暘州通信

日本の山車

34422 神賑行事

2008年07月04日 | 日本の山車
34422 神賑行事
「神賑」ということばがある。祭は地域の産土神と住民が会し、神に神饌を供え神賑行事を行う。神と人とが同じものを飲食する。「饗(なおらい)」ともいう。
武士による治世の歴史が長く続いた時代は民にとっては抑圧の時代であり、その制圧から解き放たれるのが「氏神の祭」であり、祭と山車はそのような背景から発展してきた。
神を建前にした振る舞いには為政者も目をつむることが多く、酒の上の狼藉なども平素では考えられないほど寛大であった。
山車を荘厳する気風は各地にめばえ、木工、彫刻、漆塗、織物、染色、絵画、金工などの意匠、など工芸技術の発展を促し、神と人のあるところから、神楽、田楽、猿楽、能、狂言、歌舞伎、手古前、長唄、清元、常磐津、新内、浄瑠璃、端唄、民謡、祭囃子などを山車に取り入れてきた。山車には、「藝屋臺」、「藝座(下座)」のように、所作や藝能を演じる目的で作られたものも多数ある。
祭に山車を曳くという行事は一言で言えばときに宗教をはなれた大きな楽しみであった。『古事記』に、天の岩屋戸のまえでアメノウズメミコト(天鈿女命)が酒樽のうえで半裸になって踊り、諸神がよろこんで賑わい囃す神賑わいの有様は、いまもそのまま各地の祭に生き続けている。
謹厳な宗教行事を超えた一面があり、かくがゆえに、祭は楽しく人々を無我にする。