「米ホワイトハウスの侵入者、車内に大量の銃弾所持」と言う記事を見て、アメリカ社会が病んでいる姿が平然と現れた。過去に大統領が何人も暗殺されても銃を捨てられない、と言う社会は一体どうなっているのか。そこに何時も問題となっている「アメリカライフル協会」の存在である。この協会から数百億円の献金が国会議員に行われている。従って、幾ら国会議員にお願いしたとしても、それは無理な話。銃規制をやりたくてもできないのだ。
それなら、国民が、献金を受けている国会議員に投票しなければいいではないか、と言うかもしれない。しかし、銃を製造している企業、銃の部品を作っている企業、銃の弾薬を作っている企業、その銃を販売している商店、など多くの国民がそこに拘わっているのである。銃を完全に規制してしまうと、それに関連した企業や商店で働く人が失業してしまう。通常、銃などは軍隊の武器として存在するだけでは、それほど多く造る必要はない。勿論、輸出をすることも可能ではあるが、国民が複数の銃を所持することを考えれば、その需要は大変な数に登る。
アメリカが銃社会を捨てきれない理由は、何も銃で自分を守る、という事だけではない。社会全体が銃に関係してきているからだ。ここまで来ると、銃の規制は殆どできないことになる。もっと外の方法を考えないと難しいだろう。一時、ケネディー大統領が銃で撃たれた時に銃規制の話が出た。しかし、それは上記に書いたことが原因で、銃規制は行われなかった。この問題は、中国でいえばチベットやウイグルの問題と同じであるように思える。
西部開拓時代の名残、と言えばそうだが、銃も近代化され、あの当時の銃とは全く異なったものになっている。少なくとも、ライフル銃などは精密にできていて、数キロ離れたところでも人を狙うことが出来るようになった。自動小銃も、より多くの弾を撃つことが出来るようになった。銃自身の大きさも極めて小型化されてきた。時代の流れで銃を規制する時機を逸したといえる。このまま行くと、また何時かは大統領が銃撃されることになるかもしれない。ホワイトハウスの警備も今のままでは銃を何処から撃たれてもおかしくないのではないか。
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