暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 五

2011年01月30日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 五
 石川県金沢市は前田公の加賀百萬石の城下町であるが、ここに宗和流茶道が伝えられ
ている。金沢に宗和流が伝わったのは加賀藩三藩主前田利常のときで、藩主自ら金森宗和に話があったが、宗和はこれを辞し、二代目の七之助方氏が仕えるようになった。
 こうして宗和流は金沢に移り、以後十数代にわたって仕えらが、当初は一七〇〇石、そのあと次第に加増があって、後には約七万石が与えられたと聞いたことがある。しかし、金森氏の直系は七代の知直の時に絶えている。
 十数代続いた金森宗和流は、能登に起こった一向一揆のとき、鎮圧を命じられた当主が自害して宗家は絶えた。
 金沢では新年の茶会で、床の間に椿を活けるが、主として、【西王母】、【初嵐】、【白玉】など他流では聞きなれない椿が用いられる例が多いようである。最近は【野々市】もよろこばれる。とくに雪椿系の椿は花の上に葉一枚が覆うものが珍重される。【霜除葉(しもよけば)】とよばれる。宗和好みだと伝わる。
 金沢城の東南、たつみの方角、兼六公園の一角にある【成巽閣(せいそんんかく)】は、文久三年(一八六三)の築造といわれ、重要文化財の指定を受ける建物であるが、金澤苑から曳いた水を邸内に取り込んだ【流れ蹲(ながれつくばい)】という様式になっている。これも冬の茶会で外に出ないで済む工夫で、京都大徳寺。真珠庵の庭玉軒とおなじ思想がうかがわれる。

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