暘州通信

日本の山車

◆02355 大畑八幡宮祭

2011年02月17日 | 日本の山車
◆02355 大畑八幡宮祭
□社名 大畑八幡宮
□所在地 青森県大畑町大畑 
□祭神
□祭は九月中旬。
□山車
山車五臺、舟山車二臺。ほかに、ねぶたが出る。
・八幡山 本町
上臺は屋根の無い無蓋車。騎馬姿の八幡太郎義家の人形がのる。
正面に「八幡山」と書いた額が掲げられその左右に純白の幣束がたてられる。
見送りは、【琴高仙人(きんこうせんにん)】である。土地の伝承に好み送りは斐太高山の屋臺にかかっていたものだと言う言い伝えがある。高山には春の高山祭に曳く本町の【琴高臺】があるが、天保時代の建造である。もしかすると、この琴高臺の球体にかかっていた見送りかもしれない。中国の『列仙伝』に「琴高仙人は、龍の子を取ってくるといって、水に潜っていったが、やがて赤い鯉に乗って戻ってきた」とあるが、大畑の八幡山の鯉は黒鯉である。ちなみに高山の琴高臺の見送りの鯉も黒鯉である。
 勾欄は、上臺、下臺とも黒漆塗りである。
 山車の創建は古く、享保三年(一七一六)には【八幡山】を曳いたとの伝承がある。
現在の山車は、平成十一年の建造。工匠は地元本町の道地則之。
・天女丸 上野
工匠は青森県八戸市櫛引烏沢の吉井氏。
昭和五十一年に大湊の畑中旅館の所有する船山「天女丸」を譲りうけ「上野天女丸」として祭礼に参加。
・明神丸 湊
平成元年の建造。工匠は、久本武雄。
古く、享保六年(一七二一)ころすでに曳いていたとの伝承がある。
・鞍馬山 東町
 上臺の人形は、鞍馬山で修行する牛若丸と烏天狗。
 見送りは、中国の古典二十四孝の郭巨にちなむ。母親を養う貧しく若い夫婦が、あまりの生活苦に耐えかねて、子供はまた授かることがあるだろうが、親はかけがえがないと、意を決し、悲しみながらもわが子を埋める穴を掘っていると、金の釜を掘り当てたという故事。
 おなじ題を持つ山車に、京都祗園祭の郭巨山(かっきょやま)、滋賀県の大津祭で曳かれる山車にも郭巨山がある。この見送りも飛騨高山から嘉永五年に入手したと伝えられるが、高山の旧臺は不明。
 昭和六十一年の建造。設計は馬場辰吉。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
 建造の歴史は古く、享保六年(一七二一)ころすでに曳いていたとの伝承がある。
・放生会 大新町
 大新町とは新町と湯坂下、中島の三町の総称であり、湯坂下、中島が分かれた後も大新町の名称を残している。
建造は昭和六十二年、設計は馬場辰吉。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
往古は大名の儀杖行列を出したが、寛保元年の火事で儀杖の装束一切を焼失したので寛保三年(一七四三)より屋臺飾に変更された。
・中島山 中島
平成四年の建造。工匠は本町の山車とおなじ道地則之。
人形は武田信玄、製作は八戸市の類家山車組。
昭和二十九年に大新町の放生会に樽神輿で参加したのが始まり。
昭和三十一年に祭運行の露払いとして認められ、昭和三十九年に西方卯之吉が山車を寄進した、人形ははじめ八戸市類家町から借て祭に参加。
・豊栄会 湯坂下
昭和三十四年から六十一年までは、八戸市下大工町の祭組から「稲荷丸」などの山車を譲り受け、八戸の山車囃子を演奏しながら曳いたといわれる。
昭和六十三年に新町の旧山車を譲り受け、囃子も大畑のものに変えて曳いた。
・南町
享保六年(一七二一)ころすでに【山神臺】とよぶ山車を曳いていたとの伝承があるが、延享三年(一七四六)に山車を廃して神輿を担当するようになった。
(順不同)
□汎論
 大畑八幡宮の創祀は不明。古くは深山の地に祀られ深山権現といい神仏混淆の神社だったようである。創祀時の祭神は不明であるがおそらく八幡神ではないだろう。
 大畑川に沿い県道四号線を遡ると、旧地には深山神社の小祠がある。遷座されたのは、慶安元年(一六八四)とある。
 御神幸は、春日神社が御旅所になっていてそこで仮泊される。
 大畑八幡宮例祭に山車が曳かれるようになったのは、日本の山車史上でも古く、享保三年(一七一六)には【八幡山】を曳いたとの伝承がある。さらに明神丸はが湊、鞍馬山が東町、南町には享保六年(一七二一)ころすでに【山神臺】とよぶ山車があったといわれるが、現在は御神輿を担いでいる。
 大畑八幡宮には不思議な話が語り継がれている。静岡県の遠州灘、千葉県の九十九里浜は、実に明るい砂浜、太平洋の青い海原がつづき、眺めるには申し分の無い景観であるが、江戸時代には海運業者からたいへん恐れられた場所である。ここで暴風雨に遭うと逃げ込む湊が無くまず遭難を免れないからである。東北の米どころ、仙台から舟で運ばれてきた物資は、九十九里浜沖を通らず、利根川にはいり、佐原(香取市)で平舟に積み替えて遡上し、上流で隅田川に入って、ここで下り、両国の蔵前に運ばれていた。
 寛政年間、大畑の長川仲右衛門は幕府の御用船【政徳丸】の船頭として乗り込んでいたが、はたして房総沖に差しかかったとき激しい嵐に遭遇した。船底からは海水が吹き上げ、沈没を覚悟しながらも故郷の大畑八幡宮をひたすら祈ったところ、不思議と浸水が止まり、嵐も収まって、奥州大畑まで無事に帰還できたのだった。不思議なこともあるものと、舟を陸にあげて調べたところ、なんと船底の穴が開いたところに大きな鮑(あわび)が張りついて、浸水を食い止めていたのだった。
 船頭や水夫はその神徳にあらためて感謝を捧げたのだった。だから大畑に働く海運業者はいまでも鮑を口にしないのだそうである。
□問い合わせ 
むつ市役所本庁 〒035-8686 
青森県むつ市中央一丁目8番1号
電話 0175-22-1111 
FAX 0175-23-5178
□参考
 次を参考にさせていただきました。
 http://kenbun55.web.infoseek.co.jp/oohatamaturi.htm

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