goo blog サービス終了のお知らせ 

暘州通信

日本の山車

◆05081 中臣印達神社

2010年05月25日 | 日本の山車
◆05081 中臣印達神社
兵庫県たつの市(旧揖保川町)揖保川町中臣字宮ノ下
中臣印達神社(なかとみいだつじんじゃ)
□祭神
イタケルノミコト 五十猛神
合祀
阿波遲神社(あわじじんじゃ)
□祭神
オオアシマノミコト 大鹿島命
アメノカガヤマトオミノミコト 大香山戸臣命
□祭は十月中旬
□山車(屋臺)
子供屋臺が出る
□汎論
 中臣印達神社は、延喜式神名帳に播磨揖保郡七坐内名神大社として記載される古社。同地にやはり延喜式に記載される阿波遲神社(あわじじんじゃ)が合祀されている。古くから両部神道の修験と褶合し、蔵王権現と称されていたが、明治期に修験が廃止された。四国阿波(徳島県の)中臣氏の出自は古くはこの揖保郡かもしれない。粒坐天照神社が近い。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇おかやまとひろしまたびにっきふつかめそのいち。
2010/5/5(水) 午後 9:06
... 動員された際に原爆や空襲の被害にあわれた 学徒のための「動員学徒慰霊塔」が建ってました。 戦後、政府は原爆や空襲などで亡くなった動員学徒のうち、氏名・死亡日等の判明した者に限り 靖国神社への合祀を認めたそうです。この塔はそれを ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kaba210/25399323.html

◇湯島・妻恋神社
2010/2/19(金) 午後 9:26
... 郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝えられる。その後、稲荷明神(倉稲魂命)が合祀された。 江戸時代には妻恋稲荷と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷神社と並んで参詣人が多かった。また、正月2日の晩に枕の下に敷い ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/oze_no1/31368348.html

◇真田幸村 安居神社
2010/1/29(金) 午後 7:41
... もともとは少彦名神を祀った神社であったが、のちに菅原道真を合祀し「安居天満宮」とも言われている。 この参道、オイラが歩いたら完全に通せんぼである。 ... 木造の社殿ということは先の大戦での戦火にはあわなかったということだろうか・・・。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ymura8553/23309187.html

◇磐手杜神社(高槻市安満)
2008/1/21(月) 午後 0:32
... 別所村にあった 雲峯(くものみね)神社 がこの          磐手杜神社に合併されたとき、そこで祀られていたのを合祀したものだ。          そこでは別所の民が ... 年代的に          あわない部分があるそうだが、その理由の一説に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/itigonnusi/31081324.html

◇山郷神社
2007/6/22(金) 午前 8:09
... 境内横に神社と一体となったように民家が建っているのが庫裏のように見え、何となく寺院風な印象を受ける。 どうやら近隣の神社が合祀されているらしい。社殿の規模が大きい理由はそのあたりにあり ... その後、安房(あわ)に逃れて領主同士の内乱に乗じ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kannon1011/33914672.html


◆05786 粒座天照神社祭

2010年05月21日 | 日本の山車
◆05786 粒座天照神社祭

兵庫県龍野市龍野町日山
粒座天照神社
□祭神
アマテルクニテルヒコホアカリノミコト 天照国照彦火明命
□山車(蒲団太鼓)
大正時代には数臺の蒲団太鼓が出ていたというが、現在は見られない。
□汎論
 粒座天照神社は延喜式神名帳に記載される古社。播州のそうめんで名高い揖保川、揖保郡の名称のの語源となった神社で、揖保はもともと稲が結実して穂を結ぶありさまから出た「結穂(ゆいほ)という言葉からでたといわれ、粒、揖保、伊穂などの文字が当てられることもある。
 祭神のアマテルクニテルヒコホアカリノミコト(天照国照彦火明命)は、古事記、日本書紀の表紀であるが、『先代旧事本紀』では、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)のこととしている。ニニギノミコト(瓊々杵尊)は弟である。物部氏をはじめ東海地方の尾張氏、海部氏、日氏は、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)を祖神としている
。鎮座地が【日山】であることも注目を要する。『播磨国風土記』ではニギハヤヒノミコト(饒速日命)はオホナムチ(大己貴命)の子としている。

◆05357 天目一神社祭

2010年05月15日 | 日本の山車
◆05357 天目一神社祭
兵庫県西脇市大木町郡新田
天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)
□祭神
アメノマヒトツノミコト 天目一命
□山車(屋臺)
・野中
建造の工匠は不明。
彫刻は伊田義光。
・市原
建造の工匠は不明。
彫刻は久保経一。
・前島
・大木
□汎論
 アメノマヒトツノミコト(天目一命)は製鉄、冶金の神後世の播州製鉄業の繁栄基礎を築いた大陸からの渡来氏族が祀ったと伝わる。

◆01757 大宮八幡神社祭

2010年05月14日 | 日本の山車
◆01757 大宮八幡神社祭
兵庫県三木市
大宮八幡神社
□祭神
オウジンテンノウ 応神天皇
配祀
国水分神
アマテラスオオミカミ 天照大神
スサノオノミコト 素盞嗚尊(出雲神)
アメノコヤネノミコト 天児屋根命(中臣氏祖神)
クマノクスヒノミコト 熊野久須昆命(熊野神)
カモワケイカヅチノカミ 賀茂別雷神(加茂神)
ナカツツオノミコト 中筒之男命(住吉神)
タケミナカタノミコト 健御名方命(諏訪神)
□祭
□山車(屋臺)
・明石町(明石町、宮前、大日、清水、杣宮)
建造は江戸期詳細は不明。
狭間彫刻は、池田芦角斉。題は川中島の合戦、小督の局、祝物、合戦もの。
高覧掛は細川製。
水引幕も細川製。
蒲団は平積みの三段。
・新町(新町、大宮町)
加西市北条町御幸町の建造した屋臺を、昭和三十六年に譲り受けた。
狭間に楠公親子櫻井の駅の別れ、曽我五郎大磯の場、上杉謙信と武田信玄の信州川中島の合戦、忠臣蔵吉良邸討入りの場の彫刻がある。
蒲団は反屋根式の三段。
・全末広(新宿、末広、神明、大開)
平成十四年に再建。工匠は有限会社宮脇建築。
狭間彫刻は三木合戦。富山県井波町(現南砺市)の畠山勲の作。
高欄掛は縫常の作。
蒲団は平積みの三段。
・下町(下町、前田町、丸一町)
平成八年の再建。工匠は株式会社梶内だんじり店。
旧臺は大正初期の建造といわれ、四方を反る形態だった。昭和30年の改修で平らになったが、八年後の、昭和三十八年に旧に復した。
蒲団は反屋根式の三段。
・栄町
平成十四年の再建。
狭間彫刻は大阪府岸和田市の山本仲伸。
先代の屋臺は大正期の建造といわれ。兵庫県多可郡中町より昭和三十六年に譲り受けた。
蒲団は平積みの三段。
・高木
蒲団は平積みの三段。
・平田
蒲団は平積みの三段。
・大村
・城山町
新市街地の発展でできた町で屋臺も建造されたが休止中である。
□汎論
 大宮八幡神社祭は播州三大祭の一つに数えられ、壮麗な屋臺がでる。圧巻は屋臺の宮入りで、神社社前の石段八十五段を命綱をつけて屋臺が宮入りする。大村のみは命綱をつけない慣わしである。


◆05342 浜宮天神社祭

2010年05月14日 | 日本の山車
◆05342 浜宮天神社祭
兵庫県加古川市尾上町口里
浜宮天神社
□祭神            
スガワラミチザネコウ 菅原道真公
脇殿
オオクニヌシノミコト 大国主命
スクナヒコナノミコト 少彦名命 
□祭は十月中旬
□山車(屋臺)
・新野辺
・口里
・安田
・北在家
・斑鳩
□汎論
 浜宮天神社は、松並木の長い参道の奥に鎮座する。菅原道真が赴任地の九州の大宰府に向かう途中、当社に立ち寄り松を手植えにされたとの伝承がある。この松は幕末まで繁茂していたといわれ、出羽庄内出身の清川八郎は西遊のとき当社に立ち寄り、その日記に「根浮い蟠まり 幹は中空に聳りたち 枝は三段にして葉の色三様に分る」と記している。現在は二代目の加古の浜松が茂る。憶うに菅原道真が立ち寄ったときにはすでに神社が祭られていたわけでその祭神はオオクニヌシノミコトであったろうと推察する。

◆05785 日岡神社祭

2010年05月14日 | 日本の山車
◆05785 日岡神社祭
兵庫県加古川市加古川町大野
日岡神社
□祭神
アメノイササヒコノミコト 天伊佐佐比古命
配祀
トヨタマヒメノミコト 豊玉比売命
イチキシマヒメノミコト 市杵島比売命
ウガヤフキアエズノミコト 鵜草葺不合命
アマテラスオオミカミ 天照皇大御神
境内社
大鳥居神社(居屋河原日岡神社)
祭神
アメノイササヒコ 天伊佐々彦命
昭和四十六年(一九七一)市内加古川町寺家町居屋河原にあった居屋河原日岡神社を遷座した。
高御位神社
祭神
オオナムチノミコト 大己貴命
コトシロヌシノミコト 事代主命
加古川市と高砂市の境界にある高御位山の高御位神社がある。
天満神社
祭神
スクナヒコナノミコト 少名毘古那命
スガワラミチザネ 菅原道真
恵比須神社
祭神
ヒルコノミコト 蛭子命
稲荷神社
祭神
ウケモチノカミ 保食神
住吉神社
祭神
ウワツツオノミコト 上筒男命
ナカツツオノミコト 中筒男命
ソコツツオノミコト 底筒男命
熊野神社
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊

□祭は十月中旬
□山車
蒲団太鼓
・美乃利
□汎論
 日岡神社(ひおかじんじゃ)は加古川市東部の日岡とよぶ台地上に鎮座する。延喜式神名帳に播磨国五〇座内、賀古郡一座と記載される古社。創祀は不詳、社記では聖武天皇期、天平二年(七三〇)としているが、おそらくこれは皇紀を基準においたもので、実際には紀元前にまで遡るのではないだろうか。
 祭神は海神氏のトヨタマヒメノミコト(豊玉比売命)。海神氏の一族宗像氏の祭神イチキシマヒメノミコト 市杵島比売命。おそらくそのあとの祭神である、出雲系のオオナムチノミコト(大己貴命)、コトシロヌシノミコト(事代主命)、 コトシロヌシノミコトと同一神とされるヒルコノミコト(蛭子命)、スクナヒコナノミコト(少名毘古那命)。アマテラスオオミカミ(天照皇大御神)、イザナギノミコト(伊弉諾尊)、イザナミノミコト(伊弉冉尊)など皇室系の神がつづく。
 日岡は古代、【日氏】が太陽神を迎えた地と推定され、その祭主は一族の長たるアメノイササヒコノミコト(天伊佐佐比古命)だったと考えられる。アメノイササヒコノミコトは『古事記』、『日本書紀』やその他の記録には出てこない不明の神である。海神氏系の神であろう。あるいは日氏の祖神か、土地神とも推定される。寺家町居屋河原にも日岡神社があり、おなじ祭神を祀っていたが、こちらは弟神だそうである。
 加古川の左岸に日岡があり、背後の山頂に稲日太郎姫命日岡陵がある。日岡は神南備山であり日岡神社は里宮と推察される。
 日岡神社は安産の神として篤く敬われており、安産や地域の安全を祈願する伝統行事の【亥巳籠(いみごもり)】 が神職らにより七日間にわたって齋行される。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇2009年5月岡山・兵庫旅行5(佐用町・日岡八幡神社、陣屋)
2010/1/20(水) 午前 5:15
... まずは日岡八幡神社に参拝します(写真①)。 ... 参道の途中の左側にこういう神社があります(写真③)。見えているのは覆い堂で、中にこういう神社があります(写真④)。解説では高良神社といい、御祭神は武内宿禰だそうです。特別に文化財に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430/49822177.html

◇高御位神宮ほか
2009/11/28(土) 午後 2:58
... 神武天皇   の東征に関係の深い土地柄で、祭神のお一人豊玉姫にあやかって安産の神様として、地元の人々の   信仰が熱い日岡神社の境内にあります。  4,「唯仏是真」の御軸;これは第253代天台座主山田恵諦さん98才の時に書かれた大きな書です。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sio00tyann/4170256.html

◇第9回 印南の「大国の里」は大国主神の聖地(その1)
2008/10/25(土) 午後 10:44
... 祇園祭で有名な京都・祇園の八坂神社はここから分社したものである。また、姫路市の市街地にある播磨国総社の祭神も射楯大神=五十猛(いたける)神である。 日本書紀によれば、五十猛神は ... 日岡山にはその伝承が残っている。  後に ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/2527649.html

◆02156 岩屋神社秋祭

2010年05月13日 | 日本の山車
◆02156 岩屋神社秋祭
兵庫県明石市材木町
岩屋神社
□祭は十月中旬
屋臺、宮太鼓を曳く
・出崎町
□汎論
 明石市の出崎は、岩屋神社の氏子であるが、飛び地になっている。明石海峡を越えて淡路島に渡るときはここにある明石港から淡路島の岩屋に渡ったのだった。車両の積載量が少なくて眼の前で乗船を打ち切られ、明石海峡を行き来する船を眺めながら、三時間以上も待ったものだった。いまは明石大橋を車両が疾走する。だが、船が桟橋を離れる。船が陸地に着く。たとえば、津軽海峡を青森から函館にわたる。稚内から礼文に着く。礼文の香深港では、遠来の客を「お帰りなさい」といって迎えてくれる。出港のときは別れのテープを投げる。「感傷的だ」と笑われそうだが、船旅はいいものである、昔は人の情けが濃く、時間がゆっくりと流れていた。演歌の良さが分かるのは、この世代に生きた人間だからかもしれない。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇2010、GWの旅☆弐
2010/5/11(火) 午後 7:26
... 湖上に白鬚神社の赤塗りの鳥居がそびえる…! いつ見 ... 注文☆ たこ入りカレー…なんまらうめぇ~⌒☆ 明石港にフェリーが到着して、乗船して出港!淡路島、岩屋港へ向かう! 夜の明石海峡大橋(パールブリッジ)幻想的⌒☆ 岩屋港に着いて、途中、温泉入って ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/name_three_faith/14646270.html

◇2010/5/9 兵庫県お祭り紀行
2010/5/9(日) 午後 6:29
5月9日 朝から「浮かれ気分」で淡路島に上陸 こんな場所へ行ったんじゃ 岩屋の石屋神社 よだれを垂らしながら廻りを見渡すが・・・ん?何か様子が変だぞ えらい活気が ... 本土を目指して 明石海峡大橋を渡り 兵庫県三木市の別所小学校に到着 屋台イベントを見 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakaide_renjaku_oyaji/32140586.html

◇岩屋神社の祭礼(3)
2008/3/16(日) 午前 7:26
岩屋神社から担ぎ出された神輿は、漁船に乗せられ、岩屋港周辺の明石海峡を、氏子の船を数隻従えて一巡、数か所で鯛を放流して五穀豊穣と大漁祈願あり、港に帰港、餅まき行われました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/zq64649/34841641.html

◇岩屋神社の本家、淡路島の岩屋へ。
2007/11/24(土) 午前 3:40
... 明石の岩屋神社のすぐ東の船着場から、高速艇に乗り、淡路島の岩屋漁港に向いました。 明石海峡大橋をくぐり、僅か約18分で岩屋に到着です。 降りてすぐの所に、砂岩で出来た小さな島、「絵島」があります。 太古、イザナギ・イザナミの二神が ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/38403974.html

◇岩屋神社の祭り
2006/9/10(日) 午後 6:10
9月9日土曜日、淡路島の 岩屋神社の祭り を見てきました。 小学生がだんじりの前で踊っていました。 唐獅子牡丹の刺繍が施された幕 今から出るで~ 「♪サァ、曳いて ... だんじりと明石海峡大橋 たこフェリー方面に向けて曳行中。 実はここ、春にも来ましたが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/syasu2219chosaja/19259714.html

◆02151 三田天満宮祭

2010年05月13日 | 日本の山車
◆02151 三田天満宮祭
三田天満宮祭
三田市天神

□祭は十月上旬。
□山車
だんじり(地車)
・宮本
明治十年の建造、工匠は大源。
堺型
・本町
弘化三年(一八四六)の建造。工匠は地元の大工と伝わる。
・鍛冶屋町(北浜)
明治初期の建造と伝わるが詳細不明。神戸市東灘区御影西之町が曳いていた地車といわれる。
・七、八番区(南嶽)
蒲団太鼓
・東区(寺村)
・十番町
(順不同)
□汎論
 兵庫県三田市は神戸市のベッド・タウンとして近年の発展が目覚しい。かつて、中国自動車道もまだなく、宝塚から西宮市名塩を経由して訪ねていたことを思うと隔世の感がある。三田天満神社の創祀は古く、和銅六年(七一三)には大歳大神を祭る神社で、当地はその御領田(みけだ)だったといい、これが現在の三田市の語源だといわれる。社号に天満宮がつけられているが、菅原道真の誕生以前にすでに鎮座していた歴史がある。全国の天神二十五社のひとつに数えられる社格と由緒がある。
 山車はだんじり(地車)と蒲団太鼓が混在する。


論攷 斐太ノ工 六〇

2010年05月11日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 六〇

 山車を一定の分類枠に当てはめるのは難しい。筆者は古代祭祀の磐坐、神籬、(ひもろぎ、みあれ)から一本の柱。これから発展した近年の風流、練物、傘鉾、笠鉾、一本柱山車から、山笠。明かりを入れた曳物(行燈、夜高、ねぷた、ねぶた)。蒲団太鼓、ちょうさ、千歳楽(せんだいろく)などの太鼓臺。兵庫県神戸市から大阪市から大阪南部にいたる広域に分布する、だんじり(地車)。さらにその南部紀州のひげこ。車輪のない櫓。岐阜県の一部や関東北部、栃木県などに見られる車輪のない山車。あるいは天棚なども広義の山車と考えて扱ってきた。従って、筆者が定義する山車には、建造物、構築物の範疇に含めるのは困難なものもある。 これまで、この方針で山車を論述しているが、正面から反論してきた方はいままでいなかった。だからといってこの分類体系がよいというわけでないことも十分承知している。近年山車の研究が活発になってきているのは喜ばしい。これら諸研究者の将来の課題といえよう。
 山車は長い歴史の過程で変遷を繰り返して建造されてきた。また各地に共通する山車の歴史に【記録がきわめて少ない】のも大きな特徴で、過去の姿を知り得ないものも多々ある。だが、山車を建造し、曳き続けてきたおおきな思想のひとつに、つねに美を求めてきた郷土愛がある。
 その頂点に立つのが【飛騨高山の屋臺】である。それは美術の粋をあつめている。その躯体や彫刻には伝統の木工技術が秘められている。換言すれば【飛騨の匠の技】といえようか。おおまかな概念に絞れば、各地の曳物である山車は、その建造に巧緻な社寺建築の技法が駆使されている、山車のすべてが専門工匠らの手によるものではないが、多くは宮大工の手が入っている。そして、それは歴史的に【斐太ノ工】につながっていっる。たとえ記録の工匠に斐太の工の名がなくてもどこかに足跡が残り、あるいはその片鱗を見出すことができるものは決して少なくないはずである。要約すると全国で曳かれる山車には斐太ノ工の技法、思想が秘められているといって過言ではない。 

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇聖神社祭
2010/4/9(金) 午後 10:12
... 車輪は小型の四輪、内車。前面中央に梶棒が ... 実際に賀露の造船所で建造し、賀露港から鋳物師橋の北側に ... このような屋根は長野県松本市の四柱神社の山車にも見られる。 ・瓦町 二層式素木造。四輪車。 この組の山車は聖神社で曳かれる屋臺の中でもっとも標準的な ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/danziri8911/13800109.html


論攷 斐太ノ工 五九

2010年05月11日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五九

 藤原京(ふじわらきょう)は、大阪府和泉から大和にいたる古代竹之内街道の終点つきあたりにある。見方を変えれば藤原京正面の道は、大阪湾に向けて一直線に伸びており、瀬戸内、玄界灘を経て、朝鮮半島、中国大陸に向いていたということになるだろう。藤原京は近年の発掘調査までは、その規模が不明であった。【藤原京】という名称も当時のものではない。
 その規模は日本で最初、且つ最大の都城であった。藤原京の西部から南部にかけてかなり広大な面積を占めて【日氏】の居住した、現在の【飛騨町】がある。上古には、いわゆる【斐太ノ工の居住区】であった。
 よく引用される「飛騨は高冷地で米が実らないので、当時の税制である、租税と庸税は免除され、代わりに丁税として都の造営に当たる人員が徴用された。これが斐太ノ工のはじまりである」という説が流布している。しかし、都の造営は飛騨から集められた。しかしこの人員程度ではとても員数を満たしうるものではなく、しかも単年度で終わるような事業ではなかったから、徴用された【斐太の民】も、飛騨のみならず、日本各地に及んでおり、その構成員の主要な人たちが【日氏】だったと推定される。日置氏もまた【日氏】の氏族として、【藤原京】の、線引き、地割り、造営に関わっている。飛騨から徴用された斐太の民も短期間で帰郷することはなく長年にわたったって居住したはずである。この都城の造営は遷都の需要もあり、七世紀から十一世紀の平安遷都まで、波状的に続いたと見られる。大和地方には、法隆寺をはじめとする古寺院が多い。その造営には朝鮮半島の百済から工人が来朝していたといわれる。もちろん、中国から来朝した工人もあったであろう。だがその中枢にあったのは【日氏】すなわち【斐太の工】であり、それまでに完成していた【宮大工】らの建築工法は、従来の神社社殿建築技法に加え、寺院の建築技法を加味した【社寺建築様式】を次第に完成させていった時代でもあった。
 藤原京は、持統天皇四年(六九〇)に着工され、持統天皇八年に完成して、同年に【飛鳥浄御原宮】から遷居したとされる。その後は、持統天皇、文武天皇、元明天皇の三天皇が居住し、十六年間の都であったが
和銅三年(七一〇)に平城京に遷都された。藤原旧京はその翌年の和銅四年(七一一)、火災に遇い焼け落ちた。この、藤原京が焼け落ちた翌年の和銅五年に古事記が完成している。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇奈良・大和路の世界遺産を訪ねて
2010/5/10(月) 午前 3:07
... 春日大社 平城京創建に大きな役割を果たした藤原不比等によって造営された春日大社は、鮮やかな朱塗りの社殿が緑濃い杉木立の中に建っています。 ... 世界最大級の木造建築であり、大仏殿をはじめ、国宝・


◇重要文化財等が沢山にある ...
弘前&平泉の旅5 中尊寺
2010/5/10(月) 午前 0:01
... 供養と仏国土建設のため大伽藍を造営。 現在「中尊寺境内」は ... 鳳凰堂とともに平安時代の浄土信仰による建築の代表例。 須弥壇内には、藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められています。 ちなみに奥州藤原氏は、文治5年(1189年)源頼朝率いる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nichaimu2000/41342058.html

◇藤の平等院
2010/5/5(水) 午前 11:10
... 京都府 宇治市 にある 藤原氏 ゆかりの 寺院 。 平安時代 後期・ 11世紀 の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「 古都京都の文化財 」として 世界遺産 に ... 教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営した。 今年は気温の低さにまだまだの ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/keiichih2002/50650471.html

◇☆ 中尊寺金堂
2010/5/5(水) 午前 10:50
... 奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営しました。                 今尚、金色堂をはじめとして3000余点の国宝や重要文化財を伝える ... 国宝建築物の第一号として昭和37年から大規模な修復保存作業が行わ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/myruujin/3179141.html

◇藤原宮跡で運河跡
2008/9/25(木) 午後 1:59
... ShopへGO!━━━ // 藤原宮跡で宮殿造営の運河跡発見 資材運んだ牛馬の骨も // 産経新聞  国内初の本格的都城で、持統天皇が開いた藤原京(694-710年)の宮殿南門跡南側で、宮殿造営のために建築資材を運んだ運河跡2本が見つかり ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/county_assembly0/1410231.html

論攷 斐太ノ工 五八

2010年05月11日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五八

「これは仮説である」
 海神氏、出雲氏に共通する主要な神に【アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)】、【セオリツヒメノミコト(瀬織津比賣命】がある。これらの神は海神氏から出雲氏の支配する紀元前の弥生時代には、トヨタマヒメノミコト(豊玉比賣命)、タマヨリヒメノミコト(玉依比賣命)、ワダツミサンシン(海神三神)、ムナカタサンシン(宗像三神)、オオナムチノミコト(大己貴命)、スクナヒコナノミコト(少名彦名命)、イソタケルノミコト(五十猛命)などとは、主祭神として、また併せて、ほぼ全国的に祀られていた。しかし、現在は古い神社に稀に見かけるくらいになってしまっている。
 八世紀に古事記が完成し、相次いで日本書紀が編まれて、大和政権の下に祭祀が確立すると、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)はアマテラスオオミカミ(天照大神)に、セオリツヒメノミコト(瀬織津比賣命)は、ミズハノメノカミ(罔象女神、水分神、水波神)に置き換わった感がある。それはそんなにはずれてはいないだろうと思う。
 語部とされる稗田阿禮は、日置氏の祖神、アメノフトダマノミコト(天太玉命)、アメノウズメノミコト(天ノ鈿女)につながる後裔であり、出雲氏の臣下から大和朝廷に降った氏である。古事記の五伴緒(いつとものお)といわれる。ニニギノミコトの降臨に従った五神、
アメノフトダマノミコト 太玉命
アメノウズメノミコト 天鈿女命
アメノコヤネノミコト 天児屋命
イシゴリドメノミコト 石凝姥命
タマノオヤノミコト 玉祖命
 は、【天から降ったのではなく、出雲氏から降った神】と謂えるだろう。つまり、稗田阿禮は旧出雲氏の流れをひく臣下として、アマテラスオオミカミ(天照大神)が、天地開闢の神でないことは充分熟知していたはずである。権威に阿るものは己を立てることはできない。上に阿諛する立場から、古い伝承がゆがめられ、創作の虚構が古事記に籠められ、これを太安萬侶が記録し、その数年後大和朝廷の祐筆らにより、日本書紀へと編纂された。按ずるに、日本書紀が完成すれば、古事記は廃棄されるべき記録のはずだったが、日本書紀が手分けして編纂される過程で写本として渡されたものが行瀬に伝わってしまったということであろう。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇高智保皇神と天孫降臨説。。。其の弐のひとつ――古事記・風土記・日本書紀にみるふたつの高千穂――
2009/10/11(日) 午後 2:17
... 天孫降臨を古事記は『そり立たして筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りましき。』と記し ... 一方、日本書紀は一書に曰くといい四つの内容を伝えます。 ... 淡海真人三船の讒し言申すことによりて出雲守大伴古慈悲宿弥任を解かれき ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ruriironohahasama/8158448.html

◇成る程!これが天皇家の系図? 「瀧音 能之著 神々と古代歴史の謎を解く 古事記と日本書紀」
2008/12/5(金) 午後 0:59
... 二人のハツクニシラス天皇 四道将軍 大和政権の出雲平定〔ほか〕 全体の流れについては ... 「ヤマトタケル」「日本書紀」では「日本武尊」、「古事記」で「倭建命」。「古事記」では悲劇の英雄。「書紀」では天皇と良き協力者で、死後白鳥と化したという伝承で ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tzhosono/47380268.html

◇―古事記、日本書紀の編纂事情
2007/3/18(日) 午前 4:56
070318 歴史(2)―古事記、日本書紀編纂の事情  実は、二月の初めより、歴史(2)として、"倭人について"更に"倭国について"を書き進めていた。 ... 大国主(大物主、出雲大社の祭神)は毛人の神ではないかと考えられる。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/toudaimori_yt/15824300.html

◇No.31『神々と古代史の謎を解く 古事記と日本書紀』 瀧音能之 著
2006/6/12(月) 午前 9:28
... ヤマタノオロチ、継体天皇、壬申の乱…「古事記」「日本書紀」を中心史料として日本の古代史の謎を読み解き、古代日本の実像を明らかにした一冊。 とあります。 先生はこの他にも、「古代出雲の社会と信仰」「出雲世界と古代の山陰」「古代の出雲辞典」といっ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/36182906.html

◇古事記と日本書紀
2006/6/11(日) 午後 3:33
... 「古事記」に比べて「日本書紀」は対外的に、どちらかと言うと中国の儒教思想が入った 感じで編纂されているという解釈も一般的になっていますね。 出雲地方とは切っても切れないこの両書。 まずは「古事記」から書き込んでいこうかな?と考えてるのですが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/natukasikushiro/7675252.html

◇古代愛媛は沖縄人の国(2) //紀元2600年記念航空博 //卑弥呼のその即位と城 //第64回:沖縄こそオキノ島
2010/5/10(月) 午後 11:57
... 日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都 日本の建国&日本人のルーツ及び日本語のルーツについて http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara 古代愛媛は沖縄人の国(2) KOFUN <抜粋転載> ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/25355516.html

◇王冠の歴史 古代エジプトの水脈 (1)
2010/5/7(金) 午後 8:11
... 古代エジプトの白い王冠を 調べているときに思ったのだが・・・ 似ていると考えられたことはないのだろうか? ローマ・カトリック教会の教皇冠に・・・            古代エジプトの白い王冠については、こちら↓も参考にし ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/25218358.html

◇(世界水没地図)に見る古代阿波国
2010/4/27(火) 午前 1:00
仁徳天皇は讃岐の天皇 5   で、古代の海面上昇について書きましたが、海外サイトの   Flood Maps(世界水没地図) というものを ... ただ、精度はもちろん完璧ではなく、地形そのものも古代は現在と違うため、あくまで目安です。 私が以前住ん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/50349540.html

論攷 斐太ノ工 五七

2010年05月11日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五七
「これは仮説である」

 京都府亀岡市稗田野町佐伯に【稗田野神社】は、延喜式神名帳に記載される古社で、丹波國七一座内、桑田郡一九座の一社である。社殿は和銅二年(七〇九)の創建と伝わるが、古代には集落の中心に盛土した箇所があり、これが神籬だったと推定される。現在は社殿の後ろにある。祭神はウケモチノミコト(保食命)、オオヤマツミノカミ(大山祇神)、ノツチノミコト(野椎命)である。佐伯燈籠の神事があり、串人形が行われる。
 ノツチノミコト(野椎命)は、ややめずらしい神であるが、イザナミノミコト(伊弉冉命)の子で女神である。オオヤマツミノカミ(大山祇神)とは、兄妹の関係であるが、二神を夫婦神とする説がある。
おなじ亀岡市宮前町の篠葉神社(しのはじんじゃ)、旧称楽々葉大明神にノツチノミコト(野椎命)が祀られる。また、亀岡市千代川町千原安田の藤越神社の祭神にもなっている。
 ノツチノミコト(野椎命)の別名に【カヤノヒメ(鹿屋野比売)】がある。大隅国姶良郡の鹿屋郷(鹿児島県鹿屋市)から渡来した神との言い伝えがある。丹後に加悦谷があり、「カヤ」はまた、朝鮮半島に栄えた古代の【任那・伽耶】かもしれない。カヤノヒメ(鹿屋野比売)は比叡山、日吉にも関わりがあるとされる。
 兵庫県太子町佐用岡の鵤(いかるが)に、聖徳太子ゆかりの斑鳩寺(いかるがでら)がある。大和の法隆寺と共通する名称があるが、この地は佛教布教の功績を讃えられ、聖徳太子が推古天皇より拝領した地だと伝わる。ここには稗田阿禮が神として祀られる稗田神社(上ノ宮)がある。

論攷 斐太ノ工 五六

2010年05月10日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五六

「これは仮説である」
 【ヒキ氏】は、古代には【日氏】の一族、あるいは支族だったろうと考える。

 日置氏は祖神をアメノフトダマノミコト(天太玉命)としている。アメノフトダマノミコトは、
五伴緒(いつとものお)といわれる。ニニギノミコトの降臨に従った次の五神、
アメノフトダマノミコト 太玉命
アメノウズメノミコト 天鈿女命
アメノコヤネノミコト 天児屋命
イシゴリドメノミコト 石凝姥命
タマノオヤノミコト 玉祖命

 を言い、最初の記録は『古事記』である(神には同一神でもいろいろ異なる表記がある。これをいちいち記述するのは煩雑を極めるのでカタカナ書きとしている)。
 アメノフトダマノミコト(太玉命)は日置氏の祖神。アメノウズメノミコト(天鈿女命)はアメノフトダマノミコトの娘。アメノコヤネノミコト(天児屋命)はト部氏の祖神。一説ではアメノウズメノミコト(天鈿女命)を娘とする系図がある。イシゴリドメノミコト(石凝姥命)は日置氏と同族で、アメノアカルタマ(天明玉命)とする。アマテラスオオミカミが岩戸隠れをしたときに八咫鏡(やたのかがみ)を作った神である。 タマノオヤノミコト(玉祖命)は、アマテラスオオミカミが岩戸隠れをしたときに、八尺瓊勾玉(やさかにのたま)を作った神である。すべて日置氏の同族で出雲系の神である。
 日置氏、卜部氏は、古代出雲の國が、大和政権に移ったとき、阿波(徳島県)から、ともに移った氏族であろう。天皇の臣下となった日置氏は忌部氏(阿波忌部)、卜部氏は中臣氏と変わったと推定される。
 国史を記述したわが国、最古の文献は、【古事記】である。和銅五年(七一二)太朝臣安萬侶(おおのあそんやすまろ)が、稗田阿禮(ひえだのあれい)の口述を記録してできた書であることはよく知られる。大和郡山の売太神社(めたじんじゃ)は、延喜式神名帳に記載される古社で、稗田阿禮の屋敷跡と伝わり、環濠集落の名残を今に伝えている。稗田阿禮は【日氏】の一族で、山城國葛野(やましろのくにかどの)を故地としたといわれる。京都嵐山から右岸を下る物集街道(もずめかいどう)と国道九号線が交差する位置よりやや西に葛野(かどの)がある。【日氏】の一族である【日吉氏】の発祥の地で、【比叡山】、【日吉神社】はこの【葛野】から出たと考える。国道九号線をさらに丹波方面に向かうと【老の坂】で、トンネルを下れば、口丹(丹波の入り口)で、亀岡市になるが、ここには【稗田野神社】がある。

論攷 斐太ノ工 五五

2010年05月10日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五五

「これは仮説である」
 【ヒキ氏】は、古代には【日氏】の一族、あるいは支族だったろうと考える。

 太陽の赤道と黄道が交わる春分の日。あるいは秋分の日。この日に太陽が通るライン上に古代祭祀が並ぶ例は具体例を挙げて発表された研究がある。
 白道(月の通る道)に四季の行事、人生の周期を重ねる神事、あるいは呪術的な行事も知られる。古代には現代では想像もつかない関心を持って、祭祀が繰り返されていたことが想像される。日置氏の職分のひとつであったろう。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇古代イスラエルと日本②
2010/2/1(月) 午後 3:00
古代イスラエルと日本② 古代イスラエルと日本①からの続き。 ... 仮庵の祭りにあたる先祖を偲ぶ行事はお盆の頃に行われます。 お盆は仏教の行事だと思われがちですが、本来の仏教にお盆という行事はありませんでした。 太陽暦3月~4月頃に行われるユダヤの春 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/magtaranomaria/34519230.html

◇今週からの行事
2009/3/20(金) 午前 9:38
... or.jp/ ●サヒメル 太陽の謎に迫ります 春の企画展「太陽のひみつ~みんなを照らす なぞの星~」(3 ... or.jp/ ●大田市の伝統行事 春の彼岸市「中日つあん ... miracle.ne.jp/sekisho/ ●古代出雲歴史博物館「弥生だんだん祭り-古代出雲の園遊会」開催(3/20~22 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/crdayukio/48799533.html

◇古代史の再検討(12ー1)・・・絶対年代の復元
2009/3/6(金) 午後 2:11
1: 古代史トップへ `2: 長論文目次へ 古代史の再検討(12ー1)・・・絶対年代の復元 45 再び『日本書紀』が語る ... 立冬、大寒、立春といった節気行事が生まれる背景に四季の存在がある ... 普通年暦では10月後半(太陽暦では11月から12月にかけ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11633436.html

◇太陽のお祭りとクリスマス
2008/12/26(金) 午後 2:03
... 特に稲の豊作を常に願う神事を古代から 行っているのです。 近代文明文化の発祥の地である 欧州においても古代の冬至は 太陽の誕生を奉っていたのです。 先日 日本はクリスチャンがすくないに クリスマスが一大行事になっているのは 商業ベースにのせ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tukusinkai/21453708.html

◇月別 行事料理 その1
2006/6/22(木) 午後 3:14
... 古代のつきよみのみこと月読命〈月の神)が持っていたという若返りの霊水・おちみず変若水の信仰から出た風習と見 ... 十五日、十八日と、一月は「粥」の行事が多い。餅花や団子を入れた粥で、十八粥を食べると ... 太陽暦では二月三日、或いは四日にあたる。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mutsukarilab/9026806.html

◇図書館記念日
2010/4/30(金) 午前 8:29
... 1971年(昭和46年)の全国図書館大会で決定、 翌年より記念日として行事などを行っている。図書館は、 紀元前3000年の古代メソポタミアの時代にもあったとされる 図書館の歴史は古いですね。 その時代の本の価値はすごく高いですね。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/aozora4711332/61243771.html

◇現実になった不老長寿と幸福への道・・安芸の多祁理の宮と吉備の高島の宮・・誤解を生むのは祭礼のシンドゥ行事のせい ・・小国・日本から分かれた新羅
2010/4/24(土) 午後 5:51
日本の古代史が白日のもとに <α群> ≪リンク先の記事・表題等転載≫ 歴史徒然:日本の誕生・日本語 ... 日本語のルーツについて http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara 現実になっ ... 誤解を生むのは祭礼のシンドゥ行事のせい 四神と五彩圏 <抜粋転載 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/25157298.html

◇古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議
2009/5/9(土) 午前 9:37
... 生田神社で25年に一度の仮遷座祭 生田神社で式年行事。運ばれるご神体=8日午後、神戸市中央区の生田神社(彦野公太朗撮影)(写真:産経新聞) …… ★古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議 …… ★“戦争に引き込ん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hori50tokyonerima/57506134.html

◇驚く『古代ユダヤの天文学知識の神秘』-~=!。。。
2009/1/8(木) 午後 8:07
... 聖書に隠された、驚く『古代ユダヤの天文学知識の神秘』-~=!。。。 月の欠け満ちの周期は約29日半だが、正確な周期はなかなか難しい。 ... 今日でも祭りや行事を行うための、暦の基本としている。  -~= 何 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/osanponikkoonsenmeguri/46068299.html

◇行事⑤ひな祭り(桃の節句) 追記
2007/2/21(水) 午前 10:59
... ところが京都では伝統を重んじて向かって右に置く家が多い。 社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、 男雛を向かって左に置くのを現代式、右に置くのを古代式としどちらでも良いとしている。
 http://blogs.yahoo.co.jp/hatomamegumi/46328738.html

論攷 斐太ノ工 五四

2010年05月10日 | 日本の山車
論攷 斐太ノ工 五四

「これは仮説である」
 【ヒキ氏】は、古代には【日氏】の一族、あるいは支族だったろうと考える。

 古代出雲の支配する頃の国名(小国家)は、単音表記であったと考えられる。おそらく出雲は、古くは海神氏の支配する【伊都(いと・いとしま)】あたりを出自としているであろう。さらに、出雲の國(島根県)は言うなれば【元出雲】で、出雲の國は、大阪南部の和泉地方にあったと推定される。仮に【本出雲】とよぶ。
 日置氏(ひきし)、卜部氏(うらべし)、のちの中臣氏(なかとみし)は出雲氏の臣下で豪族だったと考えられる。いずれも祭祀に関わる家系であるが、これは広義の祭祀を指していると考えられ、中臣氏は、生産に関わる祭祀、つまり、出産、豊作祈願、豊漁、天下泰平から、その予見である、亀ト占、粥占、湯立てなどにいたる予祝に関わる祭祀。
 日置氏は、葬祭に関わる祭祀のほか、測量、磐座の建造から山容の整形(修景)、古墳の設計、建造。神社社殿、拝殿の設計、施工に関わっていたと考えられる。
 大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)の山頂を結ぶ直線の延長が、滋賀県の田上山(たなかみやま)、綿向山、多賀大社、伊吹山、濃郷白山など各地の古代祭祀の真上に至ること。常陸の國(茨城県)鹿島、香取は西に延長すると、諏訪(長野県)乗鞍岳を経て飛騨の國の一宮水無神社にいたり、さらに古代祭祀の磐座で知られる位山をとおり、加賀白山の別山にいたるライン。
 伊勢湾の神島から伊勢、津市(旧一志郡美杉村)から大和を通るラインは飛鳥を経て元伊勢日室山の上に来ること。これは少し前になるが、水谷慶一氏により北緯三四度三二分ラインとして提唱されている。
 イギリスのアルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)氏は、ストーンサークルなどの古代の遺跡には直線的に配置されているという仮説を立て、著書の『オールド・ストレート・トラック(The Old Straight
Track』に発表されている。
 まだ学説として成立していないようだが、わが国の古代遺跡もまたいくつかが直線上に位置することを証明した著作物もある。ヨーロッパの古代文化が日本の古代文化に共通する課題は、それぞれが独立して発展した思想か、日置氏による独立文化か、渡来文化か、比較文化か興味がある。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇私考― 青海神社と祓殿 其の捌のふたつ ― 瀬織津比神祭祀のお社と重なる青海神社の神事
2010/5/6(木) 午前 9:03
... しかしながら、加茂の地の生活と文化は河川と密接な関係があり、古代から生活圏は河川によって隔てられ、たびたび起こる水害や干拓を始めとする河川の改修は ... 「信仰の上でのみの瀬織津比神祭祀を調べることは、容易ではないが文書や寺社の由緒書 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ruriironohahasama/14236426.html

◇第八十五回・弥山、古代の「神の道」を歩く(最終回)
2010/5/2(日) 午後 1:11
... 残念ながら、古代の祭祀に関わるものは見つかりませんでした。 私は今後も、弥山山頂付近の調査を続け、古代にまで遡る祭祀遺物の発見を目指すつもりです。 さて次回は、再び弥山に登り ... 世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/daikai31/14079776.html

◇古代祭祀用の"人の頭部を砕いて煮込む器"展示-殷墟
2009/6/16(火) 午前 8:24
古代祭祀用の"人の頭部を砕いて煮込む器"展示-殷墟  中国で文化遺産デーに指定されている13日、中国各地の歴史文物や博物館などが観光客でにぎわった。河南省安陽市の殷墟博物館では、殷(商)代(紀元前17世紀頃-紀元前1046年ごろ)の出土物が ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/redlinehappy/18417392.html

◇水の祭祀・・・タイムトリップの旅・東京古代生活
2008/4/29(火) 午後 4:48
... そんなわけで古墳時代、東京で真っ先に文化が発達して交易が盛んな地域がここ足立区伊興だったと いう事です。 やがてこの土地のムラの長が ... さてさて次は祭祀についての特集ですが、現場でちょっとトランス入りそうになりました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mink_iruka/53011905.html

◇国際シンポジウム「古代東アジアの墳墓・祭祀・信仰」 のお知らせ!
2007/1/24(水) 午後 5:57
... 国際シンポジウム「古代東アジアの墳墓・祭祀・信仰」 日 時 2007年1月27日(土)13:00~16:30 【入場無料・申込不要】 場 所 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 (京都市右京区嵯峨広沢西裏町5-26) (京都市バス59系統「広沢池・佛大広沢校前」駅 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tukiyozato/12318653.html