一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

中国の監視社会が凄すぎる

2019-01-06 09:32:56 | 日記
中国のある省で学生の制服にチップを埋め込み、学生の行動がすべて把握できるようにしている、という記事があった。中国の監視社会の一面がここにも広がっているのだ。国が監視社会を作り出したのだから、当然その下にある省、県、市などが追随するのも当然のことである。監視社会というのは、このようにして人民の中に浸透していくのである。人民は、何処にいても、誰といても、何時でも監視されているということだ。恐らくお手洗いに入っていても、夜眠っていても監視されているのではないだろうか。

最早このような監視社会では人間性などは失われてしまう。人権や自由はすでに失われている。小生が以前にブログに「信教の自由はない」と書いたところ、「信教の自由はある」という反論があった。しかし、上記のような監視社会で本当に信教の自由が確保されているのだろうか。自由や人権が失われていることは世界に知れ渡っている。小学生、中学生、高校生などの未成年者にも監視社会の波が押し寄せ、既に浸食されているのである。ここまでやるか、というのが自由主義社会に生活している吾々の感想である。

中国には数百万台、あるいはそれ以上の監視カメラが設置されているというが、それを凌いで個人の行動のすべてを監視するシステムが出来上がろうとしている。監視カメラの性能は向上して顔認識が普通にできるようになっている。中国では個人番号がすべての人民に与えられ、身分証明書を所持していないと簡単に移動することはできないシステムになっている。長距離列車や飛行機に乗る場合には必ず身分証明書を示して乗車券や搭乗券を購入することになっている。

共産党幹部や政府高官には特別の身分証明書が発行されているはずだ。彼らにも行動のすべてが監視されており、誰かが誰かを監視するシステムが出来上がっているだろう。監視社会がどのようなものか、東ドイツで行われていたものをテレビで見たが、夫婦、兄弟姉妹、親子など親族間での監視も行われていた。血のつながりがあろうとも、そのようなことは全く関係なく行われる監視社会が出来上がると、親族は勿論、他人を信用することが出来なくなるだろう。

中国の監視社会がどこまで進んでいるのかは小生は知らない。東ドイツ並みか、それ以上なのか、ということだ。東ドイツ並みになると、人間が生きていく上で、何が楽しいのだろうか。自分の部屋で静かに本を読む、といっても、どのような本を読んでいるのか監視されているのだから、どうにもならない。音楽を聴くのも、どのような曲を聴いているのか監視されている。そんな監視社会が来ていたら、人間が生きる楽しみが全く失われるだろう。最早、動物以下になる、ということだ。
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