暘州通信

日本の山車

00536 臼杵祇園祭

2008年06月01日 | 日本の山車
00536 臼杵祇園祭
大分県臼杵市
□祭は七月中旬。
八坂神社
山車二臺を曳く。

□山車

□汎論
臼杵の市街地は八町で形成されている。いまも概ね継承されており、
「町八町(まちはっちょう)」と呼び、そのうちから年二町が当番制で山車を曳く。
臼杵の八坂神社は、平成九年に鎮座九百年を迎えた。
もと、奥州盤前 鶴ヶ峰の本神社に祭られていたという由緒があり、(一〇八六)の戦乱をさけ奥州から船で臼杵庄 洲崎 岩ヶ鼻に到り、神ノ木原(原山地区)に鎮座した。
大友宗麟の弾圧を危惧して、見星寺の岩窟へ移り、さらに宮崎県の飫肥(よくひ)に難を逃れたという多難の経歴がある。大友氏が滅亡し、あとに着任した大田氏により臼杵城三の丸に、社殿を造営して遷座した現在地である。
治世は太田氏から稲葉氏に移ったが、厚い尊崇と庇護のもと三代信道公のとき神幸祭が始まり、さらに寛永二十年(一六四三)、四代知道公の時から山車が曳かれるようになった。神幸祭の先には御槍振が立つ。当初の毛槍は五十本あり、郡上合戦の戦利品で、四代藩主稲葉信道公より拝領したものだったが、今は複製品が使われる。
山車は祭が終わると「山崩し」といい解体していたが、いまは原型保存している。

□問い合わせ
臼杵市観光推進室
電話 0972-63-1111


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1 コメント

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Unknown (通りすがりの歴史家)
2008-06-02 00:09:53
飫肥(よくひ)ではなく、(おび)じゃないの?
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