一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

松山市の処分された教諭、人間性全て欠陥

2013-09-02 05:11:44 | 日記

この三人の教諭、果たして人間としてどのような教育を受けてきたのだろうか。女子小学生の体を触る、人の財布からお金を盗む、など普通の人間だったら犯罪だと直ぐに解る行為を平気で行う。教育委員会で倫理観などの教育をする、というが、それ以前のものではないか。何が欠けていたか、と言えば、人間性全てに欠けていた、欠陥商品そのものである。大人としては極めて恥ずかしい人間であり、何を、どのように、どのくらい、再教育をすれば普通の人間になれるのか。学校の先生になるには大学を卒業したはずだが、一体どこの大学で何を学んだのだろうか。教育に関する学問は勿論、教職課程を選択し、卒業したのであろう。この人たちの学んだ学校の教授たちは何をどのように教えたのだろうか。

学校の先生になるための教育、それは特殊な教育ではないはず。小生も大学で教職課程の幾つか(全てではない)を学んでいるが、別段、特別なものと感じなかった。要は、小学校、中学校、高等学校の先生になるための教育は、特殊なものではない。一般教養に専門課程が少し加わり、普通の勉強をすればよかった。今回の処分を受けた三人の教諭は、人間性を全く失っている。教諭としてではなく、社会人としても資格がない。もしこの三人が一般企業に就職したとしたら、使い物にならないであろう。社会の屑だ。社会生活をしていく上での基本が全くなっていないからだ。

何処で間違ってしまったのか。若しかすると最初から間違ってしまったのかもしれない。大学へ入るときに学科試験しかないから、成績はそこそこだった。しかし、人間性から見たら受からなかっただろう。そんな人間が、どう間違ったか教職を取り、学校の先生になってしまった。教育委員会ではこの三人が教員に不適格だという事は面接をしても見抜けなかったのだろう。見た目では何も解らない。誤魔化すのが上手だったのかもしれない。人間性を適性検査であぶり出すことは不可能ではない。小生が勤めていた企業で、管理職者に対してある適性検査を行った。そこで検査した結果を基にして様々なことを検討し、実施してみた。その結果、グループとして働くことに不適格な人がいることが解った。個人としては優秀だが、グループになると上手くいかない。立派な大学を卒業しても適正と云うものがあるのだ。

適性検査は、やり方によっては非常にうまくいく。教師としての適性は、小生は必要だと考える。頭が良くても教えることが上手くない人、頭は普通だが教え方が上手い人、など適性検査である程度分かるのである。松山市の三人の教諭は、適性検査をすれば、恐らく不適格者となったのではないか。社会常識に欠ける人間が教師になれば、教えられる生徒は悲惨だ。犠牲者をこれ以上出さないためには、教師としての適性検査をすることを提唱する。反対する人がいるかもしれないが、不適格な教師に当たったことがある人は賛成してくれるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする