暘州通信

日本の山車

◆28334 ペーロン 更新

2012年05月31日 | 日本の山車
◆28334 ペーロン 更新
□汎論
 中国の古典『十八史略』に、屈原についての記述がある。屈原は紀元前三世紀ころ戦国時代の人物といわれ、中国湖南地方にあった楚の宰相をつとめていたが、懐王がそそのかれたとき強くいさめたが王はこれを肯きいれなかった。結局懐王は秦にとらえられて客死することになった。屈原はこれをたいへん嘆いて汨羅(べきら)に身を投じたと伝わる。
 屈原の徳を慕う人々は、汨羅に龍船を浮べて粽(ちまき)を川に投じた。この龍船を白龍(ぱいろん)とよに、競って供養の粽を投げたが、これがしだいに競舟に変じていったといわれる。
 わが国へもこの風習が伝わり、沖縄県石垣市石垣漁港の爬龍船競漕(はりゅうせんきょうそう)、那覇市の那覇ハーリー、糸満市の糸満ハーリー(ハーレー)、白保ハーリー、伊良部ハーリーのハーリー(ハーレー)はパイロン、ペ-ロンの転化tぴわれる。長崎のペーロン祭、兵庫県相生市には長崎から伝えられたペーロン祭が行われ、その分布域はそのまま伝わった経路を示している。
 島根県松江市、鳥取県境港のホーランエンヤ、大分県豊後高田市のホーランエンヤはホーランが白龍(ぱいろん。ペーロン)、エンヤの掛け声が訛ってひとつになったものと考えられる。
 このほかにも、広島県笠岡市金浦湾のおしぐらんご、山口県萩市萩市玉江浦地区のおしくらごうなどの競舟があり、全国に展開する【御舟祭】にはペーロンが秘められたものがある。
 京都府亀岡市の山車には別名を【ペーロン】とよばれるものがあり、岐阜県高山市上二之町の【鳳凰臺】という屋臺(山車)は、江戸時代から明治期には一般的に【ペーロン臺】と呼ばれていたと伝わる。御舟が陸にあがった山車にもペーロンの影響が見られる。

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20120523 更新

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