暘州通信

日本の山車

◆31887 浅妻川

2011年04月10日 | 日本の山車
◆31887 浅妻川
□滋賀県米原町
□汎論
   小々浪や 八十の湊に吹く風の 身に沁み染むる 比叡おろし
   千舟 百舟艪をたてて 
   入るや岸根の柳影……

 長唄の【浅妻川(あさづまがわ)】は米原市朝妻のことだとされる。
 
 朝妻は、『和名抄』には「安佐都末」の名称で記載があり、古くは中山道の湊町で、後に米原に繁栄が移るまでは朝妻と大津を結ぶ海運があった。寿永の乱に敗れた平氏は、都落ちし、行く末を失った女房たちが遊女に身を沈めた故地とされる。英一蝶が描いた、烏帽子、水干姿の白拍子(遊女)が鼓を前に置き、客をもとめて入江に船をながした画はよく知られる。
 飛騨高山の山車(屋臺)の見送圖を入れる入れ物に【海上安全】とかかれたものがあり、これは、大津湊から朝妻までの安全を祈願したものという解説があるが、これは誤りで、文字通り、西方から長崎に物産を運んだ清(しん)の船荷として書かれたものである。

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