暘州通信

日本の山車

◆02813 伊豆神社祭 更新

2014年04月12日 | 日本の山車
◆02813 伊豆神社祭 更新
□社名 伊豆神社
□所在地 長野県下伊那郡阿南町新野
□祭神
□祭は七月。
□山車
山車の呼称、形態は、囃子屋臺と、舟山車。
・西原 (本町、東町)
囃子屋臺
現在は曳行休止。村内の【農村文化伝承センター】に展示される。
・原町
舟形の山車
【穂高神社祭】、【諏訪大社下社 秋宮・春宮の、八朔祭】に曳かれる【御船】によく似たやや小型の山車だったという。祗園祭りに曳行された。幕末期にはすでに曳かれていたと伝わるが、昭和四〇年の大火で焼失。その後は復活していない。
□汎論
 【伊豆神社】と、【諏訪神社】では、十二月中旬に、【豊作祈願祭】が齋行される。伊豆神社を出御の御神輿は、諏訪神社にお渡りとなる。【お下がり】とよばれる。翌日は還御で、五神幸は、諏訪神社から伊豆神社に向かう。【お上り・おのぼり】とよばれる。御神籤(舞役決め)、御浄め(御滝入り)、面化粧(面直し)、競馬乗りなどが行われ、本楽には、古式の【田楽、舞楽、神楽、猿楽、田遊び】などが夜を徹して行われるが、貴重な遺産として国指定重要無形民俗文化財に指定を受ける。
 祭の最終日の、【広庭の儀】では、【幸法(さいほう)】、【茂登喜(もどき)】、【競馬(きょうまん)】などの舞が奉納される。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・談山神社境内の杉山神社~久久能智神など
2013/10/25(金) 午後 1:37
... 屋船久久能知神(やふねくくのちのかみ)、屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)、彦挟知神(ひこさしりのかみ)。 保田連合祭 大杉山車 保田神社、賀茂神社、神明社(千葉県安房郡鋸南町) 房総の歳時記様サイト http://archives01.gozaru.jp ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/62137110.html
・荒川神社。
2010/12/9(木) 午後 1:37
... でもこの前の忘年会での祭事さんの話では、新しい山車人形の候補に荒川神社の神様もリストアップされているということでした。 弁天様の由来が弁天町だとしたら ... 他にも 豊宇気毘売命(とようけびめ) 、 保食神(うけもち) 、 大宣都比売神(おおげつひ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/okayama0105/36198456.html
・賦木春日神社☆0126@本町いっちょうめ☆!"
2008/2/21(木) 午後 11:25
... 名所には必ずこやん看板のあるとよ♪" ここも細川三斎公が関わっ ... 「春日神社」と「蛭子神社」って二つの札のあって 珍しかな~♪と思いつつ中を撮ってたら 妙見祭で本町1丁目の山車である「本町蕪(ほんちょかぶ)」の写真の飾ってあったいよ♪~♪" 隣 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hikoicchann/51963051.html
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/

◆38811 神仙 六 更新

2014年04月12日 | 日本の山車
◆38811 神仙 六 更新
 仙人の棲むといわれる【瀛州(えいしゅう)】、【蓬莱山(ほうらいざん)】、【方丈(ほうじょう)、別名、方壺】を、【東方三神山】といい、これに【岱輿(たいよ)】、と【員嶠(いんきょう、きょうは、山偏に喬、文字なし)】を加えたものは、【五神山】とよばれる。岱輿と員嶠は流れて消滅したと伝わる。
 このほか、東海中にある【祖州】、【生州】も仙界だという。
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/


◆38811 神仙 五 更新

2014年04月12日 | 日本の山車
◆38811 神仙 五 更新
・方丈(ほうじょう)
 方丈山(ほうじょうざん)は、東海の中心にあり、山の頂上は龍の群がるところとされる。山腹に金銀、玻璃で飾られた燦然と輝くのが、【三天司】の官廰である。仙人の中には天に昇るのを望まないものもいるが、そのような仙人らはこの方丈に聚(あつま)る。これらの仙人は畑を拓き、耕作して薬草を栽えている。その様子は人間界とよく似ている。
 【玉石宮】とよばれる泉の近くに、【九源丈人宮(くげんじょうじんきゅう)】がある。ここでは、水神、龍蛇、巨鯨など、水にかかわる水属を統括している。
 山の西側には【照石】とよばれるものがある。この石をとって翳せば、十里先をゆく人の眉毛までもはっきり見える。この石は細かく砕いてもおなじようにはっきりと見える。しかも非常に軽量で、一丈四方の大きさがあっても、わずかに十匁ほどである。中国の燕の國の國王だった【昭王(しょうおう)】は、たまたまこの【照石】を入手することができたので、これを細かく砕いて泥状にし、【通霞臺(つうがだい)】の壁に塗らせたところ、昼夜となく美しく光り輝き、西王母がたずねてこられたこともある。

これは仮説である。
 『方丈記』は、鎌倉時代、鴨長明(かものちょうめい)が、京都山科の日野山(京都市伏見区日野町)で執筆された『方丈記』は、『徒然草』、『枕草子』とともに、【日本三大随筆】とよばれる。わずか一丈四方(方丈)の庵を結んで隠棲したと伝わり、その住居を方丈とよんだことから、その随筆を『方丈記』と読んだとされる。しかし、その世俗を避けた隠棲の様子から、俗界を離れ、自らを仙界の、【方丈山】に住まいする仙人に譬えたものではないかとうかがわれる。
□参考
次を参考にさせていただきました。
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
暘州通信
http://blog.goo.ne.jp/admin/
◆日本の山車 ホームページ
【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらにまとめています。随時編集中です。
 http://hiyou.easy-magic.com/