暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一〇

2011年02月03日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 伊丹風俳諧 一〇
 伊丹郷町の運営は、近衛家から委嘱されたが、約二〇名の宿老をおきその上に総宿老がおかれ、白雪を醸造する小西家がその職についた。宿老とは、藩における家老、総宿老は、大老に相当するといえるだろうか。
 しかし、徳川幕府の支配を受けない伊丹郷町には、参勤交代の制度は無く全国的に見ても非常に自由な町であった。
 伊丹郷町の酒の醸造はやがて、池田をも凌ぐようになった。酒の販売によって得た財力は巨大なものであり、諸国の文人墨客が訪れるようになった。郷校・明倫堂が設置され、橋本香坡が学等に就任してさらにその数が増えた。
 伊丹郷町の繁栄振りを記す一緒がある。近年伊丹文藝叢書として刊行された、『茶の湯百亭百回記』である。伊丹郷町で開催された茶会の記録であるが、眼を惹くのは用いられている道具の豪華さもあるが、宗和作の花入れ、茶杓、消息の数々である。伊丹郷町の茶の湯は近衛家に行われていた宗和流が主流であった。また茶の湯の席は、はいかいの席でもあった。

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