暘州通信

日本の山車

31145 古墳と鳥居考

2008年07月11日 | 日本の山車
31145 古墳と鳥居考
三世紀末から七世紀にかけて築造された墳墓は「古墳」と定義され、その時代以外のものは墳丘墓という。あまり適切な分類とも思えないが、ここは通例に従っておこう。
古墳は外形の形式より、
一、円墳
二、方墳
三、上円下方墳
四、前方後円墳
五、前方後方墳
六、双方中円墳
などに分類される。いうまでもなく死者を埋葬する塚であるが、もとは外来文化であり、その形式については、前方後円墳などわが国での発展が認められるものがある。
大陸からの影響を強く受けているが、朝鮮半島南部では、国ごとに埋葬形式が若干異なる。朝鮮半島から渡来して帰化したし族は、当然故郷の形式の墳墓を作ることになる。
北九州各地には甕棺を伴うものが見られる二つの甕に死者をいれ中継ぎする。この同じ形式のものが朝鮮半島南部で若干見られるが、北九州より分布数は少ないとされる。
古墳文化の北上かもしれない。
埋葬方法から、竪壙式と横穴式に二大別される。
後者の横穴式古墳は、ごく一般的な形式である。開口部は南、ないしは東南にあり、棺を納める玄室、外部から玄室に至る羨道、入り口には鏡岩を左右にたて、上を庇状の大きな岩で覆う。
卑近な例だが、大きなまるい墳墓は、女性の妊娠した姿、玄室は子宮、羨道は産道、鏡岩は陰唇にたとえられる。
覆土がながれ、岩が露頭した形はギリシャ文字のΠ(パイ)の形をしておりドルメンに酷似する。
事実、明治五年(一八七二)-明治二十一年(一八八八)のあいだ十六年年間にわたって日本に招聘されていた、イギリス人のウィリアム・ゴーランド(William Gowland)は
滞在中に日本各地の古墳を研究しているが、興味あるのは古墳を「ドルメン(支石墓)」と考えていたようである。
朝鮮半島にも若干のドルメンがあるようだが、西および西北の中国からの渡来と見ているようである。
神社には鳥居が建てられている。神社により各形式があるが、鳥居の起源にはドルメンが考えられないだろうか。