暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (四〇三)

2013年06月29日 | 日本の山車
玉依姫 様 (四〇三)
 これは仮説です。
 信濃國(長野県)は広大な國ですがかつて分割されることはありませんでした。明治初期には筑摩県、高山県などに分割されましたが旧に復しています。古代は出雲氏の大國主命の子息である諏訪神、タケミナカタノミコト(建御名方命)が統治する國でしたが【出雲の國譲/くにゆずり】の時には最後まで頑強に反対を唱えたとされます。信州は、諏訪神がそもそも武神といわれますが、高句麗系の氏族長の墳墓は【将軍塚】と呼ばれるものが多いのも、武装によって信濃は武装による独立國の韓があったと推定されます。おそらく八世紀ころになっても大和朝廷に靡かなかったのではないかと考えられます。
 カモ氏(大和朝廷)は百濟と、秦氏は新羅と、そして信濃は高句麗と、それぞれ氏族が三つ巴となって、鼎立しており六世紀ころには高句麗が蘇我氏と結び、聖徳太子が台頭することは蘇我氏の繁栄を脅かす存在となって、一時はこれを排除したものの結果的に滅亡することになりました。もし、信濃がもうすこし大和國に近かったならば、大和朝廷ではなく、【物部朝廷】が成立していたかもしれません。

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