暘州通信

日本の山車

◆31887 海祗と山祗

2012年03月09日 | 日本の山車
◆31887 海祗と山祗

 これは、私見になる仮説である。

 日本の山車について論述している立場として、筆者の思考を明らかにしておくのは当然であり、ここではその趣意について触れておく。
日本の神の成立はおおむね次の五期に分けられると考えられる。
第一期  
磐坐や神籬(ひもろぎ)、あるいは御神体山などに神を祀った古代祭祀。
第二期
わが国に渡来系の氏族が定着し、日本の古来の祭祀と異民族の祭祀が融和した祭祀が成立しはじめた時期。
第三期
日氏から、海神族(綿津美氏)にいたる祭祀。
第四期
出雲系氏族を中心とする支族まで含めた弥生時代の祭祀。
第五期
大和朝廷が成立し、皇室中心となった祭祀。

 概念の第一期は、無性の自然神の祭祀である。【神】は、【有無を離れている】が、古代の人々は、風雨、雷鳴、隕石の落下などに神意を感じ、豊作・凶作、吉・凶、干天・慈雨など、日々の暮らしにも神意を感じ、幸せを祈り、凶事をさけたいと願う心から自然発生的に【神は存在する】と考え、信仰が生まれた。その信仰の対象を特定するところから【祭祀】が発生したと考えられる。その歴史を過去にさかのぼれば数千年以上になるであろう。そして、その考えは世界の民族を問わず、人がいれば、世界のいずこにも信仰があるのは当然と考えられている。

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