05203 長浜曳山祭
滋賀県長浜市
長浜八幡宮
□祭は四月中旬
山車(曳山)を曳き、子供歌舞伎が演じられる。
□山車
・長刀山
長刀組また小舟町組ともいう
山車の名称を蓬来山ともいう
建造は元禄十二年(一六九九)という。
工匠は藤岡甚兵衛。
他の組の山車(曳山)とはいささか趣が異なり、露臺のうえに架臺をおいて太刀渡りに用いる太刀がかかる。厚彫りの見事な菊の彫刻がある。
上臺には幟が立てられるが、昼間は緋羅紗、夜は源氏の笹龍胆の紋がつく幟となる。
・猩々丸
舟町組
舟形山車(曳山)で亭は無い。
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
舞臺障子は山中信天翁筆の松竹菊梅図で、明治七年の作という。
楽屋襖絵は老松図。
・萬歳楼
瀬田町組
享和二年(一八〇二)の建造。
工匠は二代目藤岡重兵衛安道と市松安則父子。
胴幕は昭和五八年、沢宏靭の下絵で雅楽の楽器尽くし。
舞台障子は尾長鳥。
楽屋襖は雪亭尚明筆の仙女、西王母図。
・孔雀山
神戸町組
屋根の上に孔雀が載る。
宝暦年間(一七五一ー一七六四)の作と推定されている。
亭は後補で、文化十二年(一八一五)の作。
工匠は藤岡重兵衛。
胴幕の下絵は虎の子渡し図で作者は岸駒といい、また森徹山ともいう。
見送り幕は、昭和三年山鹿清華の萌春の図
舞台障子は長谷川玉峰の紅葉鳩図。
楽屋襖は八木奇峰の紅葉鳩図。人物渡海図は作者不明という。
米原町で曳かれている北町組の旭山は孔雀山の旧臺と伝わる。
先年、長浜祭に出かけたとき、孔雀山は曳き当番に当たっていたが、神社境内に曳きそろえられていたときそれまでの好天がにわか雨に見舞われた。養生シートをもって山車を覆うお手伝いをした。思いがけず山車(曳山)の亭にまでのぼることができ、組内の役員の方より貴重な資料を頂戴した。
・翁山
伊部町組
八ッ棟造で、明和二年(一七六五)の建造。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は五代目藤岡和泉藤原一富。亭は藤原十兵衛と伝わる。
胴幕は唐獅子。
見送り幕、二人の武将図は一六世紀に、ベルギーで作られた飾毛綴で、加賀の豪商「銭五」こと銭屋五兵衛より購入したと伝わる。
楽屋襖は松鶴図。
錺金具は京都東六条の長左衛門で明和七年(一七七〇)の作という。
・青海山
北町組
舞臺の屋根を切妻造とする。亭は寄棟造で青龍が載る。
宝暦五年(一七五五)の建造。
亭は文化二年(一八〇五)の作。
工匠は藤岡和泉長好。
亭は藤岡重兵衛光隆。
舞台襖絵は中谷求馬の四季花卉図。
楽屋襖は松に孔雀図。
胴幕は紺羅紗地に飛燕。
・高砂山
宮町組
建造期は不明。延享二年(一七四五)の修理記録がある。
それ以前の製作。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は藤岡和泉藤原安則。
後部彫刻彫刻幕は「飲中八仙図」。綴織の「唐子遊戯の図」。
舞臺襖絵は山縣岐鳳の国色(牡丹)小禽図。
・壽山
大手町組
屋根に鯱がのる。
天明二年(一七八二)の建造。
工匠は六代目藤岡和泉藤原利盈。
亭は後補で工匠は不明。
胴幕は昭和五十八年、中国蘇州でつくられた「竹林七賢図」。
見送りは中国明代の綴織と毛綴の二面がある。
舞臺襖絵は杉沢春の石榴と小禽図。
楽屋襖絵は松に孔雀図。
・常盤山
呉服町組
舞臺屋根は入母屋造。
明和七年(一七七〇)の再建と伝わる。
亭は文政元年(一八一八)の作。
工匠は不明。
胴幕は綴錦で、源義家陸奥勿来関を通る図、新羅三郎義光と豊原時秋、足柄山別れの図。見送りは大正一五年、山鹿清華の飾毛綴と太伯山錦。
舞臺襖絵は嘉永四年(一八五一)、横山某の菊白頬鳥図。
楽屋襖絵は藤原関倍の松鶴図。
・春日山
本町組
平右衛門の建造という。おそらく施主の名であろう。
亭は後補で詳細不明。屋根を寄棟造とする。
舞臺襖絵は北村李軒筆の渓流紅葉鹿図。
楽屋襖絵は稚松群鶴図。
建付襖は文久元年(一八六一)、川路春樵の寿老人と西王母図。
見送りは中国賢人図。
・諫鼓山
御堂前組
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
亭は文化一四年(一八一七)の作、工匠は田中加平冶博君、亭の上に諌鼓鶏がのる。
正面の舞臺に架かる簾には岸駒筆と伝わる虎墨図が描かれる、天明六年(一七八六)の作という。
・月宮殿
田町組
天明五年(一七八五)の建造。
工匠は岡田惣左衛門重貞。
亭は嘉永三年(一八五〇)の作。工匠は藤岡重兵衛光隆。重層となっており上が六角の円堂で、下は方形。屋根にはギヤマンの宝玉を載せ、下層の両側面にはガラス絵の引き戸を嵌めこんでいる。
舞臺襖絵は波図。
胴幕はペルシャ絨毯。
月宮殿は、謡曲名にちなみ、鶴亀とは同曲。大津市の大津祭にも同名の山車が曳かれる。・鳳凰山
祝町組また魚屋町組ともいう。
文政十二年(一八二九)の建造。
工匠は不明。
文化十五(一八一八)の火災で先の山車(曳山)を焼失している。
胴幕はペルシャ製。
見送り幕は一六世紀後半にベルギーのブリュッセルで織られたゴブラン織の貴婦人図。
文化十四年(一八一七)に京都から購入したもの。同じタペストリーからは京都祇園祭、大津祭の見送幕も作られている。
□汎論
長浜の山車(曳山)は日本海に沿い多くの影響を与えている。南は丹後にいたり、いまは山車はないが舞鶴には山車狂言がおこなわれ各地に出かけて公演している。北は北陸道に沿って、石川県小松市の子供歌舞伎曳山、富山県の石動(小矢部市)には歌舞伎山があった。礪波市出口には子供歌舞伎の上演が続けられ、入善町には歌舞伎山があったと伝わる。岐阜県飛騨市(旧古川町)には、いまも白虎臺の舞臺で子供歌舞伎が上演されれいる。長浜の曳山の建造には藤岡和泉守一門が多くを手がけている。同じ滋賀県の米原町、湯谷神社祭には歌舞伎山が曳かれ、岐阜県垂井町、養老町、揖斐川町、大垣市にまでその影響がおよぶ。
滋賀県長浜市
長浜八幡宮
□祭は四月中旬
山車(曳山)を曳き、子供歌舞伎が演じられる。
□山車
・長刀山
長刀組また小舟町組ともいう
山車の名称を蓬来山ともいう
建造は元禄十二年(一六九九)という。
工匠は藤岡甚兵衛。
他の組の山車(曳山)とはいささか趣が異なり、露臺のうえに架臺をおいて太刀渡りに用いる太刀がかかる。厚彫りの見事な菊の彫刻がある。
上臺には幟が立てられるが、昼間は緋羅紗、夜は源氏の笹龍胆の紋がつく幟となる。
・猩々丸
舟町組
舟形山車(曳山)で亭は無い。
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
舞臺障子は山中信天翁筆の松竹菊梅図で、明治七年の作という。
楽屋襖絵は老松図。
・萬歳楼
瀬田町組
享和二年(一八〇二)の建造。
工匠は二代目藤岡重兵衛安道と市松安則父子。
胴幕は昭和五八年、沢宏靭の下絵で雅楽の楽器尽くし。
舞台障子は尾長鳥。
楽屋襖は雪亭尚明筆の仙女、西王母図。
・孔雀山
神戸町組
屋根の上に孔雀が載る。
宝暦年間(一七五一ー一七六四)の作と推定されている。
亭は後補で、文化十二年(一八一五)の作。
工匠は藤岡重兵衛。
胴幕の下絵は虎の子渡し図で作者は岸駒といい、また森徹山ともいう。
見送り幕は、昭和三年山鹿清華の萌春の図
舞台障子は長谷川玉峰の紅葉鳩図。
楽屋襖は八木奇峰の紅葉鳩図。人物渡海図は作者不明という。
米原町で曳かれている北町組の旭山は孔雀山の旧臺と伝わる。
先年、長浜祭に出かけたとき、孔雀山は曳き当番に当たっていたが、神社境内に曳きそろえられていたときそれまでの好天がにわか雨に見舞われた。養生シートをもって山車を覆うお手伝いをした。思いがけず山車(曳山)の亭にまでのぼることができ、組内の役員の方より貴重な資料を頂戴した。
・翁山
伊部町組
八ッ棟造で、明和二年(一七六五)の建造。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は五代目藤岡和泉藤原一富。亭は藤原十兵衛と伝わる。
胴幕は唐獅子。
見送り幕、二人の武将図は一六世紀に、ベルギーで作られた飾毛綴で、加賀の豪商「銭五」こと銭屋五兵衛より購入したと伝わる。
楽屋襖は松鶴図。
錺金具は京都東六条の長左衛門で明和七年(一七七〇)の作という。
・青海山
北町組
舞臺の屋根を切妻造とする。亭は寄棟造で青龍が載る。
宝暦五年(一七五五)の建造。
亭は文化二年(一八〇五)の作。
工匠は藤岡和泉長好。
亭は藤岡重兵衛光隆。
舞台襖絵は中谷求馬の四季花卉図。
楽屋襖は松に孔雀図。
胴幕は紺羅紗地に飛燕。
・高砂山
宮町組
建造期は不明。延享二年(一七四五)の修理記録がある。
それ以前の製作。
亭は文化十三年(一八一六)の作。
工匠は藤岡和泉藤原安則。
後部彫刻彫刻幕は「飲中八仙図」。綴織の「唐子遊戯の図」。
舞臺襖絵は山縣岐鳳の国色(牡丹)小禽図。
・壽山
大手町組
屋根に鯱がのる。
天明二年(一七八二)の建造。
工匠は六代目藤岡和泉藤原利盈。
亭は後補で工匠は不明。
胴幕は昭和五十八年、中国蘇州でつくられた「竹林七賢図」。
見送りは中国明代の綴織と毛綴の二面がある。
舞臺襖絵は杉沢春の石榴と小禽図。
楽屋襖絵は松に孔雀図。
・常盤山
呉服町組
舞臺屋根は入母屋造。
明和七年(一七七〇)の再建と伝わる。
亭は文政元年(一八一八)の作。
工匠は不明。
胴幕は綴錦で、源義家陸奥勿来関を通る図、新羅三郎義光と豊原時秋、足柄山別れの図。見送りは大正一五年、山鹿清華の飾毛綴と太伯山錦。
舞臺襖絵は嘉永四年(一八五一)、横山某の菊白頬鳥図。
楽屋襖絵は藤原関倍の松鶴図。
・春日山
本町組
平右衛門の建造という。おそらく施主の名であろう。
亭は後補で詳細不明。屋根を寄棟造とする。
舞臺襖絵は北村李軒筆の渓流紅葉鹿図。
楽屋襖絵は稚松群鶴図。
建付襖は文久元年(一八六一)、川路春樵の寿老人と西王母図。
見送りは中国賢人図。
・諫鼓山
御堂前組
安永三年(一七七四)の建造。
工匠は藤岡和泉藤原一富。
亭は文化一四年(一八一七)の作、工匠は田中加平冶博君、亭の上に諌鼓鶏がのる。
正面の舞臺に架かる簾には岸駒筆と伝わる虎墨図が描かれる、天明六年(一七八六)の作という。
・月宮殿
田町組
天明五年(一七八五)の建造。
工匠は岡田惣左衛門重貞。
亭は嘉永三年(一八五〇)の作。工匠は藤岡重兵衛光隆。重層となっており上が六角の円堂で、下は方形。屋根にはギヤマンの宝玉を載せ、下層の両側面にはガラス絵の引き戸を嵌めこんでいる。
舞臺襖絵は波図。
胴幕はペルシャ絨毯。
月宮殿は、謡曲名にちなみ、鶴亀とは同曲。大津市の大津祭にも同名の山車が曳かれる。・鳳凰山
祝町組また魚屋町組ともいう。
文政十二年(一八二九)の建造。
工匠は不明。
文化十五(一八一八)の火災で先の山車(曳山)を焼失している。
胴幕はペルシャ製。
見送り幕は一六世紀後半にベルギーのブリュッセルで織られたゴブラン織の貴婦人図。
文化十四年(一八一七)に京都から購入したもの。同じタペストリーからは京都祇園祭、大津祭の見送幕も作られている。
□汎論
長浜の山車(曳山)は日本海に沿い多くの影響を与えている。南は丹後にいたり、いまは山車はないが舞鶴には山車狂言がおこなわれ各地に出かけて公演している。北は北陸道に沿って、石川県小松市の子供歌舞伎曳山、富山県の石動(小矢部市)には歌舞伎山があった。礪波市出口には子供歌舞伎の上演が続けられ、入善町には歌舞伎山があったと伝わる。岐阜県飛騨市(旧古川町)には、いまも白虎臺の舞臺で子供歌舞伎が上演されれいる。長浜の曳山の建造には藤岡和泉守一門が多くを手がけている。同じ滋賀県の米原町、湯谷神社祭には歌舞伎山が曳かれ、岐阜県垂井町、養老町、揖斐川町、大垣市にまでその影響がおよぶ。
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