◆01339 楢泉庵 横山家 1
飛騨高山(岐阜県高山市)の旧市街の西部を流れる川上川左岸、八日町に重厚な石塀をめぐらす宏壮なたたずまいの邸宅がある。これが素封家で知られる横山家である
天正 年、豊臣秀吉の命を受けて飛騨入りし、姉小路氏(三木氏)を討って飛騨の国主に封じられた金森氏は。六代にわたって飛騨を統治し、現在の高山市の基礎を築いたが、元禄四年( )に、出羽上山(現。山形県上山市)に転封となって移り飛騨は天領として幕府の直轄地となり、金森氏の下屋敷が代官所に当てられ、明治維新まで江戸幕府が直接統治するところとなった。
金森氏の知行は、通説三万八千石、内高五万三千石といあわれるが、美濃の上有知(美濃市上有知(こうずち)、摂津河内の金田(現。大阪府守口市)に飛び地となる所領があり、越前国勝山(現、福井県勝山市)、飛騨茂住(現在岐阜県飛騨市)に間歩(鉱山)があって、実質的には十万石の格式があったといわれる。
飛騨高山(岐阜県高山市)の旧市街の西部を流れる川上川左岸、八日町に重厚な石塀をめぐらす宏壮なたたずまいの邸宅がある。これが素封家で知られる横山家である
天正 年、豊臣秀吉の命を受けて飛騨入りし、姉小路氏(三木氏)を討って飛騨の国主に封じられた金森氏は。六代にわたって飛騨を統治し、現在の高山市の基礎を築いたが、元禄四年( )に、出羽上山(現。山形県上山市)に転封となって移り飛騨は天領として幕府の直轄地となり、金森氏の下屋敷が代官所に当てられ、明治維新まで江戸幕府が直接統治するところとなった。
金森氏の知行は、通説三万八千石、内高五万三千石といあわれるが、美濃の上有知(美濃市上有知(こうずち)、摂津河内の金田(現。大阪府守口市)に飛び地となる所領があり、越前国勝山(現、福井県勝山市)、飛騨茂住(現在岐阜県飛騨市)に間歩(鉱山)があって、実質的には十万石の格式があったといわれる。
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