暘州通信

日本の山車

◆05550 鴨神社祭 更新

2012年12月05日 | 日本の山車
◆05550 鴨神社祭 更新
□社名 鴨神社
□所在地 岡山県浅口市(旧鴨方町)
□祭神
アマツヒコホノニニギノミコト 天津彦火瓊々杵尊
カモノアマツタケツヌミノミコト 賀茂天健角身命
カモワケノミコト 鴨別命
オオナムチノミコト 大已貴尊
カムヤマトイワレヒコノミコト 神日本磐余彦尊
アメノウズメノミコト 天鈿女命
シタテルヒメノミコト 下照姫命
ヒメタタライスズヒメノミコト 媛踏鞴五十鈴姫命
境内社
和霊神社
稲荷大明神
牛神社
祗園神社
道通神社
石鎚大権現
金丸様
五條大神
寄立神社
恵比須神社
春日神社
乳神様
地利積神社
荒神社
出雲大社
宇津神社
若宮神社
木山神社
多賀神社
金比羅宮
最上稲荷神社
□祭は一〇月上旬。
□山車
山車(千歳楽)三臺を曳く。
□汎論
 鴨神社の創祀は、社記によると平安時代、仁明天皇期の承和三年(八三六)と伝わる古社である。祭神は京都上賀茂神社から分祀を受けたとあり、ほかに多くの祭神と境内社がある。歴代の領主の尊崇をあつめた。里謡に、

  鴨方には過ぎたるものが三つある、拙斎、索我、宮の石橋

 と唄われてきた。拙斎とは、【西山拙斎(一七三五ー一七九八)】は、江戸時代中期の儒学者で、三九歳の時に大坂より帰郷して、【欽塾】を開き子弟の教育に携わった。【壊徳堂の貫名海屋・ぬきなかいおく】、
【頼山陽の父、頼春水・らいしゅんすい】、【神辺の黄葉夕陽村舎の菅茶山・かんちゃざん】、【梅花社の篠崎三島、その子、小竹】、【混沌社の江口北海】らと交わりがあった。
 索我とは、【田中索我】をいい、江戸時代後期の絵師である。
 鴨方ではもうひとり、【浦上玉堂・うらがみぎょくどう】をあげなければならない。中国渡来の【霊和琴・れいわきん】通称【玉堂琴】を背負い、春琴、秋琴の付帯の子供の手をひいて全国を行脚し、飛騨高山を訪れ、高山下一之町の屋臺である【大八臺】の竣工にあたって、屋臺囃子【大八】を作曲し、【催馬楽】をもとにした屋臺囃子が編曲された。高山祭の屋臺囃子にはこれをもとにした【大八崩し】を演奏する山車がたくさんある。また高山の国学者田中大秀の求めで【霊和琴】が二面鑑製された。谷口與鹿が伊丹に淹留したときに携行したのは、高山の儒学者赤田臥牛の子、章齋より譲り受けたものである。ちなみに、高山市上一之町の屋臺【麒麟臺】の下臺彫刻は谷口與鹿の傑作として知られるが、この唐子が演奏する琴は、霊和の鑑製琴を参考にしたものである。この琴は現在博多の博物館の所蔵になっているとの琴であるが残念ながらまだ見る機会を得ない。
 玉堂は、高山を離れたあと、北陸の富山、金沢を経て会津若松に赴き、松平藩主のもとめで樂の大集成を行いこれを完成した。
 書画もよくし、大坂の源八橋のちかくでは、多能村竹田と一ヶ月あまり同宿している。その独特の画風には高い評価がある。
□参考
次を参考にさせていただきました。

・高岡御車山祭 高岡関野神社 富山県高岡市
 http://blogs.yahoo.co.jp/mimatyu2000/59787688.html
・高山の香り:白龍神社
 http://blogs.yahoo.co.jp/mzamblife06/30777438.html
・飛騨高山、桜山八幡神社
 http://blogs.yahoo.co.jp/wamioda56/46835418.html

地域を特定しやすくするため行政コード番号は変更せず、従前のままです。
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