暘州通信

日本の山車

広島県 総論

2012年12月16日 | 日本の山車
広島県総論 更新

 広島県は、旧國の【安藝國】、【備後國】を包括し、【備中國】は岡山県に所属する。仮説になるが、海神系・綿津見氏から出雲氏にいたる支配のあいだに【備ノ國】が成立し、のち七世紀ころ都に近いほうから前、中、後に三分割され、【備前・備中・備後】となった。【吉備】は、備から生じた賀名ということになろうか。
 古代、人がまだ棲まないところに生活が始まるときは、その生活はまず採集生活する氏族のくらしであり、環境の変化や、生活資源が枯渇するようになれば、他地域に移動することになろう。やがて、稲作を行なう農耕氏族へと時代が移るようになると、その生活は土地に定着することが可能となる。採集生活を行なう氏族、農耕氏族に共通するのは、協同生活を営み、集落を構成し、宗教が成立する。これは世界に共通する普遍的現象と言えるだろう。
 従前は採集生活を行なう氏族は縄文人、農耕氏族は弥生人と漠然と分けられていたが、近年、縄文遺跡から稲作が行なわれていた痕跡が相次いで発見され、且つその時代ははるかにさかのぼり、紀元前三千年ころという報告がある。このことは、縄文時代中期の一部の縄文人は稲作を行い定住生活を営んでいたことをうかがわせる。そこには稲作を伝え、耕作方法を指導した氏族があったことを意味する。さらには、両氏族の間には次第に婚姻が生じ、融和から次第に褶合していった過程が想定される。こうして、縄文人と弥生人は同化し、単一の縄文人は次第に消えていったと推定される。
 この縄文人と弥生人に共通する宗教が【古代祭祀】で、その形態は、磐坐を組み、山上に神を迎える山上祭祀、これに西方の沖縄方面から伝わった、【御嶽・ウタキ、おんたけ】が渾然となった祭祀形態がしだいに一定の形に整えるようになったと考えられる。
 共同生活は、また協同生活でもあり、集落が構成されると自然神、祖神を祀る祭祀が形を整えるようになり、集落はその規模により、邑(むら)や、縣(あがた)あるいは郡(こおり)といった形態へと一定のまとまりを持つようになり、共通の神を崇めるようになり、神は【氏神】あるいは【産土神】を祀るという形態が構成されるようになったと考えられる。
 備後國には、安那郡、深津郡、奴可郡、沼隈郡、品治郡、葦田郡、甲奴郡、三上郡、惠蘇郡、御調郡、世羅郡、三谿郡、三次郡のまとまりをもつ一三郡があり、延喜式神名帳に記載される古社は一七坐。一郡一坐の郡が一〇郡あり、延喜式神名帳に記載されない式外社を考慮の外におけば、延喜式神名帳が編まれた平安時代には、単一氏族で構成される単一神社を祭祀の対象とする、単一郡が一〇あったことになる。
・□参考
次を参考にさせていただきました。
・河北新報記事「安全性認識か 貝塚、津波直撃免れる 東松島」への所感
 http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/29474901.html
・日本の先住民の考察(3) まつろわぬ民
 http://blogs.yahoo.co.jp/momonana_40s/27013009.html
・(1)続き
 http://blogs.yahoo.co.jp/nansei4312/26935845.html
・ガタロウ 潟郎 って?
 http://blogs.yahoo.co.jp/nansei4312/26935845.html
・ヤマトとスキタイ=烏帽子とスキタイの帽子の類似
 http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/3299515.html
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