来ない、来るのは方向転換で道に迷った人、職業能力が不足している人等々。その社会的弱者を我々が加工し成型して社会に合わせて就職させていくというより、社会が弱者に合わせてくれないだろうか、社会側が弱者を受け入れることができるスペースがもっと拡がらないだろうかと思う。つまり社会的弱者を中心にして優秀な(何が優秀なのかは意見の別れるところであろうが)人々があたりまえのようにサポートする・・・そんな社会。私たちは作れないだろうか。
大学で学生の就職支援をしているMさんと電話で話していると、近頃の学生の悩みは就職におけるカウンセリングというより就職を題材にした親子の確執のようなものが増えたと聞かされた。それらは太古の昔からある親子の悩みかも知れぬ。夕方夕立あり。