暘州通信

日本の山車

◆34601 セオリツヒメ 一

2011年06月13日 | 日本の山車
◆34601 セオリツヒメ 一

 これは仮説である。
 【セオリツヒメ】は、アメノミナカヌシノカミの創祀とほぼ同時期に成立したと考えられる古い神であり、その歴史は、おそらく紀元前にまでさかのぼるであろう。九州北部の日氏から海神氏(綿津美氏)支配にいたる歴史的な背景で成立したのであろうが、かくじつな論拠はなく推定に頼らざるを得ない。
 乏しい資料を集約し若干の想像を加えると、壱岐、対馬の【オヒテルサマ】、【アマテルカミ】に淵源があるように考えられる。この名称は【アマテラスオオミカミ】にきわめて訓みがちかい。セオリツヒメ大和朝廷が成立する以前には、スサノオノミコト、クシイナダヒメノミコト、イオオナムチノミコト、タケルノミコト、コトシロヌシノミコト、ニギハヤヒノミコト、ウカノミタマノミコトなどの諸神とともに広く日本全国に祀られた神と推定される。
 大和朝廷の成立後祭祀の編成により神の処遇にも変異が生じた。『古事記』の完成から『日本書紀』の完成において、セオリツヒメは中央の祭祀から意図的に除外され
『古事記』、『日本書紀』では既述から洩れることとなった。その大きながん印のひとつに、皇室の祭神をアマテラスオオミカミ(天照大神)とし、この神格にセオリツヒメが剽窃されたことが挙げられる。
 かくてセオリツヒメは大和朝廷から駆逐されるにいたった。
 八世紀以降に大和朝廷が仮にセオリツヒメノミコトをとりあげるときは、
アマサカルムカツヒメノミコト 天疎向津媛命
ヤソマガツヒヤソマガツヒノカミ 八十禍津日神、八十枉津日神
オオマガツヒ(大禍津日神)
 などの名称となる凶事の神となった。