暘州通信

日本の山車

◇00487 三河内曳山祭

2009年06月21日 | 日本の山車
◇00487 三河内曳山祭

京都府野田川町
倭文神社(しどりじんじゃ)
□祭神
アメノハヅチオノカミ 天羽槌雄神
□祭は五月上旬。
山車(大幟、山屋臺、樂臺)がでる。
□山車
・梅之町 梅谷
大幟
 宝永五年といわれる祭以来、倭文神社祭齋行には古来三河内発祥の地といわれる梅谷の大幟が先に立つという伝統がある。山車の起源にさかのぼる貴重な例といえよう。
・神楽殿 下之町、下地
本座は獅子頭。
・春日山 表町(大道町)
本座人形は、タケミカヅチノミコト(武甕槌命・鹿島大神)。
文化三年(一八〇六)に、担い屋臺を建造した記録がある
・八幡山 中組(中坪)
本座は、誉田別命(應天皇)
・浦島山 上之町(上地)
・倭文山 倭文町(奥組、奥地)

□汎論
 絹織物・丹後縮緬(たんごちりめん)の名は著名で古来不動である。丹後地方には古くから機織が栄え、倭文神社が祀られるところが多い。こんな伝説がある。野田川の倭文神社の神さまは、程遠からぬところにある須代神社の神様とは恋仲で、倭文の神さまが須代の神さまに「おーい」と声をかけ、三河内(みごち)仲縄の一本松で偲び逢いをしたのだといい、一本松には一角を四角に石垣で囲い松を植えた場所がある。須代神社の祭神を「すさり姫」とよんでいっている。須勢理媛のことである。スセリヒメ(須勢理媛)はアメノハヅチオノカミの妃であったが、そのもとをはなれてオオナムチノミコト(大己貴命)の妃となった。気が強く嫉妬深い女神だったと言う言い伝えがある。
 倭文神社と、須代神社がはなれて祀られるのはオオナムチノミコトへの遠慮だと言う。


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