◆00659 盛岡八幡宮祭
□社名 盛岡八幡宮
□所在地 岩手県盛岡市八幡町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命(應神天皇)
□祭は九月中旬。
□山車
山車
・一番組 肴町、馬町。 第三分団
天明三年(一七八三)、藩主より御用火消しとして任命され「いろは組」と称し、明治九年県政へ移行のときに一番組と改称された。
消防組を第二部。警防団を第三分団としていたが、昭和二二年に消防団・第三分団となった。
・二番組 本町、油町 六部。
・三番組 長町。八部、八分団。
・本組 大沢川原 第七分団。
明治一三年一〇月に本町に本組が創設され、昭和一四年に第七分団となった。盛岡市の中心部の一四町会を担当する。
・い組 八幡町、四分団
八幡町い組と称す。門前八幡通りで毎年奉納。
・は組 一部、仙北町
・と組 中野
明治二五年、東中野村で東組を結成。その後昭和一六年、盛岡市第一三分団となり東組の東をとってと組と称するようになった。
・お組 太田 一九分団。
・わ組 上厨川、前潟
・か組
・よ組 紺屋町 五部
寛永一〇年(一六三三)二七代の城主だった利直が北側に城下町を造り田町といったが、ここに三戸から民を移住させ。田印の火消し組をつくりた組が結成された。のちに参勤交代の供だった若衆が同じ田印の江戸神田のよ組と親しくなり「よ組」と称するようになった。
・た組 浅岸 一四分団。
・な組 本宮、大宮
・の組 加賀野
・や組 厨川、上堂 第一五分団。
・青山組 青山町 一七分団
一七分団のほかに、青山、中堤、月ヶ丘、みたけ地区が加わる。
・さ組 盛山会 神子田町
・め組 鉈屋町 二部。
・み組
・城西組 中屋敷町
城西に位置することより名づけられた。
・南大通二丁目 南大通二丁目
(順不同)
□汎論
盛岡市は平安時代には桓武天皇の命により志波城が築かれ、安土桃山時代には南部氏が盛岡城を築き、次第に城下町として発展してきた。
盛岡八幡宮は盛岡の総鎮守で、創祀は康平五年(一〇五二)と伝わる古社である。
□文献資料
・内史略
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇朝練で、へろへろです。
2008/9/14(日) 午後 5:05
... その後、リハビリで、盛岡八幡宮のお祭りへ。 山車が、今日も街を、練り歩いています。 山車は、全部で、9つ。 「い組」「の組」「み組」「さ組」「は組」「本組」「城西」「青山」「観光協会」 八幡宮には、『盛岡にも、こんなに、人がいるんだ!!。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/cycle19871113/34281018.html
□社名 盛岡八幡宮
□所在地 岩手県盛岡市八幡町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命(應神天皇)
□祭は九月中旬。
□山車
山車
・一番組 肴町、馬町。 第三分団
天明三年(一七八三)、藩主より御用火消しとして任命され「いろは組」と称し、明治九年県政へ移行のときに一番組と改称された。
消防組を第二部。警防団を第三分団としていたが、昭和二二年に消防団・第三分団となった。
・二番組 本町、油町 六部。
・三番組 長町。八部、八分団。
・本組 大沢川原 第七分団。
明治一三年一〇月に本町に本組が創設され、昭和一四年に第七分団となった。盛岡市の中心部の一四町会を担当する。
・い組 八幡町、四分団
八幡町い組と称す。門前八幡通りで毎年奉納。
・は組 一部、仙北町
・と組 中野
明治二五年、東中野村で東組を結成。その後昭和一六年、盛岡市第一三分団となり東組の東をとってと組と称するようになった。
・お組 太田 一九分団。
・わ組 上厨川、前潟
・か組
・よ組 紺屋町 五部
寛永一〇年(一六三三)二七代の城主だった利直が北側に城下町を造り田町といったが、ここに三戸から民を移住させ。田印の火消し組をつくりた組が結成された。のちに参勤交代の供だった若衆が同じ田印の江戸神田のよ組と親しくなり「よ組」と称するようになった。
・た組 浅岸 一四分団。
・な組 本宮、大宮
・の組 加賀野
・や組 厨川、上堂 第一五分団。
・青山組 青山町 一七分団
一七分団のほかに、青山、中堤、月ヶ丘、みたけ地区が加わる。
・さ組 盛山会 神子田町
・め組 鉈屋町 二部。
・み組
・城西組 中屋敷町
城西に位置することより名づけられた。
・南大通二丁目 南大通二丁目
(順不同)
□汎論
盛岡市は平安時代には桓武天皇の命により志波城が築かれ、安土桃山時代には南部氏が盛岡城を築き、次第に城下町として発展してきた。
盛岡八幡宮は盛岡の総鎮守で、創祀は康平五年(一〇五二)と伝わる古社である。
□文献資料
・内史略
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇朝練で、へろへろです。
2008/9/14(日) 午後 5:05
... その後、リハビリで、盛岡八幡宮のお祭りへ。 山車が、今日も街を、練り歩いています。 山車は、全部で、9つ。 「い組」「の組」「み組」「さ組」「は組」「本組」「城西」「青山」「観光協会」 八幡宮には、『盛岡にも、こんなに、人がいるんだ!!。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/cycle19871113/34281018.html
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